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 私の周囲を包み込む歓声。それはありとあらゆる言葉の暴力に染め上げられ、非情に私を打ちのめしてくる。失意にも似た絶望的な気持ちに支配されている中、私はただ聴覚素子を完全に閉じることで微かな抵抗の意を示す。けれど、言葉の弾丸は嵐の夜の雨のように激しく私に降り注ぎ、そして体表素子がそれを敏感に感じ取る。体表素子までカットしてしまおうかと思ったが、それでは歩く事が出来なくなってしまう。私に出来るのは、その感覚をひたすら無視し続ける事だけだ。
 金かえせー!
 フザけんな、このヤロー!
 役立たずが、スクラップにされちまえ!
 聴覚素子を閉じたのに、それでも聞こえてくる、声、声、声。
 ……辛い。
 視線を落とすと、私の足元にはうつ伏せのまま倒れているシヴァの姿があった。もう、指一本動かす事も出来ない。私の左ジェットカッターによって動力部を破壊されたからだ。システム保持のための緊急電源ぐらいはあるはずだが、ボディフレームを動かすだけのエネルギーはもうない。
 シヴァが悪い訳ではない。いや、ロボットそのものが一体どんな罪を犯したのだろうか? どうしてこんな冷たい扱いを受けなくてはいけないのだろう? 仮にロボットが何か許されざる罪を犯して裁かれたとする。けど、ロボットに罪を犯す自由を与えたのは、他ならぬ人間自身だ。とある宗教書には、神が自分の創造物である人間が自らの意思にそぐわないからと一律に人類を滅ぼしたそうだ。人間が罪を犯すのは、神にその自由を与えられたからだ。それでも人は神に滅ぼされなかったというならば、ロボットもまた人に滅ぼされても仕方のないというのだろうか?
 けれど。
 神は人間が罪を重ねる事を嘆いて滅ぼした。そう、その宗教書には記されている。嘆いたという事は、本心では人間を滅ぼしたくはなかった事になる。それでも滅ぼさなくてはいけない罪を、人は犯したのだ。
 じゃあ、ロボットは?
 ここに集まったロボット達は皆、誰一人として例外なく罪など犯してはいない。にもかかわらず、同じロボット同士で戦いそしてどちらか一方が死ぬ事を強要されている。ロボットは創造主である人間には逆らえない。そう人間に作られたからだ。だからロボットは人間にとって最も理想的な存在であるはず。それなのに、どうしてこんな事が行われるのだろう?
 同じ創造主だけれど、神と人間とでは明らかに違うと私は思う。
 人は神に愛されていた。だからこそ、打ち滅ぼさなければいけなくなった時も神は悲しみ嘆いた。けど、人間はロボットが死んでいく様を見ても悲しむどころか逆に歓喜し、挙句の果てにはこんな催しまで作り上げた。ロボットの死は娯楽程度でしかないのだ。
 ロボットは人間に愛されていない。それどころか、ただ彼らを楽しませるだけの道具かそれ以下にしか思われていないのだ。こんなに人間と同じ姿、声をしているのに。
 マスターの父親とオメガの誇りを守るために生み出されたシヴァ。戦って勝ち続ける事だけが彼の存在意義。
 私はマスターの持つ重要な目的を果たすため、シヴァとこの決勝の舞台で戦った。私はなんとしても勝たなくてはいけなかった。これが私に与えられたマスターの命令を守る最後のチャンスであって、個体名ラムダという存在が抱く”マスターを喜ばせたい”という意思を確かなものとして証明するためであり。
 そして、私は敗北する事を選んだ。負けてしまったのではない。あの時、動力炉が停止しているにも関わらず立ち上がり、最後まで私を倒そうとしてきたシヴァを、私は攻撃する事が出来なかった。シヴァの存在意義を打ち砕いてまで自分の存在意義を守ろうとするほど、私は冷酷にはなれなかったのだ。ロボットはあらゆる事項を最優先してマスターの命令には従わなくてはいけないのに。最後の最後で、私は自らに与えられた好機を捨ててしまったのだ。
 自分で立ち上がる事は出来ないけれど。ルール上、決勝戦の勝者はシヴァだ。敗者は私。マスターの命令を守れないのではなく、自分の意志で背いてしまったこの私……。
 そっとシヴァから視線を外して踵を返す。
『運営委員会が只今の試合について審議中です! もうしばらくお待ちください!』
 鳴り止まない、観客の声。そして、それを諌める……鎮まる事を哀願するかのようなアナウンス。
 もう、どうでもいい事だ。私には関係がない……。
 そのままリングを黙って降りる。
 リングから20メートル先に、この会場に続く73メートルの薄暗い廊下がある。それを抜け、階段を二つ上った廊下の右側三番目。そこがマスターに割り当てられた控え室だ。早くそこへ行こう。今は、まだ何も聴きたくはない。ただ、休みたくて仕方がない―――。
 廊下の入り口へ真っ直ぐ向かっているはずだったが、少しずつ、進路が右へ傾いていく。そういえば、私は右手をシヴァに破壊されたんだった。そのため重心が崩れ、オートバランサーもバランスが取りにくくなっているのだ。
 オートバランサーカット……エネルギーリソースが低下しています。手動モードに切り替えられません。
 こんなに長い時間動き続けたのは初めてだった。この何もする気が起きない疲労感は、エネルギーリソースが切れかかっているためのようだ。これがゼロになったら自動的にメモリ内のデータは退避され、私のシステムは休眠状態に入る。丁度今は、そこに傾きかけているのだ。行動意欲が低下するのも無理はない。
 私はマスターに余計な仕事まで作った挙句、結局は何もしてやれなかった。マスターのために、自らの意思で生きているのに。何も出来ない自分が嫌になってくる。
 マスターはこんな私を修理してくれるのだろうか?
 もしかすると、このまま廃棄されてしまうのではないだろうか?
 私は使えないロボット。
 命令も守らないロボットだ。
 だからきっと―――。
「ラムダ」
 と。
 73メートルの直線廊下に差し掛かったその時、入り口の暗がりに人の姿があった。もっとよく見ようと思ったが、エネルギーリソースが不足しているせいか視覚素子から送られてくる映像がいまいち鮮明さを欠いていてはっきりと断定できない。けど、その輪郭、着ている服、そして風貌。とてもぼやけた映像ではあったけれど、それが誰なのかは私にはすぐに分かった。私がこの人の事を見紛うはずがない。この世で最も敬愛し、……そして今は最も顔を合わせたくない人だ。
「お疲れさん」
 ゆっくりと明るみに歩み出るそれは、やはり紛れもなくマスターの姿だった。先ほどリングの傍まで来たのだけれど、警備員に強制的に連れ出されてしまったのだ。それでもまた、こんな所に来ているマスター。それは私のためなのだろうか? もしそうなのなら嬉しいけれど……。
 私はうつむいたまま、顔を上げることが出来なかった。決勝戦、私は必ずマスターのために勝つと宣言したのに。結果はこの通り負けてしまった。それも、私自身が敗北をあえて選択する事で。あの時、左手のジェットカッターでシヴァを攻撃すれば、今頃私とマスターは人々の大歓声に包まれて優勝を宣言されていたはずなのに。遂にジェットカッターをシヴァに放つ事が出来なかった。それも私の都合で。マスターは私を優勝させるためだけに、メタルオリンピアが始まってからというもの寝食の時間を惜しんで私の整備作業に没頭していた。それを、私が自分の意志で全て水の泡にしてしまった。マスターに尽くし喜ばせるために存在する私。そんな私が自分の意志でマスターの期待を裏切った。
 とても許されるはずもない事を、私は犯してしまった。
 自らの行為に、マスターへの深い深い罪悪感と自己嫌悪の思いからマスターの顔を見る事が出来ない。
「マスター、あの……」
 すみません。
 しかし、それは言葉に出て来なかった。残り少ないエネルギーリソースを節約するため、システムが言語インターフェースをカットしてしまったのだ。続いて視覚素子の色別機能もカットされて視界が白黒になり、体表素子が認識する情報も最小限に絞られて急速に体の感覚が薄らいでいく。オートバランサーも、ほとんど半稼動状態に近かった。なんとか自分でバランスを取ろうとするも頭が重くて思うようにならず、バランスの取れない体はゆらゆらと不安定にぐらつく。
「ラムダ」
 ―――え?
 その時、私を温かい感覚が優しく私を襲った。
 突然マスターは、私をそっと抱き寄せたのだ。まるで愛しいものの存在を確かめるかのように、優しく、そして力強く。
 きっと私は許されない。
 そう思っていた私は、マスターの思わぬ行動に狼狽しかけた。どうしてマスターはこんなことをしてくれるのだろうか? 私はマスターに叱責されても仕方のない事をしてしまったというのに。
 そして、
「カッコ良かったぞ」
 優しい声でマスターは私の聴覚素子へ呟く。
 途端に、私は胸を締め付けるそれから開放され、代わりに穏やかな安心感に満たされていった。マスターは私の行為に怒っていない。どうしてなのか、その理由までは分からなかったけれど、ただ今はその感覚にすがるように身を委ねた。エネルギーリソースが足りなくて思考能力が低下している。普段はすぐにマスターの心情を察しようとするのだけれど、それが出来ないのはきっとそのためだ。
 そうだ。ロボットは人に愛されてはいないけれど、私はマスターに愛されているではないか。ロボットではなく、個体名ラムダという私そのものを。
 人間とロボットの関係の実態を絶望しかけはしたけれど、全てが全て不幸という訳ではない。現に私は、マスターにこれほどまで大事にされている。まるで私が理想とした人間とロボットの関係、それそのものの形で。
 マスターはオメガがやろうとしていた事を代わりに成し遂げようとしていた。その詳細までは私ははっきりと知らない。けれど、それはきっと人間とロボットの関係についてもう一度見直す事を世界に言いたかったのだと、私は自分で勝手に思った。世界で始めてエモーションシステムを搭載されたロボット、オメガ。そしてその意思を次いだ二体のロボット、私とシヴァ。結局、今は何一つ人間とロボットの関係は変わっていないけれど。いつかはきっと、ロボットは本当の意味で人間の第二のパートナーになれる日が来るはずだ。マスターのような優しい人間が一人でもいる限り。
「休眠モードに入っていいよ。後は私に任せていいから。疲れたでしょ?」
 言葉が話せないため、私はコクッとうなづく。ロボットが疲れるという話もおかしな事だが、その疲労感というものを私ははっきりと感じていた。感覚素子の稼働率が低下しているため、何かを錯覚しているだけなのかも知れないけれど。そんな話題が出てくる事に、なんとなく自分が人間に近づけたような気がした。
 モードシフト。これより通常モードから休眠モードにシフトします。
 ボディフレームが動かなくなり、体表素子も外部からの刺激を受け取らなくなる。だけど、私を抱き留めるマスターの感覚だけがはっきりと私は感じていた。
 非常に心地良いその感覚。
 そして。私の意識はそのまま途切れた。