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 やがて僕が自分で立てるようになった頃、僕達は青年に店の留守を頼んでゴードン氏が運ばれたという療養所に向かった。リームはまたいつもの調子で場所も確かめず飛び出していったが、場所はちゃんと僕が青年から聞いておいてある。やっぱりリームは行動力こそずば抜けてはいるものの、こういった細かい詰めや配慮に欠けている。やっぱり僕がいなければ。そう改めて僕は再認識をした。
 僕が先頭に立ち、その療養所に向かって駆ける。僕よりも足の速いリームは、僕の後をスピードを抑えながらついてきている。太陽は大分傾いてしまった。僕の回復にはそれほど時間はかからなかったものの、そもそもブレイザー一家の企みに気づくのが遅過ぎた。アニスが連れ去られてから、もう三時間近くが経過している。この時間は致命的な対応の遅延だ。これから行動を起こすとしたら、幾ら相手が戦闘に関しては素人の集団とはいっても解決に相当な苦戦は避けられない。
 全ては自分達のミスが原因だ。今思い出せば、最初に来た青年の態度は不審な部分があった。なによりも、同じ村に長年住んでいるにも関わらず、アニスの顔を知らなかった。確率的にはありえる事かも知れないが、どうにもそれは自然ではない。おそらく上の方から、『ゴードン氏には十歳を超えたぐらいの娘がいる』程度の情報しか与えられていなかったのだろう。
 バウンサーがクライアントをみすみす目の前で連れ去られてしまうなんて前代未聞の不祥事だ。バウンサー失格だと罵られても文句は言えない状況だ。
 なんとしてでも、アニスを救い出さねば。
 これはバウンサーとしての評判の問題でも、プライドの問題でもない。純粋な責任問題の遂行を果たせるか否か。人間としての品位の問題だ。
「とりあえず、おっちゃんには何て説明するの?」
 走りながら後ろのリームがそう声を張り上げて訊ねてくる。耳元では風を切る音がやかましく鳴り響いているせいだ。
「僕から言うよ。あの時、本当はちょっと考えれば違和感に気づけたんだから、これは僕のミスだ」
「なんかさ、まるで私があんまり考えてないような言い方ね」
「実際、普段から面倒な事は全部僕に考えさせてるじゃないか」
「ごもっとも、って言った方がいいかしらね?」
 軽い口調で交わされる会話も、どこか空々しさが否めない。お互い精神的な焦燥感は酷く昂ぶり、本当は今にも逆上してしまいそうなほど余裕がないのだ。それを悟られまいと、互いにそうやって余裕があることを演じている。僕達はそれぞれに対しても、割と見栄っ張りな性格なのだ。
 酒場から走る事数分。狭い村であるため、その療養所はすぐに見つかった。村には一軒しかないので間違いはない。質素な材質で建てられた、見た目にも非常に簡素な印象のある建物だった。だが、よほど清潔好きなのか、もしくは人の治療を行う場所だからなのか、外観も綺麗に掃除がなされている。建物の周辺もきっちりと片付けられており、うっかり足を引っ掛けるようなものは残らず撤去されている。
「よし、着いた」
 さて、ここからが勝負だ。
 そう自分を鼓舞するも、前にも同じ言葉を言ったような気がして、すぐに気持ちがそれてしまった。そう、今朝ゴードン氏にこの村への滞在をもう少しの間延長してもらうよう説得を試みた時だ。あの時は何度も見っとも無く二の足を踏んだりして、口にしていながらもなかなか実行に移せず、結局ゴードン氏が不機嫌なまま店を出て行ってしまったのでうやむやになってしまった。
 それはそれで良かった。その時はそう安堵していたのだが、今回はまるで重さが違う。これから僕がゴードン氏に打ち明けねばならないのは、アニスをブレイザー一家にさらわれてしまった、という自らの失態だ。出来れば口にはしたくない事項だが、知らせないままでいいような事でもない。それこそ、本当に殺されるぐらいの覚悟をしてでも打ち明けねばいけないのだ。
「じゃあ、行こう」
 僕は足を止めず、ここに向かっていた時の勢いのまま療養所の入り口のドアを開けた。立ち止まってしまったら、また歩き出すのに考え込んでしまって時間がかかってしまう。考え込むという行為は、自分が慎重になっているという理由で苦手な事を先送りにしようとしているだけだ。それが僕の一番の欠点である事を自分でも良く分かっている。普段の何気ない事だったら問題はないが、こういった切迫した事態においてオロオロとしてしまっていたら、それは滑稽で愚かしい。こんな時だからこそ、それが克服するチャンスに繋がるのだ。
 入り口をくぐると、まず見えたのがやや手狭な待合室だった。古臭さはあったが埃っぽさはなく、いたって清潔な状態だった。
「あれ? 誰もいないじゃん」
 ふとリームが、受け付け場らしきカウンターを差してそう言った。そこには受付係の姿はなく、ただぽつんと『本日休診』という立て札が倒れた状態で置いてあった。本当はどちらなのか、非常に悩む状況である。
「奥に行ってみよう。カギはかかってなかったんだから、多分誰かいるはずだよ」
 それに、ここにゴードン氏が運ばれたのは今日の出来事なのだ。店の方には戻ってきていないし、まさか医者が怪我人を放っておいてどこかに出かけるはずもないのだ。
 と―――。
「うるさい! もう平気だって言ってるだろうが!」
 奥の部屋にあるのは、どうやら診察室のようだ。その近く、おそらく病人が休んだりするための部屋がある場所なのだろうそこから、健康体の人間には縁のないはずの場所にも関わらず凄まじい勢いの怒声が聞こえてきた。
「あれ、もしかして……」
 僕は聞き覚えのある声に、リームと顔を見合わせる。
「うん、おっちゃんだわ」
 その怒声は間違いなくゴードン氏のものだった。声の勢いは、初めてあの店にやってきた時と何ら遜色がなく、それだけ聞いていれば非常に元気一杯といった印象を誰もが受けそうなものだった。療養所に運ばれるほどの大怪我をしたと聞いていたから不安に思っていたが、どうやらこの様子からしてなんら別状はないようだ。
 やがてバタバタとそこから誰が暴れるようにしてこちらに向かってくる音が聞こえてくる。そちらか向かってくるのであればわざわざ足を運ぶ必要がないので、僕達は待合室で聞こえてくる音から成り行きを推測しながら待っていた。
「ゴードンさん! 幾らなんでも無茶です!」
「うるせえ! こんな時に、誰がおとなしく寝てられるかってんだ!」
 もう一人の声は、ここの医者のものだろうか。その声とゴードン氏はしきりになにかを言い争いながらこちらに向かってくる。一方的にゴードン氏が向かってくるところを聞くと、やはり医者はゴードン氏のような恵まれた体格はしていないようだ。
 そして現れたのは、白衣を袖をまくって着込んだ一人の壮年の男と、その彼が必死で引き止めようとしているゴードン氏だった。ゴードン氏は頭に包帯を巻き、幾つもの裂傷を全身のいたるところに作っていた。そして左腕は、どう考えてもそれだけではない、包帯によってぐるぐる巻きにされている。おそらくその中には包帯の他にも何か固定具があるのだろう。間違いなくゴードン氏の左腕は折れてしまっているようだ。
「……ん? て、てめえら!」
 ゴードン氏はふと僕達を見つけると、ただでさえ医者にしつこく付きまとわれて不機嫌だった表情が、更に凄みを増して恐ろしいものに歪む。ゴードン氏の僕達を見る表情はまさに鬼の形相そのもので、明らかに僕達に対してただの怒り以上のたぎる感情を抱いているのは明白だった。
「よくも抜け抜けと顔出せたもんだな! ああ!?」
 すぐにゴードン氏は僕の目の前まで歩み寄ってくると、そのまま自由になる右腕で僕の襟元を掴み上げ、そして怒りを通り越し殺気でギラついた二つの目で睨みつけてくる。
 このゴードン氏の様子からして、どうやらアニスがブレイザー一家に連れ去られた事を知っているようだった。きっとあれから何らかの形でアプローチがあったのだろう。たとえば、娘を返して欲しければ、とか。ケガをしていれば気が弱くなり、自分達の要求を飲ませやすくなるとブレイザー一家は考えていたのだろう。だが少なくとも、ゴードン氏はケガ程度で気が弱くなるほど弱々しい精神構造の持ち主ではなかった事を見抜けなかったのは誤算だ。
 またもや自分から言い出す必要がなくなってしまった。
 それはそれで別に構わないのだが、その事を密かに心の奥で喜んでしまっている自分がいる事に、僕は自己嫌悪感を感じずにはいられなかった。
 僕がゴードン氏に掴み上げられ、リームが思わず間に割って入ろうと足を踏み出した。だけど僕は、すぐにそれを制止させた。よくは分からないが、ここは僕が自分一人でなんとかしなくてはいけないような気がしたからだ。
「すみません。僕がついていながら……」
「ああ、そうだな! テメエラ、アニスに雇われたバウンサーだろうが! それが何をやってんだよ! ふざけやがって!」
「すみません、と答えるしかありません……」
 僕はどんなにゴードン氏に怒鳴られようと蔑まれようと、ただただ謝罪の意を表すしか出来なかった。何もかもがゴードン氏の言う通りだ。僕はバウンサーのくせに、見す見すクライアントであるアニスをさらわれてしまったのだから。幾ら状況を説明しようと思っても、単なる言い訳にしかならない。
「このことは、僕達が責任を持って解決いたします。神に誓ってでも。ですからゴードンさんは、ここでケガの療養を続けて下さい」
「馬鹿野郎が! 責任を持ってだ!? また同じように見す見す死なせてしまいました、なんて言うんじゃねえだろうな!? いいか、テメエラの事はもう俺は微塵も信用なんかしてねえんだよ! 騒ぎばっかり大きくしやがって。テメエらみてえなヤツらはな、明日からバウンサーじゃなくて疫病神とでも名乗りやがれってんだ!」
 ゴードン氏の罵倒は際限なく続く。けれど、そのどの言葉にも僕は反論が出来ない。アニスがこういう事態に巻き込まれてしまったのも全面的に僕達の責任なのだ。何を言い返そうとも責任が僕達にあるという事実は変わらない。
 ふと、僕はリームの方に気を向けた。リームはここまで言われても、ただじっと耐えている。いつものように、感情のままに言い返そうとするのを必死でこらえている様子だ。
「とにかく、どうかこの件は僕達に任せて下さい。お願いします! 必ず助け出して見せます!」
 駄目元なのは分かっている。けれど、信用も失った僕達に言える言葉といえば、そんなただの反復運動のような言葉の繰り返しだけなのだ。
「その言葉に偽りはないのか? 所詮、口約束だけでの関係だろう? それに俺達は顔を合わせて一週間にも満たない。そんなお前らを信用しろと、俺にそう言うのか?」
「無茶苦茶な事を言っているのは分かります。けれど、こうなってしまった責任は全て僕達にあります。ですから、どうか僕達に任せて下さい」
「確かに、ケガ人の俺よりもお前らが行った方がいいかもしれん。けれど、ただの他人であるアニスが助かるって保証はあるのか? 危険な事態になったら、お前らは自分達の身の安全の方を保障するんじゃないのか? だったら、俺はたとえ腕が折れてようと自分で助けに行くぜ。俺は店よりも自分よりも、アニスの方が大切なんだからな」
 じっと見据えるゴードン氏の目は、まさに子を思う親の眼だった。ゴードン氏はその言葉通り、たとえ我が身が滅ぶ事になろうともアニスを助け出そうとするだろう。僕達は、その意思を他人である自分達に譲ってくれとゴードン氏に言っているのだ。自分の立場に置き換えてみたら、これほど理不尽な要求はないだろう。ただでさえ、僕達は余計な事をして信用を失っているのだから。
「約束出来るのか? 本当にアニスを無事で助け出せるのか」
「はい、必ず。命に代えても」
 そう言って、我ながらなんとも陳腐な言葉だ、と自嘲した。命に代える。言葉ではそうやすやすと言う事が出来ても、実際に行うのにこれほど困難なものはない。それだけにこの言葉そのものには説得力というものは存在しないのだ。けれど、今の自分の心境を表すのにこれほど最適な言葉がないのも事実だ。僕は本当に、何があってもアニスを助け出したい、そう決意しているのだから。
「……ケッ。連中は、トリト街道の途中にいるぜ」
 と、突然。
 ゴードン氏は、そんな脈絡のない言葉を言い放った。
「え……? あの」
 思わず問い返す僕。すると、
「何度も言わせるな! いいか、俺は日が暮れたらすぐにそこを目指す。暗い方が一人では動きやすいからな!」
 轟とそう言い捨てて、ゴードン氏は再び奥へと戻っていった。急なゴードン氏の行動に、その場に残された僕達と医師は唖然として顔を見合わせる。
 そして。
「じゃあ、行こうっか?」
「……そうだね」
 リームがポンと僕の肩を叩く。僕はそう一言だけ答えた。
 なんとしてもアニスを救い出さねば。僕達は無理にゴードン氏に引いてもらったのだ。だからこそ宣言した通り、たとえどんな事になろうともアニスを助け出す義務がある。アニスを助け出す。使命感が先ほどまでよりも重くのしかかってきた。でも、それを背負っても僕はよろめくことはなかった。この程度の苦しみ、ゴードン氏に比べたらばあってないに等しい。本当に苦しいのは、助け出したくても体が自由にならないゴードン氏の方なのだから。
 もしもこれで失敗したら。僕達はバウンサーを辞めるべきだろう。
 今から失敗した時の事を考える必要はないのだが。今度こそ本当に、僕達は色々な意味で背水の覚悟が必要だ。