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 どうしよう……。
 これまでも決して有利と呼べるような状況ではなかったのだが、更にそれは悪化してしまった。
 記録されている攻撃動作を確認した場合、現在流れている戦闘プログラムを含む全ての動作を強制終了して回避動作に移行するという、現在のロボット工学の中では最先端を誇る防御プログラム、トラウマシステム。それは割り込み処理によって行われるような単純なものではない。相手がこちらの行動の裏をかくようなタイミングで攻撃を仕掛けたとしても、それがトラウマシステムに登録されている攻撃であれば即座にトラウマシステムが動き出す。
 まずトラウマシステムは、このまま行動を続けた場合の結果を予測する。結果が自らの機体にダメージを負わせるものと算出された場合、続いて現在の自分の行動をキャンセルするプログラムを生成、すぐさま処理を始める。ボディフレームというハードウェアはプログラムと違い、たとえ強制停止させたとしても直前まで行っていた運動の物理的エネルギーは残り続ける。プログラム自体も次々と連動していくもののため強制停止させる事も難しいが、それ以上にこの運動エネルギーをゼロにしない限りロボットは自らの行動をキャンセルする事が出来ないのだ。
 トラウマシステムは、その運動エネルギー自体をゼロにする動作プログラムを瞬時に作り出す。ここがトラウマシステムの最も驚異的な部分だ。そのキャンセル動作の直後、連動して回避、もしくはカウンター動作に移行する。これら一連の処理が私の処理時間にしてたった数フレームで行われる。攻撃を仕掛ける側にしてみれば、これほど驚異的な防衛システムはないだろう。高性能なシヴァのパターンを計算し、攻撃を掻い潜り、ようやく裏をかくことが出来たかと思えば、仕掛けた攻撃がトラウマシステムに登録されていると、シヴァはその攻撃すらも無効にしてしまうのであるから。
「マスター……」
『ジェットカッター、憶えられちゃったわね。もう使えないわ』
 苦々しい、それも吐き捨てるようなマスターの口調。それが、私の胸をより強く締め付けてくる。私のミスで。私のミスで。私のミスで。私の―――。
「すみません。もっと早く私が対応していれば」
『そんな事言ったってしゃあないわ。あの状況だったら、あれの他に対処方法なんてないもの。気にしない気にしない。それよりも、次の事を考えるわよ』
 優しいマスターの声。そこには私のミスを非難する様子が微塵も感じられない。けれどそれは、マスターが意図してそう聞こえるように口調を調節しているからだ。マスターにそんな気づかいをさせてしまうなんて。考えただけでも自分が許せなくなる。それに気がつかなければどんなに良かっただろうか。
 マスターに私は励まされている。つまり、私がマスターの期待に応えられるだけの行動が出来ていないという事に他ならない。私はマスターの命令は全てこなさなくてはいけない存在だというのに。己の不甲斐無さが悔しくて仕方がない。
『ラムダ、とりあえずアプローチかけてみるわよ。フォトンライフルはもう少し出力を上げて』
「はい、マスター」
 ハードコントロール……フォトンライフル、出力上昇修正。
 ジェットカッターはシヴァのトラウマシステムに記録されてしまった。今後はどんなタイミングで放ったとしても、もはや何の効果も示さないだろう。せいぜい牽制に使えるかどうかといったところだろうか。しかし、接近戦ではカウンターの存在が怖い。シヴァの両腕には接近戦用の何らかの兵器が仕込まれているのは間違いない。過去のデータから検証して考えられるのは、高圧電流でサーキットを焼き切るスタンパニッシャー、インパクトの瞬間に高速で振動させて対象を破壊するソニックナックルといった所だろう。決勝戦にはこれらよりも強力な兵器を用意している可能性が高いが、武器の系統は変わらないだろう。過去に行われた全ての試合で、シヴァが最も得意としていたのは手技だった。特殊兵器を使うまでもない相手を除き、対戦相手をフィニッシュしたのは全て左右いずれかの腕から繰り出されたブロウだった。もし、迂闊にジェットカッターを放ってそれをかわされたりしてしまったら、その強力無比なブロウが叩き込まれるのはほぼ間違いない。その衝撃は、先ほど受けた膝蹴りの比ではない。装甲どころかボディそのものを打ち抜かれる可能性も十分に考えられる。
 シヴァは私の17メートル向こう側で油断なく構えている。鋭く冷たい、それでいて全く感情の起伏が感じられない視線が私をねめつけている。その視線、心なしか先ほどよりも遥かに恐ろしく得体の知れないもののように私は思えてならなかった。
 私の中に、シヴァへの恐怖の感情が少なからず芽生え始めている。
 ふとメモリに浮かんだその言葉を、私は慌ててかき消した。
 恐れてどうしようというのだ。今、私が何よりも優先させてなくてはいけないのは、この試合に勝つ事だ。マスターはメタルオリンピアで優勝する事を切望していた。それはマスターが抱く重要な目的、オメガの無念を晴らす、という事に繋がっている。私はそんなマスターの願いを叶えなくてはならない。私はマスターの命令に従い、そして自らの意思で尽くすためにこの世に存在しているのだ。
 このリングに、私は今、三つの目的を胸に掲げて立っている。
 一つ。マスターの命令を果たす。
 二つ。マスターを喜ばせたい。
 三つ。それら二つの意思を持つのは、個体名ラムダのみである事を明確化、保守するため。
 どれも内容こそ違うかもしれない。だが、全てがギャラクシカで優勝を手にする事へ通じるものだ。目的は一つあれば、ロボットは自分が動くには十分である。けど、私はどれ一つとして欠ける事を良しとは思っていない。この三つがあるからこそ、今の私がこのリングに立てているのだ。複雑、体系化した目的群が通常のロボットにはありえない意思の力を生み出している。意思とは物理的エネルギーではなく、あくまで内在的、心理的な要素。人工物であり、極論を言えば意思を持たないロボットには縁のないものである。だが私は、この意思が決して自らにとって不要なものであるとは思っていない。強固な意志を持っていれば、必ずや私をシヴァに勝たせてくれる。何の根拠もないのだけれど、これは絶対にシステムエラーではない。私には意思があるのだ。エモーションシステムは意思の力により、自らの性能以上の力を生み出しててくれる。意思が、どう私のボディに作用するのかまでは分からないけれど。
『いい、ラムダ。しつこいようだけど、ジェットカッターは絶対禁止。出した瞬間、隙があったら即座にやられちゃうからね。もちろん、立ち回りでも隙があったらやられる事を覚悟しておくように』
「はい、マスター」
 覚悟。
 それは果たしてロボットに必要なものだろうか? 覚悟した所で、私の何かが変わる訳ではないのだが。もっとも、マスターもそんなつもりで言った訳ではないだろう。あるとすれば、たとえロボットの事実上の死である完全機能停止の状態を考慮する程度だろうか。だが、何よりもマスターの事を優先的に考える私には、自らの死など考慮に値しない問題だ。目的さえ果たせればそれでいいのだから。
 シヴァがこれまで勝利を収めてきたのはおそらく、このロボット特有の性質によるせいだろう。
 ロボットには自らの身を守るという概念がない。何よりも入力された命令を遂行する事を最優先させるため、自身の保守に関しては比較的無頓着なのである。しかしシヴァは、トラウマシステムという防衛機能を用いる事で自らの保守を最優先している。自らのボディに傷がつかなければ敗北はない。そんな人間にも似た堅実な戦い方が、ただ命令を遂行するだけのロボットとの差なのだろう。
 人間にしてみれば、危険なものを目にした時にそれが自らに害を与えると思った瞬間、無意識の内に回避動作を行うのはごく当たり前の事だ。それは人間には元々自らの体を守る本能が組み込まれているからである。回避方法は後天的に学習しバリエーションを増やす事はあっても、システム自体は先天的なものだ。それを、全く何も持たない状態でこの世に生まれてくるロボットに組み込む事は非常に難しいのである。後天的に学ぶものは人間がそれを実際に学ぶためのカリキュラムをある程度用いる事も出来るが、学習する必要のない本能というものをシステム化するのはそうもいかない。言語を組み合わせて会話に用いるためのシステムをデータに置き換えるだけでも四半世紀の歳月を要したという。人間が自らを模した存在を創り出すということは自ら自身を細部に渡る解析を行う事に繋がる。だが人体のメカニズムは、未だに完璧には把握しきれていない。それだけ複雑怪奇なのだ。
 人間には痛覚というものが存在する。それは自らの体を守るため、ある一定の状況下では痛みというリスクを伴うという恐怖観念を植え付け、自らの体が負傷する状況を意図して回避できる一つの完成されたシステムなのだ。これをロボットにそのまま移植出来れば、ロボットもまた戦闘において自らのボディフレームを破損するような行動を最大限回避するように努める事が出来る。しかし、ロボットには痛覚というものは存在しない。擬似的にプログラムで表現できるかもしれないが、全てを擬似的擬似的としていけばやがて物理限界点に突き当たり、結局はこの方法での完全なシステムを作り出す事が不可能であるという結果に陥るのだ。そのため人間は、行動結果までの過程は人間と異なるものの、ロボットにも結果的には同じ行動が出来るように別なアルゴリズムを考える。それをどういった処理方法で実現させるのか。ここが最も歳月を費やされる部分だ。
 シヴァのトラウマシステムは、人間の防衛本能に相当するものである。いや、全く同じものと言っても過言ではないだろう。自らを守るロボットと命令だけを守るロボットの差。これはあまりに大きい。
『ラムダ、今からそっちにドライバ送るから』
「ドライバ?」
『左手のジェットカッターの。こっちなら、まだ記録されてないからね。一応予備のために用意しておいたんだけど、やっぱ使うハメになったか』
 それはつまり、まだ私にはシヴァに決定打を与えるチャンスが残されているということだ。幾らシヴァのボディが頑丈だとしても、ジェットカッターの威力には決して耐えられる事は出来ない。ただ、ジェットカッターならば一撃でシヴァを倒す事が出来るのと同じように、シヴァもまた、ジェットカッターの間合いでは私を一撃で倒す事が出来るのだ。私がそれよりも早くシヴァを倒せればいいのだが、現実にそれは非常に困難だ。基本性能差はないものとしても、シヴァには究極の防衛システムであるトラウマシステムがある。まともにぶつかりあっては、敗北するのは私である。
 シヴァが絶対に回避出来ず、なおかつ私がシヴァに反撃されず攻撃出来る状況はないだろうか? いや、あってもそれを実現出来なければ意味はない。どうにかしてその状況を作り出せないだろうか。何か方法は―――。
 ある。
『それにしても、本当に攻め辛いやっちゃなあ。何とかして、シヴァの動きを一瞬でもいいから止められればいいんだけど……』
「分かりました、マスター」
 そう私は反射的に返答した。
 ふとメモリに浮かんだ、一連のプロセス。多少危険かもしれないが、それならば確実にシヴァの動きを一瞬だが止められる。シヴァには回避も反撃も許さず、なおかつ私の攻撃が必ず当たる瞬間。本当に僅かなものではあるし、甚大なリスクも付きまとう。けど、私が勝利するためには他に選択肢はない。
『ラムダ?』
「任せて下さい。私は必ず勝ちます」