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 眩暈。
 俺は今にも倒れてしまいそうだった。いや、いっそ倒れてしまいたかった。到底正気の沙汰とは思えないこの事態から、少しでも身を遠ざけたかったのである。
 目まぐるしく目の前の風景が移り変わっていく。破滅への行進曲、望みもしない行列に足並みを揃えさせられる俺の姿が実に滑稽だった。その上、頭の片隅にはそんな自分を楽しんでさえいる自分もいる。俺も大概頭がおかしい。理性がストレスの前に屈する姿を面白がっているのだから。
 本日の定例演舞は当然の事だが中止となった。しかし、それから後が酷かった。早速明朝の開戦に備えて作戦会議が開かれたが、頭目である俺が上座に席を置いてはいるものの、会議を仕切っているのは当然長老衆、俺に意見など一言も求めず時折議論の内容の確認をするだけで、俺はよく聞きもせずに頷くだけの作業を繰り返した。
 忌小路の一族同士で殺し合うなんて、とても正気の人間のする事じゃない。そう俺は思ったが、元々忌小路家に常識や正気なんて言葉は存在しない事を思い出した。人間というよりも獣に近い生き方をしているのだ。この程度の縄張り争いで驚いてはいられない。
 なんとか戦いを避ける事は出来ないのか。
 それは絶対に不可能だと諦めざるを得なかった。この場に会した一族の誰しもが、血走った目でいかに表家を完膚なきまでに打ちのめすか、表家の血筋を絶えさせるのかに夢中になっているからだ。裏家の中では発言力のない単なる子供でしかない俺に、彼らの燃え滾った血をねじ伏せるほどの力は無い。今の俺に出来るのは、ただ成り行きを見つめているだけだ。
「手緩いわ! ただ殺すだけで良いのか!? 我ら裏家は長きに渡って表家には虐げられて来たのじゃぞ!?」
「一族諸共縛り首にしてしまえ! 死体は八つ裂きにし豚の餌にしろ!」
 目の前でしきりに飛び交わされる暴力的な言葉。
 大の大人がまるで子供のように夢中になる光景はただただ異様としか言い様がなく、その上交わされる言葉の残酷さだけが大人のそれというギャップに、俺は吐き気を催した。
 今頃、表家の連中も似たような論議に血眼になっているのだろうか。
 この時ほど、自分の中に流れる忌小路の血が疎ましく感じた事はなかっただろう。ごく一般的な常識を持ち合わす大半の大人であれば、決してこのようなくだらない事に熱を上げたりはしない。どれだけ怒りや恨みの感情が強くとも、原始の意識が求める殺戮は必ず、社会性を維持するための秩序に従う理性によって抑えつけられる。だから、どれほど憎い人間であろうとも自らの手にかけたりはせず司法に委ねるのが当たり前の人間だ。戦争とて例外ではない。勝つための作戦こそ論議はするものの、殺す方法を論議するなんて普通の大人は決してやらない。後に道義的な問題を追求されるからではなく、良心が咎める倫理的な理由があるからだ。
 そう、だから忌小路家には良心なんてものなど存在しないのだ。そんなものよりも遥かに強い抑制力を持ったものが存在するからである。それは裏家の表家に対する憎悪の念であったり、忌小路家が忌小路家足り得るに必要な伝統であったりする。そんなものが人間が当然のように従うべき正しい道だと思ってるのだ。忌小路家がどれだけ歪んだ一族なのか、当事者である俺にさえよく分かる。世間もそんな風に俺達一族を見ているのだろう。忌み嫌うはずだ。名は体を現すと言うが、本当に忌小路家は忌むべき暗がりへも平気で足を突っ込んでいる。
 こんな事をして一体どうなるというのか。
 互いに首を絞めあって一族の存続を危うくするだけだ。いや、まして明日に北斗で大規模な内乱が起きる事を知っているというのに、どうしてお家騒動をやらなくてはいけないのか。何一つ有意義なものなど得られないというのに。同じ忌小路が同じ方向を向かなくてどうする。生物がみんな単頭なのと同じ理屈だ。一つの組織を滞りなく正常に動かすためには、頭は一つだけあるのが望ましく、しかし幾つもあるのであれば個々の意思統一が成されなければ自然と分裂してしまう。
 忌小路家が壊れていく。正気と狂気の境界線を危うげに辿っていた忌小路家が遂に均衡を崩し傾倒してしまった。しかし、驚くほど俺自身にその事に対する焦りや悲しみは無かった。俺にとっての忌小路家とは故郷や自分の居場所のような郷愁的なものではないからである。そう、強いて言うなら墓場だ。
 と。
「それでは茜様、明朝は件の段取りにてお願いいたします」
 突然、いつの間にか目の前にやってきていた長老にそう言われ、俺ははっと我に帰り垂れていた頭を上げた。
「あ、ああ……」
 ようやく会議は終わったようだ。内心、ホッと安堵したが、これによりいよいよ表家との全面戦争は避けられなくなった事になる。いつまでも腹の中に溜め込んでいる俺の言葉も、決して彼らに届く事は無い。
「茜様、これを」
 すると、長老は俺に一振りの装飾刀を恭しく差し出してきた。その刀に俺は見覚えがあった。先月の定例演舞の際、せつなを事故を装って死なせるよう渡された、俺の父親の遺品である。出来れば二度と目にしたくは無かった、苦い思い出のある刀だ。
「これがどうした?」
 突然差し出されても意味が分からず、そう俺は長老に問い返した。すると長老は怪訝そうに眉を潜めた。
「茜様はお疲れのようでございますね。僭越ながら私めが明日の戦について、もう一度簡潔にまとめ説明させていただきます」
 長老は装飾刀を受け取るよう更に俺に突き付けてくる。取らざるを得ない、と思った俺は渋々刀を受け取る。だが、すぐに不快感が胸に込み上げてきた。それは自分の趣味に合わないごてごてした装飾に対してではなく、刀の持つどこかおどろおどろしい雰囲気に対してだ。世間には妖刀などという所有者に祟る刀なんてものがあるが、それはきっと最初の所有者が祟られていた人間だから刀も自然とそうなってしまったのだろう。ペットは飼い主に似るというが、刀も持ち主に似るものなのだ。
「明日の戦は茜様に戦陣を切って頂きます。茜様にとっては初陣となるため少々荷が重く感じましょうが、御安心下さい。裏家の精鋭に茜様を護衛させます故、御身の心配をされる必要はありませぬ」
「待て。俺が真っ先に切り込むという事か? 何故だ?」
「裏家がどれだけ優れた力を持っているのか、表家のうつけ共に知らしめるためでございます。なに、表家の有象無象など幾ら束になろうが茜様には到底及びませぬ。裏家の優れた武を知らしめるに、これほどの好機はございませんでしょう」
 にんまりと笑みを浮かべる長老。その顔はまるで疣蟇蛙のようで、思わずこの刀を抜き放ちたい衝動に駆られた。そうでなくとも、俺は元々長老衆の事を疎ましく思っているのだ、余計癇に障る表情をされると、俺に対しての悪意ではないかと錯覚してしまう。
 所詮、俺は裏家の飾り人形か。
 裏家にとって俺の価値は広告塔程度のものでしかなく、この戦にとって重要なのは裏家が表家を倒す事、それも出来る限り目立つよう派手にだ。極論を言えば、俺の生死なんて関係ない。ただ裏家が表家に成り代わる事さえ出来ればそれでいいのだ。長老衆だけでなく、裏家の一族の全員がそう思っているのである。
 俺が壊れていく。
 目の前に突きつけられた現実に、普段当たり前に保っている思考体系が崩れていく音が聞こえてくる気がした。自分が自分でいる事を保つ事が出来ない。自分の描く自分像が、少しずつ周囲の求める忌小路茜に塗り替えられる。それは血が燃え滾るような興奮にも似て、同時に背筋の震えるような寒気が体中を駆け抜ける。言い知れぬ感覚に、俺はうつむきながら歯をカタカタと鳴らしていた。まるで何かに取り憑かれてしまったかのように。
 何故、忌小路家の人間はみんな狂って行ったのか。
 きっと、生まれつき意思が弱いからだ。何か辛い事に直面した時、切磋し立ち向かって打破するよりも狂気に逃げ込んでしまう方が楽なのである。全ての不快な感覚は断ち切られ、魂が解き放たれる解放感に浸れる。みんなそれを求めたのだ。体は既に、忌小路家の血に縛られているから。
 そして今、俺もそれを求めようとしている。
 狂気という魂の救済を。



TO BE CONTINUED...