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 その日は定時を過ぎても自分のデスクでパソコンに向かっていた。
 手元には午前中に緊急招集で開かれた会議で配布された資料を広げている。ディスプレイに展開しているのは、データルーム管理者からの閲覧許可を貰った、この国で手配中のロボットのデータだ。データはセキュアレイヤーで保護されており、よって閲覧するため必要なコンパイラグラスをかけている。
 緊急会議での内容はこうだった。
 本日未明、第一級指名手配犯である『st.アッシュ』から大統領府に犯行の予告状が届いた。来月に行われる大統領のバースデイパーティの会場を爆破するといった内容である。真偽については現在、衛国総省の諜報部が調査中だが、万が一それが事実と判断されれば、カオスにも正式な出動要請が来る事になるだろう。
 偶然とは続くものだ。今朝のコンビニでの東洋人ロボット、それを調べ見つけた良く似たロボットがst.アッシュ、そして直後にこの予告状だ。たちの悪い悪戯である可能性は極めて高いが、もしもこれが本当ならば、あの東洋人ロボットは何か関係しているのではないだろうかと疑いが出てくる。st.アッシュは単体での戦闘能力はそれほどではなく、カオスの新兵達でも何とかなるレベルだろう。しかし、st.アッシュの恐ろしい所はその戦略性にある。st.アッシュには物事を論理的に考え、あらゆる知識を応用する力がある。そこに危険な思想が芽生えたのだから、ほとんど人間のテロリストと同じと考えて差し支えは無いだろう。st.アッシュは政治的に影響力を及ぼせるテロ活動を行うテロリスト。だから迎え撃つ側はst.アッシュの行動パターンを予測しなければならなくなる。そういった意味で志向型ロボットの犯罪は非常に厄介だ。
「マイク」
 その時、いきなり背後から頭を抱きすくめられた。それまでの気配にも気付いていなかった突然の出来事に、亀のように首をすくめた俺の肩越しから現れたのはアイダの悪戯っぽい笑顔だった。
「こんな時間まで何をしているのかしら?」
「ああ、例のst.アッシュの件で資料を見ていた」
 するとアイダは俺からグラスを取って自分にかけると、パソコンの画面をじっと見つめ始めた。マウスを握る俺の手の上に自分の手を重ねて何か操作をしているが、グラスが無ければセキュア化されている真っ暗な画面では何が行われているのか分からない。
「今から敵を研究するのも良い事だけれど、この程度の情報はいつでも頭に入れられるんじゃないかしら? それにあなたは、今更ロボットのデータを一から入れなければならないような人間とは違うわ」
「いや、それだけじゃない。ちょっと気になっている事がある」
「気になる事?」
「今朝、そこのコンビニが強盗に襲われたんだが。その時に犯人を取り押さえたロボットがst.アッシュに似ていた。髪の色を黒にすれば丁度そっくりだと思う」
「あまり記憶に頼るべきではないわ。そもそも東洋人の顔なんてみんな同じに見えるでしょう? 私なんてアクションスターぐらいしか見分けはつかないわ」
 確かに言われてみればそうかもしれない。人種が違えば、顔立ちは皆一様に思える印象となって当然だ。第一、st.アッシュがコンビニ強盗を捕まえるなんてするだろうか。ロボットがコンビニへ行く理由すら無く、またそのリスクを理解しているからこそこれまでまんまと警察から逃げ果せているのだ。自ら騒ぎに関わろうとするなんて考えられはしない。
「でも、強盗を捕まえたそのロボットは興味深いわ。名乗りもせずに消えるなんて、まるでコミックのヒーローね」
「だったら俺達の仕事になるな。コミックのヒーローはみんな、警察に追われている」
「どうして彼らは警察に追われているか知ってる?」
「さあ?」
「仕事を盗られているからよ。おかげで税金泥棒扱いされてるわ」
「なるほど」
 ふとお互いが表情を緩め、口元を綻ばせて見せる。仕事中は決して見せない、無防備な表情だ。
 俺はあまりジョークを話すのは得意ではないが、人のジョークを楽しむのは好きだった。アイダもそれほどジョークが得意という訳でもないのだけれど、ジョークの出来はともかく心が軽くなるようなそんな安らぎを覚える。元々、大きな声でげらげらと笑う性格でもないせいだろう。
「仕事の話はここまで。これから私の家に来ない?」
「どうしたんだ、突然?」
「パパがあなたに会いたがっているの。今日は久しぶりに帰ってきているから、一緒に食事でもどうかしら。そろそろ昔の武勇伝も披露したい頃ですし」
 アイダの父親は衛国総省の省長で、名前はモーリス=アーチボルトという。海兵学校を主席で卒業後、数々の功績を上げて現在の地位まで上り詰めた人間だ。性格は典型的な軍人気質で、ハンマーを起こした銃、もしくは抜き身の剣のような空気を放っている。典型的な軍人気質の彼を俺は苦手にしているが、逆に彼は俺の事を非常に気に入っている。同じ元海軍出身というだけでなく、カオスでの働き振りが随分と高く評価されているらしい。そのほとんどはアイダの口から誇張して伝わったものだろうが、アイダが時折俺の部屋へ泊まる事を黙認しているのも彼の中での俺は、既にそういうの位置づけなのだろう。そんな意味でもプレッシャーを感じる相手だ。
「さあ、行きましょう」
 俺の返事も待たず、アイダは一方的に端末をシャットダウンしグラスを机の引き出しへ押し込む。時折、アイダはこんな風に強引に物事を進める事がある。俺がカオスの隊長になった理由もほとんどがそれだ。カオスはアイダのワンマン運営に近い。それでも結果を出しているのは、やはりアイダにはそれだけの能力があるからだろう。さすがにああいった人間を父親に持つだけはある。
 不意に、午前中にデータルームで部下に言われた言葉を思い出す。だからこうも強引なのか。そんな下世話な疑問を抱きつつ、あまりこういった方面は得意ではない自分にもどかしさを覚える。
「モーリス氏は、st.アッシュについて何か知っていそうか?」
「また仕事の話? あなたの勤勉さには呆れるわね」
「そういう意味じゃないさ。データバンクに登録されていない、何か面白い話が聞ければと思っただけだ。たまには軍艦以外の話が聞きたいよ」
「それなら簡単よ。パパはブランデーを一本も空ければ、国家機密からママとの初デートまで何でも喋ってくれるわ」