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「クリムゾンサイズを束ねる者とお見受けするが?」
「ええ、いかにも」
 落ち着き払ったその態度は一切変える事無く、そしてまた表情も仮面のように感情がない。しかしそれは、意図的に感情を押し殺している事がはっきりと見て取れる。組織を導く指導者としての立場がそうさせたのか、はたまた自分でそう努めているのかまでは知らないが。
「ならば都合がいい。ここには陽動を仕掛ける目的で来たのだが、このザマだ。しかし、かと言って手ぶらで帰るのもバツが悪い。お前達の身柄を手土産にさせて貰うとしよう」
 私は全身を循環する魔力全てにイメージを与え、一度に体外へ放出した。与えたイメージは、全く不純物の含まれていない純水の球体。変質した魔力はイメージ通りの姿となり、私の周辺をふわふわと浮かぶ。おびただしい数の水球に包まれた私の様を見て、彼女の両脇に立つ双子が殺気立って同時に一歩前へ歩み寄る。それはまるで、彼女を護衛するかのようである。クリムゾンサイズを束ねるのは三人の神器使いと聞いていたが、この様子を見るとどうやら最も強い権力を持っているのはこの彼女のようである。
「いいでしょう。私達とて守るべきもの、そして果たさなくてはいけない使命がありますから」
 と。
 殺気立つ二人とは対照的に、彼女は左手に携えていた細長い袋の口を開けると、中からそっと白い柄の槍を取り出す。見た目にも、質素なデザインの中にどこか趣や威厳を感じさせる槍だ。
 槍の神器か……。
 彼女の所有する神器は、やはり初めから目立っていたがこの槍のようである。これで三人とも所有する神器の姿形だけは明らかになった。あとはその機能を解析である。
「命令だ。あの三人の所持する神器の性能を調べろ」
『仰せのままに』
 神器の性能を問い訊ねたところで答えてくれるはずもない。それに答えてくれたとしても、それが真実であると証明するのは実際に使用してみる必要がある。やはりMの書の能力によって情報を盗み出し解析した方が効果的かつ賢明である。ただし、全く手がかりのない状態から神器などという錬金術、魔学、法術学の集大成のような複雑怪奇な物体を完全に解析するには、それ相応の時間がかかる。しかも、時間をかけたからといって確実に解析出来る訳ではない。現に、エルとシルの持つ邪剣ザンテツは、刃の部分に錬金術の一種である原子分解の能力が与えられている事は分かったが、どうして刀身と鞘にはそれが反応しないのかまでは解析出来ない。これはさすがに開発に直接携わった人間でなければ分からない複雑なものなのだろう。
「それがあなたの神器ですか」
 私の持つ喋る本へ少なからずの興味と警戒の視線を送る三人。やはり同じ神器使いだけあってか、相手の所有する神器への警戒心は人並以上である。
「私に隠し事をするのは不可能だ。このMの書が全ての真実を曝け出す」
 動揺を煽ろうと、わざと口の端に笑みを浮かべてみせる。けれど三人ともまるでそんな事は意に介さず、黙ったままゆっくりと戦闘態勢に入る。双子は小太刀を納めたまま、重心を低く置いた下段の構え。そして彼女はオーソドックスな中段に槍を構える。
「情報解析型の神器ですか。ならば、解析する前に終わらせる事にいたしましょうか」
 ―――と。
 ザンッ、と彼女が大きく私の方へ踏み込んでくる。二人の間にはおよそ十メートル以上の間隔があったというのに、彼女はたった一歩でその距離を縮めて私を槍の間合いへ捉える。
 ハッと目を見開くのも束の間、間髪入れずに彼女は鋭い中段突きを私に繰り放った。
 彼女にしてみれば、大方私の不意をついたつもりなのだろう。だが私には、反応さえ出来れば防御を行うなど実にたやすい事なのだ。それが物理攻撃ならば尚の事。
「ハアッ!」
 気合と共に放たれたその突きと、私がアクションを起こしたのはほぼ同時の事だった。
 描いたイメージは、強固な水の壁。この世の如何なるものが襲い掛かろうともビクともしない堅牢な防護壁だ。突然目の前に現れた水の防護壁の前にも、彼女は微動だにしない。
 ずぶっと穂先が水の壁に飲み込まれる。しかしそれだけで槍の威力は全て殺されてしまった。たかだか一撃の突き如きで私の防護壁は破れはしない。
「飲み込め」
 そして、すぐさま防護壁に新たなイメージを与えて反撃を開始する。与えたイメージは、球体に変化しながら相手を飲み込みにかかり、そしてそのまま水の中へ閉じ込める水牢のイメージだ。
 それはまるで高波のような激しさで彼女を覆い尽くそうと襲い掛かっていく。しかし、
「シュッ!」
 体を覆う寸前、彼女は槍を引くと体を旋回しながら巨大な人間の手にも似た水を鋭く薙いだ。一瞬、水は私の制御から離れ、中空で固まったかのように静止する。その一拍子後、水は思い出したかのように霧散する。
「ほう」
 魔術の水はあくまで架空のものが具現化したものであり、水本来の性質とは若干異なる。水の持つ性質によって可能な事は魔術の水でも可能である。だが、それには水の性質を術者が把握していなければならない。同じ水の魔術を行使する者でも、水の性質を知る者と知らない者では威力が格段に違う。端的に言うと、魔術とはあくまで空想の具現化であり、発想が貧困であれば魔術のレベルもその程度になるのである。
 彼女の槍はあっさりと私の水をかき消してしまった。たとえ本気ではなかったとは言え、魔術を自然消滅ではなく物理的にかき消すには並の技量では到底不可能だ。それを息一つ、表情一つ変えずに咄嗟の状況でやってのけてしまうとは。さすがに言うだけの事はある。
 本当にここまで肝の座った人間などそうはお目にかかれない。これほどの人物が反政府組織を運行しているなんて理解が出来ない。その力があれば、もっと社会的地位の高い権威も安全に手に入れられただろうに。それとも、やはり国そのものを欲しているからなのだろうか? 確かにどれだけ有能な人間でも、王族という身分にでも生まれぬ限りは国を治める立場まで上り詰める事は不可能だ。政権を手に入れるには、やはり力ずくで奪い取るしか方法はない。だが、たとえ政権を奪い取れたとしても、それを諸外国が容認するはずがない。更に、武力によって旧政権が倒れた事実で国内は混乱し、治安は乱れ内乱が勃発する。それを鎮静化させる事が出来るならばいいが、過去にそれが成功した事例は一度もない。以前から友好条約を結んでいた諸外国の連合軍によって無条件降伏させられるか、もしくは内乱を抑えきれずに国自体が崩壊するかのどちらかだ。テロリズムはそれ自体が愚かで無益な行為なのである。自らの命を賭けてまで貫き通せる信念があるのは素晴らしい事だが、それも信念によりけりだ。自分だけが死ぬのならばまだしも、関係のない人民までをも危険に晒すのはただの傍迷惑な公害だ。周囲を犠牲にする夢や大望など、固執的な危険思想でしかない。
「やはり、このぐらいでは無理ですね……」
「そういう事だ。本当に戦って勝つ意思があるならば、神器を発動させたまえ」
 依然として解析中の彼女の神器だが、おそらくその力は攻撃に何らかの能力を付加するものと見て間違いはないだろう。これまでに見知った槍型の神器は、全て攻撃自体に何らかの能力を付加するものだった。穂先から魔術的な飛び道具が射出されるもの、温度変化や自然現象を穂先に付加させるもの、等々。断定すると先入観に囚われてしまい、いざという時に正確な判断が出来なくなるため意図的にそれは避けるが、ほぼ間違いはないだろう。基本的に武器の神器は皆、そういった傾向が強いのだ。たとえばMの書のようなある特定の能力を持つ神器を開発する場合は、その能力は初めから武器には付加したりせず、最も扱いやすい形や性質を持った物へ取り付ける。たとえば、豊富な情報繋がりで情報の収集、蓄積、解析を自律的に行う能力を本に取り付けたMの書のように。
「最後に一つ訊ねます」
 と。
 彼女は槍を緩やかに構え直しながら、私を真っ向から見つめる。
「貴方達ほどの実力を持った人間が三人も加われば、我々もより目的の達成に近づけます。今はまだ聖都騎士団ほどの報酬は用意出来ませんが、政権奪取の暁にはそれなりの待遇は用意させていただきます。どうでしょう? 我々に協力してはいただけませんか?」
 引き抜き……ねえ。
 彼女の口から発せられたそれは、私達が聖都騎士団を裏切ってクリムゾンサイズへ寝返らないかという誘いだった。しかも、具体的な報酬の提示のない、あまりに説得力に欠けた勧誘だ。彼女もまさかそんな曖昧で決定打に欠けた条件で、私が達聖都騎士団から寝返るとは本気で思っていないだろう。いや、むしろそれで寝返る人間の方が珍しい。一国の軍事機関から一変し、ただの反政府組織に加われだなんて。よほど魅力的な報酬を提示されるか、もしくは怨恨などの私的問題が関与していない限り無理があり過ぎる。
 必死だな。
 まず私はそう嘲笑気味に思った。表情はまるでなく、声色も台本を棒読みしているかのように感情の起伏に乏しい。けれど、そこには現状に焦燥する人間らしい感情が見え隠れしている。まるで藁をも掴むように、運良く我々を引き込めればそれでいい。そんな落ち着いた外見に似合わず形振り構わぬ様子が、水面下でしきりに足をバタつかせる水鳥を思わせた。
「悪いが、金や権力になど興味はなくてね。それに、聖都騎士団に雇われたのも報酬が目的という訳ではない」
 彼らクリムゾンサイズにしてみれば、可能な限りの最大限の報酬。けれど、私はそんなものには目にもくれない。いや、たとえ提示した報酬が小国を買収出来るほどの金額だったとしても、この決断は一片たりとも揺らぎはしないだろう。そんな莫大な金を貰っても迷惑なだけでしかない。私達は、現金に関しては持てるだけの金額があればそれでいいのだ。元々、守銭奴のように現金に拘る性格でもない。特に私などは、食べていければ他に不満はないほどなのだから、取引の材料が金ではまるで説得力がないのだ。
「私達は、神器を所有するというクリムゾンサイズを束ねる三人に興味があったのだよ。一体彼らの実力がどれほどのものかを知りたくてね」
「貴方達は、私達と腕試しをしたい。そういう事ですね」
「それは違うな。やりたいのは腕試しじゃない」
 フッ、と苦笑交じりの嘲笑の浮かんだ表情を浮かべている事を意識し、
「神器と神器の、本気のぶつかりあいだ」
 なおも挑発的に、彼らの自尊心を煽るように答えた。
 しかし。それでも彼女は少しも穏やかな態度を崩そうとはしない。そのあまりにも落ち着き払った態度が、私は気に入らなかった。気に入らない事があればすぐに苛立ちを憶えてしまう、そんな幼稚な部分が自分にある事を自覚していた私は、それでも無意識の内に抱いてしまった自分に嫌悪感を憶える。
「神器がどれほどの力を持つのか、あなたは知らない訳ではないでしょう? 一体何のために、そんな愚かな争いを求めるのです?」
 それでも変わらぬ、彼女の落ち着き払ったその口調にその態度。
 いつの間にか私は、彼女の存在そのものが理屈抜きで嫌になっていた。自分でもそこまで第三者を、それも逢って間もない人間を嫌悪するのは非常に珍しい。冷静になるよう自らを諌めるものの、生理的嫌悪感はいわゆる食わず嫌いなものと大差がなく、理屈云々でどうにかなるものではない。出来るものならばとっくにしている。私がそんな心の動揺を抱いているなんて、彼女どころかエルとシルにも知られたくはない。だからこそ、私は必死の思いで平静の自分を装う。
「愚かな争い? さすがにそれはお前達に言われたくはないがな。まあいい。私達の目的はただ一つ、更なる強さの高みへ上る事。それだけだ」
 私達の人生観において最も重要な要素、それが純然たる力だ。力があれば如何なるものでも自らの手中に収められ、更に自らのパーソナルスペースを侵される事もなくなる。さまざまな道徳論が世を席巻しているが、弱い者が蹂躙され力のあるものだけが支配階級にのし上がる事が出来る『弱肉強食』という大自然の摂理はそのまま人間社会にも深く浸透しているという事実がある。人は己と獣との間に一線を引くため、火を持ち社会という住みかを作り出したが、幾ら文明というものを持って獣との差を主張した所で動物界の摂理が人間社会にも浸透している以上、結局は力のあるものだけが生き残る。所詮、人間もまた獣の域を脱してはいないという事だ。
 それも踏まえ、私達は常に現状よりもより強い力、自身の成長を求めている。自らが生き抜くため、そして社会という閉鎖的な空間で幸せを追い求め続けるために。だからこそ、金や権力といった仮初の力などに決して固執したりはしない。確かに金の力や権威の力に弱い人間は無数に存在する。けれど、本当に我が身が任せられるほど信頼出来るものは、自身の力に他ない。金も権威も、確かに有効的な力ではあるが、必ずしも相手がこちらの意図を裏切らないという保証はないのだ。心から頼ることが出来るもの。やはりそれは自らの力だけである。
「今でも十分過ぎるほどの力をあなたは持っています。それでも満足が出来ないのですか?」
「現状に満足しているのであれば、それ以上強くなる事は出来ない。この世界、強さだけが全てだ。どんな理屈を並べようが、それだけは絶対に変えられない摂理である事を知らないはずはあるまい? 強さを求める事を理由づける必要はない。あえてつけるならば、それは生きるためだ」
 力に絶対はない。たとえ今の自分が世界で最も強いと自負していても、必ずや己よりも強い敵が現れる。それは、自らの危機意識と向上心のレベルに反比例する。日々の精進を怠らぬ人間ほど、自らの実力を上回る強敵と遭遇する確立が低い。自らの実力を過信すればするほど寿命は縮む。逆に、常に向上心を持って己を磨けば、必然的に寿命は延びる。長生きをしたければ、まず己の力量を鍛えるべし。それはハンターだけでなく、戦いに身を投じる人間全てが常識としているであろう、もっとも基本的な心構えである。
「そうですか……どうやら、たとえどんな立場であろうとも我々は貴方達とは相容れる事は無理なようですね」
 と。
 彼女は落胆とも諦めともつかない、なんともその辺りの判断に悩む表情を浮かべながら、槍を中段から霞下段へ構え直す。
 遂に本気を出すのか。
 その鋭い視線に、直感的に私はそう思った。彼女の放つ覇気もこれまで以上に張り詰め出す。ここからはこれまでの様子見のような気の抜けた攻撃ではなく、本当に全力を持って私達を殺しにかかるだろう。しかも彼女らが所有している、未だ解析が終了していない神器の能力も踏まえて。
 神器の能力を知らないのはお互いに言える事ではあるが、どうしても自分達の方が不利に思えて仕方がない。神器の力は神の御業と言っても過言ではない超常的なもの。具体的な能力は分からないが、その能力の程だけが漠然と分かるこの状態。否応なく窒息感にも似た重圧のようなものを感じてしまう。
 それに応じ、私もまた様子見の付き合いはやめて戦闘態勢に入る。私の所持する神器は三つ。Mの書は現在起動中、魔宝珠は私の体に寄生して効果を発揮するものなので特に起動させる必要はない。残る一つは、魔杖レーヴァンテインだが、これはいわゆる炎の剣であるため、魔術師である私には不向きな神器だ。レーヴァンテインは特に使う必要はないだろう。魔術師は魔術師らしく魔術で戦うのが一番効率のいい戦闘スタイルなのだから。
「私達は、己のためだけに自らの力を使うのではありませんから」
 戯言を。
 そして、私はゆっくりと魔素を吸い込んだ。