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「レックス、援護しろ!」
「は、はい!」
 レックスの動揺した返事も待たず、俺はスカーレットに向かっていった。
 スカーレットのような機動力に優れたタイプを相手にする時は、基本的に後手へ回るものだ。迎撃の方が素早い奇襲にも対応し易いからである。しかし今はルーキー連れだ。スカーレットがレックスをそうと判断してしまえば、レックスが集中的に狙われる事となる。俺にしてみればアキレス腱のようなものだ。
 対するスカーレットも俺に向かって突進してくる。その姿勢は異様に低く、上半身を屈めている俺の下にさえ潜り込めそうな角度だ。典型的な接近型の戦闘スタイルである。
 下からしゃくりあげる気か。ならば、それよりも先に上から捻じ伏せる。
 スカーレットは左右に不規則なステップを刻みながら更に加速する。俺は狙いをスカーレットの背中へ定めた。しかしすぐには引き金を引かない。確実に仕留められる距離まで引き付けるのだ。
 しかし。
「むっ!?」
 突然、スカーレットは更に加速した。疾走から水平の跳躍へ切り替えたのである。
 定めていたはずの目標を失い、俺はすぐさまスカーレットとの位置関係を目算する。だがそれよりも早く、スカーレットは俺を間合い内へ捉えると鉤爪のように構えた右腕を横薙ぎに繰り出して来た。
 あれをくらったら肉をごっそり持って行かれる。
 そう判断するや否や攻撃から回避へ行動を移す。狙いを鉤形の右手のみに定め、攻撃のタイミングに銃身を合わせる。
 がつっ、と骨の軋むような音が体伝いに聞こえて来る。同時に俺の体は左舷中空へ吹き飛ばされた。
 なんとか凌いだ……!
 衝撃でびりびりと痺れる肘を他所に、すかさず受け身を取って着地すると、同じ動作で銃を構えながらスカーレットの姿を追う。
「た、隊長!」
 響き渡るのは悲鳴にも似たレックスの情けない声だ。それは俺の身を案じたものなのか敵の行動に驚いたのかは定かではないが、少なくとも恐れの感情だけは抱いてしまっている。
「レックス、撃て!」
 俺の叫び声に、ハッと目を覚ましたかのように銃を構えてスカーレットを狙う。しかし、銃口が明らかに震えており狙いが定まっていないのは明白だった。
 一向に引き金を引けないレックスに向かって行くスカーレット。近接戦に優れたスカーレットに近づかれてはいけないのだけれど、レックスは一向に引き金を引こうとしない。そしてスカーレットは俺の時と同じように、鉤形に構えた右腕をゆらりと広げた。
 ここからいけるか……?
 考えている暇は無かった。俺は全身の感覚を銃口に注ぎ、狙いをスカーレットの背中へ定める。そして間隙を作らずすぐさま引き金を絞った。
 グリップが手のひらを打つ衝撃が右腕を駆ける。そして次の瞬間、スカーレットは前のめりに転倒した。巻き込まれそうになったレックスは転がるようにその場から離れる。
 スカーレットの体が二転三転し、そして立ち上がった。だが、すぐに体が左側へがくりと傾く。
 外したか……。
 スカーレットはこちらを一瞥するなり、踵を返して走り去って行った。すぐに俺も未だ立ち上がっていないレックスの元へ駆け寄る。
「大丈夫か?」
「大丈夫です、すみません」
「行くぞ。まだ追える」
 路面には水滴のようなものが点々と続いている。これはおそらく関節部の加圧剤だ。関節の微調整や力加減をスムーズにするためのものだが、先程の銃弾がうまく関節を傷つけたのだろう。これなら本来の性能で走る事は不可能だ。それに、スカーレットのような近接タイプは、メインフレームの強度設計の関係で長時間の走行には適していない場合が多い。手掛かりもあるし、人間の足でも十分追跡は可能だ。
 すぐさま俺達はスカーレットの後を追った。こんな時、バイクでも通りがかってくれれば一時徴収出来るのだが、既に交通規制が敷かれているためかほとんど往来が無い。スカーレットが全力で走れないにしても、基本性能は人間よりずっと高いのだ。距離によっては追跡も難しくなる。
 視界の先に薄っすらとスカーレットの姿を捕捉し続け、走る。幸いにもスカーレットの配色が特徴的なおかげで視覚的に見失う事は無かった。注目を集める配色をしているのは、あくまで護衛が目的だからである。逃走に向いている仕様ではない。
 逃走するスカーレットを追い続けること数分、周囲の風景が突然暗く影を落としたかのような陰気な場所に移り変わる。
 此処は都心部で唯一のスラム街だ。所轄も滅多に踏み入ろうとしないほど危険な区域で、自治機関も存在せず治安も極端に悪い。足を踏み入れれば十分で強盗に襲われるなんて噂もあるぐらいだ。特に俺達のような他所者は極めて危険だろう。
「隊長、ここってマズくないですか?」
「行くぞ。危険だが、犯人に辿り着く可能性も高い。
 通りを駆ける俺達に視線が少しずつ集まって来ている感覚があった。入り込んだ余所者が物珍しいのか、手頃な獲物と見ているのか。どちらにせよ、今は事を荒立てたくはないし少々のタイムロスでもスカーレットを見失ってしまうため出来る限り避けたい。
「隊長! あそこ!」
 急に声を上げて指さしたレックス。その先を目で追うと、通りを一つ隔てた建物の非常階段を上って行く真っ赤な後ろ髪が、建物の中へするりと滑り込んで行く光景が飛び込んで来た。
「行くぞ、レックス。スカーレットも所有者も、きっとあの中にいるはずだ」
 スカーレットの消えた建物へ踏み込んで行く。建物は築年数の古いアパートだった。入り口のすぐ脇に管理人室があったものの管理人の姿は無い。照明も寿命が来ているらしく点滅を繰り返し、廊下は一面にゴミが転がっている。アパートと言うよりも元アパート、廃墟に近い様相だ。電気が通っているという事は所有し管理している人間がいるのだろうが、潜伏しているならまだしも本当にこんな所に住む人間がいるのだろうか? それとも、単に俺がスラムの生活事情に疎いだけなのかもしれないが。
「隊長、階段はゴミだらけで登り辛いですよ」
「お前は非常階段から上がれ。俺はこっちから上がる」
「了解しました。挟み撃ちですね」
「そうだ。先に着いても俺が来るまで待っていろ」
「もし途中で襲われたら?」
「自分で考えろ。俺はお前を遊ばせに連れてきたんじゃないんだぞ」
 そうレックスを突き放し、俺は一人で階段を登って行った。
 少々きつい言い方かもしれないが、カオスは少数精鋭のチームだ。求められるのは専門的な技術や知識だが、自分一人で事件を解決する能力は最低限持ち合わせて無くてはいけない。ある程度持って生まれたものもあるだろうが、俺は基本的に実戦でそういった感覚は養われるという持論を掲げている。ルーキーにさほど多くは求めていないが、実戦は経験させればさせるほど成長に繋がるのだ。
「わ、分かりました。頑張ります」
 ぎこちなく非常階段の方へ向かうレックス。何とも頼りない足取りではあったが、自分も初陣の時はあんな醜態を晒していた事を思い出す。いや、俺はあの頃とほとんど成長は無い。それが嫌で逃げ出してきたのだから。