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 昼食は近所のファーストフードからのテイクアウトが多かった。仕事柄、いつ出動命令が来るか分からない以上、ゆっくりランチを取るなんて事はまず有り得ない。そのためランチはほとんど間食に近いものがある。
 その日、カオスのオフィスには珍しく外からの来客があった。すぐ隣の区域一体を管轄とする所轄、第二十二分署の刑事が訪ねて来たのだが、そのせいで俺はせっかくのチキングリルバーガーを食べかけでデスクに置いていく羽目になった。どうしてこんな時間に仕事で出歩いているのか、そもそも所轄の連中は昼食など食べたりしないのか、ぶつぶつと文句をこぼしそうになる。
 会議室には皮製のジャンバーを着込んだ若い男と、グレイのジャケットをラフに着こなしたやや年嵩の男、そして彼らと向かい合う席にアイダが座っていた。男達は俺の入室に気づくなりすぐさま立ち上がると、所轄警察の身分証をこちらに提示した。
「二十二分署のライアン巡査部長です」
「同じくレナード巡査です」
「カオスのマイケル=グランフォードだ」
 挨拶もそこそこに、俺はアイダの隣の席に着いた。
 それにしても所轄が衛国総省を訪ねて来るなんてどういう風の吹き回しだろうか。衛国総省の、それも特にカオスは、所轄にとって非常に目障りな存在である。カオスは衛国総省直轄という立場を利用し、事あるごとに所轄の仕事を取り上げては情報規制のような裏の仕事を押し付けている。そんな関係だけに、カオスへわざわざ自分から訪ねて来る状況がいまいち俺には見えて来ない。
「さて、それでは我々にどのような御用件があるのか伺いましょうか」
 そのアイダの言葉を合図に、席を立ったレナード巡査が部屋の照明を消した。そしてライアン巡査部長は取り出した小型映写機をテーブルに置くと、部屋の奥にあるスクリーンに向かって投射を始めた。
 スクリーンへ目を向けると、映し出されているのは白黒のノイズがかった映像だった。カウンターに商品棚、そして踏み台に乗って棚の上を整理する店員らしき人物の姿がある。棚には小さな箱が幾つも企画的に整理されていた。どうやらそれらの雰囲気から察するにこの店はドラッグストアのようだ。
「この映像は先週リーヴ街のドラッグストアでのものです。画面の右側に注意していて下さい」
 画質は一般に普及している防犯カメラ通りで、ノイズが頻繁に走りフレーム抜けも多いお世辞にも良いとは言えない画質だ。裁判等の証拠物件として辛うじて成立する程度のものである。もっとも、そこまで画質を落とさなければ過去数ヶ月の映像データなど記録できないのだけれど。
 すると。
 突然、画面の右側、おそらく出入り口があるだろうそこから一人の人間が飛び込んで来た。後ろ髪は腰ほどもあるストレートのロングヘアで、暗色系のパンツスーツからその人物が女性らしい事が分かった。
 その女性はいきなりカウンターの中へ踏み込んで行った。すぐさま店員が止めようとするものの、女性はいきなり腕を振り上げたかと思うと店員をカウンターの外へ弾き飛ばしてしまった。店員は強かに背中を打ちつけたためか、意識は残っているもののなかなか立ち上がる事が出来ない。この荒い映像からも、相当強い負荷がかかった事が伺える。
 そのまま女性はカウンター奥のドアをこじ開けて中へと姿を消してしまった。どうやらそこが初めからの目的だったようである。
「あの部屋は?」
「薬剤室です。主に医師の処方箋を必要とする薬剤の保管や調合を行うための機材が置かれています」
「室内の映像は?」
「残念ながら薬剤室に防犯カメラは設置されていませんでした」
 しかし、どうして薬剤室などに向かったのだろうか。単純に金が目的なのであれば、薬剤室の薬を売りさばくよりもレジの金を奪った方が確実で足が付き難い。それに、薬剤室にある薬はどれも一般人には手に入りにくいとは言っても特別高値で売れるという訳ではない。比較的ドラッグに近いモルヒネでさえ、市場はとうに無くなってしまっているのだ。たとえ奪えたとしても売りさばくのはほとんど不可能に近い。
 やがて画面にはライフルを構えた数名の警察官が現れた。ライフルは所轄がパトカーへの携帯を義務付けている一般的なものだ。だが、そのライフルは俺にしてみれば短銃の命中精度を高めた程度のものにしか過ぎない。特に狭い室内では銃身の長さが災いして命中精度が落ちるため、支給された短銃を使った方がまだ安全で確実だ。
 慎重に薬剤室へ近寄る警官達。しかし、勇ましげに指揮を取ろうとするものの明らかにこういった事態に慣れていないのが見え透いていて、その及び腰ばかりがやたら目に付いた。丁度その時、薬剤室からドアを突き飛ばして女性が飛び出してきた。咄嗟に警官達はライフルを向けるものの宙を舞うドアが障害物となって目標を捉えられない。その隙を逃さず、女性は跳躍して中空のドアを踏み台にすると、そのまま再跳躍して彼らを一気に振り切り店外への逃走を果たしてしまった。
 実に見事な身のこなしである。前に似たような芸当をテレビで見た事があったが、あれは子供のように小柄な人間だった。結局は体重よりも重心移動と瞬発力の問題なのだろうが、少なくとも一般人がそう易々と真似の出来るものではない。
「ここ最近、連続してドラッグストアが襲撃される事件が起こっています。我々はこの事件を担当しているのですが、この映像は一番最近の事件のものになります。この映像でどうお考えになります?」
 突然投げかけられる質問。それはまるで俺を試しているかのような口調だった。おそらく所轄はこれ以上の情報を持っている上で俺に見解を求めているのだろう。
 視線を傍らのアイダへ向けると、アイダはそっと頷き返した。乗って構わない、という意思表示である。ここでカオス側の実力を示す事で主導権を押さえて置きたいのだろう。
「映っている女はロボットだ。明らかに人間技の範疇じゃない。外見を見た限り換装は戦闘用では無いが、出力は十分それで通用する。おそらく身辺警護用だろう。かなりの精密動作が可能なようだ」
「正解です。このロボットの開発元はニュージャパンベーシックグループ、コードネームは『スカーレット』、要人警護用ロボットと判明しています」
 そこまで調べがついてるのか。だったらどうしてさっさと登録者に当たらないのか。
 そんな疑問を抱く俺より先にアイダが口を開く。
「それでは、ロボットの登録者の方は当たりましたか? ロボットは全てシリアルナンバーが振られ一元管理されているはずですが」
「ええ、仰る通りです。我々も開発元へ登録情報の開示を求めました。ですが、このスカーレットには欠陥が見つかったため直前で無期限の販売延期、つまり事実上の凍結になっていました。更に販売予定だった完成品の所在は全て押さえてあります」
「それでは、このロボットは?」
 映像が巻き戻され、スクリーンに女性の姿が映る場所で一時停止がかけられる。それは丁度、彼女が店内に入ってきてすぐのシーンだ。
「シリアルナンバーの無い、販売されない不良品です。おそらく最終チェックで弾かれたのでしょう。本来、そういったロボットは直ちに廃棄処分されるのですが、どうやら廃棄を免れ脱走してしまったようなのです」
「つまり犯人は、構造上の欠陥だけでなく初期不良も抱えた戦闘型ロボット、という事ですか」
「ええ、そうなります」
 根本的な欠陥が発売前に発覚する事はさほど珍しくはない。むしろ、そういった事例の無いメーカーの方がリコール隠しがあるのではないかと怪しまれるほどだ。それよりも、設計不良と初期不良の二つが重なっている事の方が深刻だ。これではバグの内容がどうロボットに作用するのか予測がつけられない。
 と、その時。突然、甲高い電子音が室内に響き話を中断させた。
「失礼」
 そう言ってライアン巡査部長は懐から携帯を取り出した。仕事用の携帯だから電源は切っていなかったのだろう。しかし俺はどうしてもこの着信音が苦手だ。ドキッとする訳じゃないが、いつも頭痛のようなものを感じるのだ。
 と。
「すみませんが、これからすぐ来ていただけないでしょうか?」
 ライアン巡査部長は随分と血相を変えて携帯を上着にしまいこんだ。どうやら何か深刻な連絡があったようである。
「どうかなさいましたか?」
「たった今連絡があり、あのロボットがまたしてもドラッグストアを襲撃しました。現場には数名の職員が向かいましたが、今回も同様手には負えないでしょう」
 脳裏に今しがた見たばかりの映像が浮かんだ。護衛用のロボットは市街戦に長けており、数名の警察官ならばものともしない。基本的に徒党を組んだ武装マフィアにも対抗出来る前提で設計されているため、銃撃戦が前提に無い警察では敵うはずが無いのだ。
「それで、我々に協力を仰ぎたいと?」
「その通りです。我々では戦闘型ロボットに歯が立ちません。指揮権はそちらで構いませんので」
「分かりました。ですが、本日はあまり待機している人間がおりませんので。このグランフォードと、あとは一名ほどです」
「御協力、感謝いたします」
「では、先に降りて待っていてくれ。話の続きは車中で聞こう」
 そして二人は一礼するなり、足早に会議室を後にした。
 俺もぐずぐずはしていられない。これから向かうという事は事件現場は近所だろう。急げばまだ十分に間に合う。
「局長、もう一人は誰を? 今日は揃いも揃って非番だが」
「レックスがいたはずです。そろそろ彼にも実戦は経験させるべきでしょう」
 レックスは一ヶ月ほど前にカオスに入隊した新人だ。元は陸軍士官学校の卒業生で、下士官になる予定だったのをアイダがカオスへ引き抜いたのである。基礎体力は並だが射撃能力に優れ、タイヤの付いた乗り物なら大概乗りこなせる特技を持つ。成績はあまり良くなかったそうだが、俺にしてみればこういう一芸に秀でた人材こそカオスでは必要だと思う。
「貴方の育成方針に合わせたつもりですけど、問題は無いでしょう? この程度なら常識的な教育の範囲と認めて欲しいわ」
「そうだな」
 カオスは少数精鋭のチームだ。新人は少しずつ集中的に育てるに限る。いつかのように、新人を幾人もまとめて実戦に投入し、そのまま入団テストにするような真似は馬鹿げてるとしか言いようが無い。もしもその中に本当に求める人材がいたとしても、そんな状況では一人一人の適正を見極めるような暇が無い。それだけでなく、逆に死傷者や任務そのものの成功すら危ぶまれてしまうのだから。
 早速会議室から出ると、ぐるりとオフィスを見回した。レックスは自分のデスクで好物のヌードルをすすっていた。テレビのバラエティを見ながら大声で笑い、まるで緊張感というものが無い。
「レックス、仕事だ。すぐに準備しろ」
「えっ!?」
 すると、レックスはよほど驚いたのかスープを噴出すなり激しく咳き込み始めた。そしてひとしきり咳き込んだ後、今度は子犬のように目を輝かせながら、飛び掛らんばかりの勢いで訊ねて来る。
「もしかして実戦ですか!?」
「そうだ」
「って事は、銃も撃っていいんですよね!?」
「ハンドガンだけな」
「やった! 隊長、十秒だけ待って下さい! すぐに仕度します!」
 レックスは食べかけのヌードルを器ごとゴミ箱へ叩き込むと、すぐさま机の中を引っ繰り返し銃とホルスターを準備し始めた。その上から上着を羽織り、一体どんな銃撃戦を期待しているのかポケットの中へこれでもかと弾丸を詰め込んだ。しかし、当然の事だがマガジンに収めていない裸の弾丸をそう幾つも詰め込めるはずも無く、右のポケットへ詰めている側から左のポケットから詰め込んだばかりの弾丸が零れ落ちていく。そもそも、そんな弾丸を何時どうやって使うつもりだろうか。弾雨の中をかいくぐって弾込めが出来るほど実戦は甘くは無い。
「レックス、そんなもので戦闘型とやりあうつもりか? 弾丸は対戦闘型用のものでなければ意味が無いぞ」
「えっ!? でもまだ俺は支給されてないですよ!」
 それを言ったら、俺もそんな弾丸は支給されていない。対戦闘型ロボット用に開発された、短銃用の特注徹甲弾。一発一発が公務員の日給に相当するとまで言われているほど、非常に高価で尚且つ高性能な弾丸だ。戦闘型の頑強な外殻を貫通する脅威の威力を実現した弾丸は、必ず使用現場では事件の収束後に薬莢共々回収される。その技術が民間へ流出する事は極力防がなければならない。この弾丸を使えば本来の目的以外に、様々な悪用法があるからである。
「手配しておきます。下の通用門で受け取って行きなさい」
「そういう事だ。弾丸はもう少し減らしておけ」
 そして慌しくレックスは弾丸をポケットから机の中へ移し始めた。もう少し整理整頓が出来ないものかと俺はその様子に眉をひそめた。
「私は現場の事は良く分からないけれど、あれで務まるものなのかしら?」
 そうアイダは、こんなレックスの様子に不安も露な表情を覗かせた。無理も無いと思う。今のレックスの姿は旅行気分の学生そのものである。
「大丈夫、現場の空気を吸えば嫌でも緊張する」
「けど、不安だわ。あなたと違って子供みたいにはしゃいでるもの」
「俺も昔はああだったさ」
 だが、初めて実戦を言い渡された時の俺はあんな風にはしゃげるほどの余裕は無かった。もし許されるなら、布団を被って震えたかった。それほどに実戦へ対する恐怖心があったのである。俺とレックスでは時代も状況も大きく違うし、比較の対象にはならないのだけれど、ともかく最初の実戦では平常心を保てないのが普通なのだ。生死の境界が演習ではないリアルになる瞬間を気づくまでの時間が、こういった反応の違いを生むのだろう。
「隊長、お待たせしました! 行きましょう!」
 レックスは息を切らせながらもその表情は頬を高潮させ実に生き生きとしている。初めての実戦が楽しくて楽しくて仕方が無いといった様相だ。そんなレックスの姿に呆れこそしなかったものの、今回の仕事は単純にレックスを戦力ゼロと計算するよりも分が悪そうだと肩を竦めたい気分にさせられた。
「では行って来る」
「気をつけるのですよ。所轄に貸しを作っておけば、今後も何かと動き易くなりますから」
「分かっている」
 アイダがぽんっと俺の背中をわざとらしく押して送り出した。
 いつも思うのだが、アイダは勤務中でも時折プライベートと同じような振る舞いを俺にしてくる。俺とアイダの関係を周囲に特別隠している訳ではないが、どことなく照れ臭さのようなものは否めない。それは決して不愉快な感覚でも無かった。むしろ、これから現場へ向かおうとする俺への激励と素直に受け止められる。アイダとの関係が続いているのはこれのためだろう。俺とこれほどまでに価値観の異なるアイダが、俺にとって精神的な支えに足る存在だからだ。
「何をしている。行くぞ」
 ふと、こちらをきょとんと見つめているレックスに気が付き、そう俺は叱咤した。慌てて駆け出すレックスの背中を見、少々苦しかったと眉をひそめる。