BACK

 まるで空気を凍りつかせるような重苦しい静寂は、俺の耳元で不快な騒音を幾重にもかき鳴らす。
 ただじっと目を閉じているだけで、この場にいる全ての胸中が手に取るように分かる気がした。それは何も難しい事では無い。たった二種類の感情のどちらかが、多少露骨に現れ出るだけだからだ。
 優越と嫉妬。
 幾人もの意志や思惑が渦を巻き、舞台場の俺達に遠慮なく注ぎ込まれる。
 不快感。
 だが、そう思う事にも順応し、もしくは疲れたのだろうか、俺はいつまでも周囲の視線に気を取られる事は無かった。それは食べられる野菜の心理だと、そう思うようになったのは何時からだろうか。
 およそ百畳程の広さを持つ板張りの舞台。それは俺達二人のために、俺達が生まれる前に建てられたものだ。しかし実際は俺達のためでもなんでもない。一族を束ねる最長老と、両家の総括役であるそれぞれ長老衆の自己満足のためだ。
 ここへ上がる事を許されるのは、忌小路家の二派、それぞれの家督を継ぐ者だけである。そして上がる事は同時に、一つの伝統に縛られる事を許諾したことを意味する。
 ふと、俺は空を見上げた。どこまでも突き抜けそうなほどの青い空、風も穏やかで心地良くのどかな日差しが優しく降り注いでいる。こんな絶好の日和に、俺達はこんな年寄り共に囲まれ何をやっているのだろうか。思い浮かべるだけでも額の奥が重く痛む。
「これより月例演目を開始する。両者共、最長老殿に己が腕を存分に披露して差し上げるように」
 一線外れた甲高い声で開始を促す検分役。さも誇らしげに語るその台詞も、台本通り何十年何百年も変わり映えのしない文面だ。
 何もかもが俺にとっては目障りで鬱陶しく、そして不快なものだったが、この場所の舞台という表現だけは唯一気に入っていた。舞台とは役者が演ずる場所だからである。まさに俺のためにあるようなものだ。
 真っ黒な礼装束に頭をすっぽりと覆う頭巾。左腕には鈍銀色の鎖を巻きつけ、腰の背中側には白木の短刀を差している。後は右手に持っているこの真っ白な仮面を被れば完成だ。忌小路裏家、流派『源武』頭目、忌小路茜の出来上がりである。この舞台には欠かせない役者の一人だ。
 そして、欠かす事の出来ないもう一人の役者。それが、この同じ舞台上に居た。
 デザインこそ違えど、俺と同じく黒い礼装束と頭巾を被る一人の少女が俺と向かい合った向こう側に立っている。歳も同じく、体格もほぼ互角と言って良いだろう。共に発育途上の段階を出ない、思春期特有の小柄さだ。
 名前は、忌小路せつな。表家の家督を継ぐ、流派『幻舞』の頭目である。
 俺と同じ忌小路の姓を名乗ってはいるものの、兄弟という関係ではない。たまたま生まれた歳が同じ幼馴染で、たまたま似たような境遇だったから仲良くしていた。ただそれだけである。
 今、ここにいる俺が頭目としての忌小路茜であると同様に、せつなも頭目の忌小路せつなとしてここにいる。いわば同じ名前で違う自分を演じているようなものだ。
「茜様、御前であります。余所見をされませぬように」
 検分役の指摘に俺は何も言わず、視点をせつなのみに定めた。
 舞台の両側にそれぞれの長老衆が集まっている。俺の後ろには裏家の長老達が、そして対面するせつなの更に奥には表家の長老達の姿。必然的に俺は老人達の視線に挟まれる事になる。背後からは裏家の、正面からは表家の。それはせつなにとっても同じ事だ。不快に思う感覚の捉え方も含めてだ。
 そして、俺の右側には仰々しい輿に鎮座する、まるで枯れ木のような老人。それが俺達一族を統括する最長老だ。
 彼は必ず俺の立位置の右側に鎮座している。いや、俺が予めそうなるように立たされているのか。理由はなんてことは無い、単なる伝統だ。最長老から見て裏家の人間は、下手に位置しなければならないのである、
 小さく息を吐き、手にした真っ白な仮面を着ける。これもまた、素顔を隠して戦う流派『源武』の伝統だ。せつなは既に漆塗りの仮面を着けていた。これもまた流派『幻舞』の伝統である。
 御身児戯、奉り候。
 俺はいつものように、その言葉を口の中だけで唱える事から集中を始めた。
「始めィッ!」
 掛け声と同時に、俺は前傾姿勢のまませつなに向かい突進する構えを取った。同時に脳裏に描くのは、突き抜ける突風。そのイメージを自らと一体化させる。
 所詮は茶番。今度も気楽に行こう。そんな緩い気持ちが、描いたイメージをぼやけさせる。突風がまるで微風になってしまった。
 正面を見据え、目標との距離を定める。必要な距離を一気に駆け抜けて接近戦を挑むのだ。俺はどちらかといえば鎖を扱うのは得意ではないからである。
 だが。
 距離を測るよりも早く、俺の目の前に細く長い一筋の影が閃いた。せつなの左腕から放たれた鎖である。既にせつなは俺との距離を、鎖の射程範囲内にまで詰めていた。少々、イメージの描写に時間をかけ過ぎてしまったようだ。
 まるで大蛇がのた打ち回るかのように、山なりに襲い掛かるせつなの鎖。しかし俺はその直線的な軌道をしっかりと見極め、体を半身にそらしてかわす。そしてすぐに視点をせつなの左腕に向ける。俺達の持つ鎖の鞭は、一度繰り出しても軌道を自由自在に操る事が出来る。その起点となるのは鎖を持つ左手であるため、そこに注意すれば不規則な変化にも対応出来るのだ。
 せつなの左腕は、鎖を俺が身をそらした方向へ切った。途端に鎖は大きく横なりに曲線を描き、俺に向かって巻き付くように襲い掛かってくる。俺は舞台を蹴って鎖の上に体を打ち出した。空中で天地を逆にした姿勢を取る俺の頭上を鎖が鋭い音を立てて通過する。もしも直撃を受ければ骨の一本や二本は覚悟しなければならない。にも関わらず、俺は仮面の下でヒュッと口笛を吹いた。
 くるっと宙で回転し着地する。その隙を逃さず、すぐさませつなの鎖が唸りを上げて襲い掛かってきた。
 俺はイメージを描き、自らと同化させる。描いたイメージは、風に揺られる落ち葉。
 自分を落ち葉と同一視出来ると、襲い掛かるせつなの鎖が切り裂く空気の層を肌で感じることが出来た。その僅かな風圧に押される様を、まるで本当の落ち葉に成り切ったかのように、俺は縦横無尽に襲い掛かる鎖の撃を次々と紙一重でかわしていく。せつなの鎖は、木製とは言え鋼鉄に匹敵する強度を持つ舞台の床を一撃で大きく陥没させた。けれど、それほどの威力がありながらも俺の体は捉えられそうで捉える事は出来ない。棒を幾ら振り回しても落ち葉を捉える事が出来ないのと同じ理屈なのだ。
 さて、そろそろ来るかな。
 単調な鎖の嵐にそろそろ飽きてきた頃、遂にせつなは自ら接近戦を挑んできた。
 放った鎖を引き戻し、生き物のように左腕に巻きつける。それと同時に、腹上に差していた装飾の施された短刀に右手をかけて突進して来る。踏み出した足が三歩目を刻んだ瞬間、せつなはぐんと唐突に加速した。せつなも俺と同様に描いたイメージと自分を同一化したためである。大方、描いたイメージは突風だろうか。
 俺は落ち葉のイメージを切り捨て、腰の後ろに差した白木の短刀に右腕をかけて半身に構える。鎖を巻きつけた左腕をだらりと下げ、仮面越しにせつなの漆塗りの仮面をじっと見据える。
 遠距離戦では決定力に欠ける。そう踏んでの判断だろう。しかし、それは俺の思う壺でもある。俺が最も得意とするのは、中距離からの強襲だ。
 流派『幻舞』と『源武』には、精霊術法をベースにした自己暗示によって自らに特性を付加する技がある。風をイメージすれば身のこなしが研ぎ澄まされるように、落ち葉をイメージすれば限りなく存在を消し去る事が出来るように、時には比ゆ的なイメージすらも自身への暗示とする事が出来る。仮面を被る伝統も伊達や酔狂ではない。仮面を被る事で人は誰でも無くなり、そのため如何な人間にもなり切る事が出来る。その無個性さがこの自己暗示には必要なのだ。色のついたキャンバスに絵が描けないのと同じ事である。
 俺は描いたイメージと自分を同一化する。描いたイメージは比ゆ的な表現、爆発だ。
 せつなが自分の間合いに俺を捉えるよりも先に、間合いの外から先手を打って出た。
 引き絞った大弓から矢が猛然と放たれるように、俺は自分の体を蹴り出して爆発的にせつなとの間合いを瞬時で詰める。せつなにとっては数歩を必要とした距離を半歩で詰め切る。せつなの構えは十分な助走ありきの構えであるが、俺の構えは勢いを上体の捻りのみで作り出す事が出来る。そしてそれは、ただ抜き放って前方へ繰り出すだけの自然な動作で十分だ。
 抜き放った短刀の刃を真っ直ぐ突き出す。狙う先は喉元のやや下、鎖骨の合わせ目だ。
 実際、人間の中心線に沿ったポイントに攻撃を繰り出す事は、急所云々も含め非常に効率が良い。特に体の真ん中を狙う攻撃は、上にも下にも避ける事が難しい。必中とまではいかないが、奇襲の際はなかなか反応されにくいものだ。
 自分としてはせつなの意表をついた良い攻撃だと思っていた。
 だが。
 刃が触れる寸前でせつなの体は大きく後ろへ飛び退き、刃は空を切ってしまった。当てるつもりはなかったものの、これではおそらく当てに行ったとしてもきっとかわされてしまっただろう。
 まあいい。まだこれは取っ掛かりにしか過ぎない。ここからはしばらく、俺が機先を制させてもらうのだ。
 すかさず左腕をしならせながら前へ振り抜く。中空へ放たれた鎖は蛇のような意志を持ってせつなに襲いかかる。せつなは既に短刀を抜き放ち防御体勢へ移っている。だが、それも計算の内だ。
 俺は寸前で鎖の根元を右腕で掴み、下に向かって引き絞った。十分な加速を得られている鎖は驚いたように真上へ跳ね上がる。予想外の動きをしたであろう鎖の先端はせつなの短刀の柄を打ち、そのまま搦め捕った。
 奪い取った短刀を宙に投げ捨て、左腕で鎖を引き戻す。鎖はまたも蛇のように俺に向かって来ると、そのまま左腕に巻き付いた。そして右腕に鞘に収めたままの短刀を構え、再び脳裏に風のイメージを描く。今度は少々緩い風だ。
 自分の体を突風のように変えて駆る。
 せつなの立位置は舞台の端が近くもう後は無い。だから戦術のセオリーをなぞれば、全神経を前方に傾けるだろう。しかし俺は、あえてその裏をかく。
 同じくせつなも俺に向かって踏み込む。だがそれは俺とは違って躊躇いのある踏み込みだ。俺が、せつなが前に踏み込んでくると予測している事を察しているためだ。端を嫌って迂闊に飛び出した所で出鼻を挫かれてしまったら元も子もない。そのため、咄嗟に回避動作を取れる程度にしか踏み込めないのだ。
 俺にしてみればそこが付け入り所だ。警戒すればするほど視界は狭まり、僅かな予測範囲を超えた事態に直面してしまうと柔軟な対応が出来ず奇道が効果的に作用する。
 奇道とは大胆な発想と定石をものともしない決断力、そして新たな可能性に挑戦する事だ。即ち、遊びである。
 俺は加速した勢いを乗せ、そのまま舞台を蹴って上空へ。羽のように軽々と舞い上がる俺の体は上空で半回転し、またも視界の上下を逆転させた。
 眼下にはせつなの逆さまになった姿が見える。やはり、俺があえて舞台袖に飛ぼうとするとは予想していなかったのだろう。まるで俺を見失ってしまったかのように、唖然として俺がいたはずの方向に視線を釘付けている。
 俺は空宙で狙いを定め短刀を構えた右腕を振りかぶる。目標はせつなの後頭部。強固な頭蓋骨の終点である、人間の身体構造上最も衝撃に弱い所の一つだ。ここを撃てば、たとえ痛みを感じない人間がいたとしても立つ事は出来なくなる。意識が残っただけでも驚異的なのだ。命を落とすかもしれない、というのは決して最悪の結果ではなく当然のものだ。
 宙で反転したまま、俺は狙った通りせつなの後頭部に目がけて右腕を繰り出した。刀身を収めていた鞘は鍔を離れて支えを失い、繰り出した勢いに押されるがまま鋭く打ち出され、一直線にせつなの後頭部へ襲いかかる。
 しかし。
 突然、せつなの体が右足を軸にしてくるりと回り出す。左足で舞台を蹴った勢いのまま一回転した後、加速をつけた遠心力を乗せて、大きく左腕を掲げ上げ振り抜いた。その延長線を左腕の鎖がなぞる。せつなの左腕が放つ鎖は、その長さ分の空間を直線的に制圧する。
 すぐさま俺はイメージを描き、自分と同一化する。描いたイメージは、強固な鉄塊。
 放たれたせつなの鎖は肩から胸を通り脇腹にかけてを打ち、放った俺の鞘ごと俺を叩き落とした。木製の鞘は空中で粉々に砕け散ってしまう。その様を見て俺は、やはり鉄鞘の方にするべきだったか、と思った。だが鉄鞘は重く、本来の味気ない色を隠すために過剰な装飾が施される。やはり俺は地味でも温かさのある自然な色の木鞘が良い。
 跳躍に勢いをつけ過ぎていた俺の体は鎖の衝撃に、いとも容易く舞台を越えて場外へと放り出された。御前試合のルールには、舞台から先に落ちた方が敗者となる、という項目がある。幾ら自己暗示でも、自分を鳥と思い込んだ所で空を飛ぶ事は出来ない。人間には羽も翼も無いからだ。もっとも、ここから場外負けを回避する方法もあるにはあるが、そこまでする理由が俺には無かった。そろそろ頃合としても丁度良いのだ。
 背中から落ちようと思ったが、偶然にもそこは砂利だった。わざわざ汚れる事をする必要も無いし、痣を作る趣味も無い。俺は空中で体勢を戻すと、しっかりと足の裏から全身で衝撃を吸収しつつ着地する。
「場外、それまで! 勝者は表家頭目、忌小路せつな様です!」
 勝ち名乗りを聞き、わっと沸き立ったのは表家の長老衆だけだった。裏家の長老達は溜息一つつく事もせず、ただ優越感に浸る表家の長老達を一瞥すると最長老への挨拶もそこそこにこの場から去っていった。年甲斐も無く露骨な不快感を残していった裏家の長老衆だったが、表家の長老衆は誰一人として気には止めなかった。裏家にはそれ以上の事が決して出来ないことを知っているからである。そしてそれは、こんな茶番に付き合う俺にも同様に言える事だ。ただ異なるのは、俺は長老衆と違ってそこまで入れ込んではいないという点だ。丁度俺は反抗期の真っ只中である。押し付けられるものには反発するのだ。
「今月も、予定調和だな」
 俺は仮面を外して頭巾を取ると、鞘を失った短刀をそれで包み懐へ仕舞い込んだ。
 少し動いたから小腹が空いた。どこかに何か食べに行こう。ここ北斗では何を食べても旨いのだ。街に出れば迷ってしまうことは分かっているが、それを楽しむのもまた俺は好きなのだ。
 そう決めたからには早く行こう。
 俺も長老衆に続き、最長老の元へ駆けた。面倒だとは思うが決められた儀礼を欠かす事は出来ないのだ。少なくとも、頭目という立場上は。それが伝統というものなのだ。



TO BE CONTINUED...