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「で、言い値は幾らだった?」
 深夜。ブレイザー一家を束ねるボス、ダルヴ氏は、店の二階にある自分の私室で、報告にやってきた自分の腹心にそう問い掛けた。
「詳細は実際にボスと会ってから伝えるそうです」
「なるほど。使いっ走りとは仕事の話はしないか。いいだろう。到着は何時だ?」
「遅くとも明日の昼前には。こちらから迎えを手配しておきましたので、実際はもう少し早くなるでしょう」
「分かった」



「大バカ野郎!!」
 店内にゴードン氏の雷鳴のような怒号が響き渡る。あまりの声の大きさに、僕は咄嗟に鼓膜が破れぬよう耳を塞いでしまった。
「なによ。なんでそんな怒ってる訳?」
 リームは相変わらず平然とした表情でゆったりとイスに腰掛けている。眼前で顔を真っ赤にしているゴードン氏にも全く動じる様子がない。
「なにもくそもあるか! 余計な事をしやがって、このアホンダラ!」
 夕刻。僕達はブレイザー一家の店でフルコースの料理をたっぷり食べてきた後、帰っていたゴードン氏にこれまでの事を念のため報告した。しかしゴードン氏は、よくやった、と喜ぶどころか逆に顔を真っ赤にしながら怒り狂って怒鳴り散らしたのである。当然と言えば当然の事なのだけど。
「いいか、ダアホ共! もう一度言っておくが、この問題はブレイザー一家と俺との問題だ! テメエラがいちいち首を突っ込むんじゃねえ!」
「別にいいでしょうが。大体にして、私らは連中を軽くヤってきただけなんだけど。誉められこそすれ、どうして怒られなきゃなんないの?」
「あのな、ンなことしたってな、連中を余計に刺激するだけなんだよ! 分かってんのか!? テメエラが余計なことをしでかしたおかげでな、ブレイザーの連中はいよいよ本気になるぞ。もう俺は責任取れないからな。テメエラの身に降りかかった危険は自分でなんとかしやがれ」
 何となく危惧していた事ではあるが。
 ああいう世界で生きている組織というものは、何が何でも体面というものを気にする。裏の世界では評判というものは生命線に等しいほど重要な要素だ。組織の実状はともかく、その組織に対してどういったイメージがあるのか。それがそのまま組織の評価に直結するのである。非常に力のある組織と思われていれば、その分必然的に敵対する勢力は格段に減る。逆に力のない弱小集団というイメージがあれば、瞬く間に他の組織の攻撃に晒され解体吸収されてしまう。裏社会とは自然界と似た摂理を持っている。それは強い者だけしか生き残る事が出来ない弱肉強食の世界、という事だ。自らの身を守るのは法律ではなく、他ならぬ自分自身だ。力がなければ自分を守る事は出来ず、あっさりと強者に捕食されてしまうのである。彼らが体面を気にするのは、動物が本能的に行う威嚇と同じだ。自分の方が強いと思わせる事によって自分の身を守るのである。メッキではあるが、そのメッキは命を守るのには十分だ。けれどそのメッキを、僕達が堂々と正面から乗り込んでその場にいた構成員をことごとく打ち倒し、あまつさえ食事まで振舞わさせた事により、一片も残らず剥がしてしまったのだ。これがブレイザー一家という組織の評価をどれだけ下げた事になるか。その被害は僕達が食べた料理の比ではないだろう。
 僕達に地まで落とされた組織の評判を取り戻すため、ブレイザー一家は今後あらゆる手段を用いて攻撃を仕掛けてくるだろう。僕達はゴードン氏の雇ったバウンサーという見方をしていただろうが、これまでは店を獲得する上での邪魔者程度の評価だっただろう。しかし今回の件によって、下手をすれば店の獲得よりも優先順位が上がってしまったかもしれない。こうなると少し厄介だ。僕達はこれまでなら守るものはゴードン氏の店と従業員である二人だけだった。けれどこれからは更に自分自身も守らなくてはいけない。
 一見すると状況は大して変わっていないようだが、向こうが僕達を直接的な標的にするか否かで状況は随分変わっていく。それは特に、切迫した場合に強く影響する。ブレイザー一家が標的にしているのが、僕達なのかゴードン氏達なのか、それをはっきりと見定めなくてはいけないのである。標的がゴードン氏達ならばこれまで通り、バウンサーとして戦えばいい。だがもしも標的が僕達だったのであれば、そういった場合の体勢と心構えを作らなければいけない。明確な目標が分からない相手ほど後手に回されやすく、結果的に状況は不利になるのだ。
「ふうん。ま、聞くだけ聞いておきましょう。私らのクライアントはアニスな訳だし」
「いい加減にしろ! フザけてる場合じゃねえ事ぐらい分かるだろうが!」
 ゴードン氏はバンバンと壊さんばかりの勢いでテーブルを叩きながらそう叫ぶが、リームは柳に風と言わんばかりに平然とした表情で悠々と構えているスタイルを崩さない。考えてみれば、アカデミー時代からしょっちゅう怒られていたリームだから、この程度は別段なんとも思わないのだろう。
 リームの性格上、一度首を突っ込んでしまった事については、どんなに横から言われても決して途中放棄する事はない。自分がこれと思った事には最後まで責任を持ってやり遂げなければ気が済まないのだ。中途半端に終わらせたままじゃ夢見が悪い、とリームは言うのだが、それは責任感の現れに他ならない。リームは人よりもずっと責任感は強いのだ。
「あ、あの……取りあえずこの件は僕達にも十分に責任がありますので……。事態が落ち着くまで身辺警護はさせていただきますから……」
 怒鳴るゴードン氏に、僕は恐る恐るそう話し掛けた。すると、あの世にも恐ろしい強面がジロリと僕の方を向いて睨みつけてくる。一瞬僕は、何かの本で読んだ大魔人という強面のヒーローを思い出した。
「取りあえず? 僕達にも? 責任? 落ち着くまでさせていただきます!? ふざけるなっ! テメエらが横からしゃしゃり出て余計な事をやってややこしく掻き回したんだろうが!!」
「は、はい! その通りです……」
 ゴードン氏の怒鳴り声はあまりに大きく迫力に満ちており、まるで音の塊が僕を打ち付けてくるようだった。思わず僕はその迫力に負け、イスから立ち上がると頭を出来る限り深く下げて謝罪の意を表す。だがそんな事ではゴードン氏の怒りは収まる気配もない。
「チッ。男がペコペコ頭下げてだらしのねえ。もういい。テメエのような軟弱なヤツを見ていると怒る気も失せちまう」
 そんな僕の態度にゴードン氏は苛ただしげに舌打ちすると、今度は突然、僕の襟元を掴み上げた。ゴードン氏の強面が僕の目前に迫る。予想だにしなかったその行動に、僕は反射的に緊張して体を硬直させる。
「いいか、二度は言わねえ。明日、お前らは即刻この店、いや、この村から出て行くんだ。さもなくば俺が叩き出すからな。ようく憶えておくんだぞ」
 恐ろしくドスのきいたゴードン氏の言葉に、僕はただ張子の馬のように首をカクカクと何度も縦に振ることしか出来なかった。何か答えようとしたが、緊張のあまり喉が詰まって言葉が出てこなかったのだ。
 そしてゴードン氏は僕を突き飛ばすように放すと、そのままドスドスと足を踏み鳴らして奥へ消えていった。昨日、アニスが勝手に僕達を雇ったと聞いて憤慨したのと全く同じ状況だ。
「ごめんなさい、グレイスさん。大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ」
 急に喉を締め付けられたせいでゲホゲホと咳をする僕に、アニスがそう心配そうに話し掛けてくる。僕は自分は大丈夫だと努めて笑顔で答える。けれど、また咳が喉の奥から飛び出してきて、無理にそれを押さえつけようとして逆にむせた。
「ったく。ホント、情けないわねえ。もっと私みたく堂々としてなよ」
「あのね……ちょっとは悪い事をしたって思おうよ」
 その口振りからして、リームはちっとも自分達がブレイザー一家の件をややこしくしてしまった事を理解していないようだ。気に留めるどころか、むしろ誇らしげなその様子からして、リームは先刻の行為は単なる悪人の成敗程度にしか思っていないようだ。確かに先に手を出したのは向こうだが、完膚なきまでに叩きのめした挙句、食事まで要求してしまってはどちらが悪人なのか分かったものではない。
 相変わらずのリームに、僕は溜息をつかずにはいられなかった。ずん、と余計な疲労感までもが両肩にのしかかる。
 さて、どうしたものか。