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 今度はこちらから攻め込んでいこう。
 俺は基本的に後手に回るのは性に合わなかった。もしもあれが俺ならば、相手に攻め込まれる事を極端に嫌がるはず。だからそこに漬け込み、徹底的に揺さ振りをかけるのだ。力押しのような単純な戦法も、手を出す暇も無いほど敷き詰めてしまえば十分に脅威となるのである。
 俺は寝かせた刀を続いて下段に構えると、描いたイメージそのままに前方へ大きく自らを打ち出した。
 相手に接近する事を好むタイプは、逆に接近される事を嫌う。それは攻撃を仕掛ける事と迎え撃つ事とでは根本的に異なっているからである。そのため、敵に近づかれると大抵は間合いを一定に保とうとする。つまり、一方的に俺が攻められるのだ。
 刀は右手だけで構え、左腕をしならせながら鎖を繰り出す。狙うのは全ての行動の起点となる足だ。
 俺は鎖で脚を横薙ぎにかかった。だが、明らかに鎖はその人物の足を打ったにもかかわらず、その人物は打たれるがまま中空に身を投げると、そのままくるりと一回転して何事もなかったように着地した。また落ち葉のイメージを使って衝撃を受け流したのだろう。我ながら、このイメージは実に厄介だ。
 向かってくる攻撃の風圧を利用して紙一重でかわすか、衝撃に対して一切抵抗を行わずに外へ逃がすため、あのイメージを描いている以上は幾ら攻撃を繰り出しても効果は期待出来ない。無駄な体力を使わされるだけだろう。ダメージを奪うためには体を固定しなくてはならない。となると、俺は刀で仕掛けるよりも鎖で捕縛する方が先になるが、元々鎖の扱いは苦手であるため、無理に捕縛を狙うと逆に刀の方が疎かになる。それだけは注意しなくてはならない。あれが俺であるならば、一呼吸の隙さえ見つける事が出来れば一瞬で飛び込んで仕留める事が出来るからである。
 ゆらりと木の葉のように立つその人物。見れば見るほど昔の俺に良く似ていて嫌な感覚だ。だが、先程までの吐き気はもう感じなくなった。おそらく胆が据わったのだろう。
 ようやく落ち着いた自分の感情の針が向くまま一気に間合いを詰める。目測で相手を間合いに捉えている事を確認すると、下段に構えた刀を脇腹へ繰り出し、一気に切り上げた。しかし、その人物の体は振り上げられた刀に煽られるように舞い上がり、刃は僅かに装束へ食い込んだだけに終わった。
 その人物は宙でくるりと体を返し姿勢を整えると、左腕をしならせ鎖を放ってきた。鎖の軌道は丁度俺の側頭部に襲い掛かる形で弧を描いている。あれをまともに受ければ、頭の骨は粉々に砕けるだろう。しかし、この攻撃はフェイントである。そういった正攻法を決して行わない事は、他でもない俺自身が一番良く知っているのだ。
 次の瞬間、その人物は右手で左手から放たれている鎖の根元をぐいっと引っ張った。突然尾を引かれた鎖は急激に軌道を変え、描いていた弧は直線的な軌道となって俺の手元に襲い掛かってきた。
 やはりそう来たか。
 鎖で上方から仕掛けると見せかけて、実は手にした武器を狙って下から襲い掛かる。俺がよくやる手口だ。大概は最初の軌道に気を取られて意識が上に集まってしまい、急に襲い掛かられる下からの鎖に対して反応が鈍くなる。忌小路家同士の戦いでは武器を奪っただけでは決定打にならないが、何より武器を奪われたという精神的動揺がこちらを有利な状況に導くのだ。
 俺は内心にんまりと笑みを浮かべたい気分だった。何故なら、格好の獲物が早々と登場したからである。
 相手の手の内など見透かしている俺は、下から襲い掛かる鎖に対して十分余裕を持って反応出来ていた。当然みすみす刀をくれてやるはずもなく、俺は逆に襲い掛かってきた鎖を刀の柄に巻き取ると、後ろ足で一歩下がりながら鎖を強引に引っ張った。体が宙に浮かんでいれば、よほどの腕力差が無い限り力負けする事は有り得ない。引っ張り合いとは腕力だけではなく、地面に踏ん張った足や腰の力も収束するからである。
 力一杯引いた鎖は手の間に大きな弛みを作り、その弛みの分、空中のその人物は体を引かれて大きくバランスを崩した。腕を引かれたため、人間の身体構造上、一番重い頭が下を向いた姿勢で落下を始める。視界も狭まり、右手を振る程度までに行動の自由を制限され、圧倒的に俺が有利な状況となった。
 だが。
 その人物は再び鎖に右手をかけると、背を丸くすぼめるように鎖を引いた。すると上を向いていた下半身が左手を起点にぐるりと半円を描き、上下反転していた姿勢が元の状態に復帰した。そして右腕を伸ばして更に広く鎖を掴むと、丁度鎖にぶら下がるような体勢を取った。途端に鎖を絡め取っていた俺の刀にずしりと体重が圧し掛かってくる。そのため思わず刀身を下げてしまった。
 その人物は丁度、互いに歩み寄って五歩の距離の地点に着地した。
 すぐに俺は刀に絡めた鎖を外すと、逆に地面に落ちた鎖の上を踏み締ながらその人物に向かって飛び込んだ。鎖の上を走るのは、相手に鎖を使わせないためである。
 中段に構えた刀を水平に寝かせ、その人物の腹を狙って横一文字に薙ぎ払った。だが、やはり落ち葉のイメージを重ねているのか、その体は刀の風圧に押されるように紙一重の所で俺の斬撃をかわした。
 空を切った刀に振られ、僅かに体のバランスを崩す。すかさずその人物が踏みつけられていた鎖を強引に振り上げる。俺の体はバランスを崩していたためあえなく鎖を解放してしまい蹌踉めいた。すぐさまバランスを整えるものの、間髪入れず上から鎖が襲い掛かってきた。
 まずい!
 俺は鎖を何とか避けようと体を後ろへと蹴り出す。だが、すぐにその行為が失策である事に気がついた。俺の動きを確認した後で、鎖の軌道が急激に変わる。そう、最初の鎖撃と同じ事なのだ。上からの鎖撃は気をそらすための誘いであって、本命は下から急襲し武器を奪う事なのである。
 警戒していながら、まさかまんまとかかってしまうなんて。
 その動揺が俺の判断を鈍らせた。俺は急激に軌道を変えた鎖に刀の柄頭を打たせる事を許してしまい、あっさりと刀を跳ね上げられてしまった。
 俺は忘れていた。一度失敗した技をあえてもう一度使ってくる太々しさ、そしてあれだけ警戒していたにもかかわらずまんまと裏を欠けるこの賢しさが、幾重にも奇策を弄するかつての俺の戦い方である事を。
 手から離れた刀が宙に舞った直後、その人物が短刀を逆手に構えて踏み出してきた。未だ覚めやらぬ俺の動揺を好機と見たのだ。
 まだだ。まだ、終わりじゃない。
 俺は風のように踏み込んでくるその人物に向かって、あえて自分からも踏み込んで行った。短刀は元々小回りが利くため、接近戦では刀よりも遥かに脅威となる。人間の体など、たった親指ほどの刃物さえあれば容易に死に至らしめられるのだ。その恐ろしさは、かつて短刀を使っていた俺自身十分過ぎるほど理解している。
 それほどの威力を持ちながらも飛び抜けた速さで襲い掛かる短刀を前に、自ら踏み込んでいくなど自殺行為にも等しい。相対速度の事もあるのだが、何より短い刀身が迎え撃つには最適な形状だからである。だが、その人物の太刀筋は自分と同じ太刀筋である。どこを狙っているかだけでなく、どんな軌道を辿って襲い掛かるのか、それすらも俺は精確に把握しているのだ。だからどれだけ高速で進む展開の最中であろうとも、自分の太刀筋が目で追えないはずはない。
 右肩をやや高く持ち上げた姿勢で、右肘をぎゅっと曲げたまま逆手に構えた短刀を袈裟斬りに繰り出す。通常、袈裟斬りとは肩から脇腹にかけて切り下ろすものだが、その人物の短刀は丁度縮小した形で刃の入る口を左のうなじに定めていた。俺の首を落としにかかっているのだろう。忌小路家の切断のイメージの前には、俺の首など麻糸に等しい。
 だが、太刀筋は全て見えた。
 俺は、自分の首を鋭角に短刀が通過する様を脳裏に過ぎらせつつも、そこから体を一歩深く沈めて前へと踏み出す。それは微に入り細を穿つような絶妙の見切りだった。正に振り下ろされ宙を駆けている刃が自分に触れず、その上で可能な限りの接近を試みるという、爪ほどの空間を争う接近。生と死とが限りなく重なる瞬間を、体中の機能が止まってしまいそうなほどに全神経を集中させ、なんとか生きる側に踏み止まった。その境界線を放たれた刃が通り抜けていく。直後、俺の被っていた仮面が刃の辿った線を境に二つに分かれ、ゆらゆらと揺れながら宙に舞った。刃は俺の顔の皮よりも更に表層の仮面だけを両断したのだ。
 仮面が斜めに分かたれ宙を舞った。
 が。
 ふと、その時。何故かその人物の動きがそこで一瞬止まったのを俺は見た。
 どういう訳なのか。
 俺は考えなかった。それが俺にとって好機だったからである。
 放たれた刃は既に振り抜かれてしまっている。目の前には無防備なその人物の体だけがあった。すかさず俺は更に一歩踏み込むと、同時に懐に手を入れてそれを取り出した。長年使い慣れた、古木の鞘に収められた短刀である。
 互いに踏み込んだ俺達の体がぶつかる寸前、短刀を下から抉り上げるように鎖骨の合わせ目へ刺し込んだ。しかし、そこで止まらず、俺は更にもう一歩足を踏み締めると、より深く突き入れようと体ごと激しくぶつかっていった。
 骨を断つ硬い感触が指に伝わって来る。不覚にも俺は、その感覚を心地良いと思ってしまった。
 俺へ向かってきた反動と、俺の二歩の踏み込み、更に俺の全体重を加えた衝撃を受けたその人物の体は、驚くほど簡単に地から足が離れて弾け飛んだ。中空に赤い飛沫を撒き散らせながら大きく吹き飛んだ体は、その先にあった樹木に背中を強かに打ち付けると、そのまま樹木の根元に滑り落ちていった。
 勝った。
 胸の中に勝利を確信した喜びと、初めて人を手にかけた恐怖とが一気に込み上げてくる。俺はまるで魂が抜け落ちてしまったかのように、呆然とその場に立ち尽くしていた。血の滴る短刀はカタカタと震わせ、いびつな笑みを浮かべながら、樹木の根元に座り込むその人物を見ていた。
 何か言葉を思い浮かべているような気がしたが、それがどんな言葉かも分からなかった。ただただ、喉を絞められるような思いで、どうしていいのか分からなかった。あれほど冷たく回っていた思考が、今にも焼き切れそうである。
 と。
 その時、突然樹木の根元に蹲っていたその人物の顔を覆う仮面がするっと地面に落ちた。
 それを見た次の瞬間、俺は自分が総毛立つのを感じた。そこにあってはならないものを、俺は目にしてしまったからである。
「……え?」
 仮面の下から現れた顔は、他ならぬせつなの顔だった。そう、俺が今まで死力を振り絞って刃を交え命のやり取りをしていたのは、俺が正に救いに行こうとしていたせつなだったのである。
「せつな!」
 俺はすぐさまぐったりと座り込むせつなの元へ駆け寄った。そんな俺をせつなは血の気を失っていく顔をやっとの思いで持ち上げて見上げた。
「なあんだ、君だったんだ。戦って損しちゃったね……」
 そうせつなは薄く笑い、そして血を吐いた。気管に血が詰まり、息をするのもままならない様子だった。けれど今のせつなには咳をする余力すら残ってはいないのである。
「どうりで強いはずだよ。君に君のモノマネじゃ勝てないからね。でも良かった。君を殺さなくて済んで」
「せつな……どうしてお前が……!」
「それは私のセリフ。だって私は戦争なんかで死にたくないもの。茜君こそ、頭目のくせに逃げてきていいの?」
「俺は、俺は! お前だけでも逃がそうとして!」
「そっか。でも、なんか君らしいね。なんだかんだで結局は優しいところ」
 俺は何故こんな事になったのかようやく理解した。
 俺達は仮面を被っていたから、互いがそうと分からなかったのだ。元々、忌小路家は小柄な人間が多く、仮面を被ってしまえば大概似たような人間に見えてしまう。そして俺が自分と勘違いしそうになったのは、せつなはきっと俺のイメージを描いて戦っていからだろう。俺の姿に何らかの強さを見たからなのか、なんとしても生き残ろうとするためにだ。
「あーあ、こんな最後なんてやだなあ……。もうちょっとロマンチックなの期待してたけど、現実は厳しいね」
「ふざけんな……どうして俺は助けようとしていた奴を殺さなくちゃならないんだ!」
 俺は、こんな事をするために決意を決めたんじゃない。
 俺は、せめて、せめてせつなだけでもと、こんな狂った一族の諍いから救い出してやりたいと、そう思っていたのに。
 なんだ、これは。
 どうして俺が、せつなを手にかけなくてはならないのだ。
 俺はまた悪夢でも見ているのか?
 覚める事の無い、悪夢を。
「茜君ならきっとこうするってね、私、勝手に思ってたんだ。本当は忌小路家のために死ぬのはごめんだから、誰よりも真っ先に逃げるって。だから、私も一緒に逃げようとしたの。どさくさに紛れてさ。本当は駄目元だったんだけど、珍しく気が合ったみたいだね」
 そう弱々しい笑顔を浮かべてみせるせつな。しかし、またすぐにごふっと一溜りの血を吐いた。喋る事すらも辛そうな様子だったが、何故か笑顔だけは絶やさなかった。蒼白の頬と血で濡れた真っ赤な唇の対比が、強く俺の目に焼き付けられる。まるで刻み付けられているかのように。
 もう助からない。
 それは何より俺が知っていた。確実に死に至らしめる急所を狙ったのだから。
 俺は何て事をしてしまったのだ。
 結果論でしかないのだけれど、そう悔やまずにはいられなかった。
「俺は……本当に悪かった。お前には迷惑ばっかりかけて、親切の押し売りで散々傷つけて、その上こんな……」
 こんなに悔しいのに、涙は一滴も流れて来なかった。俺には与えられず生まれて来たのか、それとも悲しい振りをしているだけで心の奥では何とも思っていないのか、感情と生理現象とが連結しない事をただただ歯痒く思うだけだった。
 と、震えるせつなの手が伸びて来ると、そっと俺の頬をなぞった。まるで氷のように冷たく、俺と対等に渡り合えていたのが不思議なほどか細く弱々しい指だった。思わずその指に自分の手を重ねる。こんなにもせつなの手が小さいなんて。俺は今まで意識して触れた事がなかっただけに、初めて意識するせつなの手の感触に胸が張り裂けそうになった。
「私……もう怒ってないから。今まで、ありがとね」
 何を急に言い出すんだ。
 俺にはその言葉を口にする暇を与えられなかった。
 その言葉を最後に、せつなは静かに目を閉じるとそのまま最後の呼吸を終えた。それからもう動かなかった。どれだけ呼びかけても、肩を揺り動かしても、ただ癖のない真っ直ぐな黒髪がさらさらと揺れ動くだけだった。
 どうして。
 どうして。
 どうして。
 俺は目の前の現実を受け入れる事が出来ず、ただ同じ問いかけを無為に繰り返し続けた。
 繰り返して、繰り返して、ただ繰り返して。
 他に考えられる全ての希望的観測を洗い浚い考え尽くして。
 それをまた、何度も、何度も、何度も繰り返して。
 そして、最後に小さな小さな溜息を一つ、ついた。



TO BE CONTINUED...