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 オフは専ら買い物だけで終わる事が多かった。買い物といってもほとんどが日用品の買出しで、それらは全て夕霧に任せている。俺のやる事は来るまで夕霧を送迎するだけだ。買い物が終わるまでは公園や喫茶店でぶらぶらしてばかりいる。
 そんな俺にアイダは、何か趣味を持つべきだとアドバイスしてくれる。趣味を持たない人間はいつの間にか仕事が趣味となり、人よりも早く歳を取って早死にするそうだ。科学的な根拠もない迷信だけれど、確かに仕事以外に趣味は持った方が精神衛生上は良いと思う。だが俺は、幼い頃から何か一つに熱中した記憶が無い。飽きっぽく冷めやすいため、何をしても長続きはしないのである。
 昼下がりの公園には、はしゃぎ声を上げて走り回る子供達とその母親達がベンチで佇む様、そしてホットドッグを売る屋台があった。俺はたっぷりとマスタードをかけたホットドッグを一つ購入し、ベンチへ腰を下ろしてのんびりと頬張る。ここのホットドッグはとにかくサイズが大きい。大人でも小腹が空いた程度ならばこれ一つで満腹になるぐらいだ。これをゆっくりと食べて終わる頃、大体夕霧の買い物も終わる。いわば砂時計の代わりのようなものである。
 そういえば以前、アイダがホットドッグを食べる俺を見て、二度とそんなものを食べるな、と血相を変えた事があった。アイダにとって食事とは必ずテーブルの上でナイフとフォークがあって成立するものであり、手掴みの食事なんて理解し難いのだろう。俺にしてみればテーブルマナーの付きまとう食事なんて堅苦しくて肩が凝るものなのだが。どうしてアイダはこうも価値観の違う俺なんかが良いのだろうか。案外、仕事が忙し過ぎて出会いが無いから手近な俺で手を打っただけなのかもしれない。
 公園の中心にある噴水へ視線を移す。ここの噴水は時間ごとに水の噴出すパターンが変わり、そのパターンは週ごとに更新されている。だが特別なアナウンスがある訳でもなく、意外と知られていない事だ。もっとも、このご時世に噴水を日長眺めているなんてよほどする事の無い人間だろう。
 しばらくして、ホットドッグを全て食べ終えてしまった。ナプキンで口元を拭い包装紙とまとめてぐしゃりと握り潰す。夕霧からの連絡はまだ来ていない。いつもよりも時間がかかっているのか、それともいつもより早く俺が食べてしまったのか。どちらにせよ、もうしばし夕霧からの連絡を待たなければいけない事に変わりは無い。
 俺はベンチへ背を預け首をぐるりと回し肩を鳴らした。
 と。
「ん?」
 ふと、視界の隅に映ったのは一人の青年だった。
 青年は大きなゴミ袋とゴミばさみを手にして公園に落ちているゴミを拾っている。時折、子供達に突付かれ笑顔で相対している。見た限りでは特に変哲も無い日常の一風景である。しかし、その青年は明らかに人間型ロボットだった。俺は仕事柄数多くの人間型ロボットを見ているものの、この青年がロボットだと判断するにはそんな経験が無くても青年の髪を見るだけで十分だった。青年の髪は蛍光色の薄緑で、光の加減で薄青にも見えるようなものだからである。
 そういえば、以前からこのロボットは時折街中で見かけている事を思い出した。確か先週は夕霧と大通りを歩いていた時、石畳に吐き捨てられ硬化した古いガムを剥がしていた。その時も彼一人で作業していたため、何となく違和感を感じて記憶にやや強く残っていたのだ。
 付近を見渡してもやはり所有者らしい人間は見当たらない。俺も夕霧をよく一人で歩かせているが、それは買い物といった用事の時だけだ。ロボットだけに清掃作業をやらせて監督もしないなんて聞いた事が無い。
 俺は訝しげに青年を監視していた。今日はオフではあるが拳銃と身分証は常に携帯している。もしもあのロボットが何らかの制御から逸脱しているのであれば即座に対処する事が可能だ。
 やがて、青年が俺の傍まで回って来た。すると青年は、
「そちらはもう宜しいでしょうか?」
 と、俺に訊ねて来た。青年が俺に問うているのは、俺が先ほど食べ終えたホットドッグの紙くずの事だった。俺は一言答えて頷き返し、青年が広げて向けたゴミ袋の中へ紙くずを放った。
「すみません、ベンチの下のゴミを集めたいので、しばし譲っていただけないでしょうか?」
「ああ、構わない」
 そう答えて俺はベンチから立ち上がった。青年は一礼してベンチの前に跪き、ベンチの下を探し始める。
 青年の態度は実に礼儀正しかった。だが、よほど熱心に掃除をしていたのか、着ている服は酷く汚れている。いや、汚れの様子からするとあらかじめ汚すために用意した服のようだ。どうやら青年は相当長い間、街中で清掃活動をしてるようである。
 何となく気にかかった俺は、普段からの携帯が義務付けられているカオスのモバイルを立ち上げ青年を検索してみた。モバイルは衛国総省のデータベースに直結し、その膨大なデータから即座に該当する情報を見つけ出して来た。
 桜塚工業技術団が製作した五年程前のモデルで桜塚にとっては初の家庭用ロボットでシリーズ名は『雲雀』。登録者はベネディクタ=クラウゼル。以前の登録者は彼女の夫だったが、彼が死去したため登録者が彼女に変更されたようである。
 彼女が所持しているロボットはこの青年一人だけのようである。生活補助を目的として購入したのならば、何故このように放任しているのだろうか。所有責任を放棄している、とまでは言わないが、あまり好ましい状況でも無い。
 念のため、彼についてはもう少し調べておこう。万が一、という事もある。ここには一般人も多数いるのだ、援護を求めている暇などないだろう。
 俺は屈み込んでゴミを探る青年に話しかけてみた。
「一体何をしているんだ?」
「清掃作業です。この区の清掃業者は月に二度しか作業を行いませんので、私が代わりに」
「それは君の所有者の命令で?」
「いいえ。私の所有者である主人は昨年死去いたしました。今の私の所有者は主人の奥様です」
 若干会話が噛み合っていない。
 ロボットにはよくある事だが、違和感のある台詞は額を重くさせる感覚があり、俺は眉を潜めた。もしかすると、青年は人間の死という現象を理解していないのかもしれない。所有者と主人を別なものと認識しているのだろう。
 エモーションシステムを持つロボットが自発的な行動を取るのは珍しい事ではなかったが、死んだ人間の遺志を命令として継続するロボットは聞いた事が無い。こういった症例は過去にあるのか、後で調べておく必要がありそうだ。
「あの、失礼ですがあなたは?」
 やがてベンチの下から這い出て来た青年は不思議そうな表情でそう俺に訊ねた。立ち入った質問をされた事に疑問を持ったのだろう。俺は上着からカオスの身分証を取り出して見せた。瞬間、青年の表情が固く強張る。その反応は無理も無いだろう。カオスの仕事はロボット犯罪の取り締まりだからである。
「衛国総省の人間だ。単独で行動するロボットには、オフでも職務質問するようマニュアルにはあってね」
 そうですか、と青年は小さく頷き返した。別段、俺は青年をどうこうしようというつもりは無かったのだが、カオスの身分証を見せた事がかえって印象を悪くしてしまったようである。どうもカオスの仕事はロボット達にはあまり評判が良くないようだ。人間には仕事振りを随分と高く評価して貰っているのだけれど。
 ひとまず青年には作業を中断して貰い、俺達はそのベンチに隣り合って座った。念のため、さりげなくズボンの後ろに忍ばせてある拳銃を確認する。マガジンに装填してあるのは通常の弾丸ではあるが、汎用型ロボットの生活換装装甲ならば十分だろう。それに、たとえ青年に悪意が無くとも拳銃は持っているだけでも安心するのだ。
「君の主人は既に亡くなったそうだが、君はそれを理解出来ているのかい?」
「私は死という概念を情報でしか持ち合わせていません。ただ、主人が二度と復帰させる事の出来ない、取り返しのつかない状態にある事は分かります」
「それについてどう思う?」
「寂しい、と思います。私はまだ悲しいという概念がよく理解出来ていませんので」
 先程の検索した記録によれば、青年の稼動歴は凡そ二年。日常生活においてスムーズなコミュニケーションが取れるほどエモーションシステムが成長していてもおかしくはない期間だが、それはあくまで平均値であるから多少おかしな反応があってもさして不思議な事ではないだろう。
「君の主人は何故亡くなったんだ? 良ければ教えて欲しい」
 青年は一瞬言葉を詰まらせ躊躇いのような様子を見せた。
 さすがにそこまで立ち入る訳にはいかないだろうか。そう俺は出過ぎた質問に微苦笑を浮かべてしまったが、しかし青年は程なくして言葉を続けてくれた。
「私の主人は人のためになる事は何でもしようという方でした。自分は人並の物を既に手に入れているから、それを得られない不幸な人のため尽くす。自分は人並の幸せで満足出来るから、もっと多くの人が幸せに暮らせるように尽くす。そんな志を持った方でした。私はそんな主人といつも行動を共にさせて頂きました。主人はよく街の清掃作業に従事しておられました。ゴミの集め方は全て主人に教えて頂いたものです」
 いわゆるボランティア好きな人間だったのだろうか。
 利己主義者ばかりの世の中、そういった信条をもつ人間がいるのは喜ばしい事だが、かといって俺はそれを奨励する訳でもましてや援助する訳でも無い。そんな俺も利己主義者だからだ。
「ある日、私は主人と共にこの公園へ清掃作業へやって来ました。その日は、あのデパートで創業記念祭が行われていました。お昼頃、買い物帰りの母親と娘が公園を通りかかりました。女の子は赤い風船を手にしていました。デパートのロゴが入っていたのでおそらく記念祭で配られていたものだと思います。女の子はうっかり風船を手放してしまいました。風船はそこの枝に引っかかって止まりました。女の子は母親に取り戻してくれるよう泣きつきましたが、母親の身長ではベンチへ登っても届かないのは明らかでした。すると主人は自分が代わりに取ってあげようと進み出ました。主人の背丈ならベンチへ登ればなんとか届きそうでしたが、私は主人にそんな危険な事をさせたくはありませんので私と替わるよう進言しました。ですが主人は頑なにそれを拒み譲ってくれませんでした。どうしても自分がやりたかったようなのです。主人はベンチの上で爪先立ちになり、どうにか風船を取る事が出来ました。ですが、ベンチから降りようとした時に足を滑らせ、その拍子に頭をベンチへぶつけてしまって、そのまま……」
 そうか。
 俺はぽつりと呟いた。
 正直、何と言っていいのか分からなかった。その言葉はほとんど苦し紛れの唸り声に近い。
「主人は手放してしまった風船を取り戻そうと必死で手を伸ばしていました。最後まで。私は今でもその記録が忘れられません」
 職務質問とはかけ離れた世間話。けれど、青年はそれを暗黙の内に了承しているのかもしれない。ここまで込み入った話を見ず知らずの、それもカオスの人間に打ち明けてくれるなんて。もしかすると青年は己の辛い心情を吐き出す機会をどこかで求めていたのかもしれない。
「君は何故、今も清掃作業を続けている?」
「私は主人の命令で清掃をしていたのではありません。私は、主人と同じ時間と価値観を共有したかったのです。でも、来月から市の清掃課の業務体系が変わり、これまでよりも清掃作業の頻度が上がって街全体が今よりも綺麗になります。恐らく私の仕事は無くなるでしょう」
「なら、これからはどうするんだ?」
「何か他の事を探します。私に出来る、人に喜ばれる事を」
「主人の奥さんは君をどう思っているんだ?」
「呆れています。何から何まで主人とそっくりだと。多分、私の行動は黙認されているのだと思います」
「そうか。でも、たまには家の事もやるんだ。奥さんは主人を亡くされて寂しがっているだろうから」
「はい、分かりました」
 微笑を浮かべて答える青年。
 何となく、俺は奥さんの気持ちが分かるような気がした。
 この青年にやりたい事があるなら好きにさせたい。そう思わせる何かが彼にはあるのだ。もしかするとそれが彼の人徳というものなのかも知れない。
「そろそろ失礼させて頂いても宜しいでしょうか?」
「構わないよ。引き止めて悪かった」
「とんでもありません。こちらこそ、ありがとうございました。こんなに楽しい時間は久し振りです」
 自然と伸ばしてきた青年の手を、俺はさほど考えずに取った。そんな俺の仕草はぎこちなかった。ロボットと握手をするなんて、俺の人生でおそらく始めての事だと思うからだ。
 青年の姿が公園から遠ざかっていく。これから表通りの歩道を清掃するのだろうか。死んだ人間のために行動するロボット。それは彼の所有者が自らの志を形としてこの世に遺したものなのだろうか。彼の所有者は本当に人の為に働く事を自らの喜びとしていたのだろう。もしかすると彼は自らの死後の事も考えていたのかもしれない。
 と、その時。丁度見計らったかのように電話が鳴った。
「夕霧か。分かった、今行くよ。そこで待っていてくれ」
 携帯をポケットに押し込み、公園の向こう側の出口に向かって駆ける。
 実に歩きやすい石畳だ。そう俺はぽつりと思った。