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 王立聖都騎士団。
 その言葉は、周囲のあらゆる人間からしばしの間、言葉の自由を奪うには十分過ぎるものだった。私はその詳細までは知らないが、軍事力、組織力を考えれば周辺国でも指折りの騎士団だ。便宜上、他二騎士団共々ランク付けこそされてはいるが、純粋な実力だけを考慮すれば甲乙をつけがたいだろう。各人の実力は凄まじく、また愛国心と忠義に厚い。この国の国王が自信を持って世に送り出せる騎士団の一つと言って相違ない。
 しかし、その聖都騎士団の一員がこんな街のギルドに、しかも有志を募りに現れたとは。私にもまた、この展開に関しては予想が出来なかった。それは周囲の人間も、この驚き方から察するに同じようである。
「おい、一体どういう事だ?」
 と。
 不意に周囲に訪れた沈黙を、一人の男が口火を切って破った。男はその外見から察するに我々と同業者、ハンターのようである。
「詳細は故あってこの場では話せぬ。今この場で考慮すべき点は、我々に協力してくれるか否か、我々と共に戦うに値する実力を持ち合わせているか否か、これら二つのみだ」
 やはり聖都騎士団が出張ってくるだけあり、その理由と事の詳細はおいそれと表沙汰に出来るようなものではないようだ。だが、今の返答だけで相手にしている敵がどれだけの実力を持っているのかは十分に窺い知れた。もはやこれ以上の答弁は必要ないだろう。
 構わないな、と無言でエルとシルに確認する。二人はニッコリと微笑むと、こっくりうなづいた。今更、改めて訊くまでもなかったか。
「まあ、いいさ。俺ぁ金さえきっちり払ってもらえりゃ文句はねえ」
 件の男もまた私同様に事の内情を理解したらしく、ゆっくりと得物である両刃の大剣を抜いた。それは常人には持ち上げる事すらかなわない事が一目で分かる、広刃の巨大な剣だ。使い手に相応の筋力と技術があれば、おそらく馬の首ぐらいは叩き落せるであろう。それほどの見た目のインパクトがあった。途端に一同の間にはどよめきが走り。男の剣に当たるまいと、その場から後退して距離を置く。
「よろしい。協力意思はあると見た」
 静かな仕草で満足そうにうなづくと、団長は背後を振り向き、一糸乱れず並ぶ騎士達の中の一人に目配せをする。その騎士は颯爽と軍馬から降り立つと、その足で大剣を構える男の前まで向かい、そして腰に携えた自らの騎士剣を抜いて構える。
 男は口元をニヤリと綻ばせた。騎士の構える剣は、男の大剣に比べてあまりに頼りなく弱々しいものに見えた。リーチ、破壊力、そのどちらもが圧倒的に男の方が優勢である。しかし騎士は全く微動だにせず、ただ鋭く冷たい視線で男の一挙手一投足に注意を注いでいる。その様には、名工と謳われる鍛冶職人の手によって徹底的に鍛え上げられた剣の刀身の姿を連想させられた。騎士は男に対して一片も油断や侮りを持っていない。だがその内には、自らの実力への確かな自信も持ち合わせている。戦士としては実に理想的な姿だ。
 相対峙する二人の姿を、周囲一同は固唾を飲んで見守っていた。本来ならばもっと賑やかで、仕事が終わったという事で楽しげな空気が街中に溢れる時間帯であるはずなのだが。この場だけはまるで別世界に迷い込んだかのような、鋭く冷たい緊張感に支配されていた。
 ―――そして。
 ザッ、と先に踏み込んだのは騎士の方だった。
 勝負は次の瞬間、誰の目にも分かる形でついていた。
「貴様は失格だ。失せろ」
 騎士の剣の切っ先が、男の喉元に食い込む寸前の所に突きつけられていた。男は騎士が踏み込んだ所までは反応したらしく、前に突進しながら斬り捨てようと前足を踏み込み、大剣を振り上げた形で硬直している。騎士の踏み込みは男が大剣を振り下ろすどころか、二歩目を踏み出すよりも速かったのである。
「……チッ!」
 決定的な実力差を目の当たりにさせられた男は大剣を退くと、そのまま不機嫌に当り散らしつつも逃げるようにしてその場からそそくさと立ち去った。一同は誰も男を振り向かず、ただただ唖然として騎士達を見ていた。いずれもギルドで賞金稼ぎを生業としている者達だが、今の騎士の圧倒的な強さに肝を抜かれたのだ。今の男は騎士の実力を見誤りはしたが、決して三流同然の素人ではない。それを周囲も知っていただけに、男が成す術もなかった現実に深い衝撃を憶えずにはいられなかっただろう。
 更にそれだけでなく、あれだけの実力者が一介の騎士にしか過ぎないという現実。このような実力者揃いの騎士団をまとめる団長の実力は如何ほどのものなのか、まるで想像がついていけないだろう。
「どうだ?」
 そう私はエルとシルに、同じ剣士としての立場からの意見を伺ってみた。
「まあまあですね。合格点です」
「それなりですね。合格点です」
 二人は周囲の人間とは違い、極めて平素の状態でうなづいた。そう、二人にとって今の出来事は、驚嘆するにはほど遠いものなのである。彼らがどれだけの実力を持っているのかは知らないが、エルとシルはかつてアカデミーでは天才と呼ばれたほどの達人だ。積み重ねた努力もさる事ながら、生まれ持った天性の素質と相成った剣術の技量は他の追随を許さぬほどの凄まじいものなのである。もし、私が苦戦する相手がいるとしたら、当面はエルとシルしか考えられないだろう。もっとも、私とエル、シルが戦う事などはたとえ天地が反転してもあり得ない事だが。
「他に誰か挑戦したいものはいるか?」
 そう周囲に問い掛ける団長。しかし、今の出来事の後とあっては、誰もなかなか名乗り出ようとはしない。
「では、そろそろ行こうか」
 私は機を窺うと、エルとシルを引き連れて悠然と彼らの前に歩み出た。同時に、出ようか出まいか躊躇っていた一同の間からどよめきが走り、耳をよく澄ませば、我々がまるで自らの実力を省みず無謀極まりない行動に出、そしてそれを嘲笑うかのような発言まで聞こえてくる。アカデミー時代の頃、すぐに私はこの程度の事でそれなりの処置に出てしまっていたが、今は臆病者の陰口に対して私は至極寛容的だ。気に留めてしまう事すら煩わしい。
 ずい、と歩み出た私達。団長はまず、比較的目立つ長身の私に全身を選別するかのようなねっとりとした視線を浴びせる。そして、
「見た所、魔術師のようだが……。剣を相手にした事はあるのかな?」
 そう訝しげな言葉で問い掛けてくる。魔術師は騎士より劣る。聞き様によってはそう聞こえなくもない言葉だ。
「さて。いちいち相手の得物を選んだ事はなくてね」
 そう含み笑う私に、団長もまた不敵に微笑んだ。私は意図的にやや挑発的な言葉を選んだのだが、団長は軽く受け流してしまった。やはり、この程度の軽口で容易に揺らいでしまうほど軟い精神はしていないようだ。どうやらまぐれや何らかの後ろ盾で今の地位を手に入れた訳ではないようだ。
「兄様が出るまでもありませんわ」
「この場は私達で十分です」
 と、エルとシルがまるで間に割って入るかのように、更に前へ歩み出た。私は彼の態度に対して特に何とも感じてはいないのだが、どうやら二人にとってはどうしても聞き捨てならない発言だったようである。魔術が剣よりも劣るという理由はないが、その逆もまた然りだ。団長もそれを知った上で、私にまずは精神的なアプローチをかける意味で、あえて意図して言ったのだろう。それに気づけないエルとシルも、幾ら優れた実力を持っているとは言えまだまだ未熟である。
「ほう、双子の剣士ですか。歳はまだ若いようですが、いいでしょう。ハインリヒ」
 団長はそう傍らの騎士に呼びかける。するとその騎士は無言でうなづきながら、ゆっくりと前に歩み出た。彼の風貌は若干他の騎士とは異なり、どこか一つほど格上のような印象を受けた。実力もまた、それに見合ったもののようである。
「君達の相手は私と、そして副団長を勤める彼が行う。何か異存は?」
 ふむ。
 私は思わず感嘆の声を漏らしかけた。団長は一目でエルとシルの実力を見定め、他の騎士達では相手にならない事を感じ取ったのだ。どうやらこの男、やはり意外とクセ者かもしれない。
「いいでしょう」
「いいでしょう」
 まるで吐き捨てるかのような口調のエルとシル。頭に血が昇っている訳ではないが、不快感をあらわにせずにはいられないようである。まあ、それをすぐに行動に現さなくなった分、大人になったと言ったら大人にはなったが。
「では、始めましょう。私が先です」
 ゆっくりと戦いのスペースを確保しながら、団長は腰に携えた騎士剣を抜いて構える。それに対したのはエルだった。シルは自分がやりたそうな表情を若干浮かべたが、すぐに構えに入ったエルの邪魔にならぬように後方へ下がる。そんなシルに私は近づき、ポンポンと頭を撫ぜる。
 シルは右足を前に出し、腰を落として半身に構える。左手は腰の左側に携えた二振りの刀の内の一つ、神器『羅刹の伐剣』に添え、右手はだらりと脱力して垂らす。視線は鋭く、冷徹なまでに騎士剣を構えた団長に注がれている。彼もまた、微動だにせずエルへ全神経を注いでいた。瞬き一つせずにエルの出方を窺うその集中力は、やはり一朝一夕で身につくものではない。
 先ほどにも増して、辺りの空気は固く張り詰める。常人には呼吸すら辛く感じる、戦闘独特の空間。私はただじっとその行方を見ていた。
 もっとも、結果など知れたものだが。
 そして、時間にしておよそ数十秒後。先に仕掛けたのはエルだった。
 キィン!
 凄まじい金属同士の衝突音が高々と鳴り響く。一斉に周囲はどよめき、その中心で対峙する二人の姿を交互に見比べる。
「くっ……」
 直後、団長は苦悶の表情と共に騎士剣を石畳の上に取り落とした。右手は中開らきになったまま中空に構えられて震え、左手でその震えを止めようとしっかと押さえている。
 エルは悠然と勝ち誇った表情で微笑むと、ゆっくり構えを解いた。
 今、エルは凄まじい速さの抜刀を放ったのである。団長の目にすらほとんど留まらなかったであろう刀の切っ先は、固く握り締められた騎士剣を強襲した。私にもその斬撃は見えず、辛うじて放ち際に反応出来た程度だ。この場に立ち会っているほとんどの人間には、まるで金属音だけが突然鳴り響いて団長が騎士剣を取り落としたぐらいにしか思えなかっただろう。おそらくはっきりと一部始終が見えていたのはシルぐらいなものだ。
「さて、次は私ですね」
 エルの圧勝を前に幾分か機嫌を取り直したシルが嬉々とした表情を浮かべ、今の戦いを見ていた副団長の前に向かう。
 すると、
「いや、やめておく」
 副団長は微かに頭を振ると、そっと確認の意味で視線を団長へ向けた。団長も仕方がないとばかりに静かにうなづく。
「とても勝てる気がしない」
 表情は平静のそれではあったが、完全に自信は喪失していた。辛うじて、頬に一筋の冷たい汗を小さな動揺として見せている。今のエルが見せた神速の抜刀術は、団長同様に副団長である彼の自信を粉々に打ち砕いた。文字通り目にも留まらぬ剣術を目前で見せ付けられ、その上で戦いを挑むなど愚者のする事だ。彼らも立場上、これ以上の恥の上塗りをする訳にもいくまい。
「賢明な判断だ」
 こういった賢い人間は、戦場で滅多に命を落とす事はなく、そして確かな実力を身につける事ができる。二人とも現在の役職を治めるに相応しい器の持ち主だったようである。昨今では珍しい事だ。