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 張り詰めた現場の空気は、俺の四肢を古木のように固く硬直させる。緊張とは、集中と自虐との紙一重だ。しかし周囲の緊張は別物で、俺に自滅への後押ししかしてこない。だから心を強く持ち、頭の中をクリアに、柔軟に努める。その境地に達する事が出来れば、固く強ばった四肢は自然としなやかな鞭のようになり、集中力の強弱も己の意志一つでコントロール出来るようになるのだ。
 視界の先には、頭を押さえたまま床へ俯せに突っ伏す一般人の姿が幾つもあった。今のところ新しい死傷者の報告は受けていないが、『やつら』は兎角動くものに反応する。そこは人間と同じで、無闇矢鱈にトリガーを与える行動はあまり賢明と呼べない。
 アサルトライフルを構えたまま、慎重に百八十度の周囲を見回し確認する。床には伏せた一般人と飛び散ったガラスの破片、そして幾つかの散乱した荷物があった。ATMコーナーでは、たまたま利用中だった客の何人かが屈み込んで震えており、ATMが吐き出した通帳を一向に取ろうとしない利用者へ機械的な警告を繰り返している。
 僅かに硝煙の匂いも残っている。周囲の荒れ様から察するに、犯人は威嚇目的で銃を乱射したのだろう。大手銀行の本店という事もあって本来は高級ホテルのように美しい内装だったのが今では見る影も無い。
 正面から入ってすぐの場所には大きな血溜まりが生々しく残っている。今回の事件で最初に犠牲となった人間のものだろう。その生々しい跡が何より俺の緊張を掻き立てて来る。
 周囲の空気を匂い、犯人が付近に潜んで居ないと判断した俺は、入り口すぐ脇の壁にぴったりと背をつけ後続に指で突入の合図をする。すぐさま部下達は音も無く迅速に行内へ入って行くと、入り口付近へ扇状の陣形を作った。
 俺達の突入に気づいた一般人は、助けが来たとばかりにすぐさま立ち上がろうとする。しかし、部下の一人が周囲はまだ危険な状況であるからと、沈黙と姿勢維持のサインを投げかけた。
 まずは窓口ロビー一帯の安全確保だ。
 俺は部下達へ前進のサインを送る。それを受けた部下達は、アサルトライフルの安全装置を外してゆっくりと前進を始める。第一列目は腰を屈めた低い態勢で、第二列目がそれをサポートする形で進む陣形である。犯人がどのような場所に潜み、どのようなタイミングで飛び出して来ても、迅速に対応する事が可能なのである。
『隊長、窓口近辺に犯人の姿は確認出来ません』
 と、イヤホンから部下の通信が飛び込んで来る。
『熱源も感知出来なかったか?』
『ええ。サーモセンサー、振動センサー、どれにも反応はありません』
 やつらは人間よりも多くの熱を排気し続けなければ自らを維持する事が出来ない。ましてそれが戦闘用ともなれば、時にはっきりと肌で感じる事が出来るほどの熱流が生まれる。センサーをある程度騙す偽装技術は存在する事はするのだが、それは違法技術として法的に研究や販売を禁止されている。よって我々のレーダーを完全に欺く事はほぼ不可能だ。
『予定通りに部隊を分けるぞ。救助班は速やかに一般人を避難させろ。突入班はこのまま俺について来い』
 俺は窓口横の通路を抜け、更に奥の行員スペースへと入り込んでいった。
 ここから先は、進めば進むほど犯人との遭遇率が高くなる危険な場所だ。自分は元より、部下達にも細心の注意を払ってもらう必要がある。警戒するのは各自の保身ためではない。もしも仲間がやられてしまった場合、人間の精神はいとも簡単に揺らいでしまうものだからである。チームワークを高上させるには、相互の結束力が重要になる。しかしその結束力も、不測の事態にはかえって仇になってしまうものだ。
『ここからは身を隠す場所が多い。各自、慎重に進んで来い』
 部下達への影響を考えるのであれば、隊長である自分が前線に出るべきではない。しかし、俺達の部隊は発足からの歴史が浅く部下達の能力には大きなばらつきがある。そのためどうしても、体を動かせるものは現場へ出ざるを得ない。
 窓口より中側は、普段目にする事はあっても実際に入る機会は無いため、非常に見慣れない構成という感が否めなかった。しかし、基本的に実戦にて守るべき事柄は一緒であるから、それさえ厳守していればある程度の問題は回避出来る。しかし、慣れないものへの不安感は、経験の足りないものほど強く湧き上がってくる。深刻な問題はむしろこれの方だ。
 本来なら画一的なスパンで並べられているはずの机は、その幾つかが無残にも破壊され、中には爆発でも起こったかのように吹き飛ばされ引っ繰り返っているものもある。それらを追っていけば、犯人がどういった経路を辿って行ったのかがある程度予想がつく。後はそこを慎重に辿っていけば良い。
 と。
『隊長、犯人の機種が特定出来ました』
 イヤホンから内勤班の声が聞こえて来る。
『続けろ』
『犯人はアートウェアグループ社の新機種、メタトロンです。最たる特徴として、戦闘型ロボットでは初めとの試みとなるマルチプロセッサシステムの採用しています。これによりメタトロンは、一機にて複数の機体分の処理効率を実現としています』
『つまり、一つの体に複数の頭がついているようなものか』
『ええ。そして厄介な事に、メタトロンには全方位攻撃システムが搭載されています。特殊ファイバーを軸とした羽が背部へ搭載されていますが、その羽の一本一本がエネルギー体で構成されており、三百六十度、オールレンジに射出が可能です。前機種のサンダルフォンは補助CPUにて制御していましたが、メタトロンは攻撃判断を搭載されたプロセッサ分に分散化します。つまり、補助CPUが三つあれば、三人がそれぞれ個別の判断能力と攻撃力を有している事と同等になります』
 こういったオートタイプの武器を持った機種は非常に厄介だ。実際の動作とこちらの認識に差異を生みやすいからである。特に今回の場合は犯人の仕様がマルチプロセッサという非常に特殊な形態であるため、事前に情報を入手出来たか否かで大きく状況は変わっただろう。とは言っても、具体的な打開策も見えてない以上、何も分からずにやられるのが何をすればいいのか分からずにやられるだけになっただけなのだが。
 さて、どうやって攻略しようか。
 大口径のフォトンライフルを使えば火力で負ける事はないだろう。自分達にはそれら高出力兵器を扱うだけの権限もある。しかし、生存者の保護は最優先されなければならない。こういった武器は、明らかに一般人が付近にいないと分かる状況でのみ使うものだ。幾ら犯人の鎮圧を目的としても一般人を巻き込む訳にはいかない。
 同時に複数人で攻撃を仕掛ければどうだろうか。メタトロンが搭載するプロセッサよりも多い人数で攻撃を仕掛ければ、一人ぐらいは攻撃を成功させられるだろう。けれど、その他はメタトロンの攻撃を浴びてしまう事になるし、そもそも一つのプロセッサで一度に何人攻撃出来るのかも分からないのだから、単純に足し引きだけで考えるべきではない。
『メタトロンの攻撃システムの有効範囲はどうなっている?』
『仕様書レベルの回答になりますが、最短射程距離は五メートルとなっています』
『それより内側に入った場合はどうなる?』
『推測ですが、メタトロン自身が攻撃を仕掛けると思います。設計上、格闘戦にも対応出来るほどの運動能力を持っていますので』
 となれば、勝負はその五メートルの境界線になる。如何に迅速にそこへ飛び込み、尚且つ相手の格闘能力を上まれるか。それがこの勝負の雌雄を決するだろう。
 その時、
『隊長、こちらで物音がします。第一応接室です』
『分かった。総員第一応接室へ向かえ。突入するぞ』
 とにかく、生存者は可能な限り救出しなければならない。一人を助けるために三人も五人も危険に晒すのは本末転倒のように思うが、世間は警察三人の命よりも一般人一人の命の方に、過敏なまでに反応する。極端な言い方をすれば、死んで当たり前、それが仕事なんだから、という考え方をしているのである。
 かと言って、部下を死なせれば当然責任を追及されるのは隊長である自分だ。この板挟みの構図はどこの管理職も一緒だろうが、なんともし難いものだ。
 俺は目標の部屋の前で、左右一列に部下を陣取らせる。このまま切り込み役がドアを突き破って一気に侵入、残った者で後ろから援護を行うという段取りだ。兎角、援護射撃の訓練には最も力を注いでいる。最低限、それが出来なければ現場での使い道は無いからだ。
『敵は五メートルよりも内側には自動攻撃が出来ない。躊躇わず一気に間合いを詰めろ。そこが勝負だ。後列は長く姿を晒さず、適度に分散化させろ。パターンを読まれたら狙い撃ちにされると思え』
 こくりと頷き合う部下達。しかし、その中の幾人かには悪い緊張の色が隠せなかった。経験を積んでいる者は己をうまくコントロール出来るため、適度な緊張状態を作って臨む。しかし経験が乏しければ不安ばかりが先行するため、どうしても力みがちになってしまうのだ。もっとも、こればかりは実戦を何度も経験して積み上げなければならないものであるから、震えるルーキーにも訓練を思い出して乗り越えて貰うしか他無い。
 アサルトライフルを再度確かめ、周囲に分かるよう掌を頭の上に掲げて見せる。そしてゆっくりと指を一本ずつ折り曲げ、突入のカウントダウンを始めた。同時に、きんっと空気が張り詰めていく緊張感が周囲へ広がった。俺自身の主観がそうと錯覚している訳ではない。緊張とは実在する空気の淀みなのだ。自分では頭の中をクリアにしているからこそ尚更、自分と周囲との緊張が明確な温度差となって感ずる事が出来るのである。
 三、二、一。
 そして、最後の指を折り曲げる。直後、
「突入ッ!」
 自らの掛け声を合図に、俺は応接室の部屋を蹴破った。
 まず飛び込んだ俺はすぐさま床を蹴って自らの体を右へ転がす。それに続き、部下達がアサルトライフルを構えたままどっと部屋の中へ雪崩れ込んで来る。しかし、突入直後は誰一人として敵となる標的を認識する事が出来ない。認識と判断にブランクのある人間だからこそ生ずるタイムラグだ。
 敵はどこだ……?
 肌で空気を探りながら状況の把握を自らに従事させる。僅かな盲目の時間にも決して慌てる事は無い。自分が相手を認識出来ないのと同様に、相手もこちらを認識する事は出来ていないからである。
 一呼吸後、俺は室内にある二つの人影を認識する事が出来た。
 それは、ビジネススーツを着込んだ一人の壮年の男と、背中に天使のような羽を生やした異形の青年だった。壮年の男性はおそらくこの銀行の頭取、そして翼を生やした青年は件の『メタトロン』だろう。
「我々はカオスだ! おとなしく投降しろ!」
 一同の銃口は一斉に青年の方へ向けられる。けれど振り向いた青年は悠然とした表情でこちらを見やり、そして微笑みさえ浮かべた。まるで俺達を物ともしないと自らの力を誇示しているのだろうか。
 これがメタトロンか……。
 青年の背中には、身長程もある一対の巨大な翼が青白く輝いている。翼骨を除いた全てがエネルギー体の疑似羽との事だが、確かに羽の形はしているものの羽らしい柔らかさがまるで感じられない。あれだけの羽が自由自在に撃ち込まれるのは相当な脅威である。レーザー兵器ならばまだ対処方法はあるが、質量を持ったエネルギー体では如何ともし難い。生身のこちらとしては、かわす事よりも狙われない事に神経を注ぎたいものである。
 しかし、
「待って下さい、私には戦闘の意思はありません」