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「生前は売れない絵描きをしていた青年だったそうだ。脱走したスカーレットを偶然に見つけ、自分の部屋へ匿っていたらしい」
 耳掃除も終わり、俺は夕霧の膝枕をさせたままぽつりぽつりと昨日の事件を語り続けた。普段は仕事以外であまり言葉を長く話さないのだが、夕霧だけには不思議と言葉が浮かんでくる。多分、話したい事は常に溜め込んでいるせいだろう。
「スカーレットは青年の死を正常に認識していた。その上でこのような犯行に出ていた。一種の現実逃避だったのだろう。理解しているが認めないのは、人間にもよくある行動だ」
「スカーレットは、青年を愛していたのでしょうか?」
 と、不意に夕霧が口を開いた。夕霧が質問をするのは珍しい。いや、ついさっきそういうスタンスを取るように俺が指示したばかりだ。
「何故そう思うんだ?」
「愛しい人が亡くなれば、悲しみ、時には狂う事もあります。ロボットでも同じ事と考えます」
「お前は、俺の事をどう思っている?」
「御敬愛しております」
「なら、俺が死んだらお前も狂うのか?」
「分かりません。私は御主人様の死は可能性までしか考えておりませんので」
「具体的な状況を考えるのが怖いとは思っているようだな」
「私は、誰にも必要とされず捨てられていた所を御主人様に拾って頂きました。スカーレットと同じです。ですから、私がおかしくなる可能性もあるでしょう」
 夕霧は中古で買った給仕ロボットだ。元の持ち主に捨てられた理由は単純で、夕霧のエモーションシステムに欠陥があるため笑う事が出来ないからだ。常に笑い続ける必要はないが、笑わないロボットは必要とされない。同じ能力なら愛想の無い方から切り捨てられる。人間にもよくある話である。
「そもそも、戦闘型ロボットにエモーションシステムなんてつけるのが間違いの元だ。どこもテレジアグループに続こうと強引な設計を強行して、それが原因で異常動作するロボットが増え、今年の事件数は既に去年の倍だ」
 俺の怒りは事件の遠因よりも設計者の意図に向けられていた。
 ロボットを俺の手にかけさせて欲しくない。そういう気持ちは少なからずある。犯罪を犯すためだけに生み出されたロボットなんて存在しないと考えたい。だから設計者はロボットが犯罪に走らぬよう利益や面体にこだわらず設計するべきなのだ。
「お前も自分は愛されたいと思うのか?」
「私は誰かに必要とされればそれだけで満足です。もしも特別な感情を戴けるのであれば、それに越した事はありません」
「これからは嘘でも肯定しておけ」
 夕霧のエモーションシステムは成長が非常に遅い。原因は欠陥のせいではなくて生活環境だ。ほとんどの話し相手が俺だけなのだから、思考の幅が広がるはずがないだろう。
 ふと、俺は右手を伸ばし夕霧の体に触れた。
 夕霧の体は本物の人間と差異を感じさせないほど柔らかく僅かな温かみがあった。夕霧がロボットであると知らなければ、本当に人間だと勘違いしてしまいそうなほど、手のひらで感じられるものはリアルである。比較的細身のデザインだが、胸ははっきりと形が分かるほどあり感触も本物と大差がない。そこから腰へと続くラインも美しく整い理想的だ。人間と区別がつかないほどの造形技術があるなら、わざわざ商品を醜くする必要はないからだ。
 何故、夕霧を買い上げたのか。はっきり覚えているのは、このロボットの体は触るとどんな感触なのだろう、とそんな考えだ。笑わないロボットというものに興味もある。そして何より、一人での生活は体力的にも精神的にも辛い面が多い。アイダは仕事が忙しく時間が取れないせいもあるかもしれない。もしかすると俺は、夕霧をアイダの代用品のように思っているのだろう。
「もしも俺に抱きたいと求められたらどうする?」
「私は御主人様の所有物ですから、御自由にされると良いかと思います。私にはその機能も備わっていますから問題はありません」
「そういう言い方は気分を萎えさせるって誰かに教えられなかったのか?」
「申し訳ありません。私は機能の活用方法についてあまり情報を持っておりませんので」
 そもそも、夕霧が人間に媚びる姿など想像は付かないし、こういった性格も裏表の無さの現れであるから、決して悪い気にはならない。しかし、夕霧には今後もう少し空気を読むように教えるべきだろう。あまりに機械然と振舞われては普段の会話が風化してしまう。
「マイク、居るのかしら?」
 と、その時。突然玄関の方からそんな声が聞こえてきた。声はカギをかけているはずの玄関の中から聞こえる。そうだ、彼女はこの部屋の合鍵を持っている。
 部屋にやってきたのはアイダだった。アイダはこちらの姿を見るなり、表情を僅かにちらつかせた。機嫌を損ねた時に見せる癖だ。俺はとっくに手を戻していたものの、アイダにしてみればどちらも不快な状況に変わりないようである。
「どきなさい、夕霧。あなたは食事の準備をなさい」
 夕霧は目を伏せてそっと俺の体を起こすと、そのまま静かに一礼しキッチンへと消えていった。入れ替わりに隣へ座ったアイダは、夕霧にさせていた膝枕のように俺の頭を自らの太股へ預けさせる。
「仕事はどうしたんだ?」
「早目に切り上げてきたわ。ここのところ二人の時間が作れなかったから、あなたがお人形さん遊びに夢中になっちゃうんじゃないか心配だったの」
「そういう遊びをする歳でもないさ」
 人間とロボットでは一つ、決定的な差がある。それは体臭だ。ロボットは香料を用いない限りは基本的に無臭だ。人間は逆に体臭を誤魔化すために香料を使うのだけれど、体臭の有無は膝枕でも居心地に大きく影響する。アイダの使う香水は知っているが、アイダ自身の体臭は無意識の内に働きかけ俺の感情に作用する。出動前の冷静さであったりベッドでの興奮であったり、今のように安らぎを感じている時であったりだ。気持ちが落ち着けるのはそれだけではないのだけれど、これだけ寛げさせてくれるのは少なくとも俺にとってはアイダだけだ。アイダは現場の苦労や俺の心情を完全に理解してはいないけれど、それ以上の抱擁力を持ってささくれた感情や沈み勝ちな気分を包んでくれる。アイダとの関係を続ける一番の理由はこれだ。アイダの存在は俺にとって大きな心の支えとなっている。
「レックスはどんな様子だったかしら?」
「昨日はかなりショックを受けていたが、今朝はいつも通りだった。今日は少しきつめにしごいてやったから、今頃はうちでママに甘えているだろうさ」
「あなたがしているようにね」
 酷い事を言うな、と小首を傾げて見せ、お互い口元を綻ばす。
 アイダの腹の方へ顔を傾けて密着感を高めると、実に心地良い感覚を味わう事が出来た。頬や鼻先の柔らかな感触と暖かな体温に目を細め、このまま眠りに落ちたい気持ちすらあった。けれど、アイダは俺を寛がせてはくれるけれどすぐ眠らせてはくれそうにない。俺の頭に伸びてきた指は思わせぶりに俺の髪を梳き始める。
「アイダ、もし俺が死んだらどうする?」
「どうしたのかしら。急にそんな事を訊いて」
「こういう仕事だからな。いつ死んでもおかしくはないだろう?」
 すると、アイダはそっと手のひらを額へ乗せてきた。冷たく、けれど人の体温を感じる手だ。体温とは伝わるものではなく存在を認識するものだと思った。
「あなたは少し休暇を取った方が良さそうね。疲れているのよ。あなたはそんな事で悩むような男ではないわ」
 アイダの手は額から頬へ移り、顎をまでを撫でる。まるで子供をあやしているかのような仕草だ。
「まだ二人きりで旅行をした事が無かったわね。今度二人で長期休暇でも申請しようかしら?」
「局長と隊長が揃って? 幾らなんでも通らないだろう。カオスが機能しなくなる」
「大丈夫よ。私は補佐を、あなたは副隊長に代行させればいいのだから」
「肝心の補佐と副隊長がカオスにはいないだろ?」
「じゃあこれからは、お互いいつでも休めるように代わりを育てましょうか」
「そうだな。自由に休めないのはお互い問題だ」
 不意にアイダの手が顎から首筋へ、更には服の隙間から胸の方へ這わせて来た。思わぬ攻撃に一瞬、ぞくりと背筋を振るわせる。
「あなたに必要なのは人間の女よ。疲れている時ほど甘えたくなるものだけど、あなたが甘える相手は間違えないで」
 俺は人差し指でアイダの腹から胸元までをつーっとなぞり上げる。するとアイダがその指を悪戯っぽく唇で咥えてきた。そしてもう一度視線を合わせ微笑み合う。
「今夜は泊まってもいいかしら?」
「こんな夜遅くに一人で帰らせるほど薄情じゃないさ」
 アイダが屈み込みながら唇を寄せてくる。俺はそこへ自分から唇を重ねた。