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「エル、シル」
 気がつくと、私は二人の名を呼んでいた。
 私達から少し離れた向こう側では、未だ捉えられないフギンを相手にエルとシルが戦いを繰り広げていた。しかし、おそらく私が雷撃魔術を使い始めた辺りだろう、三人はどちらともなく戦いの手を止めて私達の戦いの行方をじっと見ていた。クリムゾンサイズの実質的なリーダーはフレイアであり、私達のリーダーは私だ。つまり我々の決着は、私達の決着の如何に委ねられていると言っても過言ではない。
「はい、兄様?」
「はい、兄様?」
 私に呼ばれ、首を傾げるかのような疑問符の含んだ口調で返答する二人。どうしてこの状況で自分達が呼ばれるのか分からないといった様子である。
 目の前には、既に戦意を失って槍を降ろし、そっと目を閉じてうつむく穏やかな表情のフレイアの姿があった。私はそんな彼女の様子に、胸を掻き毟られる嵐のような感情のうねりと、大空を悠然と漂う雲のような穏やかな気持ちとを同時に感じていた。なんとも不安定で不可解な心情。こんな気分にさせられたのは生まれて初めてだ。
「姉上!」
 と、その時。
 不意に私とフレイアの間に黒い影が割り込んでくる。
 小太刀を構え、敵意というよりも決意の表情を浮かべているフギン。姉のためならば命も投げ打つ覚悟を決めているとでもいうのだろうか。依然閉じられた彼のまぶたからは窺い知れない。
「あいつ!」
「あいつ!」
 それに続き、すぐさまエルとシルが飛び出そうとする。これまでフギンが相手にしていたのは二人だが、それよりも何よりフギンが私の邪魔をする事に対しての行動だ。
 だが、
「待て。来なくていい」
 私はすぐさま二人を制止する。途端に二人は踏み出した足を一歩目で止め、その場に立ち止まる。しかし表情は私の言葉に納得がいかないという色がありありと浮かんでいる。
「でも……」
「でも……」
「大丈夫だ」
 重ねた私の返答に、渋々ながらもうなずくエルとシル。普段は聞き分けのいい子だ、と微笑む所だが、今は逆に申し訳なさの方が強かった。
 私はエルとシルへの後ろめたさを振り切り、視線を目の前のフギンへ戻す。
 フギンは未だに充実した戦意を持って小太刀を構えている。鋭い視線。気を強く持っていなければ、相手の雰囲気に圧倒されてしまいそうだ。死を覚悟するだけで、こうも相手への威圧感は変わってくるものなのか。
 その後ろのフレイアはやや困惑した表情を浮かべつつも、彼が決して折れない性格だからなのか、仕方ないと諦めの微苦笑を湛えた眼差しで諦観している。
「やる気か?」
 私の問いかけにも、ただ闘志を見せることで返答するムギン。どうあろうとその場を動くつもりはないようである。実力差は既に明白になっているだろうに。それでもあえて盾になろうとは。死に急いでいるとしか思えない。
 ―――と。
 ふと、私は自分の子供の頃を思い出した。
 私は生まれながらに病弱な体を持っていた。月に一度は必ず体調を崩しては寝込み、日常的に咳き込みがちだった。体も細く、体力とはまるで無縁。けれど私は、その体を押してでも周囲に忌み嫌われていたエルとシルを守ってきた。そんな私をエルとシルはとても慕い、寝込んだときなどは献身的に世話をしてくれた。私は自分でも協調性のある人間だとは思っていない。そのため、余計な諍いの種をまいてしまうことが度々あった。敵意や嫌悪の対象となっていたのはほとんどエルとシルだったが、私もまたそんな性格のため、人から良く思われる事は皆無だった。私をかばい、そして理解してくれるのはエルとシルだけだった。忌み嫌われて育ってきたせいか、昔の二人は酷く臆病な性格だった。それでも私の事になると積極的に行動を起こした。時には私自身が心配してしまうほど大胆な行動にすら出る事があった。エルとシルにとって、私という存在はそれほど大きかったのだ。
 心なしか。
 柄にもなく、目の前でフレイアを庇うフギンの姿に幼い頃の自分達の姿を垣間見ていた。慌てて脳裏に浮かんだ幻影を振り払うも、彼の姿を見るたびに過去の幻影は何度でも蘇ってくる。
 私達は、この三人とは違う。同じ神器所有者だったとしても、私達は夢などというものにうつつを抜かし、あまつさえ己の命を危険にさらすような真似はしない。夢は叶わぬから夢なのだ。全ての人間が何不自由なく生活出来る国を創る。それこそ実現不可能な『夢』というものだ。不特定多数、第三者のための無償労働。誰かのために、自らの命を賭けてまで尽力する価値などあるだろうか? 人間の本質、暗黒面ばかり見てきた私にはとてもあるとは思えない。
 ―――だが。
「戻るぞ」
 踵を返し、そう私はエルとシルに告げた。
「え?」
「え?」
「早く来るんだ」
 意外そうな表情を浮かべるエルとシル。しかし、Mの書を手に取り上着の中にしまってそのまま止まらずすたすたと歩いて行く私を見るなり、慌てて傍に駆け寄ってきた。私の腕にそれぞれしがみつき、いつものように連れ添って歩く。だが私を見上げるエルとシルの表情は、疑念よりも不安感に満ちていた。私が何を考えているのか分からないせいだと思う。生まれてから今までいつも同じ時間を過ごして来たため、言葉にしなくとも互いの考えている事はほとんど汲み取る事が出来る。けど、そんなエルとシルにも私の行動の真意が計り知れなかった。気持ちが繋がっているという感覚は、体に触れているよりも強い親近感を抱く。その常だった親近感が、突然断ち切られた意思の疎通と共に消えてしまったことで不安感に変わってしまったのだ。それを示すかのように、私の腕にしがみつく力は普段よりも強い。まるで置いていかれまいと必死になっている。
「あ……」
 場から遠ざかっていく私達の背中に、そうぽつりとフレイアが声を漏らす。それは呼び止めようと思い立つも、一体なんと言って呼び止めようか後になって考え出す、突発的に口から飛び出した声に似ている。
「お前の弟、まだ息がある。手当てをすれば、まだ助かるかも知れん」
 私は歩きながらそう告げ、そのまま止まらずに階段へ向かう。特に急いだ足取りでもなかったが、決して意図して急ぐ事もしなかった。
 私の言葉の直後、背後のフギンがハッと思い出したように小太刀を鞘に収め、倒れているムギンの元へ駆け寄って手当てを始める。エルとシルの抜刀術を真っ向から受けたムギンだが、まあ、運が良かったのだろう。辛うじてそれは致命傷にはならなかった。もっとも、放っておけば眠るように死んでいっただろうが。
 再び、私の顔をしげしげと見上げるエルとシル。その表情は依然として不安に彩られてはいたが、心なしか私の心境を僅かなりに汲み取れたようである。意外そうな表情には代わりなかったが。
「待って下さい」
 と。
 その時、背後からフレイアの声が私を呼び止めた。続いてこちらへ駆け寄ってくる気配がある。やはり、さっさと立ち去るべきだった。面倒だな、と舌打ちをしかけるも、私はゆっくりと立ち止まって振り返った。
「どうしてですか?」
 どうして。
 たった一言の疑問符の中に、実に様々の疑問が詰め込まれている。
「興味が失せた。それだけだ。後は勝手にするといい。私達はこれ以上の干渉はしない」
 返した返答は、そんな突き放すような淡々たる言葉だけだった。
 私は話下手という訳ではないのだが、こと自分に関してはあまり語る事には気が進まなかった。私達は過去を振り返ってもほとんど良い思い出がない。そのためか、暗黙の内に昔の事は語らないようにしていた。どうせ思い出した所で今の自分達には何の糧にもならない。だからこそ、過去は全て切り捨てる。そう割り切って、私は魔術を、エルとシルは剣術を身に付けた。力のない、周囲に翻弄されてばかりだった頃の自分達を捨てるために。
 けれど。結局、私はどれほど変われたのだろうか?
 力は比べ物にならないほどついた。周囲の意見に圧迫されることもなく、自らの意思だけを貫ける。
 だが、それだけだ。
 私達は何も変わっていない。ただ、反撃の牙が大きく鋭くなっただけで。
 ずっと私は、今の自分を過去のしがらみから抜け出し、ただ純粋に強さと知識を求める求道者に昇華したものだと思っていた。でも、本当は違う。私の生き方には何の目標も課題もなく、ただその日その時に感じたままに生きているだけ。目的もなく、ただその力を持て余して生きている。フレイアにはそう指摘された。あながちそれは間違ってもいない。私は自身の実力に、少なくとも故郷であるニブルヘイムでは指折りのものだという自負がある。だがその人より優れたものを、私は自分とエルとシルを守る以外に使っていない。それは果たして有意義なものなのだろうか? いや、仮にそれが有意義ではないものだとしよう。ならば私達のこの人並はずれた力は、一体何に使えばいいのだ? フレイアと同じく、政権を奪取して理想の行政を行うために反政府組織を立ち上げる? ギルドのリストにある凶悪犯を片っ端から殺していく? 今もなお内戦の続く国に赴き、力ずくで鎮圧してしまう?
 分からない。
 幾ら考えようとも、行き着く先はここだ……。
「あの、せめてものお礼にこれを」
 ふとフレイアは襟元を開けて、両手を首の後ろへ回してごそごそと何やら動かす。そして差し出したそれは、白い石のついたペンダントだった。
「神器、『雪兎走』と言います。身に振りかかる危険を全て教えてくれます」
 これがそうか。
 あの暗闇の中で私の魔術を難なくかわしていったフレイアは、ゲイ・ヴォルグ以外の神器の存在を示唆していた。私はそれを、何らかの方法で所有者の回避行動を補助する機能を持ったものであると推測していたが、どうやらその推測は正しかったようだ。
 しかし、
「不要だ」
 私は背を向けながら拒否する。え、というフレイアの驚く声が耳を掠める。
「私は危険から逃げる事はとうの昔に辞めたのだ」
 危険を回避する事と、危険から逃げる事は根本的に全く異なるものだ。危険の回避とは戦闘技術、危険の逃避は単なる他者への依存だ。自分はその危険には関与しない。でも、どこかの誰かが解決してくれるだろう。そんな依存的な考え方が私は嫌いなのだ。自らが被る危険は自らで対処する。他人に幾ら期待しようとも守ってくれるものなどいやしないのだ。自らの身の安全を確保したいならば、自分が力をつけるしか他ない。
 彼女の意図する所との意味合いが少し違っているな。まあ、元々敗者に施しを受ける言われもないのだ。これ以上立ち話をするつもりもない。今度こそこの場を立ち去ろう。
 が。
「あなたはどうして強くなろうと思いましたか?」
 その一歩目を踏み出した瞬間、再び彼女の声が私を留めた。
「……関係のない事だ」
「それもそうですね」
 話してくれるという期待は持っていなかったらしく、それほど落胆の色が感じられない声色だ。しかし、彼女は更に言葉を続ける。
「私も、初めは弟達を守るために強くなろうと、そう思っていました」
 私も?
 まるで私の心の中を見透かしたかのような言葉だ。その言葉に間違いはないが、私は一言もそうとは言っていない。どうしてフレイアは、”も”などと口にしたのだろう? まさか……。
「弟達は双子で、しかも生まれつき目が不自由でした。これまでに幾つも苦労を重ねてきました。どれだけ二人が苦しんだのかは、いつも傍で見てきた私が一番良く知っているつもりです。だからこそ私は、こうして力を手に入れた今、現在の利権主義な行政を払拭して一人でも多くの人々を救済してやりたいと思い立ち、実行に移しました。結果こそこの通りですけど」
「昔話にも興味はない。じゃあな」
 そんなフレイアの言葉など一向に意に介さず、私はそのまま階段へ向かっていく。
「あの!」
 更に、私を止めるフレイアの声。けれど私は足を止めなかった。
「みんながみんな、あなたのように強くなれるとは限りません。せめて、それだけは分かって下さい」
 弱い奴は死ね。死にたくなければ強くなれ。自論ではなく、そんな現実の中で私達は生きてきた。自分にはどうしようもないからと周囲に期待するような連中、私にとっては道端の石と大して変わらない。
 私のように強くなれないから理解しろ? くだらん。そんなもの私の知った事ではない。
 しかし、私はそれを口にする事は出来なかった。
 そして。
 フレイアの最後の言葉も、私の脳裏から消し去る事が出来なかった。