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「ふうん。随分と広いじゃない。見かけ通りね」
 ゴードン氏の店の真向かいに建てられた、ブレイザー一家が経営する酒場の店内に通された僕達。店内は外観の豪華さに違わぬ煌びやかな内装になっていた。けれど、そこにたむろう人間は皆陰湿な空気をはらみ、ハイエナのような目つきで僕達を見ている。そのためせっかくの奇麗な内装も陰気に淀んで見えてしまう。こんな事情がなければ、絶対に入りたくない店だ。
 店内に入るなり、一斉に無数の視線が僕達に注がれた。視線はどれも鋭く、獲物を狙う肉食獣を連想させる。素人にしろ玄人にしろ、少なくとも刃傷沙汰や荒事に慣れた人種だ。そんな人間が店内中に棲息し、そしてやってきた僕達に油断ならない視線を送っている。僕もまた、彼らに対して一瞬も隙を見せぬよう気構える。
「こちらで少々お待ち下さい」
 そして、アイボリーのコートを着た男は僕達を一番奥の特別広い席に案内し、席についてくつろぐように促す。酒場にはあまり似つかわしくない、革張りの無駄に豪華なソファーセットだ。僕達は素直に席に座ったが、決してくつろぐような事はしない。いや、とてもくつろげるような状況ではない。席についてもまだ、この無言の視線が突き刺さるように注がれ続けているからだ。
「なんか感じ悪いわね。じーっと黙っちゃってさ。気持ち悪い」
「警戒されてるんだろうね、やっぱり。気をつけないと」
「どうせザコばっかでしょ? 雰囲気で分かるもの」
 リームのあからさまな言葉に、店内の温度が一度ほど下がったような気がした。僕達に注がれていた視線は更に鋭さを増し、中にはかなり陰湿な殺気をはらませているものまである。
 けれど。確かにリームの言う通り、何となくの雰囲気からの判断ではあるけど、この店にいる彼らの実力は僕達にしてみれば恐るに足らないものだ。しかし、だからと言ってそう無闇に挑発する事もないだろうに。何も僕達はブレイザー一家にケンカを売りにきた訳ではないのだから。リームにとっては、悪者からの招待状は挑戦状にもなりうる。僕はせっかく向こうから接触のチャンスを与えてきたのだから、できれば平和的な解決が出来ればと思っている。けれどリームにはそんな事などまるで眼中になく、ただ純粋に楽しみにきている。罠かもしれない、この状況を。
 しばらくして。店の奥から一人の中年の男が姿を現した。髪は香油で綺麗に撫で付け、オーダーメイドなのか仕立てのいいワインレッドのスーツを着こなしている。そして彼の両脇を挟むように、黒いスーツを着た如何にも屈強そうな男が二人、特に僕達に対してくまなく注意を向けている。おそらくワインレッドのスーツを着た男性がブレイザー一家のボスで、そしてその両脇の男はボディガードと言ったところだろう。
「待たせたね」
 彼はニッコリと笑みを浮かべながら僕達の向かい合わせに座った。一見すると人の良さそうな印象を受ける表情だが、目の奥は少しも笑っておらず、油断なく僕らを観察している。頭の働く悪人特有の表情だ。あの笑顔も間違いなくフェイクであると、月齢十五日目に到達し鋭さを増した僕の感覚が警告を発する。彼の背後には二人のボディガードがピッタリと直立不動の姿勢を保ったまま立っている。こちらもまた、僕らに対して注意を通り越した限りなく殺気に近い警戒を払っている。迂闊に動こうものならば、すぐさま彼らは僕達に襲い掛かるだろう。
「私がブレイザー一家をまとめている、ダルヴという者だ。皆はボスなんていう無粋な呼び方をするがね」
 彼はダルヴと名乗ると、背後の男に指で合図を送る。するとすぐさま片方が彼の口に葉巻をくわえさせ、もう片方が葉巻に火をつける。なんとも絵に描いたような悪人の元締めの画だ。
「昨日の件は聞いたよ。なんでも、うちの衆をいなしたんだそうだね?」
 ふう、と口から煙を吐き、悠然と微笑みながら僕達の顔を交互に見比べる。さすがに落ち着きと余裕のあるその姿、たとえ田舎と言えどもそれなりに形になっている。
「いえ、それは。彼らの振る舞いがあまりに粗暴だったので、こちらも最小限度の自衛として対処させてもらっただけです」
 そう僕は言葉に気をつけつつ、ダルヴ氏に説明した。何も一方的に相手の行動を非難しても仕方がない。避けられるトラブルは、たとえそれがどれだけ小さなものでも避けるべし。アカデミーからはそう教えられたのだ。
「そいつなんだが。医者の話では肝臓が破裂していて、もう手の施しようがないそうだ。命に別状はないが、一生寝たきり生活を送るハメになってしまった。これについて、何か言う事はないかね?」
 穏やかながらも凄みを含ませた語調。如何にも何十人という荒くれ者を束ねている人間らしい風格と貫禄を感じさせる。
 ……どうだろう?
 リームのボディブローによって、昨日の男は肝臓が破裂してしまったそうだ。確かにあの一撃を不意に食らってしまったら、そうなってもおかしくはない。けれど、それが本当なのかどうか、事実を証明するものがないのだ。もしも仮に事実であるとして。医者は不自然なケガをした患者が運び込まれたら、治療が終わり次第、すぐさま治安機構に連絡するはず。そしてそこからは芋づる式に犯人が僕達であると特定され、当日中にしかるべき人達が店を訪ねてくる。しかし、そういった人間はまだ訪ねてきてはいない。
 ならば、彼らが医者に口止めをしている可能性はどうだろう?
 治安機構すらも賄賂によって掌握しつつあるのであれば、その医者が品位の低い医者ならば十分にありえる。まだ表沙汰にはしないことで、僕達への取引、もしくは脅迫の材料に使うのだ。いや、おそらくケガは嘘だろう。僕達にそう思い込ませておいて脅迫し、切り崩すのが目的でわざわざ店に呼んだに違いない。
 やっぱり罠だった。それも、一番性質の悪い。
 ある程度覚悟はしていた事だったが、今更ながらも僕は後悔せずにはいられなかった。
 これからの展開は分かる。きっと表沙汰にして欲しくなければ、ゴードン氏から手を引け、と持ちかけてくるのだろう。下手をしたら、僕達をブレイザー一家の尖兵にするかもしれない。僕達の弱味は相手にある。こうなったら状況は深刻なまでに不利だ。それこそ力ずくでどうにかなる相手ではない。
「それは……」
 返答につまる。どちらの返答をしようとも、およそ確実性がない。そしてどの返答も、まず不利な状況へと僕達を向かわせる。
 一体、なんて答えたらいいのだろうか?
 嘘だとは思う。けれど確証がない。もしも確証もなしに拒絶してしまい、本当にあの男が大怪我をしていたとしたら。僕達は間違いなく犯罪者扱いだ。ケガをしているのが事実ならば、今後の自分達のためにもここは素直に相手の言いなりになるべきだ。しかし嘘だったなら、うまく利用されてゴードン氏を追い詰める結果になってしまう。
 一体どうするのが最良の選択なのか。
 と、僕が頭を抱えそうになったその時。
「要するに。あんたら、私達のこと脅迫してるワケね? 素性も知れない、それもたった二人相手にさ」
 突然、リームが普段の調子で口を開いた。
 言葉は酷く挑発的だった。ダルヴ氏も思わず眉を僅かに釣り上げる。
 リームはブレイザー一家のボスに対して、『お前らは偉そうに構えてるクセに、たった二人相手に怖気づいているのか?』という意味を含めて言い放ったのだ。どう取っても、相手が逆上することは間違いのない言い草だ。
「ほう? 言ってくれるな。我々と本気で事を構えるつもりかね?」
「ハン。猿山の大将が煙ふかして何余裕かましてるの?」
 あわわわ……。
 リームの挑発的な言葉に、ダルヴ氏の表情が怒りのあまり凍りついた。続いて僕達の後ろの方にある席々からは、一斉にたむろう男達の立ち上がる音が聞こえてくる。
 僕はどうやってリームの発言にフォローを入れようか、この場を平和的に収める最適な言葉を頭の中から探し出す。けれど慌てるあまり、思慮は二転三転、右往左往を繰り返すばかりでちっとも言葉を拾って来れない。
「大体にして、肝臓が破裂したってのも嘘でしょ?」
「どこにそんな証拠があるのかね?」
「勘」
 自信たっぷりにズバリと言い切るリーム。さすがにダルヴ氏はこれには失笑を隠せない。リームもリームだ。どうして根拠もない勘にそこまで自信を持てるのだろうか。
「ま、どっちにせよ。ブレイザー一家ってのは随分とセコイ手ばっかり使うわね。あの店の件だって、ネチネチと子供のイジメみたいなことをずっとやってるんでしょ? 情っさけないわね。一対一の決闘とか、そんなの出来ないの? それとも、御多分に漏れず群れてなきゃ何も出来ない集団なんだ? そのセコイ手で縄張り広げて、いちば〜んって叫んでるのよ? どう見たって猿山の大将でしょ。これ」
 次々と繰り出されるリームの無遠慮な言葉。初めこそ穏やかだったダルヴ氏の表情も、見る間に静かな凄みを増してくる。おそらく今頃、内臓が煮え繰り返るような心境を必死で押し殺していることだろう。
「あんた……。見かけによらず随分腕が立つようだが、この人数が分からない訳じゃないだろう?」
「獣道も砂利道も、歩く事に関しては大差ないけど? 石が多けりゃ踏めばいいだけの話だし」
 ダルヴ氏の僅かな挑発にも、リームは更にその上を行く挑発で返してきた。これにはさすがのダルヴ氏も、一瞬ではあるが犯罪者特有の殺気だった表情を隠す事が出来なかった。
 ああ、もう駄目だ……。決定的だ。
 ただでさえ陰気に張り詰めていた場の空気が、もはや完全な殺気一色に染まっている。今この状況において、平常心を保っているのはリーム一人だ。ブレイザー一家の人間は皆、度重なるリームの挑発的な態度に殺気立ち、僕はこの状況をどうにかする事が出来ないだろうかと、未だ未練がましく画策しながら慌てふためいている。
「交渉は決裂だな。お帰りいただこう。もっとも、無事で帰れればの話だが」
「ありきたりなセリフね」
 ふう、と溜息をつくと、リームはゆっくりソファーから立ち上がるとテーブルを後にする。そしてそのままスタスタとこの状況の中を、何事もないかのように入り口に向かって歩を進める。僕も続いて立ち上がると、一応社交辞令としてダルヴ氏に一礼してリームの後を追う。
 入り口の前には、案の定店中のガラの悪い男達が集まっている。無言ではあるが視線は鋭く冷たい。生きてここを抜けられると思うな、と誰もがそんな殺気を放っている。
「ふむふむふむ。どいつもこいつも有象無象ばかりね。大して鍛えてもないしさ」
「いや、だからそういう事は言わない方が……」
 更に店内を取り巻く殺気の濃度は高まっていく。リームの度重なる挑発的な言葉に刺激されているのだ。無理もないだろう。月齢十五日目に突入し敏感になっている僕の感覚には、この露骨な殺気の渦は少々辛い。あまりに濃過ぎて、なんだか気分が悪くなってきそうだ。
 リームは悪乗りしていると言えるほど、完全にこの状況を楽しんでいる。この程度のトラブルなら、十分に楽しめる。そんな気持ちがひしひしと僕に伝わってくる。幾ら退屈しているとはいっても、これは幾らなんでも悪趣味過ぎる戯れだ。
「あ、そうだ」  ふとリームはくるっと踵を返し、ダルヴ氏の方を振り向いた。殺気だった彼らに無防備にも背中をさらす。この周囲をバカにした行動に、また一段と殺気が濃くなった。
「確か何か食べさせてくれるんじゃなかったっけ?」
 そしてあっけらかんと、そんな場違いなほど明るい言葉で問い掛ける。
 リームはこの店に招待したメッセンジャーの言葉の事を言っているのだ。そんなの、この状況から見ればただの社交辞令的な売り文句でしかない事ぐらい分かりそうなものなのに。それとも分かってて言っているのだろうか?
 この状況で何を!?
 普段ならばそう叫んでリームを制止していただろう。けれど、度重なる精神的疲労のため、もはや声にするのも億劫になってきた。僕は、こんなもんだろう、と半ば諦め気味にリームを見守る。僕がどれだけ努力しようとも、リームは必ずと言っていいほど我が道を強引に突き進むのだから。出来る事と言ったら、見落とした石につまづかないよう、あらかじめ取り除いてやるぐらいだ。
「ちょい賭けしない? 私が一人でコイツら五分で片付けたら、私らに何でも奢るってのどう?」
「一人で五分? 面白い。別にそっちのを手伝わせても構わないぞ」
 貴様のような小娘に出来るものか。そんな嘲りに満ちた視線をリームに返すダルヴ氏。既にあまりの侮辱の繰り返しに怒りを通り越した不気味な半笑いが顔にべったりと張り付いている。けれどそれを受けるリームは、まるで面白い悪戯を思いついた子供のような悪意を秘めた無邪気な笑顔を浮かべている。
「そしたら五分じゃ長過ぎるもん。じゃ、とにかくOKってことでいいわね?」
 ダルヴ氏は怒りをこらえつつも、どうぞ、とリームに向かって初めの頃に比べて随分とぎこちなくなった笑みを返す。彼の我慢ももはや臨界点に到達しつつあるだろう。
「そういうことで。グレイスはそっち行ってて」
「はいはい……」
 パキポキと指を鳴らしながら、楽しそうな表情で僕を隅へと追い払う。
 こうなってしまっては、もうなるようになるだろう。どうせ反論したって聞きっこない。僕はリームに追い払われるままにその場から素直に離れる。まあこの程度の相手なら、あともう二倍いてもリームの敵にはならないだろう。ただ心配なのは、事が大事になってしまわないかどうかだけだ。
「じゃあ、行くよ。ちゃちゃっとやっちゃうからね」
 僕は溜息をつきながら、リームの心底楽しそうな表情を前に額の奥で疼き始めた疼痛を抑えた。