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 簡易自己診断……ハードウェア、ソフトウェア共に異常は見つかりませんでした。
 またしてもシヴァにポイントを奪われてしまった。ポイントを奪うつもりで挑んだというのに、逆に返り討ちに遭った。私のボディにはそれほど深刻なダメージはないものの、3ポイントもリードされるというのは心理的にも非常に大きい。サッカーで相手チームに同ポイントリードされるのとほぼ同じなのだから。
『ラムダ! 聞こえているなら返事をしなさい!』
 通信回線から聞こえる、マスターの怒鳴る声。
「はい、マスター。すみません、リードを許してしまいました。ですが今度こそは―――」
『いいから! 接近戦はやめて、一旦間合いを取りなさい!』
 激しい叱責が私を打つ。
 私のミスを責めるその言葉。何も反論の言葉がない。全て私の処理ミスだ。そのせいで試合は完全にシヴァペースになってしまったのだから……。マスターには、どうしても達成しなければならない目的がある。私はそれを実現するためにメタルオリンピアにエントリーした。私に下された命令は、マスターのためにメタルオリンピアの五競技の内のいずれかで優勝する事。だが、既に私は四競技で、しかも決勝にすら残れずに優勝を逃してしまっている。だからこのギャラクシカは、本当に私にとって最後のチャンスなのだ。これで優勝できなければ、私はマスターの命令を聞くことの出来ないロボットになってしまう。命令を聞けないロボットは、誰からも必要されない。その存在意義すら失われてしまうのだ。
「はい……」
 是非もなく、私はいつものようにマスターの言葉に従うと、まずはシヴァに注意を向ける。シヴァは私から23メートルほど離れた地点で油断なく構え、こちらの動きに全身の感覚素子を向けている。隙をじっと窺っているかのような素振りだ。これだけポイントリードしても決して最初のスタイルを崩したりはしない。ロボットが故の特性だ。
 ようやく、私はこのままシヴァに真っ向から接近戦を挑んだとしても無駄に終わる事を理解した。マスターのデータには先ほど起こったような反撃の危険性も入力されていたのに。いきなり2ポイントもリードされてしまった事で、すっかり頭に血が昇ってしまっていたようである。
 ……血?
 私の体には血なんてものは存在しない。このボディに流れる液体といったら、機関冷却用の特殊冷却剤ぐらいなものだ。私はロボット。人間の第二のパートナーにして、マスターに従属する忠実な存在。血、だなんて。何をバカな事を。
『さっさとやれよ、早く!』
 ふと、観客席の方からそんな野次が飛んできた。このリングでそれぞれの信念を賭けて戦っている二人のロボットに対し、そのどちらにも共感や応援しようという意図の存在が感じられない、ただ私達ロボットが攻撃しあう様だけを期待する言葉。それはメタルオリンピア全般を通して聞かれる言葉であるのだが、特にギャラクシカは外野の言葉がはっきりと耳を打ってくる。そして。こんなにもその言葉が、研ぎ澄まされたナイフに突き刺されるような錯覚を抱かせるなんて、これまで思いもしなかった。そう、彼らは私達の存在自体など一切興味がない。ここには、ただ純粋にロボットがやられていく様を観るためだけに来ているのだ。
 それは、ロボットの私にしてみればとてもリカイに苦しい事。
 そして。
 シヴァの動作に最大限の注意を払いながら、自分のリング上における現在位置を計測。先ほどから目まぐるしく行き交った攻撃と守備に気を取られ過ぎ、自分の現在位置を全く計算しておかなかったのだ。
 計測終了。
 私はなおもシヴァに注意を払い続け、正面を向いたままゆっくりジリジリと立ち位置を左斜後方へずらしていく。シヴァもまた私の動きを見るなり、一歩下がれば一歩前に進み、一定の距離を保ち続けようとする。この距離が、私とシヴァの攻撃間合いの一歩外なのだ。これを踏み越えるには、相当の勇気と覚悟が必要だ。
 私が一瞬でも背を向ければ、シヴァはたちまちあの驚異的な加速力を持って私に襲い掛かるだろう。私の装甲はかなりの耐久性を持ち合わせていたため、これまではシヴァのカウンター攻撃にも若干の破損だけで済んでいる。けれど、それと同程度の衝撃を背中に受けてしまったら。元々背中は素早くスムーズな動きを行うため、動作の支障にならぬよう正面側に比べれば比較的軽装な設計になっている。装甲も薄く、感覚素子もほとんど対応できないこの死角から襲い掛かられてしまったら、壊滅的被害はまず避けられない。そのまま私の敗北に繋がってしまう。私が敗北すれば、マスターの目的を叶える事が出来なくなる。命令を守れず、私の存在意義がなくなってしまうのは一向に構わない。けれど、マスターが悲しむ事だけは絶対に耐えられない。
 シヴァは私に攻撃する機会をうかがってはいる。だが、隙を見せないからと強引に攻めてくる事はない。ポイントリードしているのはシヴァの方なのだから、今後は安全に試合を進めていくだろう。
 そう私は現在の状況を冷静に分析した。はっきり言って今の状況は非常に良くない。決勝戦の試合時間は30分、これを超える場合はその時点で試合は終了、ポイント判定に持ち越される。勿論、現時点での勝利は3ポイントリードしているシヴァの可能性が高い。これだけのリードがあるならば、シヴァは無理に攻め込まずに判定へ持ち込む選択肢がある。その場合、私は圧倒的防御性能を誇るトラウマシステムも加えてますます状況が苦しくなる。迂闊に攻めれば反撃を受けてしまう。かと言って、反撃をしなければ時間切れで判定負けしてしまう。
 勝つためには攻めなければ。
 攻めなければ。
 攻めなければ。
 そう、何フレームか思考した後、
 ハードコントロール。
 私は後方へ大跳躍する。シヴァとの距離、およそ40メートル。私の元へ接近するには、最低でも1秒はかかる距離だ。
 ポイントリードを許してしまった今、勝つためにはとにかく攻めて私もポイントを奪わなければいけない。けれど、今、私が取るべき行動はシヴァとの距離と取り、一撃離脱スタイルで確実に効果的な攻撃を行う事だ。私は距離を離すよりも、むしろ近距離戦を積極的に挑みたい。けれど、マスターの判断は距離を置く事が最善というものだ。ギャラクシカの決勝に至るまでの全試合、私はマスターの指示に従い続ける事で勝利を収めてきた。私とマスターの判断は違うが、この実績から考慮すれば正しい方はマスターの判断だ。だから従うべきはマスターの判断であり―――。
 待て。
 私は一体何を? 私はマスターに忠実な存在だ。マスターに尽くし従う事が己の存在意義。マスターの命令に従うか否かの選択権は私にはない。従う事が当然、当たり前の事なのだ。なのに、どうしてそんな事を……。
 思考クローズ。
 この大事な試合中に、そんなどうでもいい事にリソースは回していられない。とにかく今は、シヴァに勝つ事だけに集中しよう。私は何よりもマスターのために戦うと自分の意志で決めたのだから。
『いい、ラムダ。焦って攻撃したくなる気持ちも分かるけど、ここは我慢のしどころよ。時間は後十五分もある。十分に勝てるチャンスは残ってるわ』
「はい、マスター」
 そうだ。マスターの言う通りだ。何も今、焦って攻め込んで返り討ちにあうという無駄な事を繰り返しても仕方がないのだ。それよりもじっくり冷静になって、勝利への布石を見極めて踏んでいく。それが最も最善の選択だ。
 当初私は、この決勝という大舞台でマスターは相当な心理的負荷を負っていると思っていた。けれどマスターは今まで通り何ら変わらず冷静で、逆に私はマスターのためにも早く試合を有利なものにしようと気が急いていた。そう、緊張していたのは、実は私の方だったのだ。
 ロボットのくせに緊張していたなんて。
 自分の事なのだが、今更思い出したように自分の異変を実感した。私には人間と同じように感情を表現する事が出来るエモーションシステムが搭載されている。だからこそ、こんなまるで人間のような反応もあってもおかしくはないだろう。
 先ほど私は、マスターの命令に逆らってシヴァに接近戦を挑んだ。思い出せる限り、私がマスターの命令に逆らったのはこれが初めての事かもしれない。普段の私ならば決して行わない行動だ。何よりもマスターの意思に従うのがロボットなのだから。
 あの時、きっと私は焦るあまり正常な判断能力が一時的に失われていたのだろう。その結果、普段ならばマスターの意志を優先させるべき所がそれを無視してしまい―――。
 優先?
 ロボットである私に、自分の意志とマスターの意思を比較する機能などあるはずもないのに。マスターの命令は絶対。元からありとあらゆる事項を優先させるように作られたはずだが。やはり、エモーションシステムを搭載したロボットは普通のロボットとは違うのだろう。
 そういえば。以前テレジア女史が、私がギャラクシカで勝つためにはエモーションシステムは外すべきだとマスターに言っていた。エモーションシステムは危険だからと。何となく私はその意味がこの状況になって理解出来てきたような気がした。
 エモーションシステムはリソースを浪費する。戦闘に感情は必要ない。意思のあるロボットは戦えない。
 違う。
『ラムダ、フォトンライフルを出力絞って牽制して!』
 ハードコントロール……フォトンライフル起動。
 右腕に搭載されたフォトンライフルの比較的小型な銃口が、ゆっくりともたげて定位置につく。フォトンライフルは銃器の中では低出力の部類に入る。火力自体は、実際はそれほど高いものではない。装甲が硬い相手ならば、フル出力でも一撃で破壊する事は出来ないのだ。
 ロボットに意思があっても、戦える。
 勝てる。
 そう、意思は枷ではない。力なのだ。
 少なくとも、今の私にとって。
「マスター、間合いはもう少し離しますか?」
『いや、その距離をキープして。近づいてきたら早めに足元を狙って一斉掃射』
「向かってくる?」
 シヴァはポイントリードしている。そのため、そんなリスクのつきまとう行為はするとは思えない。だが、
『シヴァは向かってくるわ。ポイント勝ちなんて望んでない。欲しいのは圧倒的な勝利だけなのよ』
 すぐさまシヴァが踏み込んでくる。咄嗟に私はフォトンライフルを放ち、足止めする。
『圧倒的強さを見せつける事。それがシヴァの存在意義、そしてミレンダの意思なのよ。オメガの後継機としてね』
 シヴァは、かつてマスターと暮らしていた、世界で初めてエモーションエンジンを搭載した人間型ロボット『オメガ』の後継機だ。その性能はオメガに比べて戦闘に特化した攻撃的なものに仕上がっている。また、リソースの確保と思考システム安定のために、エモーションシステムは取り外されている。本当に、ただ純粋に戦うだけに生まれた存在。それがシヴァだ。
 私もまた、オメガの後継機だ。私は汎用型で特別戦闘に特化されている訳でもない。オメガの性能の詳細、そして私との差分は如何なものなのかは分からないが、なんとなく私とオメガは同じ性能なんだと想像している。それは、日常の何気ない瞬間、以前オメガはマスターとこのように暮らしていたのだろうか、と思い浮かぶからだ。
『来たわよ!』
 鋭いマスターの声。私はすぐさま眼前のシヴァに集中する。
 シヴァは私に向かって真正面から直進してくる。加速度から算出すると、私との接触予想時間は約1.2秒。
 私はフォトンライフルの銃口をシヴァに構える。
 掃射開始。
 だが。
『えっ!?』
 マスターの驚きの声が通信回線から私のそれよりも先に飛び込んできた。
 フォトンライフルの銃口から放たれた散弾状の光子弾。しかし、私に向かって一直線に加速していたシヴァにそれは一発も当たらなかった。全てが床へ着弾するのと同時に、左右にブレるような軌道で回避したのである。
 シヴァは加速したまま光子弾が床を撃って舞い上がった白煙を突き破り、私とショートレンジの距離へ。
 いけない!
 そう思うのと行動を始めたのはほぼ同時だった。
 ハードコントロール……ジェットカッター起動。
 私の右手五指の先から高圧のイオンが噴き出す。私はそのまま右手を、迎撃のために前方へ突き出した。
 だが。
 シヴァはそれよりも一歩早く、両足を床に擦りつけるように滑りながら急激に減速する。そしてある程度スピードを落とすと、床を強く蹴って後方へ大きく宙返りする。空を切る、私のジェットカッター。だが、シヴァの視覚素子はその一部始終を捉えていた。
『やられたわ……』
 マスターの苦々しい言葉が通信回線から聞こえてくる。
 それはつまり、私のジェットカッターがシヴァのトラウマシステムに記録されてしまったという事である。