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 翌日。
 朝食の席にはアレックスと、アレックスの父親の姿があった。昨日は昼食も夕食にも仕事の都合上顔を出さなかったため、ロイアにとっては倉庫前で会った時以来の顔合わせである。
 旅をする上での楽しみの一つに、食事というものがある。食というものは実に様々な種類があり、同じ国でも地方によっては大きく違う。あまり荷物を持って歩く事が出来ないため、数少ない気晴らしの一つである。しかし、これほど緊張する食事は初めてだ。料理はとても素晴らしいのだが、常に二人の視線を意識していなくてはいけないのだから。
「二人以外で食事をするのも久しぶりだな」
 そう、アレックスの父は機嫌の良さそうにアレックスに問う。
「ええ。忙しい時などは、お互いに顔を合わせる機会すら珍しくなりますから」
 話の内容から察するに。どうやらアレックスの母親はこの家には住んでいないようだ。何らかの事情で一緒に住んでいないのか、もしくは既に他界してしまっているか。気にはなったが、そこは自分が迂闊に立ち入っていい場所ではないため、訊ねたい気持ちを堪え、気にならない素振りを装った。
 一通り食べ終えたロイアは、ゆっくりと紅茶を飲み干した。希望通りミルクティーを用意してもらったが、思わず溜息の出るような素晴らしい風味と舌触りであった。お茶の葉の品質が素晴らしいのはともかく、淹れた者もゴールデンルールを遵守しているようである。
「リーヴスラシル様、お茶のお代わりはよろしいでしょうか?」
 丁度もう一杯飲もうか飲むまいか思案していた時、あの老執事がうやうやしく訊ねて来る。
「あ、それではもう一杯だけお願いいたします」
「かしこまりました」
 空になったティーカップに、香ばしい香りを立てながら紅茶が注がれていく。この国は朝も蒸し暑さが続くが、やはり冷たいお茶よりも温かいお茶の方がしっくりくる。体もそれほど熱ぼったくはならなかった。どうやら昨日よりはこの蒸し暑さに慣れてきたようである。
「そうだ、アレックス。昨夜、急にビックラック社から追加注文が届いたんだが。何でも急ぎの用で、今日中に届けなくてはいけなくなった。悪いがお前が棚卸と搬送をやってくれないか?」
「分かりました。後で商品リストを下さい」
「うむ、頼んだぞ。それと、あの地方は少々治安が悪い。護衛は信頼の出来る人間を雇うんだぞ」
 あら、それなら。
「あの、お話中申し訳ありませんが」
 と、ロイアが口を開いた。二人の視線が同時にロイアに向けられる。
「私もご一緒してよろしいでしょうか? ここに御世話になっているのですから、せめて護衛ぐらいはいたしたいので。これでも一応アカデミーを出ていますから、お役に立てるかと」
「おお、それは願ってもない話です」
「ロイアさんがご一緒でしたら、これほど心強い事はありませんよ」
 二人は喜んでロイアの申し出を快諾した。これまで、随分と野盗の類には頭を悩まされていたのだろう。よほど凶悪な種類も蔓延っているに違いない。ならば、好意で居候させてもらっている恩を返すためにも、自分の特技を生かして野盗から馬車を守ってやるぐらいは当然の事である。
 しかし、本音を語れば。
 何もせずここでただ一日中くつろぐのは息が詰まるし、何より気が咎めてしまうから、なのだが。とにかく喜ばれるならそれでいいだろう。
 朝食を終えると、ロイアは早速部屋に戻り槍袋に入った槍を持ち、アレックスと馬車に乗り込んだ。アレックスの父は一足先に別な馬車で出かけてしまっていた。こちらもまた急ぎの仕事があるそうである。
「まずは会社に寄り、荷物を積み込みます。まあ、リストによると」
 アレックスはクリップで留められた書類の束のペラペラとめくる。
「アンティーク類が二十点、クリスタルガラス製品が若干、後は絵画が二点ほどですね。すぐに出発出来ますよ」
 馬車に揺られて、会社へ。そして昨日と同じ道を通り倉庫へ向かう。馬車が止まった倉庫の前では、既に数人の人間が別の馬車に荷物を積み込んでいた。
「どうやら父が手配したようですね。僕に任せるって言っておきながら」
 そうアレックスが苦笑を浮かべる。
「親にとって、子供とはいつまでも子供なんですよ」
「そんなものですか?」
「ええ。私が”アカデミーに入りたい”と言った時は喜んで送り出しましたけど、”ハンターになりたい”と言った時は血相を変えて反対しましたわ。”そんな事をするのはまだ早い”ですって」
 その時の両親の顔を思い出しながら、ロイアはクスクスと微笑んだ。
「親は自分の目の届く範囲に子供がいないと不安なのですよ。親が子に与える自由とは、親が作り出した箱庭の中限定なんです。確かにそこは居心地は良いでしょうけど、狭苦しくてすぐに飽きますわ。年齢を重ねて、体が大きくなればなるほどに。それで、子供はそこから飛び出して広い世界に行こうとするんです。ですが、そんな子供の様子に親は慌てて押し込めようとするんです。親離れ子離れの瞬間です」
「なんだか暗喩的ですね。それはもしかして、ロイアさん自身の事でしょうか?」
「一般論ですわ。無論、私も当てはまりますもの」
 やがて積み込みが終わり、一台の馬車を引き連れて会社を後にする。
 町を南に抜け、まっすぐ街道をひた走る。見通しは良く、とても野盗の類が出るようには見えない。だがよく向こうを見ると、案の定いかにも深そうな峠が見えた。
「どのぐらいの時間がかかるのですか?」
「このペースですと、半日といった所ですね。退屈ですから、カードゲームでもしましょうか?」
 そう言って、アレックスは内ポケットからトランプカードを取り出した。常に持ち歩いているのではなく、今日はロイアも同伴するためあらかじめ忍ばせておいたのだろう。
「あら、構いませんよ。受けて立ちましょう」
「そうこなくては」
 アレックスは不敵に笑い、カードを切り始めた。
「ロイアさんはお得意なんですか? 自信がありそうにお見受けしますが」
「まあ、そこそこです。アカデミー時代の友人で、とても強い方がいらして。ゲームをする時はいつもその方を交えて興じていましたから。よく周囲からは、鬼や悪魔などと呼ばれていて、本人はそれを誇りにしていましたわ。その中でいつもそこそこの成績でしたから、安定した強さを誇っていると自負はしております」
「鬼、悪魔、ですか。なんだか凄そうな方ですね……」
 カードゲームで、相手にそこまで言わしめるとは。一体その人物とはどれほどの腕前なのだろうか、アレックスは思慮を巡らせた。もっとも、アレックスはその人物が単にカードゲームが強いため、鬼悪魔等のあだ名、もしくは称号を与えられているものと思っているのだが、実際そう言わしめる原因は、何よりその人物の素行にある。だが、ロイアはあえてそこまでは説明しなかった。
 互いに五枚のカードを配り、早速役作りを始める。チェンジは三回まで。元々はただの暇潰しのため、後はそれほど細かいルールは決めなかった。
「ロイアさんはどうしてハンターに?」
 アレックスのターン。アレックスは捨てるカードを相手に示し手札から捨て、窓脇に重ねられているカードの山の一番上から新しいカードをドローする。
「私の両親はとても過保護なんですよ。躾にも厳しくて。きっと、その反動ですわ」
 両親の躾は、そのままロイアの言動にも反映している。およそ素とはらしからぬ雅やかな言動は、ロイアにとっては至極当たり前の事なのである。ただ、やはり無理に型にはめようとした部分もあったらしく、稀にその容姿には似つかわしくない言動を行う事がある。それは妙なスラングであったり、アカデミー時代は卒業アルバムにも事件現場の写真を載せられてしまった、理事長室を半壊させてしまった事故であったり。
 ロイアを良く知る人間はそんなギャップにも慣れているが、初対面の人間がそのギャップを目の当たりにすると一様に我が目を疑う。
「せっかくですから、一問一答でよろしいですか?」
「どうぞ。今度はロイアさんがお訊ねになって下さい」
 互いに一つ質問したら、今度は相手の質問に一度答える。そうする事でより打ち解けるための言葉遊びのようなものである。
 ロイアはまず自分の手札を見つめた。今の時点では成立する役はない。カードをチェンジするため、一枚を選んで捨て、新しくカードをドローする。
「アレックスさんは、将来はやはり会社をお継ぎになるのですか?」
「ええ。幼い頃からその予定で教育されてきましたし、僕自身もそのつもりです」
 会社の現社長はアレックスの父親である。あれだけの規模を持った会社だ。今に行き着くまでにはよほどの苦労があったはず。となると、見ず知らずの他人よりも自らの血を受け継いだ息子に、実力云々は関係なく継いで貰いたいと思うものだろう。
 ロイアには、その事がどうにも父親のお仕着せがましい愛情に思えて仕方がなかった。本人は了承してはいるようだが、幼少時代からそれだけを言われ続けてきたら、自然とそれしか考えられなくなってしまってもおかしくはない。必ずしもそうとは限らず、あくまでも自分の想像の範疇を越えないのだが。どこかしっくり来なかった。
「今度は僕の番ですね。少し立ち入った質問をしてもよろしいでしょうか? 御無理な時は黙秘で構いませんので」
「どうぞ」
 控えめに訊ねるアレックスに、ロイアは何も問題はないと言わんばかりに微笑み返す。だが、アレックスはすぐには訊ねず、またしばらくカードに視線を落としたまま口を閉ざした。まるで質問を躊躇っているかのようである。
「んーと……なんというか。有り体に言うと、その、今現在、意中の方はいらっしゃいますか?」
 数段トーンの落ちた声で訊ねるアレックス。上目遣いで機嫌を伺うかのような表情を浮かべている。
「意中の? いえ。こんな身の上ですもの。アカデミー時代はいたんですけどね。その方も、今はちゃんと素敵な方がいらっしゃいますし」
 随分と突っ込んだ思わぬ質問だった。だがロイアは、それほど慌てる事無く、普段のおっとりとした口調で質問に答える。意外な質問ではあったが、我を失うほど驚くほどでもない。むしろ、懐かしい彼の時代を思い出してしまうほどだ。
「私の番ですね。それでは、アレックスさんは会社をお継ぎになる以外にしてみたいと思った事はありませんでしたか?」
「んん、考えた事はないですね。物心ついた時から、悪い言い方をすれば自分の進むべき道は決められていましたし、これからその道を進んで生きていくのだなあ、と思っていましたから。現状に不満があるという訳ではないんですけどね」
 そう笑顔で答えながら、二枚目の捨てるカードを示し、新たにドローする。
 言葉は大分遠回しではあったが、ロイアにはまるでアレックスが既に自らの人生の先が見えているように思えた。しかも、これまでとはどこか印象が違う。今までは、アレックスが不幸な運命をどこかで妥協し、仕方なく受け入れているように思っていた。けど今は、そのあらかじめ敷かれたレールを辿っていく事を甘受しているように印象を受けた。
 アレックスは新しいカードと手札を比べ、やや苦い表情を浮かべた。どうやら役作りがあまり芳しくはないようだ。
「僕の番です。ロイアさんは、将来的には自分の身の振りはどうなさるとか明確な予定はありますか?」
「今の所はこれと言ってありませんわ。自分でも、ハンターになって何をしたいのかなんて考えないでアカデミーに入りましたから」
 その言葉は半分だけ真実である。少なくとも、アカデミーの三回生頃までは実際にそう思っていたのだから。けれど、実際にハンターになったのには、もっと別な理由がある。それが自分にとってどれだけ忌まわしく、そして身の凍りつくような恐怖をもたらすのか。目を背けた所でどうにかなるものではないとは言え、出来れば常に思考の外側に置いておきたい事項である。
「それでは私ですね。先ほどの質問ですけど、どうしてそんな事をお聞きになるのですか?」
「え?」
 アレックスは思わず大きな声で驚きの表情を浮かべた。その表紙に気が緩み、うっかり手札のカードを床に落としてしまう。すぐにアレックスはかがんでカードを拾い集めた。ロイアの目には偶然にも相手の役が見えてしまっていた。どうやら今の役で勝てそうである。
「あ、別に他意はありませんというか……って、これでは説得力はないですね」
 ばつの悪そうな笑み。
 拾い上げたカードを整え、とりあえず平静を装う。だがアレックスの胸の内には気まずさだけが募っていった。
「なんというか、その。ロイアさんが御綺麗だったので……つい」
 やや頬を赤らめ、照れ隠しに痒くもない後頭部をかく。今まで紳士然としていたアレックスには珍しい表情と仕草だった。
「ハハッ、なんだか暑くて喉が渇きました。ちょっと失礼します」
 そう言ってアレックスは、たどたどしい手つきで保冷箱からコップとポットを取り出してアイスティーを注ぐ。しかし、動揺が手つきに震えとして現れ、こぼしたお茶がコップの周囲を濡らした。