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 御前試合当日。
 俺はいつものように、数名の男が担ぎ上げる輿に揺られて会場に向かっていた。その輿を中心に、前後に裏家の面子が軒を連ねている。ちょっとした大名行列、もしくは狐の嫁入りだ。恒例になっているとは言え、何度やってもこればかりは慣れる事が出来ない。正直恥ずかしいのだ。街中を練り歩く訳ではないのが唯一の救いだ。それにしても、幾ら伝統とは言え少しは恥ずかしいとは思わないのだろうか? 無くす事は出来なくとも簡略化する事ぐらいは出来るはずだ。俺は別に、舞台のある会場までは歩いて行けるというのに。
 黒い礼装束を身にまとう俺は、輿の中で一人憂鬱になっていた。白い無表情な仮面を右手の指に引っ掛けてくるくると回しながら、左手では肘と手首を使って巻きつけた鎖を解いたり締めたりを繰り返す。しかし視線はボーっと低い天井に向けられ、特に何かを見つめる訳でもなく泳がせていた。
 この憂鬱さは朝からずっと続いていた。確かに御前試合の日はいつも憂鬱なのだけど、今日は一段と憂鬱さが増している。一晩考えたけれど、結局どう試合を運べばいいのか答えが見つからなかったのだ。要は適度にせつなと組み合い、そして程好く引っ張った所で自然に負ける。ただそれだけの事なのだが、今回はそこに自らもう一つ制約を課している。最大限、せつなを侮辱しないという事だ。
 自惚れた制約ではあると我ながら思う。けれど、事実は事実なのだ。これまでのように俺がわざとらしく手加減して試合に負ければ、それをせつなが苦痛に感じる。だから、あたかも俺が本気を出したにも関わらず敗北してしまった、そう思わせなければならないのだ。だが、演技力に恵まれていればもしかすると容易な事なのかも知れないが、俺の演技力なんてせいぜい老人達の耄碌した目を誤魔化せる程度だ。無理に演じた所で、当事者であるせつなには絶対にそうと気づかれる。
 本当に、どうしたらいいのだろう?
 幾ら悩もうと、答えが出なかろうと、試合はすぐ目前に迫って来ている。ここで避ける事は出来ない。だから俺の事だ、きっと開き直りにも貫徹にもなれない、中途半端な事をしてしまうのだろう。最悪だ。
 どうにかして考え込まずに済む性格に自分を矯正出来ないものか。もしかすると俺の親父も、なんでも物事を考え込み過ぎたせいでああなってしまったのかもしれない。もしこれが遺伝による類似ならば、もうどうしようもならない気がする。そう俺は思った。
 と。
 その時、唐突に輿が止まった。時間的にもまだ会場には着いていないはず。合図も無しに急に止まるなんて、何かあったのだろうか?
「どうした?」
 外に向かってそう問いかけるものの、誰かが居るはずなのに答える者は一人もいなかった。
 一体何だと言うのか。俺は戸を開けて外の様子を見た。すると、俺は即座に伝わってきた異質な空気と共に、どうして誰も答えなかったのか、その疑問の答えを見つける事が出来た。
 前後十数人の団体で構成されている裏家の行列だが、そこから若干の距離を置いて周囲をぐるりと黒装束の集団が取り囲んでいる。しかも、全員が右手に小太刀や短刀を抜き身で持ち、左手には鈍銀色の鎖を巻き付けている。明らかに、俺達へ向ける戦意を示すための格好だ。まるで、いつでも武力行使に出られると言わんばかりに。
 これはどういう事だ……?
 俺は素早く脳裏にイメージを描き、自分と重ねた。描いたイメージは、鷹。俺が知る中で最も視力に優れていると思われる動物だ。普段よりもはっきりと遠くのものが見えるようになった目で、俺は黒装束の一人一人の風体を確かめた。顔には白木の仮面を被っているため顔までは分からないが、身につける装束は明らかに俺の知るものと同じデザインをしていた。表家の黒装束である。
 明らかに様子がおかしかった。確かに表家と裏家の関係はあまり良くはないが、表家は伝統により裏家に対して優位な立場が保証されている。見下しこそするものの、こちらから噛み付きでもしない限り決して敵意を向けたりはしない。だが、この緊迫した異様に冷たい空気は明らかに彼らの殺気によるものだ。
 俺は輿から飛び降りると、ずかずかと行列の一番前へ向かった。途中、長老衆らが俺を止めようとしたが、俺は力ずくで振り払った。少しでもこちらが退く様子を見せれば、その途端に食われてしまいそうだったからである。少なくとも、表家の連中には裏家に対する明確な殺気がある。原始的な争いの場に、論理という高等な観点は入る余地はないのだ。
「わざわざ出迎えに来たという様子でもなければ、我らに何用だ!」
 この渦巻く殺気に飲み込まれた裏家の士気を少しでも取り戻そうと、俺は決して普段はやらないような威圧的で重いドスを聞いた声を張り上げた。そんな俺の行動があまりに予想外だったのだろうか、一瞬表家の面々が怯みかけたのを俺は悟った。
 改めて表家の面々を眺めてみる。この中にせつながいるのだろうか、と姿を追ってみるものの、仮面で素顔が分からない以上見つけ出すのは不可能だ。せつなは俺と同じ成長期に差し掛かったばかりの小柄な体格をしているが、似たような体格の人間は忌小路家には幾らでも居る。大体が俺と同じ時期に成長が止まってしまったからだ。
「誰が仕切っている! 出て来い! さもなくば力ずくでも引き摺り出すぞ!」
 一向に反応を見せない表家の連中に向かって、更に俺はそうがなり立てた。
 だが。
「茜様、なりませぬぞ。今、ここで表家と争って何になるのか」
「左様でございます。頭数とて我々の方が遥かに下、戦士もあれほどおりませぬ故」
 すかさず後ろから長老衆が血相を変えて俺の袖を引っ張ってきた。
 なんて分からない連中なのか。俺は思わず溜息をつきそうになった。何も感情的になって喚き散らしている訳ではない。このまま表家と裏家がぶつかり合ったって、戦力の整っていない裏家に勝ち目がない事ぐらいは百も承知だ。それでも俺があえて強く出ているのは、一度下手に出てしまえばその時点で手綱を表家に取られてしまうからだ。戦力でも劣る上に相手にペースまで握られてしまえば、更に状況は悪化するのである。
「いいから下がってろ。邪魔だ」
 無理やり追いすがる長老衆を跳ね除け、俺はもう一度表家の面々を睨みつける。
 俺の強攻策は少なからず功を奏しているようだった。表家にとって圧倒的に有利な状況だと言うのに、慎重にこちらの出方を探っているようだったからである。迂闊に仕掛ければ、少なくとも自分達も沢山の血を流す事になるだろうと考えたのだろう。もっとも、いきなり不意打ちをかけず周囲を取り囲んでくる辺り、目的が交渉的な他の何かであると推測はしていたが。
 そして。
 ようやく本題に入るつもりになったのか、集団の中から一人がこちらに向かってきた。丁度表家と裏家との中間地点まで歩み寄ってくると、そっと顔を覆っていた仮面を外した。仮面の下から現れたのは壮年の男の顔、俺には見覚えのない顔だった。ただ、俺とほとんど背格好が変わらないのは少々不釣合いのように見える。
 一人で向かってきたという事は、おそらく交渉を求めているのだろう。ならば、こちらも俺が裏家代表として行くのが筋というものだ。俺は男の元へと歩を進めた。
「茜様、ゆめゆめ油断されませぬよう……」
「お気をつけ下さい。これは罠に違いありませぬ」
 尚もしつこく俺の背中に長老衆が口々に忠言らしきものを浴びせる。しかし俺は一切耳を貸さなかった。今、この場で最も状況が読めていないのは他でもなく長老衆だからである。
 進んで行く俺に対し、表裏両家の視線が一斉に集められた。まるで見世物のように見られる事には慣れているが、あまり気分の良い感覚ではなく、俺は自然と眉を潜めた厳しい表情をしていた。
「私は、表家若頭筆頭、忌小路否国と申します」
「裏家頭目、忌小路茜だ」
 男は一応の礼儀とばかりに恭しく名を名乗るものの、その視線は裏家に対する嫌悪感に満ちていた。表家にとって裏家の存在とは疎ましい事の方が多いからだろう。
「単刀直入に聞こう。これは一体何の真似だ? そして、何故この場に表家頭目が来ない? 俺に交渉を求めるならば、そちらも頭目を出すのが筋だろう」
「せつな様は訳あってこの場には来て頂いておりませぬ」
「訳?」
 問い返す俺に対し、男はそれ以上の詳細を答えなかった。どういう訳か知らないが、表家は裏家に対しせつなの所在を隠したいらしい。そんな印象を受けた。
「こちらも率直に申し上げましょう。あなた方裏家は、一体どちらにつくおつもりか?」
「どちらにつく? 一体何の話だ」
「知らぬとは言わせませぬ。裏家にもあの男が来ているはずでしょう。北斗に対し謀反を企むあの男が」
 北斗に対して謀反を?
 そんな馬鹿な。そう俺は思った。
 北斗はこの無政府国で最強最大規模の戦闘集団である。この街に恒久的な秩序が築かれているのは、単に北斗の絶大な力によるものである。それほどの軍事力を持つ組織を相手に、どうして反旗を翻せるのか。北斗十二衆は決してそう簡単に取り込めるほど脆い結束で構成されている訳ではない。幾ら内乱を起こすにしても、一体どれほどの戦力を保有すれば可能なのか。北斗の実力者は数人で幾つもの戦闘集団を壊滅させるほどの力を持っている。そんな事は物心つき始めた子供ですら知っている事実だ。ましてや、分別のある大人がそんな馬鹿げた事を本気で考え実行に移すなど到底ありえない。
 しかし、驚く事に俺には一つだけ心当たりがあった。本当にその人物が北斗への謀反などという戯けた事を考えているのかは別として、少なくとも裏家に接触した外部の人間は彼ぐらいしか思い当たらないのだ。
 それは数日前、俺に対して露骨な殺気をぶつけてきたあの青年だ。それ以前にも、真夜中に長老衆と密談している姿も俺は見ている。様子からして俺が知るよりも遥かに以前から接触を持っていたようである。男の言う謀反を企む男との接触が事実であるならば、この青年の行動は明らかに怪しむべきものである。
「彼は我が表家に対しこう言い放った。忌小路家が旧体制に固執し続けていれば必ず破綻が生じる。だから我々と共に北斗を変え、忌小路家の立場を一新し体制を作り直すべきだ。それによって、忌小路家は更なる繁栄と発展が約束される、と。だが、我々忌小路家には時が流れようとも決して曲げぬ信念というものがある。忌小路家は忌小路家の作法によってのみ成立するのだ、時代の流れで軽々しく変える信念など何の意味があるのか。我々表家は、そんな申し出など受ける訳にはいかぬ。忌小路家は今の姿が既に完成されているのだ」
 なるほど、如何にも革命家気取りの夢想者の言いそうな謳い文句だ。そんな誘い文句には忌小路家ではなくとも乗るはずがない。メリットばかり並べデメリットを全く説明しないのは詐欺の常套手段。よく注意すればいかに胡散臭いものか良く分かる。しかしよく考えてみれば。あの青年は忌小路家と縁も所縁もない人間でありながら、帯刀すら許されて裏家に頻繁に出入りし長老衆と接触を持ち続けていた、もしもあの青年が男の言う謀反人ならば、辿り着く答えはとんでもないものになる。それも、俺の知らぬ間にそこまで話が進んでいたのだとすれば、裏家にとって非常に深刻な問題となりかねない。
「おい、どういう事だ! 俺は何も聞いていないぞ!」
 俺は長老衆に向かって叫んだ。
 はっきりと何を問うているのかは言葉にしなかったが、長老衆は一様にぎくりとした表情を浮かべると、空かさず口を閉ざして各々に探るような視線をぶつけ合い始めた。あまりに分かりやすい反応だ。俺に後ろめたい事がある態度、自らぼろを出している。この場合は即ち、俺の知らぬ間に件の馬鹿げた思想を持った青年と接触し、あまつさえ密な関係を築いたという事実である。
「なんと情けない……。裏家は何を血迷うたか」
 男は再び仮面を被ると、挨拶も無くくるりと踵を返してこの場を離れる。
「今後お前達裏家は、二度と同じ忌小路の一族とは思わぬ。一族の恥は一族が雪ぐが仕来り、しかし忌小路家の作法に従って明日の明朝までの猶予をやろう。それまでに覚悟を決めるのだな」
 な……そんな……。
 俺は思わず唖然とせずにはいられなかった。
 一族からの追放を意味する言葉を、俺は俄かに受け入れる事が出来なかったのである。恥を雪ぐとはつまり、表家が裏家に対し武力行使を行うという事だ。本来なら同族争いは許されぬ事だが、裏家はそれ以上に許されぬ事をしてしまったため、戦うに正当な理由を得たのである。
 今、ここで釈明しなければ本当に表家裏家の全面戦争が起こってしまう。しかし、一体どう釈明すればいいのか言葉が思い浮かばなかった。裏家の頭目である自分が、知らなかった、で済まされる問題ではない。だが実際知らなかった以上、どうにか別な言葉で取り繕わなくてはいけない。俺が責任を被ろうとも、最悪の事態だけは避けられる言葉を。
 しかしその時。
「馬鹿め、滅びるのはお前達の方だ! 忌小路家は真に優れた我らが残れば良いわ!」
「丁度良いわ、明日は北斗が偉大なる変革を迎える良き日、貴様らのような愚図をついでに討つにはもってこいじゃ!」
 長老衆が口々に狂喜の声で叫んだ。
 それは表家に対する宣戦布告、そして北斗の内乱が起こるのは明日という暴露、反乱軍に裏家が組するという宣言だ。
 その瞬間、全身の血の気が引くような思いをしながら、俺はようやく全ての成り行きを理解した。あの青年は北斗への反乱を案じ、流派『幻舞』及び『源武』を味方に取り込もうと企んでいたのだ。きっと長老衆は表家にも出されたような何か旨そうな餌を出されたのだろう。元々裏家の長老衆は、表家に対するコンプレックスを持っていたのだ、そこを刺激されてしまえば落城は容易だ。表家は取り込む事に失敗したが、裏家の長老衆はまんまと誘いに乗ってきた。裏家を治めているのは俺ではなく、影響力の強い長老衆だ。だから俺に知らせる必要がなかったのだ。あの青年も、俺が単なる飾りでしかない事を知っていたに違いない。それでああやって俺をからかったのだ。
 長老衆もどうりで散々しつこく追いすがる訳だ。自分達が日の目を見る日を直前に、裏家の象徴でもある俺を失ってしまえば元も子も無い。それは表家にとっても同じで、戦の前にせつなを失ってしまえば、それだけで表家は敗北したも同然になってしまうのだから。
 なんだこの状況は。あまりに奇想天外で馬鹿ばかし過ぎて笑いも出てこない。しかし、忌小路家は非常識をあえて行う一族だ、決して現実離れしていない感覚が、如何に狂気と妄執に取り憑かれているのかよく分かる。
 ふざけるな、どいつもこいつも! これも伝統の御家芸なのかよ!
 しかし、俺はぎゅっと拳を握り締め寸出の所でその言葉を飲み込んだ。取り乱すのは賢い選択ではないからである。裏家を思っての事ではなく、俺自身のための選択だ。もはや俺が何を喚こうとも、取り返しのつかない状況に陥っているのだ。



TO BE CONTINUED...