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 魔術師が最も得意とする攻撃レンジとは。
 自らの肉体を攻撃媒介に用いる必然性のない魔術師は、主に自らの身の安全性を高い確率で確保できる遠距離戦を好む。それは特に相手が遠距離を攻撃する手段を持っていない場合に顕著に表れる。剣の間合いなど、よほどの脚力がなければせいぜい二、三メートルがいい所だが、魔術ならば視界に入ってさえ入れば攻撃を行う事が出来るからだ。何も好き好んで相手の攻撃間合いに入る必要性はない。
 その傾向が一般的に強いからだろうか。魔術師と戦士の戦いの場合、魔術師が戦士に近接戦を挑まれると不利になると思い込む人間が実に多い。しかし、それはとんだ見当違いだ。確かに肉体を媒介とする必要性はないが、それは不必然性とは違う。魔術とは想像を具現化する技術。想像力さえあれば、近接用の魔術を行使する事も非常に容易だ。それに、魔術を習得するためのカリキュラムにおいて、もっとも初めに行うのは具現化した魔術を自らの周囲に留める訓練だ。これらを踏まえ、魔術師が接近戦を避ける必要性は皆無なのである。
「さて、今度はこちらから仕掛けさせてもらおうか」
 魔力を両腕に集中させ、疾と前へ踏み込む。魔宝珠によって強化されたこの体は、特に戦士としての訓練を積んでいなくとも単純な筋力によってかなりの体術を可能とする。まだ荒削りではあるものの、そのほとんどを補うほどの筋力、耐久力が私の体には備わっている。
 そのまま両腕に魔力を開放し留める。与えたイメージは、全てを飲み込む激しい水流の渦。私の両腕が渦状の水流に包まれる。想像を具現化した産物であるそれはこの世の物理法則から解脱し、私の心象そのまま腕に宿り続ける。
 まずは戦いの口火を切るかのように、彼女を私の間合い内に捕らえるとまずは踏み込みと同時に右腕を上から下へ金槌のように叩きつける。
 パシュッ!
 打ち下ろされる寸前、彼女の体は滑るように背後へ回避する。同時に空を切る私の右腕は彼女の立っていた床へ叩きつけられる。通常、拳で床を全力で殴れば、骨の砕ける音か床の砕ける音のどちらかが聞こえてくる。しかし、私の場合はそのどちらも聞こえて来ない。私の拳と衝突するべき床は、私の拳が触れるよりも水の渦により微細な粒に粉砕されてしまったのである。
「貴様ッ!」
「貴様ッ!」
 刹那。
 彼女の左右にて小太刀を構えていた二人が左右から挟撃を仕掛けてきた。目は相変わらず閉じたままだが、私が攻撃を仕掛けた事で表情には険しそうに皺が寄り、しかも私の立ち位置を正確に捉えている。二人の踏み込みの速さは少なくとも私の倍以上あり、さながら肉食動物のような加速力だ。これだけの運動エネルギーを乗じた攻撃は、たとえ私の体が人間離れした耐久力を備えているとしてもそれなりの衝撃は覚悟しなくてはいけないだろう。私の体の耐久力の限界点はどれほどなのかまではしらないが、少なくともとある圧倒的な攻撃力を誇る神器には耐えうる事が出来た。まあ、小太刀の攻撃ぐらいで致命傷を負う事はないだろうが、それは単純な物理衝撃の場合である。これはあくまで仮定レベルだが、もしも私がエルとシルのいずれかと全力で戦った場合、二人の抜刀術が私の体を捉えた瞬間に勝負はつく。エルとシルの抜刀術は、純粋に対象を斬り裂く性質を持っている。それは対象の耐久度はほとんど関係がないのだ。無論、私の体も例外ではない。一体どういった物理現象が起こってそうなるのかは分からないが、件の神器の破壊力に耐え得る事が出来る私の体もあらゆる攻撃の前に無敵を誇っている訳ではないのだ。だからこそ、防御を怠ってはいけないのである。
 左右の、丁度私が視界に同時に捉える事の出来ないうまい角度から二人は襲い掛かってくる。障壁による全包囲防御を行えば防ぐ事も出来るだろうが、それが間に合うかどうか悩んでしまうほど二人の踏み込みは速い。
 しかし、
 ギィン!
 二人は私に辿り着く事無く、逆に大きく後ろへ弾かれた。
「兄様の邪魔はさせません」
「兄様の邪魔はさせません」
 いつの間にか私の両脇で刀を構えていたのは、エルとシルの二人だった。鋭い眼差しで、私に挟撃を仕掛けたもののあえなくエルとシルに迎撃され弾かれてしまった双方を睨みつける。確かにあの二人もなかなかの速さを誇っていたが、エルとシルに比べれば大したものではない。私はともかく、エルとシルならば迎撃はさして難しくはない速さなのだ。
 体勢を立て直し、小太刀を鞘に収めて構え直す二人。咄嗟にエルとシルの刀を防いだその反応は実に素晴らしいものだ。何よりも機動性を重視した作りである小太刀という特殊な武器も伊達や酔狂で使用している訳ではないようだ。さすがは神器使いなだけはある。神器の力を行使してはいないようだが、あの小太刀による暗殺術にも似た戦法には目を見張るものがある。これほどの相手に巡り会えたのは、もしかすると初めての事かも知れない。私は更に自分が昂ぶっていくのを感じた。これまでに相手をしてきた相手が、指を動かす事すらも億劫になりそうなほどの有象無象だったのだ。無理もない。
「任せるぞ」
「はい」
「はい」
 あの二人は、先ほどのあの暗闇の中で私に全く気取られず急所を撃てるほどの隠形術の持ち主だ。勝つ自信がない訳ではないが、私としてはやりにくいタイプの相手でもある。ある程度暫定的に空間そのものを魔術で攻撃していく方法もあるのだが、それではあまりに非効率的であり、魔術を行使した際の副作用である理性の侵蝕の度合いも酷くなる。ならばそれよりも、私よりも運動神経に優れたエルとシルが二人の相手をした方がずっと効率がいい。それに純粋な剣術ならばエルとシルの方が遥かに上のはずだ。
「兄様に刃を向けた過ちを懺悔してもらいましょうか」
「もっとも、それが辞世の言葉になるでしょうが」
 ピッ、とまるで存在そのものをかき消したかのような鋭い動作で攻撃を開始するエルとシル。その神速の体捌きからして本気で戦いに望んでいるようだ。そして、あの双子の小太刀使いも、エルとシルの速さに負けず劣らずの速さでほぼ互角に応戦している。
 キィン、という甲高い悲鳴にも似た金属の衝突音が、まるで嵐の夜に建物の屋根を豪雨が降り注ぐ様のように次々とこだます。凄まじい斬撃の、これぞまさしく嵐。達人同士の戦いは静と動の両極端になる傾向があるが、これは動の極限の戦いだ。
 四人とも神器使いである。おそらく勝負のカギは、それぞれの神器を如何にうまく使いこなせるかにかかっているだろう。とはいえ、私の目には双子の小太刀使いの実力は、二人でエルとシル一人分程度のものだ。さして戦況に気を留めずとも、やがてエルとシルが二人をあっさりと仕留めるだろう。
「さて。では続けようか」
 引き続き水の渦を両手にまとわせながら、前方の彼女を見やる。一瞬で床を細破した私の攻撃にもまるで動じない、涼しげな風貌と眼差し。その余裕が、どこか嬉しさと気に食わなさを一度に私に感じさせた。自分は誰にも負ける事はない、という驕りが少なからずあるからこそそう思わせるのだろう。そんなアンビシャスに、これまでにない相手への違和感と神秘性のようなものを覚える。
「あなたはそう思慮を巡らせても取引には応じてくれそうもありませんね。それどころか、ただひたすら強くなるために闇雲に強者を求めているように思えます。やはりあなた方はクリムゾンサイズには必要のない人間のようです。力に取り憑かれ、その本質を見失っていますから」
 槍を構えたまま、そう淡々と言葉を紡ぐ彼女。
 私は彼女の思わぬ言葉に、不意に足元をすくわれたかのような気分にさせられた。仮面のような無表情に徹しているくせに、突然口を開いたと思えば何を言い出す事やら。道化師も冗談を言う時はもう少し愛嬌のある表情をするものだ。私は愛想笑いすら浮かべられず、口元にありありと失笑の色を見せる。
「力の本質を見失っている? フン、悪い冗談だな。私は自らの目的を切り開き、より人生を充実させるために力を求めているだけだ。力の本質の如何など議論には値しないな。あえて言うならば、自由の許可証といったところだろうか。力はそれそのものが単一で純然とした摂理の一部。理由や本質などの体系付け意味合いは千差万別、どれもが真理であり詭弁でもある。そこまでくれば価値観の問題だな。力そのものの性質などは大した問題ではない。力があるのかないのか、重要なのはたったその二つだけだ。それとも、自分の揮う力の本質は絶対的正義であると、そう言いたいのか?」
 正義という立場から見れば、民衆の生活と国内の秩序を守っている政府に反旗を翻すテロリズムは絶対的な悪に当てはまる。身勝手な主張は誰でも持ってはいるだろうが、それを力を持って道理を破り押し通すのは許されざる行為である。その程度の事など、歩き始めた子供でも知っている世の中の常識だ。それだけに彼女の言葉は、いかにも反政府組織を束ねる指導者然とした妄執的な思想と詭弁の象徴にしか聞こえない。
 しかし、そんな私の言葉と態度にも彼女は少しも引く様子を見せない。
「少なくとも、私は力をあなたよりも正しい事に使っているとの自負があります。小人閑居して不善を成す。この言葉は、まさに今のあなたを表現するには最適でしょう」
 何も志す毎日を無為に過ごす事は悪徳的な行為である。
 まさか彼女に自分をここまで批判されるとは思っても見なかった。面白い。実に面白い。彼女の立場から私を見れば、自分と二人の妹を守るために力を求める私はさも哀れな存在に見えるようだ。彼女は力のない事がどれだけ惨めで悲惨な事なのかを知らない。知っていれば、そんなセリフは決して出はしないのだから。
「力のある人間は国家に逆らえという意味か? それこそ不善そのものだと思うが。まあ、言葉遊びはこれぐらいにしておこう。どうやら君は私を相手に絶対に勝つ自信があるとでも言いたげだが、私もまた神器所有者だ。それともその自信は、これまで神器使いを相手にし楽に勝てた実績でもあるからなのか?」
「いえ。神器所有者と事を交えるのはあなたが初めてです。しかし、私は負ける訳にはいきませんので」
「覚悟だけで勝てるならば、これほど楽な事はない」
 私と彼女の鋭い視線同士が中空でぶつかり合う。視線というものは質量を持たない精神的なものであるのだが、不思議とあたかもそこに実在するかのように感ずる事が出来る。二つのそれがぶつかり合っている様も、克明に脳裏に思い浮かべる事が出来た。それは双方からぶつかり合う魔術にも似ている。
「始めましょうか」
 彼女はゆっくり白柄の槍を掲げる。真っ直ぐ天井を仰いだ穂先は、部屋に差し込む朝日を天井と床へ乱反射する。
「『おお、時代を築きし英霊達よ。今一度我が元に降り立ちてその力を示したもう』」
 起動韻詩。
 神器の力を開放する合図となる言葉だ。神器は誤動作と盗難の場合を考慮し、簡単にはその力を使えないようにプロテクトが施されている。それがこの起動韻詩なのだ。
 韻詩を踏まれた神器は一瞬人間の心臓のように大きく鼓動するものの、それから間もなく初めのように落ち着いてしまう。外見的な特徴の変化は見られない。これは近年に開発された神器の傾向なのだが、相手を必要以上に警戒させないためなのだろうか、起動状態に入ってもその変化が分かりにくいタイプが非常に多い。どうやらこの槍もその一種のようである。
 ぶん、と槍を大きく振って霞下段に構える。槍というものは剣よりも腕力を要する重量級の武器なのだが、彼女はまるで槍の重さを感じさせずに軽々と操ってみせる。魔術から派生した筋力強化技術の昇華を用いているのか、はたまた単純に己の筋力を鍛え上げているのか。
 と。
 ……む?
 その時、私は思わずその槍の槍穂をしげしげと見つめた。今、一瞬だが槍穂がぶれて見えたような気がしたのだ。しかし、穂先を私に向けて構えられたそれはどこにも違和感は認められない。
 気のせいだろうか? いや、もしかすると……。
「参ります」
 そして、彼女は私に向かって猛然と踏み込んできた。