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 雨の降り続く昼下がり。町のとある一角に構える酒場の片隅にアレックスの姿はあった。
 普段ならまだ勤務時間なのだが、今日は雨の降りが激しく土砂崩れにより交通機関も麻痺しているため、出来る仕事は事務的なものばかりしか残されていない。それで今は、午前中の内に自分にしか出来ない仕事を終わらせ、残りは部下に任せ会社を抜けて来ているのである。
 酒場には人影が少なく、薄暗くてどこか陰気であった。テーブル席に座っている客は皆、一人手酌で黙々と酒を飲んでいる。どれも風貌はみすぼらしく、いかにも仕事にあぶれている、もしくは働く意欲が無いといった印象を受ける。カウンターの中に居るマスターも陰気で愛想がなくニコリともしない。カウンターの中でイスに座りながらタバコをくわえ、新聞を広げて読んでいる。まさに流行らない場末の酒場といった雰囲気だ。
 そんな中、一人だけ身奇麗で整った服装をしているアレックスの姿は異質であった。明らかにこの酒場の雰囲気には不似合いである。必然的に誰もが一度はアレックスにそういった奇異の視線を向けたが、またすぐに興味を失い構わず放っておく。ここを訪れる客のほとんどは決まった職に就くことはせず日々を好き勝手に遊んで暮らし、金に困ったら日雇いの仕事を適当にこなすといった生活を送っている者ばかりだ。そのため、黙っていてもアレックスのような人種は目立ってしまうのである。
 アレックスは酒を飲む訳でもなく、ただひたすら誰かを待っている様子だった。元々アレックスはプライベートでもこういう酒場を訪れる事はない。大抵は予約制の高級な店か、後は自宅である。待ち合わせ場所にこういった場所を指定したのか、もしくは指定されたのかは分からないが、少なくとも表立って会えるような人物ではないのは確かだ。
 やがて数分後。ゆっくりと一人の男が店の中に入ってきた。男の外見はやはりここに通う日雇い労働者と似たような空気をまとっている。しかし、視線や身のこなしは一般人とは思えぬほど鋭く、そして油断が無い。更にその注意を周囲に気づかせぬ慎重さも併せ持っている。明らかにただの一般人ではない。
 マスターはちらりと視線を一度向けて男の顔を確認すると、またすぐに新聞に目を通し始める。そんなマスターの無尊な態度にも、男は表情を変えることなくカウンターに近づく。
「スピリッツを」
 たった一言、そうマスターに告げた。マスターは面倒臭そうに新聞を畳みながら立ち上がりイスの上に置くと、棚からボトルとタンブラーを取り出し乱暴にカウンターの上に置く。そのタンブラーにボトル中身を注ぐと、ずいっと男の元へ差し出した。
「おごりますよ」
 と。
 いつの間にか席を立ち上がり男の隣に立っていたアレックスがそう言い出した。
「アンタか? 依頼人は」
「ええ。お待ちしていました」
 アレックスは男のスピリッツの代金を払うと、二人で再び隅の席へつく。
「それで、ワイバーン、サラマンダー、バジリスク、何が欲しいんだ?」
 男はスピリッツを一口飲みながらアレックスにそう訊ねる。
 ワイバーン、サラマンダー、バジリスク。それは全てこの大陸に生息する魔物である。大半の魔物は、自然界におけるその生態や位置付けは動物と大して変わりはないのだが、特に人間に対して害を及ぼす危険性が高いものを魔物というカテゴリに入れる。攻撃的であればあるほど危険度は高く指定され、主にハンターの狩りの対象となる。
 だが。昔、魔物の優れた力に目をつけ、なんとか自らの武器として使えないかと研究を始めた者がいた。それが魔物使いの始まりである。魔物使いは魔物を調教、もしくは薬物や特殊な道具を用いて魔物を自らの意のままに操る事が出来る技術を作り出し、武術魔術に並ぶ一つの学術として確立した。しかし、魔物使いは飼い慣らした魔物を犯罪行為ばかりに用い、その性質上犯人の特定が非常に困難であったため、現在では魔物を操る技術の伝達、記録の保存、研究等の一切を世界的に全面禁止されている。犯罪を犯した魔物使いは根こそぎ国家機関やハンター達によって摘発されていき、犯罪行為を犯していない魔物使いもその技術を永久に封印されてしまった。その結果、あれほど溢れ返っていた魔物使いもあっという間に見当たらなくなってしまったのである。
 しかし、一度蒔かれてしまった種はそう簡単に根絶やしにする事は出来ない。国家やハンターの目を逃れた魔物使いは地下に潜んで研究を続け、新たな魔物使いの育成も行ってきた。今でも裏社会において魔物使いは少数ながらも確かに繁栄しており、日々より強い魔物を自分の支配下に置くための研究や、魔物を使って様々な犯罪行為に手を染めている。魔物使いはカテゴリ的には暗殺者と同じ場所に入るのだが、実際はそれだけに留まらず、大小規模のテロ行為の援助、銀行などの大手金融企業を標的とした大々的な強盗、地下組織間の抗争の補助、更には傭兵として極秘裏で国に雇われる事すらもある。
 この男は、まさにその魔物使いだった。最近の魔物使いは自らが魔物を行使せず、クライアントに魔物をコントロールする事が出来る道具を与える事がある。そういった手軽に魔物を操る技術が裏社会では既に研究し開発され出回っているのである。
「とにかく派手で目立つものでお願いいたします。それさえ満たす事が出来れば、種族は特に問いません」
 そうアレックスは、スピリッツをあおる目の前の男に普段の紳士然とした態度で答えた。口調こそは穏やかだが、今アレックスは法的に禁じられている魔物を使役する技術を持つ魔物使いと契約を結ぼうとしている。これは明らかに違法行為だ。しかし、アレックスには自分のしている事に気負う様子は微塵も見られない。
「派手で目立つ? なくはないが、それなりに値は張るぜ? 強力な魔物であればあるほど、こちらは管理が難しいからな」
「構いません。金はそちらの提示額をお支払いいたしましょう。ただし、本日の夕刻までには間に合わせて下さい」
 アレックスの言葉に、男は一瞬もの珍しそうな表情を浮かべた。魔物使いとの契約には、その違法性上大金がつきまとう。アレックスの様子から察するに、急に魔物が必要になった、という緊急性が感じられる。しかし、幾ら急に魔物が必要になったとしても金の準備は何分かそこらで出来るような額ではないのだ。
「夕刻、ね。急ぎの用事か。まあ、深く詮索はしないさ。そっちが一体どんな事に魔物を使うのかなんてどうでもいい事だしな。金さえ払ってくれりゃあそれでいいさ」
 薄ら笑みを浮かべスピリッツをあおる魔物使いの男。魔物使いにとって使役している魔物は自分の道具以外の何者でもなく、力の強い魔物の管理は徹底し客が見つかれば高値で売りさばくが、そうでもない魔物はあまり金にはならないため文字通り使い捨ての扱いしかしない。こういった生物への虐待とも取れる行為を日常化してしまう精神状態を作り出しやすい事も、魔物使いが禁止された理由の一つになっている。
「これは手付金です。どうぞ」
 そう言ってアレックスはアタッシュケースをテーブルの上に置き、男の前へ差し出した。男はアタッシュケースの蓋に手をかけ、周囲に見えぬよう少しだけ開けて中を確かめる。そして、ひゅうっと口笛を吹いた。
「あんたとは末永くお付き合いしたいもんだな」
 ニヤリと笑う男。男はアレックスがこれだけの金を短時間で準備する事が出来る経済力を持っていると目をつけた。これだけの額をポンと出せるなら、急に魔物が必要になり契約を結びに来たとしてもおかしくはない。魔物の使用目的はともかく、大金を払ってくれる客は良い客である。それが男の身上である。
 アレックスは口元に微苦笑を浮かべたが、すぐに普段の平然とした表情に戻った。