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 やがて日は山陰にすっかりと隠れ、辺りには夜の帳が下りる。
 宵の口も過ぎ、村はしんと静まり返っていた。村人は既に夕食を終え、早い所はもう眠りについているであろう時刻だ。
 月齢14日目と半。夜を迎えた僕の体はヴァンパイアの血が活動を始め、瞬く間に体内のアルコールを分解してしまい酔いが覚める。ここからはどれだけ飲もうとも絶対に酔う事はない。ヴァンパイアの血が活発に活動する満月前後だけの特権だ。
 あれほど騒がしかった店内もまた、これまでの狂騒が嘘のように静まり返っている。ただ、熊か何かの猛獣が眠っているかのようないびきが一つ聞こえるだけだ。
「終わったようだね……」
「うん……」
 ようやく収まった。僕はそんな気持ちでアニスと顔を見合わせ、そして互いに微苦笑を浮かべる。
 遂に酔い潰れたリームはイスの背もたれに、だらんと体を預けながら手足を放り出した格好で眠っている。その傍では同じく酔い潰れたゴードン氏がテーブルに突っ伏しながら、店内の静寂を唯一裂いているいびきを上げながら眠っている。そして更にその傍らには、空っぽになってしまった酒樽が横になって転がっている。結局二人は樽を丸々一つ飲み尽くしてしまったのだ。もはやこの事について語る事はないだろう。
「お父さん、ほら起きて。こんな所で寝ちゃ駄目だよ」
 アニスはゴードン氏の巨躯を揺さ振りながら起こそうとする。だがゴードン氏はよほど深い眠りについているらしく、アニスの呼びかけにもまるで目を覚ます様子がない。そもそも、アニスの小さな腕ではゴードン氏の巨躯を揺らすだけでも一苦労だ。
「まったくもう」
 アニスは諦めて、はあ、と一度重い溜息をつくと、くるっと踵を返し店の奥の階段に向かい二階へ登って行った。
 さて。僕達もそろそろ行かなければ。
「リーム、起きて。もう行くよ」
 僕はだらしなく口を開けて眠っているリームの肩を揺さ振った。普通、このぐらいの女の子は人前で大口を開けて寝るなんて事は絶対にしないものなんだけど。こういう所はいかにも奔放なリームらしい。
「う……ううん……んっ」
 けれど、すぐにリームは僕の手を激しく払い除けてしまった。僕の右腕に真っ赤な手の跡がくっきりと残る。
「まったく、しょうがないなあ」
 ひりひりと痛む腕をさすりながら肩をすくめる。一度酔い潰れて眠ってしまうと、まず朝まで目を覚ます事はない。下手に起こそうとすればこの通りだ。
 僕はリームに背を向けてしゃがみ込むと、後ろ手でリームの体を手繰り寄せて背負い上げた。小さなリームの体は見た目通り軽く、こうして背負っても何の負担もない。にも関わらず、今日の夕方にも見せたあのパワー。本当に、一体この体のどこにあれだけのパワーを秘めているのだろうか。リームと出会ってから随分経つけど、未だにその秘密は分からない。
 と。
 そこにバタバタとアニスが階段を下りて戻ってきた。両手にはそれぞれ大きな毛布を一枚ずつ抱えている。アニスはその二枚の毛布ですっぽりとゴードン氏の体を覆った。朝までこのままここで眠っていても風邪を引かないようにするためだ。
「あれ? グレイスさん、もう行くの?」
「うん。色々とごちそうさまでした。お会計をお願いします。それと、どこかに宿屋があれば教えて欲しいんだけど」
「あ、それならうちに泊まって行けばいいよ。二階が宿屋になってるから」
 それならば丁度良い。こんな時間に宿屋を探すのは少々辛い所があるのだし。
「それにさ、今はどこも宿は休業中だしね」
「どうして?」
「ほら、夕方にも言ってたけど。向かいの店のブレイザー一家のせいなの」
 そしてアニスは僕に手招きをしながら階段へ歩き出した。どうやら部屋に案内するというのだろう。僕は更に荷物を手にしてその後についていく。
 確か僕達が店に訪れた時、ゴードン氏もブレイザーという単語をしきりに繰り返していたっけ。後に一家とつくという事は、ブレイザーというのはファミリーネーム、もしくは組織名なのだろうか。
「この村はね、今、ブレイザー一家の縄張りになっちゃってるの。向こうも酒場と宿を兼業してるんだけどさ、同業者はみんなあくどい手口で休業に追い込まれちゃって。それで、うちが何とか残った最後のお店。お父さんは必死に頑張ってるんだけど、結局嫌がらせが続いてお客さんは来なくなったわ」
 ふと僕は、夕方にやってきたガラの悪い二人組の男の事を思い出す。結局はリームにあえなく撃退されてしまったけど、これまでもおそらくあんな風にして客が来るたびに絡んで嫌がらせをしていたのだろう。
「でもさ、どうしてそんな事をするの? その、ちょっと悪い言い方だけどさ、こんな小さな村じゃ、これだけ手間のかかる事をしてもあんまり見返りがないと思うんだけど」
 嫌がらせをして店を閉鎖に追い込むにしても、それは違法行為であるからそれなりにリスクはつきものだ。地元の保安関係の機関を買収するというのが常套手段だが、それにはかなりの資金が必要となる。こんな小さな村を独占したとしても、それに見合うだけの見返りがあるとはとても思えないのだ。
「それには理由があってね」
「理由?」
 階段を登り切ると、長く伸びた板張りの廊下に出た。灯かりを灯してないため薄暗く、明るい所から来たばかりの目では足元が少々おぼつかない。リームを背負ったまま転んでしまっては大変なので、足元には細心の注意を払う。
「この間、村の近くで金鉱が見つかったの。村長さんがね、それで大喜びしてたわ。これで村が賑わうって。この村ってさ、売りに出来るような名産も特産品もないのよ。お父さんはあのお酒を勝手に名産とか言ってるけどさ、あんなのこの村でもよっぽどの酒好きしか飲まないし」
 確かにあのお酒は少々常人には辛過ぎる。僕は特にお酒が苦手という訳ではないけど、さすがにあれだけは勘弁してもらいたい。舌がおかしくなってしまいそうなほど刺激が強いのだ。世の中にはああいうお酒が好きな人はいると思うけど、どう考えても圧倒的少数派だろう。
「まだ金鉱は手付かずのままだけど、あと一月もしないうちに近隣から工夫や発掘希望者が村に殺到するわ。そうなれば、この村のお店も自然と儲かるって訳。これでもう分かったでしょ?」
「じゃあブレイザー一家は、お客を独占するために?」
「そういうこと」
 これで事の辻褄が合った。
 向かいの店を経営するブレイザー一家は、村の近くで見つかった金鉱の集客効果を見越し、あらかじめライバル店を潰しておく事で客を独占するつもりなのだ。金鉱が見つかったとなれば、集まる人間はかなり膨大な数になる。金の採掘具合によっては、企業すらも乗り出してくる事だってあるのだ。この村の人口の数倍の人間が集まってもおかしくはない。その人間を独占できればどれだけの利益が上げられるのか。それを考えたら、賄賂や雇っている人間の事を考えても十分過ぎる見返りが期待出来る。
 そんなブレイザー一家にとって、最後まで粘り続けているこの店の存在は正に目の上のタンコブといった所だろうか。独占していないという事実は純利益の低下云々ではなく、新たな同業者の出店の危険性も高めるのだ。独占していないのなら、それはそのまま競争相手が入り込む余地となるのだから。
 ライバル店が一つ二つならともかく、人が賑わってから乱立されてしまっては、これまでのように強引な手口で潰すという訳にもいかない。客が他店に散在してまとまった利益が上げられなければ、それこそとんだ大損を食う事になる。そんな事態に陥るよりは、多少お金がかかったとしても今の内に店は潰しておいた方がいい。
 おそらく最初はこの店を買い取るつもりでいたのだろう。それならば下手に波風が立たず、後々問題にもなりにくい。しかし、ゴードン氏がそれを承諾しないとなってブレイザー一家は手段を変えてきた。目的は問題を起こさない事ではなく、店を潰す事にあるのだ。売り渡さなければ強引に潰してしまえばいい。多少法的な問題が生じても、買取に使う分のお金をもみ消しのための賄賂に回せばいいのだから。
「なんだか大変な所に来ちゃったんだね、僕達」
「まあね。でも、お父さんのあんな顔は久しぶりに見たわ。ここんとこ、ずっと日長額に皺を寄せてムスッとしてたんだもん。えっと、リームさんだったよね? 凄く感謝してるわ」
 アニスは僅かに喜びを含めた口調で微笑む。
 きっとゴードン氏も、ブレイザー一家に目をつけられてから一時も心の休まる日はなかっただろう。心労も極限まで達していたに違いない。ブレイザー一家に逆らわなければいいのだけど、それはすなわちむざむざと店を譲るという事になる。誰だって自分の大切なものを、おいそれと、それも礼儀をわきまえないような人間に渡すような真似はしないだろう。
「んっと、部屋は同じ? それとも別?」
「あ、同じでいいよ。そっちの方がお金がかかんないし」
 僕達の経済で支出の大部分を占めるのがリームの酒代だ。必ずと言っていいほど、リームは毎度お酒を買う。リームにとってお酒は体の一部のようなものなのだ。本来ならば一日たりとも切らせないのである。だからこそ、普段から無駄な支出は避けておきたい。
「それじゃあここ使って」
 そうアニスに通されたのは、極々スタンダードな二人部屋だった。
「最近は使ってないけど、一応綺麗にしてるから安心してね」
「うん。ありがとう」
「いいわよ、別に。だって商売だもん」
 アニスはニッコリ微笑んで答えた。なんだか子供の口から商売という言葉を聞くと、この子が変に大人びているように見えて苦笑いが浮かんでくる。
「ねえ、ところでグレイスさん達は何をしてる人なの? なんだかリームさんて、すっごく強いけど」
「そういえば、まだ言ってなかったね。僕達、フリーのバウンサーをしているんだ」
 僕はそう答えながらリームをベッドに横たえる。
 バウンサーとは、クライアントを守る護衛みたいな事を主な活動としている。実際は便利屋に近かったりするのだが、バウンサーは基本的に皆戦闘に長けているので、関わるのは大概、荒事である。僕達は特定の人物と長期間の契約するのではなく、短期契約を主としている。大概のバウンサーはそうなのだ。長期契約はよほどの実績がなくては出来ないのだ。まだまだ駆け出しの僕らとは縁のない話だ。
「だからなんだ、あんなに強いの。グレイスさんもカラーテとかするの?」
「僕は魔術師だから。格闘技とかはちょっと苦手かな」
「やっぱり。なんかそんな感じだもん」
 そんな感じって……。確かに見た目はひ弱そうだけどさ……。
 正直、それは僕が気にしている事でもある。僕は自分の気の弱さもそうだけど、迫力のない外見もどうにかならないものか一時期悩んでいた事もあった。何かしら威圧感を与える外見というものはこの世に存在するのだけど、おおよそ僕はそんなものとはかけ離れた外見をしている。それがどうしても嫌で嫌で仕方なかったのだ。
 最近はあまり考えないようにしていた。リームにも言われたのだが、人間大事なのは中身なのだ。外見がひ弱そうでも、やる時にはきっちりと仕事をやれば自然と格好良く見えてくるものなのだ。それを心の支えにしてきたんだけど、改めてアニスのような直な言われ方をすると、さすがに古傷をえぐられるような少々心痛い気持ちになる。
 とりあえず、苦笑で答える。小さな子供にこんな事で怒る訳にもいかないし。
「それじゃあ私、戸締りしなくちゃいけないから。おやすみなさい。狭い所だけど、ごゆっくりどうぞ」
「おやすみ。また明日ね」
 アニスが静かに部屋から出て行った。まだあんなに小さいのに、本当にしっかりしている。父親であるゴードン氏を少しでも助けてあげようという気持ちからなのか、もしくは生まれつきしっかりした性格だからなのか。あの年齢で、何やら将来の器の大きさを感じさせる。
 さて……。
 静かになった部屋の天井を僕はゆっくりと見上げた。
 なんだか凄い事になってきちゃったなあ。
 いつもながら、リームの持つトラブルを引き寄せる天性の素質には驚かされる。予定を変更した途端これなのだ。もはや何かの因果としか思えない。
 とにかく、考えても仕方がない。今夜は眠る事にしよう……って、満月の前後は眠れないんだったっけ。
 普段はそれほど気にもならないのだが。どうも今夜はぐっすりと眠っているリームが羨ましかった。