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 来たか。
 あの双子の小太刀使いに比べればさすがに見劣りはするものの、先ほどとは別人のような鋭い踏み込み。現状の力に甘んじず、常に日々の鍛錬によって培われた確かな実力だ。戦士としてのランクをつけるならば、あの聖都騎士団の彼とほぼ同程度だろうか。神器がある分、彼女の方が有利だろう。
 私は右手に魔力を集中させ、そして一挙動の内に手のひらへそれを放出、展開する。与えたイメージは、小さくもこれまでとは比べ物にもならないほどの質量を持った魔法障壁。それはエルとシルが持つあの神器を除き、この世の如何なるものの侵入をも防ぐ高圧高密度の壁だ。
「シュッ!」
 鋭くも気迫だけで相手を畏怖させる迫力に満ちた雷鳴さながらの中段突きを、身体の急所であるみぞおちを目掛けて繰り出す。
 魔術師は接近戦を特別に不得意とする訳ではないのだが、判断力に類する反応速度がやや劣るのは否めない。全てが全てそうとは限らないのだが、遠距離から安全に攻撃を繰り出せる優位性に依存している魔術師が少ないとは断言しきれないため、近接戦闘を避けるからその傾向は強くなる。
 更に。魔術とは本来非常に難解な技術であり、その伝達普及は困難に困難を極めた。しかしある時、偉大な先人の業績の積み重ねによって魔導を誰にでも分かりやすく体系化した、『魔学』という効率的な修学カリキュラムが確立された。それは規定のカリキュラムを段階順にこなしていく事で、困難な魔術の中でも最も難しいとされるイメージング技術を比較的容易に習得出来るという画期的なシステムである。これによって魔術の普及は爆発的に広がる事となった。だが、おそらく最も一般的かつ最大規模の魔術修学機関であるアカデミーでは、魔術師志望の人間に魔学の専門教育を行う一方で、その他の項目に関してはほとんど手付かずのまま世に排出している。ハンターとして世に出た新人のおよそ30%は一年目にして何らかの形で命を落とすという。その一番の原因は、凝り固まった能力しか持ち合わせていないため臨機応変に対応出来ない事にある。魔術師は魔術を行使する以外に何も出来ないという事だ。
 しかし、私は違う。
 私の最大の武器は、アカデミーを次席で卒業した魔術でも、神器で異常なまでに強化された肉体でもない。私の武器は、豊富な知識とそれを必要に応じて引き出し活用する能力だ。知略は物理的な力だけでなく、時として大国の軍事力すらも凌駕するのである。これが、今日まで息災に過ごして来た大きな要因なのだ。
 数字的な表現や計測は出来ても、実際には体感の出来ない光の速度。その一瞬の閃きを彷彿とさせるかのような彼女の優美さと凄惨さを兼ね備えた突きは、まるで肉食動物が獲物を捕食しにかかるかのように正確に私の急所を貫きにかかる。戦士は、武器が繰り出された時点でその軌道を読むという技術を習得している。私も幾らかそれが出来るのだが、彼女ほどの達人クラスになるとまるで予測が不可能だ。だがその代わりに、私には圧倒的な動体視力がある。私の体を強化している寄生型神器『魔宝珠』の産物だ。
 槍の動きを目視で捉えると、その穂先に目掛けて展開した障壁を叩きつけた。
 バチッ!
 それはまるで雷同士が火花を散らせたかのような音に似ていた。双方の突進力が交錯した場所でじりじりと刹那の間拮抗する。しかし、ぶつかり合った二つの力は全くのイーブンではない。相手の相殺し切れなかった力が突然思い出したように跳ね返ってくるのだ。
「くっ……」
 そして弾かれたのは彼女の方だった。当然のことだが、単純な力のぶつかり合いならば少しでも相手を上回った方が勝つ。更に、私は少なくとも純粋な力勝負ならば相手が人類ならば必ず勝てる自信がある。だからこそ、この結果は当然なのである。
 私が押し勝った力と障壁が弾けた力が相乗し、大きく彼女の体勢が後方へ崩れる。槍のような重く長いために扱いが難しい武器は、重心が安定した状態でなければ扱う事は出来ない。苦し紛れにすら振る事もかなわないのだ。防御という抵抗すら出来ないこの瞬間は私にとってこれ以上ないほどの好機である。
 考えもなしに、初撃を全力で撃つからだ。
 かなりの実力者である事は確かだが、思っていたよりも詰めが甘い。どうやら経験の差はかなり開いているようだ。
 こんなにも早く決定打が放てるなんて少々拍子抜けだが、かと言ってわざわざ見逃してやるほど私はお人好しでもない。殺せる時に殺す。それが最も効果的な防衛法だ。私達は試合ではなくあくまで殺し合いをしている。隙があれば即仕留め、隙を見せれば死に直結する。殺し合いとはそんなシビアな時間の共有なのだ。
 右手に魔力を集め、そのまま一挙動で標的目掛けて放つ。与えたイメージは、如何なるものも突き破り進んでいく、水の槍のイメージだ。
「貫け」
 彼女が体勢も整わぬまま、水の槍を射出し―――。
 と、その時。
「ぐっ!?」
 不意に私の腹部を激しい衝撃が襲い掛かった。予測しなかったその衝撃にコントロールが乱れ、行き場を失った魔術が中空で飛散する。
 咄嗟に私は背後へ大きく飛び退いて間合いを離す。今の衝撃で動揺した所を一気に畳み掛けられぬようにするためだ。
 一体……何が起こったというのだ?
 私はそっと衝撃の走った腹部を見下ろす。するとそこには、まるで彼女の槍の直撃を受けたかのような円状の痕跡が出来ていた。上着を貫通し地肌まで届いている。あたかもそれは、繰り出された槍の穂先の直撃を受けてしまったかのようだ。
 そんな馬鹿な。彼女の攻撃は確かに障壁で防いだ。その感触もはっきりと憶えている。あの状況で第二撃目を放つ余裕も隙もなかったはずだ。とは言っても、現にこうして衝撃の直後に痕跡が現れている。それはつまり、あの圧倒的に不利な体勢から私に気づかれぬ事鳴く第二撃目を放った証明であるのだが……。
 一体何をした?
 そう、不覚にも困惑を消し切れなかった表情で彼女に視線を送る。
 すると、
「無傷……なのですか?」
 槍を構えた彼女もまた、私が自らの足で立っている事に驚きを隠せぬ表情を浮かべている。不意を突かれたとはいえ、あの程度の攻撃で音を上げる私ではない。そもそも私の体は、一般的に普及している刃物では傷どころか痛みすら感じられないのだ。今の彼女が放ったであろう一撃も、服こそ貫通はしたが体は傷一つついていない。まあ、無事であるのと痛みを感じないのは別の問題だが。
「その様子では、やはり私の目を掻い潜って攻撃を仕掛けたようだな」
 けれど彼女は私の言葉にも無言を持って応ずる。それが肯定の返答の代わりであるかのように。
 しかし、それは一体どのような方法を持って行ったのだろうか? 先ほどは完全に不意を突かれていたため、衝撃を受けたことしか分からなかった。はっきりと確かめるにはもう一度それを仕掛けさせればいいのだが、やはり少々危険が伴う。もしも今のあれが全力ではなく、そして仮に私の体を貫く事も可能な攻撃力を備えているとすれば。ここから先は迂闊には攻撃が仕掛けられなくなる。
 ―――と。
『解析結果の中途報告。対象、槍と思われる神器』
 私の周囲を漂っていたMの書が言葉を発する。ハッとした表情を僅かに浮かべる彼女。そう、その槍と思われる神器を所持するのは他ならぬ彼女自身なのだ。
『槍は神槍ゲイ・ヴォルグと判明。その特殊能力は、魔術的な反応により穂先の斬道を辿るものです。不可視であるため注意が必要です。無効化する方法は現在確認されておりません。通常の防御は可能であるため、武具、もしくは障壁などが妥当でしょう』
 なるほどな……。
 Mの書の解析結果に私は深くうなづく。つまり私を不意に襲ったあの衝撃は、障壁で防いだ初撃の斬道を辿った槍の力だったのだ。槍そのものの衝撃は障壁で防いだが、その斬道を遅れて辿る余波は全くのノーマーク。既に攻撃態勢に入っていた私は、それを真っ向から受け止める形となってしまった。衝撃自体は致命傷には程遠いものの、威力そのものは本体に匹敵するレベルだ。考えてみれば、先ほど穂先がぶれて見えたのもそのせいだろう。能力の知らぬ神器を相手に迂闊な行動を取る事は自らの首を締めかねないのに。少々、私も気がはやっていたようだ。
 しかし。おかげで二つの重要な情報が手に入った。
 一つ。それは神器の能力。ゲイ・ヴォルグは穂先を魔術的な反応で幾つも作り出す力を持っている。これを知っているか否かの差はあまりに大きい。不意に力を発動されても、体現化される異様な現象に戸惑う事無く、その質にあった防御行動を取る事が出来るのだ。
 二つ。神器そのものの威力。彼女の力量は油断ならぬものではあったが、今、私に繰り出した攻撃は少なくとも自分の力では立てなくなるほどのダメージを与えるつもりで放ったものだ。しかし、結果はこの通り。私はダメージを負うどころか平然として会話を続けている。彼女には一つ誤算があったのだ。私の耐久力は人間のレベルを遥かに越えている。
 状況は拮抗状態から一変し、圧倒的に私の有利となった。彼女の神器の力も攻撃力も限りが予測できる。こちらがよほどの事がない限り致命傷を負う事はない以上、後は極作業的に攻撃に次ぐ攻撃で踏破するだけである。方法は幾らでも考えがつく。もはや彼女を倒すこと自体が完遂したに近い。実行に移すか否か、それだけの差だ。
 とは言え。
「このままではフェアじゃないな。私も一つ、タネを明かすとしようか」
 私は上着を脱ぎ捨てると、襟元を大きく開いて胸に寄生するそれを晒す。せっかくの神器所有者と合間見えたこの機会、そう無下に終わらせるのは忍びない。それならばもう少し楽しむのも一興だ。
 私の胸には寄生型神器『魔宝珠』が埋め込まれている。かつて私の体は病弱で体力的にも実に頼りなかった。それをまるで別人のように、人間離れした強さまで造り替えたのがこの神器である。魔宝珠は私の体を強化、維持する代わりにそれ相応の生体エネルギーを私から吸い上げる。生体エネルギーとは、いわゆる身体の活力のようなものだ。結果的に私は、失われていく生体エネルギーを補うために人並以上の食事が必要になる。エネルギーの補填が出来なければ魔宝珠に吸い尽くされてしまうのだが、この程度の副作用と言ってしまえばそれまで。事実上、魔宝珠を埋め込んだ事のリスクは無いに等しいのだ。
「それは……まさか神器?」
 さすがに神器を所有しているだけの事はあり、私の胸に光る魔宝珠が普通の宝石ではない事を敏感に感じ取ったようだ。神器は神技的な現象を体現する力を持っているだけに、全てにおいてどこか普通とは違う雰囲気を放っている。知らぬ者は気がつかないだろうが、判る者には一目だけで十分に感ずるのである。
「正解だ。言っておくが、私の体は今程度の攻撃では傷一つ付けられはしない」
 自らの力を明かす事は命取りだが。依然として私の優位性は変わりはしない。むしろ楽しみとしているのは、この後、彼女が一体どのような行動に出るかだ。圧倒的な力の差のある敵を前に、果敢にも自らのスタイルを貫くのか、はたまた苦策を呈して打破に挑むのか。
 せいぜい、愉しませてくれ。