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 サイレンを鳴らして走る車の乗り心地はあまり良くは無かった。近づくだけで一般車両が道を空けてくれる様は爽快だったが、歩道で子供がこちらを指差している様を思うと何だか恥ずかしく思う。これならまだ装甲車の方が乗り心地が良かった。
「場所はどこだ?」
「この次の通りをまっすぐ行った所です。もう数分で到着するでしょう。現在、武装警官隊と交戦している模様です」
「武装警官? よく間に合ったな」
「事件の起こった付近に、予め警邏隊を配備しておきましたから。時間稼ぎにはなるでしょう」
 ハンドルを握るのはレナード巡査、ライアン巡査部長が助手席に座りナビゲートを務める。この車にもナビはついてはいるのだが、こういった緊急時の場合はナビよりも人間の方が確実である。レスポンスの関係もあるのだが、人間の判断力の方が確実性があるのだ。
「犯人について情報があれば今の内に聞いておきたい」
「はい。まずこれを御覧下さい」
 するとライアン巡査部長が何かを取り出しこちらへ差し伸べてきた。受け取ったのは一つの小さな空箱だった。どこにでもある再生紙製の丈夫な質感に光沢のある塗装が施されている。
「これはキルバート氏ワクチンという経口薬です。主に免疫不全症の治療に用いられ、販売には処方箋が必要です。犯人はどういう訳かこの薬ばかりを狙って強奪しているのです。おそらく、犯人には特定の所有者がいるのでしょう。普段の潜伏場所もその所有者の所の可能性が高いです」
 ロボットを利用して強盗事件を起こした事例は過去に何度もあったが、狙われたのは現金や貴金属、稀に美術品といった所だ。薬品のケースも無い訳ではないが、その数少ない事例はいずれも化学テロ目的の材料調達で街中の薬局が襲われた訳ではない。これらと照らし合わせると、確かに今回の事例は非常に特異と言えるだろう。
「そんな事より、犯人のロボットってどんな奴です? やっぱ強いんですか?」
 不意にレックスが待ちきれないといった様子で身を乗り出してきた。まるで初めての外泊をする子供のようである。
「お前は黙っていろ」
 睨み付けると渋々ながらレックスはシートに戻り黙った。アイダにはあんな事を言いはしたが、俺自身も少々不安になってきた。技術だけでは実戦を乗り越えるのは難しく、最も必要なのは集中力と決断力だというのに。士官学校でそれは教わらなかったのだろうか。
「一つ訊ねるが、どうして警官隊が時間稼ぎにしかならないと言い切れるんだ?」
「一昨日の事でした。網を張っていたドラッグストアが襲撃され、今日と同じように武装警官隊を突入させたのです。しかし警官隊は全滅、死傷者を数名も出す結果に終わったのです」
 ライアン巡査部長がモバイルから映像データを呼び出し、それを俺達に見せてくれた。
「これは事件現場の一部撮影したものです」
 映像は防犯カメラよりも画質が良いものの、体の一部に取り付けられたカメラなのかやたら画面が揺れて見辛い。
 防犯カメラに映っていたのと同じ女性、スカーレットが十数名の警官隊に突撃していく。モノクロの防犯カメラでは分からなかったが、スカーレットのスーツはダークグレー、そして腰まであるストレートの長い髪は燃えるような赤だった。スカーレットという商品名はこの配色に由来しているのだろう。
 すかさず盾を構えて銃撃する警官隊。しかし、驚く事にスカーレットはくるりと身を捻りながら銃弾をかわして尚も突撃して行った。そのままスカーレットは右腕を振りかざし、構えられた盾へと手刀を突き立てる。防弾仕様のはずの盾は紙のように破られ、次の瞬間頭を鷲掴みにされた警官の一人が宙へと投げ飛ばされた。
 ごくり、とレックスが唾を飲んだ。自分の知りたがっていた犯人の強さを目の当たりにし、ようやくリアルがどれほどのものか気づけたのだろう。それでもレックスはまだ賢い。現場に到着しても先程の調子であれば、むしろ置いていく所だ。
「戦闘能力は相当だな。だが、飛び道具を持っていないのは好都合だ。周りを気にしなくて済む」
「こんな化け物を相手に勝算があると?」
「カオスで駄目なら、次は軍隊しかない。それを承知の上での依頼では?」
「軍隊なら既に打診し、一蹴されました。たかがロボット一人、所轄で処理しろと」
 そういう意味でもカオスは最後の砦という訳か。
 確かに陸軍が街中へ繰り出すのは大事件ではあるが、それよりも問題なのは軍属が対ロボット戦における能力の個人差が激しいという事だ。少なくともロボット戦ならば専門であるカオスの方が確実性があり、陸軍はロボットに敗北を喫するという恥をかく心配も無い。カオスも衛国総省の一課であり適材適所という視点からも陸軍との格差は無いはずなのだが、伝統的な問題なのか新入りのカオスは格下の扱いを強いられ気味である。
「現場です!」
 レナード巡査の叫び声と共に、車が急ブレーキで横滑りしながら止まる。乱暴に見えて意外と運転は正確だ。案外、技術だけはレックスといい勝負かも知れない。
 俺はすかさず車外へ飛び出すと銃を構え安全装置の位置を確認する。ひやりと冷たい風が首筋を付き抜け、先程までのランチ気分が一気に引き締まり神経が研ぎ澄まされる。この冷たさは物理的なものではなく感覚的な温度だ。どんなに鈍い人間でも、ひとたびここに立てば嫌でも気持ちが引き締まる。そうならないのはよほど豪胆な人間がただの馬鹿だ。
「レックス、怖くなったんなら帰ってもいいぞ」
「ま、まさか! 怖くなんかないですよ!」
「そうか」
 出遅れたレックスは慌ててドアを開け放ち外へ飛び出す。しかしドアの縁へ足を引っ掛けて躓きながら着地する姿を見ると、今度は逆に緊張が過ぎると思った。緊張は適度でなくてはならない。過度の緊張は逆に反応と判断力を鈍らせる。
「呆けている暇は無いぞ。見ろ」
 そうレックスに分かるよう視線を向けた先、そこにスカーレットの姿はあった。
 既に指揮系統が崩壊している警官隊は、散り散りになりながら尚も応戦する者やいち早く避難しようとする者と様々だ。屈強な武装警官を易々と打ちのめしていくスカーレットの姿は圧巻だった。戦闘型ロボットとはいえ、色素を除いた外見は人間とまるで変わらず一般人には判別がしにくい。それだけに、大男を細身の女性が片腕で薙ぎ倒す様はまるで映画のように非現実的である。
「隊長、早く加勢しましょう!」
「慌てるな。迂闊に飛び出すと―――」
 と、その時。スカーレットがこちらを見るや否や突然大跳躍した。まるで重力を無視したかのような推進力を持って宙を舞うスカーレットの姿は体重を感じさせぬほど軽やかで鳥のようなステップである。しかし、ただただボーっと見とれている訳にもいかず、すかさず落下地点を跳躍の起動から割り出す。
 そして。
「二人共、早く車から降りろ!」
 俺の叫び声と、スカーレットが車のボンネットへ着地するのはほぼ同時だった。着地の衝撃でへこんだボンネットへ、スカーレットは更に右腕を振り上げ追い討ちの一撃を叩き込む。深く貫いた右腕はおそらくシャーシまで届いただろう、肩ごと引っ張るように腕を引き抜くとスカーレットは再度大跳躍し車から離れた。
 エンジンをぶち抜いた……!
 思い出したように爆炎を上げて燃え始める車。吹き上がる炎の熱気に、俺は顔をかばいながらその場にたじろいだ。炎の向こう側にはライアン巡査部長とレナード巡査の姿が確認出来た。上着が炎で焦げているようだが無事のようである。
 俺とレックスは銃を構えて狙いをスカーレットへと定める。するとそれに反応したスカーレットの視線がこちらへ向けられた。そのままゆっくりこちらへ歩み寄ってくる。どうやら次の攻撃目標は俺達に定められたようだ。傍らのレックスは俺と同じように銃を構えてはいるものの、銃口をカタカタと震わせて標的が定まっていない様子である。明らかに目前にしたスカーレットの迫力に押されている。まあ、新入りの初陣なんてこんなものだろうと予め思っていただけに、俺はさほど驚きもしなかった。
「動くな、我々はカオスだ。お前を連行する」
 見据えるスカーレットは落ち着き払って俺達の姿を観察する。炎の中でもその髪は更に赤く見え、視覚的な威圧感は十分だった。何故、要人警護が目的のロボットがこんな色素を与えられているのか疑問だったが、今では納得することが出来た。この配色は襲う側に強大なプレッシャーをかけてくる。こんな修羅場は何度も経験しているが、中でもスカーレットほどの威圧感のあるロボットは極めて珍しい。
 スカーレットは敵と判断したのか強く睨み付けて来た。明らかにエモーションシステムが組み込まれているロボットの特徴的な表情である。こういった手合はただのロボットとは全く異なる行動が多いため対処が実に面倒だ。
 スカーレットが低く身を沈め戦闘態勢を取る。まるで豹が獲物に飛び掛る寸前のような姿勢だ。
「誰にも邪魔はさせない!」
 轟音の中でも響くほど、はっきりとした声で叫んだ。
 投降の意思無し、か。
 俺は静かに拳銃の安全装置をはずした。