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「ワァーッハッハッハ!」
 まるで猛獣の咆哮のような、実に豪快な笑い声が店内にビリビリと響き渡る。
「ッハー! うまい!」
「おう、いい飲みっぷりだ! こっちまで気持ち良くなってくらあ! もうジャンジャン飲んでくれよ! 全部俺のオゴリだ!」
 リームは次々とジョッキを空けながら、同じように酒を酌み交わしているあの大柄な男と終始笑い続けている。
「いやいや、それにしても本当にお客さんだったとはなあ! おりゃあてっきり勘違いしちまったぜ!」
「いいのいいの、気にしなくて。とにかく、飲もう飲もう!」
 互いにバンバンと背中を叩き合いながら笑い、そして飲む。延々と繰り返されるそんな二人の様子を、グレイスはリームの隣の席で、少女は端から半ば呆れた顔で見ていた。
 二人はつい先ほどまでいがみ合っていたのがまるで嘘のように打ち溶け合っている。まだ詳しい事情は説明してもらえないまま宴会に突入してしまったので分からないが、状況から察するに男は僕達を誰かの手先と勘違いし激怒して追い返そうとしていたようだ。
 その誤解が解けたのは良かったのだが、二人ともろくに挨拶も交わさないままこんな風に飲み始めたのだ。互いに名前も知らないというのに、どうしてこうも仲良く出来るのか不思議だ。
「んー? もうなくなったのか。おい、アニス! ビール持って来い!」
「もう、さっきので最後だって言ったじゃない。もうなくなっちゃったよ」
 少女に向かって声を張り上げる。だが、少女もまた負けじと男に声を張り返した。
「なんだ、しゃあねえな」
「えー? もうないの?」
 露骨に不満そうな表情を浮かべるリーム。あれほど浴びるように飲んだはずなのに、まだまだ飲み足りないといった様子だ。もうこれ以上飲むものはない、と落胆と苛立ちを入り混じった表情のリーム。だが男は、そんなリームにニッと得意げに笑って見せた。
「だったら、アレを持ってくるとするかな。よし、ちょい待ってろ」
 そう言って男は席から立ち上がると、のっしのっしと厨房の方へ向かって行った。
「ちょっと、お父さん! もういい加減飲み過ぎだよ!」
 彼には悪いが、この二人が血の繋がった親子だなんてとても見えなかった。男は、それこそ熊とでも呼べそうな容姿をしているのだが、少女は逆に小さな体と色白の肌をして人形のように可愛らしい。ほぼ間違いなく、少女は父親ではなく母親に似たのだろう。
 二人が厨房の奥に消えると、僕は改めて隣に座るリームに向き直った。
 リームはすっかり酔っ払い、頬は紅潮して額には薄っすらと汗が滲んでいる。視線は絶えずどこか一点に注がれ、ただ座っているだけなのにぐらぐらと動作に落ち着きがない。どう見てもそろそろ飲むのは終わりにした方が良さそうなのだが、これまでに長い禁酒期間もあった事から、まだまだこの程度で終わりにするとは思えない。それこそ完全に酔い潰れるまで飲み続けるのは必至だ。どうしてそこまでして飲みたいのだろうか、僕にはサッパリ理解が出来ない。僕は酒自体は嫌いじゃないが、どうしても毎日飲まなければ気が済まないという訳でもないし、飲む時も意識が朦朧とし自律出来なくほど飲んだりはしない。むしろ、そこまで飲む必要性が僕には分からないのだ。酒飲みとは、ある種全くの別世界に住んでいる人と言えよう。
「リームもさ、そろそろやめといた方がいいよ。もう、顔なんか真っ赤だよ?」
「うっさいわねえ。あとちょっとだけ」
 そんな事を言っておきながら、もう何杯飲んだのか分からない。やはり禁酒期間が長かっただけに、その反動もかなり大きいようだ。どこまで飲み続ければ潰れるのだろうか、それは僕にも見当がつかない。とりあえず、もうこれ以上リームの前に酒を出さないで欲しい、と希望的観測の願いを込めるだけだ。
「おーっし、待たせたな。続きをやろうぜ」
 と。厨房の奥から男が戻ってきた。その肩には大きな酒樽を担いでいる。見た目にもかなりの重量がありそうだが、男は実に軽々と持ち上げている。やはり見た目のその体格は飾りではないようだ。
「おお!? なに、ソレ!?」
 途端にリームの目が喜びに輝き始めた。男の担いでいる酒樽に視線が一心に注がれている。
「コレはな、この村で採れた麦から作った地酒だ。こいつぁかなりいけるぜ」
 男は樽を床に置くと、豪快に蓋を叩き割った。そして、テーブルの上に散乱した空のジョッキで直接樽から酒を汲む。まるで水瓶から水をすくうような仕草だ。きっとこの人達にとって、酒は味のついた水程度の感覚でしかないのだろう。
「では、かんぱい!」
「かんぱーい!」
 ジョッキを鳴らすと、そのまま二人はゴクゴクと飲み始める。まるで味わっている様子もなく、ただ水のように飲み干しているだけにしか僕には見えない。そういう飲み方をするのであれば、お茶を飲んでいても同じじゃないかと僕は思う。
「おう、そこの。お前も遠慮しないでドンドン飲め」
 不意に男は別なジョッキで樽から地酒を汲むと、それを僕に向けて有無を言わさず突き出した。
「は、はあ……」
 恐る恐る僕はジョッキを受け取ると、そっと口をつけて一口飲む。だが、口の中に広がったアルコールの刺激に、僕は思わず顔をしかめてしまった。とんでもなく辛い酒だったのだ。アルコール度数はそれほど取り立てて強くはないだろうが、とてもガバガバと飲んでいられるようなものではない。
「いやー、今日は実にいい気分だ!」
「私もよ。こんなに旨い酒にありつけたんだもん」
「ガハハハハ、言うねえ!」
 二人はまるで旧知の友人のように仲良く酒を酌み交わしていた。先ほどまでは一触即発の状態だったのに。随分な身の変わりようだ。酒好き同士、何か相通ずるものがあるのだろうか。僕には理解に苦しい領域だ。
「む? おい、アニス! まだ肉あったろ? ちょっと行って焼いて来い!」
 すると少女は、もはや呆れを通り越した諦めの表情を浮かべ、一度大きく溜息をつくと厨房の方へと向かって行った。
「あ、僕も手伝うよ」
 僕はすかさず席を立って少女の後を追った。二人のペースにはもはやついていけない。さっきからも付き合いでかなり飲まされている。一時この場を離れるには丁度いい口実だ。
「もう、お父さんには困ったものね」
 そう少女は深く溜息をついた。
「いつもああなの?」
「うーん、ここの所はバタバタしてたから、あんまり飲んでなかったんだ。きっと久しぶりで嬉しいんでしょう。私が相手にする訳にもいかないし」
 どうやらリームと同じようである。もっとも僕達の場合は何か切羽詰った理由があるからではなく、単にリームが無計画に飲んだせいなのだけど。
「そういえば名前まだだったね。僕はグレイス。それで、あっちで飲んでいるのがリーム」
「私はアニスよ。で、あの熊みたいなのが私のお父さんでゴードンっていうの。それっぽい名前でしょ?」
 確かに、と僕は口元を綻ばせる。
 僕はアニスが出してきた添え物を作る材料の下拵えを始めた。アニスは皿を出して竈に火を入れ、テキパキと調理の準備をしている。まだ幼いというのに随分と手際がいい。普段からやっているのだろうか。
「ねえ、一緒にいる人って、もしかして恋人なの?」
「そうだよ。でも、どっちかっていうと保護者の方が近いかな?」
 微苦笑を浮かべながら肩を軽くすくめる。
「なんか大変そうだね。凄く怖そうな人だし」
「あれはちょっと虫の居所が悪かっただけだよ。本当は普段はもっと可愛いんだ」
 そこに二人の笑い声が飛び込んできた。まるで大きな金属の箱を棒で盛んに叩いたような騒がしい声だ。
「……本当に?」
「ま、まあね」
 疑わしげな表情を浮かべるアニスに、僕はただ苦笑するしかなかった。実際、リームはそういう所を普段はまず人前で見せないし、そういう風に訝しげに思われても仕方がないだろう。
 アニスはフライパンの上で丁度いい大きさに下ろした肉を焼き始めた。油が飛んだりして意外と危ない作業なのだが、特にこれといって緊張する事もなく、極自然な手つきで肉を焼いていく。
「ところでこんな所に何しに来たの? 行商かなんかの帰り?」
「ううん、違うよ。僕達はこれでも―――」
 僕達はフリーのバウンサーなんだ。
 と、そう答えようとしたその時。
「おーい! いつまで待たせる気だ! さっさと持って来んか!」
 アニスの父、ゴードン氏の雷鳴のような怒鳴り声が厨房内にビリビリと響き渡った。あまりの声の大きさに僕は肩を思わずビクッと震わせてしまったが、アニスは聞き慣れているらしく今の声にも平然としている。
「分かってますってば! 今持っていきます!」
 ゴードン氏の轟声に一歩も退く事なく、アニスは向こうでリームと宴会に興じている父へ声を張り上げて返事を返す。二人のやりとりを見ていると、まるで母親と手のかかる息子のようだ。
「とりあえず、一度運びましょう。手伝わせてごめんね」
 アニスは見た目の歳にはそぐわない大人らしい落ち着いた雰囲気で僕にそう言った。
「ううん。別にいいよ」
 この子もあの父親に苦労しているんだろうなあ。だからこんなに歳不相応に大人びちゃって。
 そんなアニスの立ち居振舞いに、僕はしみじみとそう思った。僕達は、どこか似ている。