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「二つあるね」
 リームが野性的な勘で探し当てた酒場は、向かい合わせに二軒建っていた。一つは、この小さな村には似つかぬほど大きく豪奢な酒場。もう一つは如何にもそれらしい質素で小さな酒場だ。
 どうして同じ村に、それもわざわざ向かい合わせに酒場が二軒も建っているのだろうか? このぐらいの村ならば、一軒あれば十分のような気がするのだけど。第一、この大きな方の酒場なんか、どう考えても維持費だけでも採算が合わなそうだ。
「どっちに行く?」
 丁度二軒の酒場の間に立って左右を見比べているリームにそう訊ねる。すると、
「こっち」
 リームは迷わず左へ方向転換してつかつかと向かって歩く。その先は、小さく質素な方の酒場だ。
「どうしてこっちなの? あっちの方が大きくて綺麗だけど」
「分かってないわねえ。外見に惑わされない。本当に旨いモノは、こういう店にあるのよ。店の外観なんてハッタリよ。まずい料理のカモフラージュでしかないんだから」
 確かにありえる話ではあるが、大きな店の全部が全部料理がまずいとは限らない。いや、待て。そういえば前に臨時収入があった時、ちょっと高級そうな店に行った事があったんだけど。その時リームは店を選んだ理由に、『店が大きいのは儲かってる証拠、儲かっているのは料理が旨い証拠』と言ってた。まあ、こういういい加減な所も、今に始まった事ではないんだけど。
 何にせよ。リームの勘の鋭さはこれまでに何度も目の当たりにさせられている。リームが選んだ店で料理がまずかった試しはなかった。今回もまた、その鋭い勘がこちらの方が良い店だと判別したのだろう。
 リームはやけに急いだ足取りで店に向かう。五日間も断たれていたお酒がもうすぐ飲めるとなってはいても立ってもいられないのだろう。
 バン、と店の中へ飛び込むリーム。
 と、
「ッ!?」
 店の中には一人の女の子の姿があった。歳はきっと十代の初めぐらいだろうか。突然勢い良くやってきたリームに驚き、こちらを向いた姿勢で言葉を失ったまま大きく目を見開いている。
「酒。あと肉」
 リームは少女にあまりに簡潔な注文すると、そのままスタスタと奥の席へ着いてしまった。
「あ、あの……」
「うっさい。早く持って来い」
 急な出来事にオロオロとする少女。だがリームは、まるでそんな事を構う様子がない。
「ちょっ……リーム、困ってるじゃないか。ゴメンね。とりあえず、何かお酒だけでも持ってきて」
 刺々しいリームの事を謝りつつ、そう努めて優しい口調で少女に注文をし直す。すると、ただコクコクとうなづくと厨房の方へ駆けていった。
 とりあえず、一杯飲めば少しは冷静さを取り戻すだろう。今の女の子の怯えた様子からすると、リームはかなり恐ろしい人間と思われてしまっているようだし。この刺々しい雰囲気を放っている内はおそらく誰もがあまり近づこうとはしないだろう。
「リームさ、お酒を飲みたいって気持ちも分かるけど、ちょっと今のはないんじゃないの?」
 リームに並んで席につきながら、そう僕は今の行動について注意をする。けれど、
「何? 酒場で酒を注文して何が悪いの?」
 まるで自分が咎められる理由に気づいていないリーム。僕の言葉にも、ただきょとんとした眼差しで見つめ返してくるだけだ。
「いや、僕が言いたいのはそういう事じゃないんだけど……」
 まったく。リームの独走ぶりにはいつも頭が痛い。もうちょっとこの自己中心的な性格を直さないと、また余計なトラブルを招き込みかねない。
 と。
「またブレイザー一家の連中か! 性懲りもなく!」
 突然、狭い店内に怒声が鳴り響いた。
 見ると、厨房から一人の中年の男がのっしのっしとやってくる。背を丸めなければ厨房の入り口を通れないほど体格が良く、野性味のある顔には口ひげを生やし、より男を厳しそうに見せている。
 男は顔を真っ赤にし、何故かやけに興奮した様子で怒っていた。しかも右手には太い木の棒を握り締めている。ほぼ間違いなく、何かしら物騒な事に用いる目的で携えている。
「……え?」
「さあ出て行け! 商売の邪魔だ!」
 男は有無を言わさぬ凄まじい剣幕で持っていた棒をテーブルに叩きつけた。その衝撃に僅かにテーブルが軋む。僕は思わず顔を手でかばってしまったが、リームは平然とした様子で男を見やっている。
 どうしてこの人はあんなに怒っているのだろうか? 僕達は別に何かした訳ではないのだけど。それに、僕達はまだこの村には来たばかりなのだ。どう考えても、このように怒られるような事をしてしまったとは思えない。
「この村じゃ、アレを酒って呼ぶんだ?」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ! と、とりあえず、ちゃんと説明しないと」
 なんだか不穏な空気だ。僕の本能が直感的にトラブルの始まりを予感する。
「あ、あの、僕達は―――」
 僕は慌てて席から立ち上がり男の元へ駆け寄った。だが、
「薄汚いクズ共め! さっさと出て行け!」
 男は憤慨した様子のまま、僕を思い切り突き飛ばした。突然の事で不意を突かれた僕はバランスを崩し、そのまま自分でも驚くほど派手に後ろへ転げていく。
「グレイス!? ちょっとアンタ、何すんのよ!」
 と、僕が突き飛ばされたのと同時に、リームがバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。
「うるさい! 何度言われようが、この店は立ち退かんからな!」
「はあ!? 訳分かんないこと言ってんじゃないわよ!」
 リームは自分よりも倍近い体格を持つ彼に対し、全く怯む様子もなく真っ向から立ち向かう。リームは極度の負けず嫌いという性格のため、たとえ相手がどんな者であろうとも決して怯んだりはしないのだ。それに、リームにはその自信に裏づけされるだけの実力も併せ持っている。
「女だからってな、俺は手ェなんか抜かねえぞ!」
「上等じゃない。ぶっ飛ばしてやる!」
 互いに一歩も退く様子がない。完全に頭に血が昇っているようだ。こうやってその場の感情の勢いに任せてしまうと、必ず後から後悔してしまうような事態に陥る。僕はいち早く場を治めるべく、急いで立ち上がった。
「リーム! 一旦落ち着いて!」
「私は落ち着いてるわ。腹に一撃、体勢が崩れた所にローキック。最後にトドメの踵落とし」
「全然落ち着いてないじゃないか!」
 一見冷静な顔をして、実は男をどうやって倒すのかの算段を立てていたのだ。そんな事を冷静に考えている時点で、もはや冷静な思考力があるとは言えない。もし、本当にこの殺人メニューが決まってしまったら。大怪我以上は確定的である。
「何をゴチャゴチャ言っとる! ケガをしなくなければ、とっととここから消え失せろ! 何度来ようとも、返事は変わらんぞ!」
「ハン。果たしてどっちが最後まで立っていられるかしらね」
 とにかく挑戦的な態度のリーム。リームは一度頭に血が昇ると、ただでさえ普段から一つの事しか考えられないのに、更に輪をかけて視界が狭くなる。オマケに手が早いものだから大惨事は免れない。こうなった時は全てにおいて最優先にリームを止めなくてはいけない。
「ブッ殺す」
 リームの沸き立っていた闘志が瞬間的に膨れ上がった。ほぼ間違いなく、攻撃する意思の現れだ。
 咄嗟に僕は飛び出し、リームを背後から羽交い絞めにして押さえつけた。
「リ、リーム。とにかく落ち着いて!」
「コラ! 離せ! コイツをブン殴る!」
「だから駄目だってば! 相手になんないじゃないか!」
 僕達はアカデミーで四年の間、戦闘についての専門教育を受けた。戦闘に関してはプロフェッショナルと言える。僕は魔術師、リームは格闘師の専門家だ。少なくとも専門の教育を受けていない一般人の集団が相手ならば、どれだけ相手にしても負ける事はない。プロフェッショナルとはそういうものなのだ。
 リームは実家からして格闘技の道場だという生粋の格闘家だ。その小さな体には、猛獣すら難なく打ちのめしてしまうほどのパワーが秘められている。これは天性のものだとしても、格闘技術は並みの格闘家では全く歯が立たないほどレベルが高い。そんなリームと一般人が戦ったとしたら、その結果など火を見るよりも明らかだ。下手をすれば死傷沙汰にもなりかねない。
 リームは物凄い力で羽交い絞めにする僕を振り放そうとしてくる。だが僕は、振り放されまいと必死でリームにしがみつく。もしここで僕が振り解かれてしまったら、リームはきっととんでもない暴れ方をするに違いない。そうさせないためにも、ここで振り解かれる訳にはいかないのだ。僕がこんなリームの唯一のブレーキ役なのだから。
「帰れ帰れ帰れ! ブレイザー一家の犬め! 俺はボス以外とは話もせんからな!」
 男は顔を真っ赤にしつづけながら手にした棒で執拗に威嚇してくる。そんな仕草を見せ付けられ、よりいっそうリームの暴れ方が激しくなる。
 あれ? ブレイザー一家?
 と、僕は男が先ほどからしきりに叫んでいる”ブレイザー一家”という言葉に首を傾げた。名前からすると、どうも何かの組織名のような感じがするのだが。でも、その名前自体は初めて耳にする。当然の事ながら、一介のバウンサーである自分達には関わりは無い。
「離せ! バカグレイス! アイツを殴らせろ!」
「だから駄目だってば! 死んじゃうって!」
 アカデミー時代、既に熊すら倒していたのだ。一般人を倒すことなんか、リームにとっては割り箸を割るようなものだ。もしもそんな事になってしまったら、それこそリームにとって五日も禁酒を強いられるよりも遥かに大変な事になってしまう。そんな事を起こさせないためにも、僕がきちんとブレーキ役を果たさなくてはいけない。
「ねえ、お父さん……。この人達、違うんじゃない……かな?」
 その時。離れた所で僕達のやり取りを見守っていたあの女の子が、そう男に話し掛けた。すると、女の子の声は消え入りそうなほど小さかったのだが男の耳にはちゃんと聞こえたらしく、途端に男がピタッと動きを止めた。
「ん、なんだと? 違うのか?」