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 俺は生まれつき眠りの浅い方だった。
 人間の睡眠には夢を見ている時間と見ていない時間が交互に訪れる周期がある。夢を見る時間帯は眠ってからすぐに訪れるのだが、俺の場合はそこから深い眠りへ陥る前に目が覚めかけてしまうのだ。俺の睡眠を例えるなら、浮き輪をつけたまま水の中へ潜ろうとするようなものだ。決して夜更かしをする訳でもなく、数字で言えば十分な睡眠時間のはずだが、起床の時間が来ても十分に寝た気がしない。挙句の果てに、見る夢の内容によっては疲労感すら覚える。一晩中走り回れば、それがたとえ夢だとしても体は疲れるものなのだ。
 ちっ……またか。
 俺は目を閉じながら舌打ちをした。せっかく深い所へ意識が落ちそうだったのに、ふとした拍子で水面まで浮かび上がってきてしまったのだ。
 暗がりの中で目をゆっくりと開く。
 日中でも我慢出来ないほど眠くなる事が時々あるというのに、何故か異様に目が冴えて仕方が無い。今なら好きなだけ眠れるのに眠れないなんて勿体無い。以前ならそんな苛立ちもあったのだろうが、既にこれが当たり前になってしまった俺にはもはや溜息以外に口から出てくるものはなかった。
 一旦、厠に行こう。それから水を飲んで落ち着いてからまた布団に戻ればいい。初めからやり直せば、いずれは眠くなる。
 俺は布団から這い出て部屋を後にする。
 秋に入ったとはいえ、夜はまだそれほどの寒さを感じなかった。夏場、暑くて寝苦しいのは術式でなんとでもなる。暑くても感じないように思い込めばいい。しかし寒さは違う。幾ら思い込んでも、体は確実に悴むし震えが止まらないのだ。
 今夜も結局目を覚ましてしまった。ここ二、三日、一晩に起きては寝てを何度も繰り返している。そのせいであまり眠った気がしないのだ。その分、日中は思い出したように突然睡魔に襲われる。人間が誰しも持つ一日のサイクルが、俺の場合狂ってしまっているのだ。そういう生活をしているためか、それともそういう家系なのか。それで考えるときっと後者だ、と俺は思った。
 特に眠れない夜は死んだ父親の事を思い出さされる。
 俺の父親は三年前に他界した。自殺である。父親は十年ほど前から心を患っていた。日常の何気ない事に酷く怯えて当り散らし、そのストレスが原因らしい。睡眠も俺以上に取っていなかった。一度眠れば必ず悪夢にうなされるからである。だから俺には父親との記憶はほとんど残っていない。情緒不安定な人間に跡目が接触する事を長老衆が許さなかったのだ。
 元々父には精神的に不安定な部分があったから、睡眠を取らなければ不安定さに拍車をかける事になる。特に最後の一年は酷かった。座敷牢に閉じ込められ、人間とは思えぬ声を叫び散らしていた。もはや人間らしさなど微塵も感じられなかった。そんな状態だったから、父が総括部に頭目から除名されたのも頷ける話だ。しかし忌小路家は今まで通り父を頭目とし、そして俺をその跡目とした。忌小路家は総括部など関係ないのだ。自分達が頭目だと決定した人間こそが、その瞬間から頭目になるのである。その閉鎖的な空間が淀みを生み出したのだと俺は思う。流れない水が腐るのと同じように。
 忌小路家の人間は、近年に生まれた人間ほど短命になる傾向がある。俺の母親も俺を生んだショックで気が触れて自殺したし、せつなの両親も徘徊癖があり、ある日外へ出て行ったきり二度と戻っては来なかった。今現在、忌小路家で十代の人間は俺とせつなだけだ。大抵は十に辿り着く前に気が触れてしまうか、幼少時に明らかに正常には育たないと判断されひっそりと間引かれるからである。
 忌小路家の血筋が呪われている訳ではない。ただ、初めからそういう家系だったのだ。それも当然だ。忌小路家は酷く閉鎖的な歴史を辿っており、近年まで平然と近親婚を繰り返してきたからである。外からの血を取り入れなかったのは、忌小路家の血が薄まるのを防ぐため。少なくとも家督を継ぐ者は、純粋な忌小路家の血筋の持ち主でなくてはならない。遥か昔にそう決められた仕来りに従ってきたのだ。
 俺は変化のない血の流れが淀んで毒を膿み出したのだと思っている。忌小路家は人間で言う所の自閉症なのだ。忌小路家にとって世界は自分達が中心に回っている。時代の流れから目を背け現状の維持ばかりに努めてきたから、時との軋轢が生じ血と心が歪んでいった。今の忌小路の姿はなるべくしてなったものだ。ただ、伝統が正しいと誤った形で解釈し盲信する長老衆には真実の姿が見えていない。伝統とは時代の流れに合わせつつも本質を次の世代に伝えていく事が正しいのだ。もっとも、俺がそんな事を唱えたところで、既に忌小路家は進退ままならぬ所にまで行き着いてしまっているのだが。
 深夜独特の静けさが不気味な厠をそそくさと出、台所で水瓶から水を一杯飲む。ふと空腹感を覚え、何か食べるものはないかと周囲をぐるりと見回す。しかしこれといったものは見つからず、俺もどうしても今なにかを食べなければならないほどではなかったので、諦めて台所を後にした。
 忌小路家の屋敷は非常に広く、たったこれだけの所用を足すだけでも随分とかかった。表家にしろ裏家にしろ宗家にしろ、屋敷の中に親戚一同を収めなければ気が済まないらしく、そのせいで集合住宅のように大きくなってしまっているのだ。しかも建物自体が旧態依然としているものだから、夜は尚更不気味さが増す。住み慣れているとは言っても、いまいち好きにはなれない。どうも俺は体質的に機能性やシンプルさを好む傾向にあるようだ。
「ん……?」
 ふと、俺は小さく声を漏らした。
 薄闇の中じっと目を凝らしてみると、どうも今自分が居る所が思った所と違う。どうやら来る時と違う道を辿ってしまったようだ。
 この屋敷は広いだけでなく廊下も四方八方に伸びている。昔から何度も増改築を繰り返したためだろう。非常に複雑な造りになってしまっている。俺は長く住んでいるからある程度は把握しているものの、やはり足元が覚束ない暗い時にはたまに道を間違えてしまうのだ。住んでいる人間でさえこうなのだから、来客など来た時は一人で迂闊に歩き回れないだろう。
 道を間違ったとは言っても、今居る場所さえ分かれば自分の部屋に戻るなど造作もない。少々遠回りになるが、引き返すよりは真っ直ぐ進んだ方が早いだろう。
 時間も時間という事で俺は出来る限り足音を立てない事を心がけた。イメージを描かなくとも、自己流ではあるが忍び足は割と得意な方である。稽古から抜け出す時、特に先生に見つからないようにするため自然と身についたのだ。それでも先生はさすがに鋭く、自分では完全に気配を消したつもりでも目ざとく見つけてくる。だから俺は更に裏をかき、あの手この手で先生を撒くのだ。考えてみれば、先生との稽古で上達したのはそういう技術ばかりだ。
 音を立てぬように廊下を歩く。しかし、元が古いせいかどうしても床板を踏み締めるたびにぎしぎしと軋む。こんな所を音も立てずに歩くなんて不可能だ。もしも出来る奴がいるとしたら、それは間違いない、幽霊の類だ。
 幽霊……ねえ。
 別段、そんなものを恐がる性格ではないのだが、やはり状況が並ぶとどうしても意識してしまう。だがそれは、幽霊という単語とその意味する所を知っているのなら、人間誰しもが当然の事だ。恐いとか恐くないとか、そんなものはまた別の問題なのだ。
 と。
 あれ?
 ふと俺は足を止めて前方を再確認した。
 襖が僅かに開き、そこから明かりが漏れている。
 一体こんな時間に何をしているのだろう?
 ふと興味の湧いた俺は、音を立てぬよう慎重になりながら覗き込んでみた。
 部屋の中には思ったよりも多くの人影が雁首を揃えている。それは裏家の長老衆だった。こんな時間に全ての長老が集まっている。それだけでも十分異常な事なのだが、その上、声こそ潜めてはいるものの部屋は物々しい雰囲気に包まれている。随分と白熱した論議を展開しているようだ。
 年寄りが雁首揃えて何の悪巧みだ?
 否が応にも興味を引かれた俺は、更に部屋の奥を注意深く見やる。
 あれは……。
 そこには一人明らかに異質な雰囲気を放つ青年の姿があった。
 出来る、と思った。青年は何気なく振る舞ってはいるものの、ただならぬ気配を感じるからである。
 服装からして、おそらく忌小路家とは縁も無い部外者だろう。けれど、そんな人間が何故、仮にも家長である俺に内緒で招き入れられているのだろう。本当に長老衆は何か企んでいるからなのだろうか。
 それにしても、絶対にどこかで見た覚えのある顔だ。一度か二度、何かしら公の場で顔と名前が報じられたのは間違いない。そこは覚えているのだが、肝心の内容まではすっぽり抜けている。覚えていないという事は、おそらくその時の俺は何の興味も抱かなかったのだろう。
 俺はこれ以上の興味が湧かなかった。会話の内容を聞こうにも声が小さ過ぎて聞こえないからである。そのため、俺は襖を離れてさっさと自室へ向かった。
「これ以上訓練きつくされても困るし。まさか、この歳で結婚ってのも嫌だな」
 有り得る話である。俺はこの家で一番上の立場であるはずなのだが、実質取り仕切っているのは長老衆だ。つまり俺は流派『源武』を宣伝するためだけの体のいい存在なのだ。出来る事と言えば、少なくとも老人達が作り出したシナリオが滞りなく進ませぬように駄々をこねるぐらいだろう。
 自室に辿りついた俺はすぐに布団の中へ潜り込んだ。すっかり布団は冷たくなっており、体温を奪われ思わず身震いをしてしまう。しかし、しばらく震えている内に布団も温まり、いつしか硬直していた体勢も緩んでいった。
 耳鳴りのするような静寂。俺は目を閉じてしばし喧騒に聞き入っていた。未だ眠気はやって来ず、閉じた瞼の裏側に幾つもの光の線が走りうねっていた。まるで行き場を求めている迷子のようだ、と思った。
 ふと、俺は昼間せつなに言われた言葉を思い出した。
 わざと負けさせられる事を悔しいと思わないのか。
 本音を言えば悔しいとは思わない。ただ、そうする事が俺の中では当たり前になってしまったから、今更疑問など抱かないだけなのだ。あれはただの儀式、勝つとか負けるとかは全く別の問題なのではないのか、と俺はそう思う。
 ならば、真剣勝負で負ければ少しは悔しく思うのか。不思議とその疑問に俺は答えられなかった。今まで真剣に勝負した事など一度もない。本気で戦ってその先に何があるのかと言えば、各々の価値観の問題になる。真剣勝負とは優劣をつけること。だが、俺はその優劣に興味は無いのだ。俺が本気で戦う状況があるとするのなら、自分の命がかかっている時だけだ。それも最優先するのは勝敗よりも身の安全の確保である。他に大切なものがあるだろうか? だから俺は思うのだ。せつなは勝敗とか優劣に対して過敏になっているだけだと。俺には逆にそこまでこだわる心理が理解できない。
 せつなは、どうして逆らおうと思うのだろう。忌小路家の伝統だから、決して何も変わらないなのに。
 変わらないからこそ伝統なのだ。老人達の結束は鉄よりも固い。老人達にとってその伝統が自分達の存在意義なのだ。だから伝統を打ち破るのは存在意義を奪う事、つまり忌小路家の全否定のみならず消失そのものを意味する。それが、忌小路家がなければ生きていく事の出来ない俺達にどうしてできるというのか。伝統や格式に対してどうこうしようと論ずる事自体が無意味なのだ。無意味と自己満足は似ていて全く異なるものである。
 俺は架空のせつなを相手に論じ、やがて眠りに落ちた。
 意外と早い眠りだった。
 そして、珍しくその晩は夢も見ず、朝まで二度と目を覚まさなかった。



TO BE CONTINUED...