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 仕事上、通勤はいつも私服だ。周囲にひしめくビジネススーツを見る度に、つくづく今の仕事は自分向きなのだと実感する。スーツのような息苦しい服装は苦手だ。ああいうものは年に何度か、そうたとえば彼女の両親と食事をするとか、そういう時だけでいい。
 よく、ビジネススーツは管理社会の象徴であると言われているが、それは意識の問題だ。現に俺は、衛国総省という存在で何とか生きながらえている。俺のような人間はこういった仕事でしか食い繋いでいく事は出来ない。管理という言葉は己の弱みをごまかすための転嫁的な表現だ。
 車は本部の地下駐車場へ止めているのだが、出社する前に近所のコンビニへ立ち寄るのが習慣だった。主に買うのは書類を片付けている時に噛むガムや昼休みに読む雑誌だ。本当はナッツをかじるのが好きなのだが、デスクでそんな事をしているとアイダがあまり良い顔をしない。アイダに言わせれば原型の木の実をかじるのはネズミか原始人だけなのだそうだ。
 店員の挨拶と共に店内へ入った俺はまず、雑誌棚へ足を運んだ。特にこれといった趣味も無い俺は、他愛もない記事ばかりを載せた週刊誌や堅苦しい表紙だが情報に信憑性のある情報誌を買う事がほとんどだった。一応の社会情勢ぐらいは把握しておこうという意図で購入してはいるものの、結局は空いた時間の暇潰し程度でしか消費されていない。
 経済誌を一冊手に取った俺は、菓子棚の方へ向かった。基本的にガムはスティックタイプを買う。それは、デスクにいるよりも現場にいることが多いスタイルに適しているからだ。集中力の補助よりも口寂しさを紛らわせる意味合いもある。止めさせられたタバコの習慣は未だ抜け切れていない。
 普段から買っているミントガムを一本手に取り、雑誌と併せてレジへと向かう。レジには三人ほどが並んでいた。出社前のこの時間はさすがに利用客も同じ事を考える。どうせ時間には余裕がある。俺はさほど気にも留めずに自分の番を待ち続けた。
 しかし。
 不意に店内へ一人の男が飛び込んできた。やけに急いでいるな、と俺は何の気無しに視線を向ける。
「動くんじゃねえ! ちょっとでも妙な真似をすればこいつをぶっ放すからな!」
 男は蛍光色のナイロンジャンパーにニット帽を目深に被っている。そして、手には一丁の拳銃が握り締められていた。拳銃の存在が店内を蒼然とさせる。利用客と店員を交互に牽制する銃の動きに、誰もが恐れおののきその場へたじろいだ。
 強盗か。
 狙うなら普通、人の少ない夜を狙うものではないだろうか。それとも、夜は警戒されているから逆にこの時間帯を狙ったのか。もしくは、この近所にカオスの本部があると分かっていながらも気にしないほど、この街の治安が悪化しているのか。
 俺は自らの緊張の引き金を引いた。これは緊急事態である。強盗は俺の管轄外ではあるが、みすみす犯罪者に金を与える事も無い。
 緊張はしたものの、普段よりも気はずっと楽だった。戦闘型ロボットに比べ、在り来りな人間の犯罪者は警戒するべき点があまりに少ないからである。
 俺は手にしていた雑誌で巧みに隠しながら内ポケットの銃へ手を伸ばした。人間はロボットと違って簡単に死に易い。発砲する場合は狙う場所を考えなければならない。やはり手っ取り早く銃を持つ腕を打ち抜く方が早いか。
「おい、早く金を出せ! レジの中身全部だ!」
 男は利用客が静まるや否やすぐさまレジの店員へ銃口を向けた。男は店員の手先に警戒しつつカウンターとは一定の距離を保っている。おそらく店員の反撃を警戒しているのだろう。どうやら今日が初めてではないようだ。
 店員は恐怖に引きつった表情で手を震わせながらレジを開ける。カウンター下には非常ベルがあるのだろうが、下手に押してしまえば犯人に撃たれかねない。そもそも、命の危険を前にしてそこまで頭が回っているのかすら疑問の状況だ。
 銃を確認しながら少しずつ犯人との距離を縮める。犯人はまだ利用客に対して油断し切っていない。まだ銃を出すには早いのだ。もう少し近付き、こちらの有利な間合いを取らなくてはいけない。
 しかし。
「待て、この悪党め!」
 突然、犯人とレジカウンターとの間に割って入ったのは、俺の前に並んでいた一人の青年だった。
 俺は戸惑いを隠せなかった。まさかこの状況で、こういった正義感を発揮する人間がいるとは思わなかったのである。いや、これはただの自殺行為だ。正義感はともかく、行動そのものが追いついていない。
 直後、店内に銃声が響き渡った。
 撃たれた。
 そう俺は直感した。犯人にしてみれば当然の反応だ。突然目の前に立たれれば、反射的に引き金を引いてしまう。
「そんなものは効かん!」
 だが、青年は平然とそう言い放つと、すぐさま反撃に転じて男の腹に拳を叩き込んだ。男は声も出せないまま白目を向くと、そのまま床へ膝から崩れ落ちた。青年は銃を取り上げ、男のベルトを使い慣れた手つきで男を後ろ手に縛る。
「早く警察に電話を!」
「は、はい」
 強盗だけでも驚くべき事態なのに、その強盗の前に飛び出し、撃たれ、しかし難無く取り押さえてしまった青年。周囲は恐怖から安堵への切り替えが出来ずにただただまごつくばかりだった。カウンター越しの店員はすぐさま受話器を取り上げてダイアルするものの、すぐにプッシュボタンを押してダイアルをし直した。動揺のあまり、たった三桁の番号を間違ってしまったようだ。
 まさかこの男、ロボットなのか?
 青年は真っ黒な短髪に肌は黄色人種、中肉中背にはやや足りない体格だった。外見だけなら特別ロボットらしい色素ではないが、問題は先程撃たれた部分だ。青年の服には端の焦げた大きな穴が空いている。明らかな銃痕だが、そこからは一滴も血は滲んでおらず無傷の肌が覗かせるだけである。これは明らかに人間では有り得ない状況だ。
「君、撃たれたようだが怪我は?」
「え? い、いえ、お構いなく。自分はこれで」
 すると青年は慌てるように店から飛び出して行った。まるで自分がロボットであると知られたくないような、そんな行動である。俺は別に自分の身分を明かした訳でもなく、ただ無事を訊ねただけだというのに。
 裏に何かあるかもしれない。
 これまでカオスで培った経験がそう俺に直感させる。出社したらまず、今のロボットの資料を集めてみよう。必ず、何かがあるはずだ。