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 その日、俺は午前中から南区に来ていた。
 いつもなら稽古に打ち込んでいる時間だったのだが、先生には今日一切稽古はやらないと言われてしまったのだ。ここ最近、朝から晩まで稽古詰めだったのと明日は御前試合であるため、息抜きをしろという事だそうだ。別に俺は息抜きが必要なほど疲れている訳ではないのだけど、先生に言わせれば疲れの蓄積は自覚症状が無く、気がついた時は手遅れになっている事が多いのだそうだ。逆に、俺に言わせてみれば、そういうのは体力に衰えを感じ始める年代の人間にしか当てはまらないと思うのだけど。
 なんにせよ。俺が先生を師と仰ぎ信用している以上、俺にとって先生の言葉は絶対だ。先生にそう言われたからにはこっそり自主練する訳にもいかない。言われた通り、と言うとまるで何も考えないで従っているように聞こえるけど、とにかく俺は今日一日は以前のようにだらだらと過ごすつもりだ。先生の目には疲れているように見えるこの体を休めるために。
 特に遊び相手もいなければ、いない事に不自由を感じる訳でもなく。世間一般では不憫の部類に含まれるそんな自分を客観的に疑問符をつけて見つめながら、露店で山羊のミルクで作ったお茶を飲んでいた。思ったよりも臭味が無く楽に飲める。けれど、二杯も飲むつもりにはなれなかった。お茶が悪い訳ではなく、気分にならないのだ。どうも一人で居ることが、いつの間にか辛く思うようになったらしいのである。
 それにしても、もう御前試合が来てしまったなんて。時間が跳躍している気がする。月に一度とは言え、どうしてもこの行事は好きになれない。しかも、今回はせつなの件もあるから余計に気が進まないのだ。
 あの日の以来、せつなとは一度たりとも顔を合わせてはいない。確かにあれは行き過ぎていたと思う。けれど、俺は俺でせつなはせつな、馴れ合いが過ぎて曖昧になっていた互いの価値観にきちんと区切りをつけるのは、少なからず痛みを伴う作業なのだ。だから俺は自分の良心に恥じ入る事は何一つ無い。しかし、それでも気まずさだけは隠し切れなかった。理由は何にせよ、俺がせつなを手加減した上で打ち負かした事はせつなの人格を踏み躙ったに等しいことなのだ、それに対する罪悪感が律儀にもしっかりと胸中に焼きついている。
 あれからせつなはどうしているのだろうか。
 気になるならば表家を訪ねれば良い、という訳にはいかないのが裏家当主の悲しい定めだ。表家と裏家は忌小路家の繁栄のために存在し、互いに協力し合う関係ではあるけれど、水面下では殺し合い寸前までにいがみ合っているのだ。そう簡単に裏家の人間に門戸は開いてくれない。かと言って、それが許されても本当に訪ねるのかどうかは分からない。俺は辛い事からすぐに逃げ出す人間だから、恐らく本人に気づかれぬよう探れる手段を模索し、その上で行動に出ないのが関の山だろう。
 今の俺を見たら、せつなはきっと驚くだろう。今まで散々嫌がっていた稽古に日長積極的に汗を流し、しかも刀まで使うようになっているのだから。先生には、未熟な腕を衆目に晒す事は恥だ、と言われているから、明日の御前試合で刀を使えないのが残念だ。前回の試合とは違い本物の剣術を披露出来るのだから、見てもいないせつなの驚く顔が目に浮かぶ。
 俺は席を立って店に空の器を返すと、再び街の中を歩き始めた。今日は気分が落ち着いているというのに、街の喧噪が少しも気にならなかった。自分をこの喧噪の一部とする事さえも当たり前のように感じ心地良かった。
 強くなる事は自分の首を絞める事にも繋がる。それだけ御前試合でわざと負ける事が難しくなるからだ。しかし決して勝ってはならない以上、敗北を演じるしかないのだが、互いの差が広まれば広まるほど演技は露骨になる。長老衆の目は騙せても、当事者同士の間では隠しようがない。だから、せつなに対してより大きな屈辱を与えてしまうのだ。
 せつなとて、毎日を無為に過ごしている訳ではない。俺が強くなった分、せつなも同じぐらい強くなるだろう。だからそんな心配は俺の単なる思い上がりでしかないのだ。結局俺の、俺達の日常は何も変わりはしない。飽くる事無く循環を繰り返し、やがて終着を迎える頃に狂気に落ちる。そんな人生を送るのだろう。だから、俺が自分に対して本気になった事で、その循環に穴を開けられればいいのだが。
 街中をぶらぶらと歩き回っては、時折露店を冷やかし、広場の隅に腰掛けてボーっとしてみたり、再び歩き回る。そんな事を繰り返している内に昼時になった。俺はたまたま目に入った小奇麗な定食屋に入り、日替わり定食を食べる。今日のメインは白身魚の蒸し焼きで、量は満足したが少々味が薄かった。体を動かす人間は味の濃いものを好む傾向にあるそうだが、きっと俺の場合もそうなのだろう。
 店を出れば、もう太陽が頂点から下り始めている。気がつくと午後に差し掛かってしまった、という感じだ。時間の流れがやけに早く感じる。稽古をしている時もこんな感覚だ。一息ついたと思えばもう半日経ってしまっている。俺の体感する時間と実際の時間とにはそれほどの差があるのだ。
 食後の腹ごなしにと、再び俺は街の中をぐるぐると回り始めた。
 北斗の街は本当に面白い。変わらぬ街並だけれど、いつ見ても新鮮で飽きる事が無い。それは街が生き物のように活力に溢れ、常に自分を変化させているからだ。今日、最善を尽くしたとしてもそこで満足せず、今を明日の底辺と考えているのである。
 以前の俺は、日長こんな風に一日を無為に過ごしていた。その時はそれほど時間というものの貴重さを意識していなかったのだが、精進するという目標が出来た今、一日という時間の価値がどれほどのものか身に良く染みる。自分を苛め抜いていないのに一日が終わる。先生は過剰な修練は身を滅ぼすため、一日の時間を八時間と定めている。稽古に取り組みだしてから今日まで、一日たりともその八時間の内に、自分に満足した事は無い。そう、一日たりともだ。頭の中に描いている目標に、いつも後少しの所で辿り着けないのである。それは八時間で辿り着けるものではないのか、もしくは俺自身の努力が足りないのかどちらかだ。
 五分という時間で一体どれほどの事が出来るのか。
 今ほどそれを重く見る事は無いだろう。たかが五分と侮り、あって無いように思っていた昔に比べて、今の俺なら五分という時間があれば型の確認をする事が出来る。時間の価値観とは人の意識によって変わるのだ。目標が無ければ徒に冗長し、ビジョンがあるのなら一片の冗長も許さない。時間の価値を知るのは大切な事だ。長かれ短かれ、人に許された時間には限りがある。どれだけ有意義な時間の使い方をしたのか、それが人の価値を決めるのだ。一度しか無い人生を薄っぺらく生きる事のなんと愚かしい事か。
 しばらく歩き回った後、俺は南区を後にして忌小路家の方へ向かった。
 もう辞めたはずの行動なのだけれど、やはり午後は忌小路家の裏山でごろごろと寝転がりながら過ごす事に決めたのだ。一度染みついた習慣はなかなか抜けてはくれないのだろう。怠惰な自分との完全な決別は未だ果たせていない表れだ。
 草むらに寝転がり、予め決められていたかのように雲の数を数える。しかし眠るどころか少しも落ち着けず、体の感覚が薄くなる事で頭の中が余計に鋭敏になってしまった。回転数の上がった頭は、有意義な事を全て考え尽くしてしまい、普段は必要としない事までも考え始めた。しかしその多くは俺に雑念をもたらすもので、結果的に頭が眠りとは正反対の覚醒状態へ向かってひた走っていく。俺は思考の暴走を止めようとは思わなかった。最近は体ばかり動かしていたのだから、たまには頭を動かすのもいい。先生の教えには、走っている時ほど自分の向かう方向を見失いがちになるから時折立ち止まって進行方向を確かめる事が必要だ、というものもあった。だから、今をその立ち止まる時にするのだ。
 思えば、俺は以前よりもせつなの事を考える事が多くなった。まさか、もう一度馴れ合いの関係を続けたいのだろうか? 馬鹿げているとは思うのだが、ただ、一人で居る事にどこか物足りなさを覚えているのは確かな事実だ。一人で居る時が一番心の安らぐ俺ではあるけれど、せつなだけは別だった。それは、俺と同じで忌小路家の血に翻弄される人生を送っているという仲間意識がそうさせているのかもしれない。
 けれど、せつなは俺から離れる事を自ら選んだ。せつなは縛られる事を拒み、自由に生きる事にこだわる性格である。自分の人生の大半は自分の意思で構成したいのだ。だから、表家頭目としての面目を俺の同情で立たせてもらっている事が許せなかったのだ。
 俺が馴れ合いを求める事は、せつなに対して同情する事になってしまう。せつなは俺から離れたいがために、あの日、俺に向けて刃を抜いたのだ。その意思を踏み躙る事など俺には出来ない。
 そう、今の俺にしてやれる事は何一つ無いのだ。何をしようとしても、俺はせつなを傷つける事しか出来ない。距離を置く事がせめてもの優しさになるのである。
 しかし、明日は御前試合だ。
 否が応にも同じ場所に立ち、同じ空気を味わい、同じ時間を共有しなければならない。予め結果の決まった儀式とは言え、刃を交える真剣勝負。そこに俺はどういった心構えで挑まなくてはいけないのだろうか? 表家の当主であるせつなに勝つ事は許されない。けれど、わざと負ける事はせつなに対しての侮辱になる。一番無難な決着は、本気で挑む俺をせつなが実力で圧倒する事だ。だがそれはほぼ有り得ない事だ。あまり考えたくはないのだが、俺が怠惰だった頃から既にせつなとの差はあまりに開き過ぎてしまっているのだから。
 やはり立ち止まるべきではなかった。そう俺は思った。
 何も考えず御前試合を走り抜け、それから立ち止まって後悔した方が遥かに楽に思うからである。俺は臆病なくせに成功も失敗も省みない人間だから、尚更だ。



TO BE CONTINUED...