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 青年の口から飛び出して来た意外な言葉に俺は少なからず驚いた。青年が明らかに自分の意思で戦闘の意思が無い事を伝えて来たからである。
 これまでの事件で、暴走したロボットが基本的に言語野の機能が正常に機能していなかった事が多い。だから俺は青年の言葉をさほど気に留め無かった。正常な基準に基づいて判断された言葉であるとは言い難いのだ。
「繰り返す。大人しく投降するんだ。人質はただちに解放しろ」
 何にしても、青年が臨戦態勢を取らない事はこちらにとって非常に都合が良かった。相手の出方を窺う事で、一息ついて冷静になる事が出来るからである。
 アサルトライフルを構えたまま、ゆっくりと包囲網を縮めて行く。青年の頭部と胸部にはレーザーサイトの赤いポインタが幾つも集まっている。引き金を引けばほぼ命中する射程距離内。けれど、決して油断する事も出来ない。そこは同時に、青年の射程距離内でもあるからだ。
 と。
「ま、待ってくれ給え」
 突然、デスクの側にいた壮年の男は、この状況に驚いているのか狼狽えた声で進み出て来た。しかし、すぐさま青年はそれよりも前に出て前進を制した。まるで危険だから下がっていろと言わんばかりのような挙動である。
「この方は心臓を患っています。あまり無理はさせられません。ですからここは退いて頂きたいのです。私は何もしませんから」
 そう青年は相変わらず笑みを浮かべたまま、こちらへ非戦闘の意志を強調して来る。
 しかし、彼は一体何のつもりなのだろうか。銀行を襲撃し人質を取った上に、我々にはただ退く事だけを要求する。今日日子供ですらもっと賢い方法を考える。衝動的な事件ならば逃げ道の確保をしていなくとも普通だが、戦闘型ロボットならば、そもそも人質を取る必要性がない。交渉をせずとも、自力でのが脱出が可能だからだ。
 血迷ったロボットの戯言はさておき。
 人質の男性が心臓を患っているのが事実だとしたら、下手な強硬手段には打って出られなくなる。どうにかして青年をこちらへおびき出せないものだろうか……。
「交渉には一切応じない。おとなしく投降するのか、このまま戦闘に突入するのか、お前の選択肢はこのどちらかだ。利口な答えはどちらなのかよく考えろ」
 こちらの主張はあくまで通し続けなければならない。ネゴシエーターと違い、譲歩すればするほど漬け込まれ状況が悪化するからだ。それに、相手はロボットである。どれだけ人間らしい感情を持っていたとしても、論理的な思考に関してはまだまだ人間には遠く及ばない。つまり、化かし合いで人間に勝てるはずはないのである。
 自らのボキャブラリーではこちらの態度を軟化させる事は不可能だと判断したのだろうか、青年の表情から笑顔が消えると顔を静かに俯けた。そして幾許も経たない内にゆっくりとこちらへ進み出てくる。
 どうやら投降する事に納得した様子である。だが、人間と違って武器そのものが体の一部となっている以上はまだまだ油断が出来ない。人間ならば手にした銃を捨てれば一応の安心は出来るだろうが、戦闘型ロボットは一発のパンチで人を死に至らしめられるほどの出力を持っている。それにこの青年、メタトロンは、背中の両翼が強力な立体制圧型の武器である。むしろ、しおらしい様を見せている事自体を危険だと考えるべきだ。
「よし、そこで止まれ。そのままゆっくり両腕を頭の後ろで組んで床に膝をつくんだ」
 青年はこちらの指示に従い、ゆっくりと両腕を持ち上げた。さすがにこれだけの銃口を向けられては観念するしか無いと判断したのだろう。
 が。
「ッ!?」
 突然、青年は姿勢を低く沈めると、そのまま自らの体を強く蹴り出して来た。まるで弾丸のような青年の体は部下数人を跳ね飛ばし、強引に包囲網を突き破る。
 そういえば、メタトロンは近接戦も行えるように設計されていたのだった。十分な格闘能力を持っている以上、この近距離で銃で包囲されてもさして支障は無いのだろう。
 更に青年は真っ先に銃口を向けようとした部下二人を、鮮やかな上段蹴りでまとめて薙ぎ倒した。威力もさることながら、これだけのオーバーアクションにも重心が全くずれていない。この安定感は典型的な格闘技興行目的のロボットにそっくりだ。
 まずい。
 俺は事態の深刻さに思わず眉を潜めた。ロボットが人間を騙す事は時折ある事だから、この事態も全く予測していない訳ではなかった。それよりも深刻なのは部下達の方だ。それなりに実戦経験は積ませているものの、こういった極めて深刻なイレギュラーまで対処出来るほどの人間はほとんどいない。
「くそっ! なめんじゃねえ!」
 思わぬ奇襲を受けて逆上した部下の一人がアサルトライフルの銃口を向けた。殺気というものが存在するように、銃を持つ者も撃つ気配は肌で分かる。理屈は殺気と同じなのだろう、その針で刺すような鋭い空気の膨れ上がりが部下からはっきりと感じ取れた。
「待て! 迂闊に引き金を引くな!」
 状況を理解出来ていないものほど銃声には過敏に反応する。そして、次の行動は二つしか存在しない。尻尾を巻いて逃げるか、脊髄反射で引き金を引くか、だ。
 一人の銃声を合図に、一斉に青年へ銃弾が撃ち込まれた。カオスチームに支給されている弾丸は対戦闘型ロボット用の特殊なものだ。跳弾が命中でもすればただでは済まない事になる。
「やめろ、撃つんじゃない! 同士討ちになるぞ!」
 限定された空間での乱射は、敵よりも味方に当たる事の方が多い。それは訓練で何度も教えたはずなのだが、理性よりも恐怖が先行し行動を支配している。俺の言葉もまるで届いてはいない。
 すると。
 無数の銃弾を撃ち込まれた事で表層部を大きく破損し始めた青年は突然、青年は背中の両翼を大きく広げた。
 あの兵器が来る。
 部下達も俺と同じ事を考えたのか、途端にぴたりと引き金を引くのを止めた。そして、おもむろに視線を俺に向けて来る。何を求められているのか、俺は瞬時に理解した。カオスチームの隊長に選ばれた理由を、俺に求めているのだ。
 どうせこれも予測していた範囲だ。今更、最悪の状況でどうこうとうだっても仕方が無い。
 俺はすかさず青年の元へ踏み込んだ。身を屈めながらアサルトライフルは低く両肩で包み込むように構える。狙いはメインバス。動力炉を破壊するのはリスクが伴うが、メインバスを破壊してエネルギー供給を断ち切れば、比較的安全に無力化出来る。
 完全に間合いを零にまで詰め切る。青年の視点は宙を泳いだままで、俺が銃口を胸に押し当てているにも拘わらずまるで意に介していないといった様子だ。なんにせよ、ここまで詰める事が出来れば引き金は確実に引ける。メタトロンの両翼は五メートルより内側の標的に対して狙いを定める事は出来ないのだ。それに、幾らロボットといえど俺が引き金を引くよりも早く動く事は不可能である。
 しかし。
「逃げて!」
 青年が叫ぶ。
 あまりに意外なその言葉に、俺は思わず引き金を引こうとした人差し指を止めてしまった。その一瞬が致命的な遅延であるとの認識は、遅れた引き金を引く事とほぼ同時だった。だがそれよりも先に目の前を薄青の閃光が包み込む。
 鼓膜が破れそうなほどの轟音。俺はただひたすらメタトロンの体に弾丸を打ち込み続ける。
 果たして俺は間に合ったのだろうか。
 やがて轟音と閃光が収まり、俺はライフルの引き金から指を離して状況を確認する。
 既に原形を大きく崩した青年は、床に仰向けの姿勢で倒れていた。背中の両翼は既に無い。その代わりに、青年の後方の壁は大きく穿かれていた。外の光が差し込んで来る所を見る限り、どうやら建物の外まで通じる穴を空けたようである。たった一瞬とはいえ恐ろしい威力である。こんなものの相手を、こんな構成でさせられていたかと思うと、改めて自分が籍を置くカオスチームの異常性が窺い知れる。
 メタトロンは機能停止しただろうか。
 ライフルを構え直し、倒れるメタトロンに照準を合わせたままゆっくり近づく。
 すると、
「早く、そこから逃げて下さい……」
 メタトロンは酷く聞き取り辛い割れた声で、仰向けのまま壁の穴を指差す。
 その隣には、唖然としたまま凝固する壮年の男性が立っていた。