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 翌朝。
「フン、起きてきたか」
 朝食を取りに下へ降りてきた僕達を出迎えたのは、仁王立ちで待ち構えていたゴードン氏の渋い表情だった。
「あ……おはようございます」
「おら、メシ用意してやったから。それを食ったら、とっとと出て行くんだな」
 こちらの挨拶に受け応えることもせずそう一方的に吐き捨てると、そのままのっしのっしと厨房へと消えていった。まだどこかピリピリとしている雰囲気がある。
「ったく、感じ悪いやっちゃねえ。朝っぱらから」
「まあ、仕方ないよ」
 ただでさえ入り組んでいた問題を、後からぽっとやってきた余所者の僕達が勝手に引っ掻き回して余計にややこしくしてしまったのだ。店を失うか否かの切羽詰ったこの状況でそんな事をされてしまったら、怒るなと言う方が無理な話である。
 それでも、思っていたよりもずっとゴードン氏の機嫌は良かった。降りてきた所を問答無用で放り出そうとするかもしれない、ぐらいの事態も覚悟していただけに、わざわざ朝食まで用意してくれている辺り、幾らか冷静さを取り戻してきているのだろう。ただ今のところ、僕達の行為を許すつもりは毛頭ないようだ。
「ボヤキオヤジの事は忘れて、早速ゴハン食べましょうか」
「前向きだね……」
 僕はこれからゴードン氏にもう一度説得を試みなければいけないのだけど、当分出番のないリームは心配事など何一つないようで普段と変らぬ様子で席につく。ゴードン氏と相対するだけでも、その厳しい風貌のため緊張してしまう僕にとっては、たとえ怒鳴られても真っ向から言い返せるリームが実に羨ましい。
 テーブルには昨日と同じメニューがしっかりと揃えられていた。よく見るとまだ作ったばかりのようで、スープからは真っ白な湯気がもうもうと立っている。昨日は僕達が起きてきた事を確認してからアニスが用意したのだけど、今朝はどうやらあらかじめ僕達が起きてくる時刻に合わせてゴードン氏が用意したようである。
 僕は起き抜けであまり食欲が湧かなかったため、まずはスープから口にした。起きたばかりで胃が眠っているため食欲が湧かないのだ。そういう時は無理に食べず、何か軽いものを少しずつ流しながら徐々に動かしていくのが負担がかからなくていいのだ。
「割とこのパンおいしいわ。麦がいいのかな?」
 けど、そんなものとはまるで無縁のリームは、パクパクとパンにかじりついている。僕はヴァンパイアのクォーターであるため、体には吸血鬼と人間の血が流れている。けれど、やはり月の出ていない朝は満月の周期に限らず、どちらかと言えば苦手な方だ。発作を抑えるためとはいえ、あれだけ何度もリームの血を飲んできたのだから、少しくらいリームのように強い内臓が備わってもいいのだが。やはり、努力も何もせず欲しいものを得られるなんてうまい話はないようだ。とは言っても、内臓を鍛えるにはどうすればいいのだろうか? こればかりはどうしても天性のものがなくては駄目なのかもしれない。
「じゃあ、これ食べ終わったらゴードンさんの所に行くからね」
「ホイ、いってらっしゃい。がんばってね」
 と、まるでお使いにでも行かせるかのような軽い口調のリーム。
「……リームさ、やっぱり本当は事態の深刻さを理解してないでしょう?」
「なんでよ? あ、分かった。怖いんでしょ? あの熊オヤジの事が」
 思わぬ反撃にあった僕は、うっ、と言葉を詰まらせてしまう。
 近からず、遠からず。それだけではないけれど、決して間違っている訳でもない。嫌な所を突かれた。そう僕は苦々しく思った。僕が未だに臆病な性格が直っていない事の現れを、自覚するのではなく人に指摘されてしまったからだ。否定はしないけど、自分でも前よりはずっとましになったと思っているのに。そうあからさまな言い方をされると、さすがに胸に痛いものがある。
「一緒に行って欲しいって?」
「いや、いいよ。余計ややこしくなるだろうし」
「そんじゃ、一人で何とか頑張ってきてね。頼りにしてるわよ」
 また心にもない事を……。
 リームの口調は極めて軽々しく真剣味に足りない。しかも料理を食べながらだ。僕がゴードン氏を説得出来なかったら、この村を追い出されてしまうというのに。それとも、僕が説得に成功しようがしまいが強引に居座るつもりなのだろうか?
 ありうる。
 ようやく空腹感が思い出したように出てきた。僕は半分ほど飲み終えたスープを一旦置き、まずはパンから手に取る。今日はなんだか物凄くハードな一日になりそうな予感がする。月齢十六日目。ヴァンパイアの血の活動はピークを過ぎたものの、その勢いは未だ衰えを見せない。感覚も鋭くなっているままだ。こうしてじっとしているだけでも、外の様子までもが手に取るように分かる。その鋭敏な感覚が、どこからか仕入れてきたであろう情報で、根拠の知り得ない不安を僕に感じさせているのだ。
「そういえばさあ、グレイス」
「ん?」
 と、その時。先にほとんど食べ終えてしまったリームが、サラダを食べながらそう僕に問うた。
「最近さ、減ってきたよね? 回数」
 その言葉に、僕は思わずむせた。
「な、なに言ってんだよ。朝からさ」
「なんでそんなに慌ててるの? あ、違うこと考えたんでしょう。私が言ってるのはコッチの事よ」
 ゲホゲホと咳き込む僕に苦笑しながら、リームは自分の左首筋を指し示す。そこはいつも僕が吸血のために牙を突き立てる場所だ。
 しまった。
 瞬間、僕はそうバツの悪い思いをした。かなり壮大な勘違いをしてしまったようだ。
「そ、そういえばそうだね……」
 確かにリームの言う通り、最近は吸血の回数も減ってきている。僕の父はヴァンパイアのハーフだけど、吸血の欲求はあるものの理性を失って暴走してしまうほど強いものではない。それは、本来は相容れないはずのヴァンパイアと人間の血が、加齢と共に折り合いをつけて落ち着き始めたからだ。
 僕もその例に漏れず、発作が起き始めたアカデミー時代に比べて、今は随分と落ち着いてきている。一ヶ月当たりの吸血の回数も半分以下に減っただろう。前は新月の前後以外は何時起きてもおかしくはないほど強かったが、今ではほとんど満月の前後に集中的に何度か摂取するだけでいい。父が完全に落ち着いたのは既に二十代を終わろうとしていた頃だったそうだけど、僕はクォーターで人間の血の割合が大きい分、落ち着く時期も早いのだろう。
「ホント、男ってそれしか頭にないのかしら?」
 軽蔑にも似た鋭い視線が突き刺さってくる。一人壮大な勘違いをして慌てた手前、そのリームの言葉に僕は反論する事が出来ず、視線から逃れようとうつむく。
 ふと、僕はアカデミー時代の仲間の一人の事を思い出した。入学当時、単身上京してアカデミーに入ったものの、僕は気弱で臆病な性格が災いしたため自分から友達を作る事が出来なかった。そんな僕が初めて友達になったのが彼だった。そう言えば彼は、どうしてかこの手の話題が好きだったっけ。
 と。
「回数とかソッチとかって何ですか?」
 突然、この場にリームではない別の誰かの声が響き渡る。不意の事に僕は思わず飛び上がりそうなほど驚いた。
「あ、アニスか……。おはよう」
「おはようございます。どうしたんですか? そんなに驚いて。食後のコーヒーを持ってきたんですけど」
「ありがとう。そこに置いといて」
 動揺する自分を落ち着けながら、何とか平静を装う。
「さっきは何の話をしていたんですか? グレイスさん、何だか慌ててたようですけど」
「ま、その内アンタも分かるわよ」
 ケラケラと笑いながら、リームはコーヒーを飲み始める。
 きょとんとした表情で首をかしげるアニス。そして僕は、どんな表情をしていいのか分からず、ただただ食べる事に専念していた。