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「私達は二対一になってしまいましたね」
「残ったのはエルの相手だから、エルにあげる」
 そう、エルとシルは溜息混じりの声を漏らす。同時に、そんな二人を双子の小太刀使いのもう片方であるフギンがじろりとねめつける。いや、相変わらずその目は閉じられたままだが、殺気だった視線ははっきりと感じる事が出来る。込められた殺気の密度は先ほどまでとは比べ物にならない。
「侮るなよ……貴様ら二人、俺一人でも十分だ」
 殺気の色濃い表情でゆっくりと歩み出る。と、
「フギン」
 すかさず呼び止める彼女。彼が先ほどのムギンと同じように怒りによって冷静な判断力を失っているのではと危惧したためだ。しかし、
「心配は無用です、姉上」
 答える彼の口調は極めて冷静なものだった。いや、冷静と言うよりも冷徹と呼んだ方がより正確だろうか。その声の前に、彼女は圧倒されたのかこれ以上の言及を諦めたのか、そのまま口を閉ざした。
「技量は貴様らの方が上かもしれんが、俺には神器『計都』がある。その力を今、見せてやる」
 フギンは小太刀を抜き去ると、それを私の一歩前で並ぶエルとシルにその清廉な刃を抜きかざす。
 彼もまた、他の二人同様の神器所持者であり、なおかつその力に振り回される事無く己の一部として使いこなすだけの実力を兼ね備えている。とはいえ、幾ら神器の力が凄まじくとも、常識的な観点から考えてエルとシルの二人を同時に相手に出来るだけの力を持った神器が、果たしてこの世にどれだけあるだろうか? エルもシルも剣術の腕は天性の素質を研きに研き抜き、達人の一言では説明のつかない域に達している。それに加えて、それぞれが所有する二振りの刀はどちらも神器だ。エルとシルが所有する神器は、エルが羅刹の伐剣と邪剣ザンテツの太刀、シルが閻魔の伏剣と邪険ザンテツの脇差。ザンテツはともかくとして、二人ほどの実力者に神器の力まで加わればどういう事になるのか。少なくとも、彼のような神器所有者を含めた並の人間ではまるで相手になどなりはしない。ましてや二人同時に相手にするなど、正気の沙汰とは思えない。それは神器の力だけで簡単に補いきれる溝ではないのだ。もしくは、埋めきれるほどの力が彼の所有する神器にあるのか。力の種類によっては、十分にそれも可能かもしれないが。
「『怨怒は澱みて久、鬼哭啾々』」
 凄然と言うよりも殺伐とした口調で起動韻詩を踏む。
 そういえば、Mの書の解析にかける事をすっかり忘れていた。まあ、今更解析しなくとも彼が直接見せてくれる訳であるし。
 ひたと冷たい風が周囲に漂い始める。神器がその力を発動させる際、その効果が視覚的にもはっきりしたものは何故か必ずこういった予兆的な現象が起こる。大掛かりな練世術を行使するからなのか、単に錯覚しているだけなのか。
 そして。
「むっ……」
「むっ……」
 エルとシルが俄かに表情を緊張させて身構える。それぞれの右手は腰に携える刀の柄に触れる。
 空気が冷たい。
 それは錯覚ではなく、はっきりと自分の肌で感じ取っていた。周囲の気温が確かに下がっている。これは神器が能力を発動するために下げたものなのか、それとも能力を発動したために下がったのかは分からないが。とりあえず、私もエルとシル同様に警戒しておいた方がいいだろう。重ねて言うが、神器とはそれ単体で小国の軍事力に匹敵する力を持ち合わせているのだ。その力の本領の前に、一片の油断も許されない。神器には相性というものがある。もしも神器の力が私達にとって最悪の相性だったならば。それこそ安穏とはしていられない。
 ……ほう。
 構えられた小太刀の刀身が淡く輝き始めた。明らかに日の光を刃が反射しているそれではない。一見すれば、刀身自体に魔術的な力を付加して攻撃力を増強するタイプの能力に思える。もしくは、あの光を魔術攻撃として射出するタイプか。
 ふむ……とりあえず、見ただけでは能力まで分からんな。
 ムギンの所有していた羅睺は光を吸収して視界を狭める戦闘補助タイプの神器だったが、フギンのそれは完全な戦闘タイプのようである。私としては補助タイプの方が頭を捻る必要があるので楽しめるのだが。まあ、ひとまず様子を見ておく事にするか。
「行くぞ……」
 凍てつくような冷たい声で短く告げ、彼はエルとシルに真っ向から踏み込んでいった。
 なんのつもりだ?
 私はそんな彼の行動に首を捻らずにはいられなかった。先ほど何を見ていたのだろうか? 同じようにこうして踏み込んだところ、ムギンは出鼻を挫かれる形でエルとシルに斬られたのだ。少なくとも正面切ってエルとシル二人を相手にしてしまっては、たとえ僅かな勝率があったとしてもそれすらゼロにしてしまう。神器の力がどのようなものか知らないが、真っ向からエルとシルに立ち向かっては勝てるはずがない。同じように間合いに入った瞬間、一刀の元に斬り捨てられるだけだ。
 しかし、その時。
「ふんっ!」
 ピッ、と鋭い音を立ててフギンが小太刀を横に薙いだ。しかもそれは、明らかに刀身よりもエルとシルとの間の距離の方が長い位置からだ。それではせっかくの攻撃も虚しく空を斬るだけだ。
 フギンもムギンも、終始その目を閉じたままだった。あの暗闇の中で正確に私の急所を捉えるぐらいだ。視界を閉じていてもまったく支障はないのだろうと思っていたが、このあまりに見当外れな攻撃はどうしたことだろう。まさか目を瞑っていたために”目測”を誤ったのだろうか?
 だが。
 ギィン!
 ギィン!
 エルとシルは流れるような動作で刀を構えて防御姿勢を作る。その直後、激しい金属の衝突音が鳴り響いた。
「あの神器を調べろ」
『かしこまりました』
 私はすぐさまMの書に神器の能力を探らせにかかった。
 フギンが小太刀を薙いだ瞬間、小太刀の先から青白い光が剣のように伸びてエルとシルに襲い掛かったのだ。たとえるならば、極めて見えにくい剣とでも称せようか。青白い光は剣から伸びれば伸びるほど色を失っていき、薄い色ガラスのように変わっていくのだ。エルとシルが防いだ光の先端など、ほとんど間近で見なければ姿形を認識する事は非常に困難だ。
 エルとシルがやや渋い表情を浮かべた。剣術にとって最も重要なのは、その間合いだ。達人クラスの剣士は、間合いに入った瞬間に斬り捨てる事が出来る。いわば剣の結界だ。もし、剣士同士が戦った場合、それぞれの間合いの広さは極めて重要になる。私は魔術師であるため細かな駆け引きについて詳しくはないものの、剣の結界が広い方が有利である事に変わりはない。
 フギンの神器は、剣の間合いを自在に伸ばせる能力を持っているようである。もし、全く自分の剣が届かない間合いから一方的に攻撃されでもしたら。エルもシルもその戦いは圧倒的不利に陥る。場合によっては私も手を挟まねばならないかもしれない。
 ―――と。
『右舷より、敵接近』
 Mの書の言葉に、ハッと私はそちらを向いた。
 私からおよそ数メートル、そこには槍を構えた彼女の姿があった。一体いつの間に近づいたのだろうか。いや、私がフギンの攻撃に思わず見入ってしまった時か。
「……ふん」
 不意打ちのつもりらしいが、全く反応できぬタイミングではない。私は落ち着いて魔力を右腕に集中し、障壁のイメージを与えて変質させる。
「ハッ!」
 気合と共に連続して繰り出される突撃。一撃一撃が放たれるたび、その軌道の一つ一つを遅れて神器の力が具象化した穂先の分身がなぞっていく。刹那の間に次々と繰り出されていくうちに、私の目の前には掻い潜る隙間も見当たらぬほど穂先が敷き詰められた壁が出来上がった。
「無駄だ」
 私は障壁を展開し、その凄まじい攻撃の嵐へと叩きつけた。どん、という空気が打ち鳴らされる反動と音が耳を打つ。あまりにその突撃が速過ぎたためだろうか、あれだけの手数を繰り出しておきながら聞こえてきた音はたった一つの重いそれだけだ。
 双方の反動に押され、私と彼女は半ば弾き飛ばされるような形で間合いを取る。その距離は、およそ十メートル弱。強い魔術を行使するには若干狭く接近戦を挑むにはやや遠い、中途半端な間合いだ。
「さすがに冷静ですね」
「ふん。一応、讃辞として受け取っておこう」
 膠着しても始まらない。
 私は魔力に次なるイメージを与えて積極的に繰り出していく。与えたイメージは、群れ成す無数の水蛇。
 シャアーッ、としなるような声を上げながら次々と喰らいついていく蛇達。しかし彼女は瞬きもせずそれらを次々と貫いていく。槍の穂先を無理やり嚥下させられるように受けた蛇達は、そのままあっけなく中空で塵となり消えていく。やはり、この程度の攻撃ではダメージを与えるどころかたじろぎもしないか。
 もうもうと周囲には弾けた水蛇の塵が蒸気のように立ち込める。その中を、彼女は放たれた一条の矢の如く私に向かって猛然と踏み込んでくる。
 やはり、本気で殺しに来ているな。
 先ほどまでは、部下が聖都騎士団を攻撃するまでの時間を稼ぐため、わざと防御に徹していた。その後、ここからは全力で私達を殺すと宣言し、一変して攻勢に回った。今の積極的な攻撃姿勢を見る限り、そのどちらにも嘘偽りはないようである。
「さて、そろそろ本気と行こうか」
 私は全身を循環する魔力の流れにイメージを与えて変質させていく。
 与えたイメージは、荒れ狂う雷。
 水の魔術を昇華させた高等な魔術である、雷撃魔術。その威力は凄まじいのだが依然として扱いは困難を極め、全てを自らの掌握下に収めている訳ではない。制御しきれぬ魔力が毛細血管を破裂させる事もしばしばある。だが、それは致命傷に至るような重い傷でもない。第一、こうして実戦で積極的に使っていかなければ、習得できるものもいつまでたっても習得できないのだ。