BACK

「ねえ、グレイス。どうしよっか?」
 その晩。
 僕はいつものように荷物の整理と確認をしていると、突然リームがそう訊ねて来た。
「どうしようって、何を?」
「ん? これからの事」
「どうしたの? らしくないね」
「ッ別にい」
 ベッドの上で頬杖をついたまま、フン、とふて腐れてみせるリーム。
 リームがこんな風に先の事を心配するのは非常に珍しい事だ。どちらかと言えば、リームはその場主義の計画性にいささか欠ける性格である。大らかな性格、といえば聞こえが良いのだが、僕から見れば非常に危なっかしい所だらけだ。そんな僕をリームは神経質の心配性と評したが、あながち的外れという訳でもない。
 このように僕達は何から何まで性格が正反対だ。これまでも共に互いの主義を理解する事は決してなかったのだが、それはそれで補なうような形でうまくやってきている。けど、今みたいにふと相手に考えを合わせると、共に今まで一度も主義主張を完全譲歩した事がないだけに、『あれっ?』と、不思議そうに思ってしまうのである。
「とにかく、明日もう一度ちゃんと説得してみるよ
 夕刻のゴードン氏の激昂した表情を思い出しながら、そうしみじみと溜息をつく。
 僕達の勝手な行動により、ブレイザー一家との関係はますます悪くなってしまった。それに激怒したゴードン氏は、明日中に即刻この店だけでなく村から出て行くように怒鳴ったのだ。とりあえずその時は完全にゴードン氏は頭に血が昇ってこちらの話を聞いてくれそうもなかったので、僕はただコクコクと首を縦に振るしかなかった。明日にでもなれば、きっと幾らかは冷静さを取り戻して僕の話も聞いてくれるはず。もう一度なんとか説得して、何とかこの店に留まる事を許してもらわないと。今、僕達が村から出て行ってしまったら、それこそブレイザー一家にみすみす塩を送るようなものだ。僕達が起こした火種なのだから、消さないで逃げるのは無責任な行動である。
「そうして。言って分かんないようだったら、私がちゃちゃって黙らせるから」
「だから、そういう行動が事態をややこしくしたんだって……」
 反省の様子が微塵もないリームに、ふう、と溜息をつく。世の中、なんでも力ずくで解決出来るのであれば、きっとリームは一国の王様になっているはずだ。少しでもややこしい事態になると、すぐに力ずくで解決しようとするのはリームの悪いクセだ。これがリームが天性のトラブルメーカーである由縁の一つである。
「リームはしばらく大人しくしててよ。これ以上ややこしくなったら困るから」
「はーい、はい。あ、そうだ。後さ、最悪の場合の事も考えておいた方が良くなくない?」
「……どうしたの急に?」
 まただ。
 そのリームにはあまりに珍しい発言に、思わず僕は眉をひそめたままリームの方を振り向く。するとそのんな僕の表情に気を悪くしたリームが、ムスッと不機嫌そうな表情を浮かべる。
「あのね、私だって何にも考えないで生きてる訳じゃないんだけど。なんとなくだけどさ、今の状況がヤバイって事は分かってるし、口先だけの処世術やらなんやらで解決出来るほど単純でもない事も、ちゃんと理解し・て・ま・す。こういう時のしちめんどくさいお約束パターンはグレイスに任しておくけどさ、それでも必ず解決出来る訳じゃないでしょ? だから、出来る限りの穏便な手段が出尽くした時の、最悪の場合の事を今の内に考えておこうって言ってるワケよ」
「まあ、確かにそうしといた方がいいね」
 あまりらしくない発言が続いて少々面食らったものの、これもリームが事態の深刻さをちゃんと理解してるからだろう。とにかく良い傾向ではある。
「考えられる最悪のパターンとしては……。まず、ブレイザー一家が総力戦を仕掛けてきた場合は?」
「潰す」
 一言、そう言い切るリーム。まあ、もしもそうなったらその選択で大方間違いはない。一応正当な防衛権の行使が出来る訳だし。ただ、リームの性格からして過剰防衛になる危険性はあるけど。
「僕がゴードン氏の説得に失敗して、村から追い出される事になったら?」
「無視」
「いや、無視って……」
 あまりに短絡的に、先ほどと同じ調子で言い切るリーム。その言葉はとても熟慮した上で導き出したものではなく、どう考えても考慮するのが面倒なのでとりあえず選んだようにしか聞こえない。先ほどの言葉もそうだが、やっぱりあまり考えてないのではないだろうか?
「宿を変えればいいだけの話よ。さすがに他の宿まで虱潰しに探しには来ないでしょう?」
「あのさ、今この村にある宿は、こことブレイザー一家の所だけなんだけど……。他はみんなブレイザー一家に潰されちゃったって聞かなかった?」
「じゃあ、ブレイザーんとこに行こう。さすがにあの熊オヤジも、私らがそこに居るとは思わないでしょうし」
 そう嬉々とした表情で提案するリーム。
 あれだけの料理を口約束を縦に無料で振舞わせ、ブレイザー一家のボスであるダルヴ氏に心底憎々しげな表情を向けられた事を何とも思っていないのだろうか? 僕だったら、とてもそんな所に泊まる気は起こらない。寝首をかかれても文句は言えないのだから。
「ゴードンさんを騙してどうするんだよ。とりあえず、この件は保留。次は……何らかの法的な手段で店が奪われそうになったら」
「それが一番アレよねえ。どうしよう? まさか御エラ方とまとめてやっちゃう訳にはいかないし」
「賄賂の可能性も考えなくちゃいけないから、そう来ちゃったら手詰まりだね。悔しいけど、どうしようもないよ」
 ブレイザー一家の組織力はゴードン氏の話から察するに、この一帯の治安機関の大部分を買収するほど強大なもののようだ。正直、いつ買収した治安機関の人間を使い、あんなことをしでかした僕達を拘束しにかかるか知れたものではないのだ。
「ま、そん時は闇討ちでもしましょう」
 それも一理ある。
 けど、僕はあえて聞こえなかった振りをした。さすがにこういう違法的な事を容認してしまったら、リームの今後の行動に悪影響を与えかねないからだ。
「僕の理想としては、向こうの注意を僕達だけに向けられたら、って思うんだけど。そうしたらやりやすいでしょ?」
「そうね。どうせ私らにやる事と行ったら、数集めて襲おうってだけの事ぐらいなモンだし」
 うんうん、と頷くリーム。
 が、すぐに。
「出来れば、の話だけどね」
 手痛い指摘。僕は思わず言葉に詰まり苦笑い。
 そう、これには何一つ具体的な方法がないのだ。出来るならば一番理想的で事態を簡単に片付ける事が出来る手段なのだけど。いかんせん、そうそうそんな都合のいい手段は転がってはいない。
「これ以上考えてもしゃーないわね。もう寝よ寝よ」
 あきらめるというよりも、考える事自体を面倒だと投げ出したような仕草だ。
 結局そこに落ち着くんだね……。
 でも、リームの言う通り後手に回されている僕達は先の事を考えたって仕方がない。考えすぎて神経をすり減らしてしまっていては元も子もない。今出来る事と言ったら、今後に備えて体を休めておく事ぐらいだ。僕もリームに倣って、今夜はもう眠る事にしよう。
「んじゃ、ホイ。こっち来て」
 と、その時。リームが自分の元へ僕を手招きした。
「どうかしたの?」
「ほら、今十六日目ぐらいでしょ? 発作予防」
 そう言ってリームが肩を見せる。
 思わず僕は覗いた首筋に目を奪われた。それは性的な類の衝動ではなく、僕のヴァンパイアの血が生まれつき持ち合わせる欲求、つまり吸血の本能から来るものだ。正直、この時期にそういう吸血を連想させる仕草をされるとかなり重い衝撃がズンと胸に響き、ギリギリと理性を締め付けてくる。他に誰も見ていないこの部屋で、しかも相手が僕の事情を知っているリームだったらまだいい。もし見ず知らずの人間がそうとも知らずそんな仕草をしてしまったら、きっとうっかり取り返しのつかない事態になってしまうだろう。ヴァンパイアは一般的に人間にとって畏怖と嫌悪の対象なのだから。
「そうだね。じゃあ少しだけ」
 特に今は切羽詰った状態ではないが、あらかじめ血を少しでも口にしておけばかなり発作の衝動は抑えられる。満月は過ぎたとは言え、これから十六日目に入ろうとしているばかり。これからはきっと一瞬も気を休める機会がないほど切迫するかもしれないため、飲める時に飲んでいた方が良さそうだ。
 そして、僕は荷物を手早く片付けてしまうと、そっとリームの元へ向かった。