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 アイダの家は郊外のとある住宅街の一角にあった。
 そこは一世紀ほど前まではただの荒野だったが、近年の再開発によって生まれ変わった地域だ。当初は山間という地形を利用した避暑目的の別荘ばかりが建ち並んだが、徐々に土地間を活用した豪邸が増えて行き高級住宅街へ様変わりしていった。この一帯に居を構えるのは指折りの高額所得者ばかりである。そんな背景もあるせいか、アイダの家へ行く時はいつも気後れがあった。この地域へ足を踏み入れるのは、庶民である自分にとって少々敷居が高過ぎる。
 執事が傍らに控えている夕食を厳かに終えると、決まってモーリス氏の書斎へ呼ばれグラスを付き合わされるのがいつものパターンだった。さすがに衛国総省の省長ともなれば、普段から空けるブランデーボトルも滅多にはお目にかかれない高級品が当たり前のように出てくる。本当ならじっくりと味わっておきたいものだが、それよりも俺の注意はモーリス氏の一挙一動へと注がれていた。
「君は海上での実戦経験はあまり無かったね。ハープーンミサイルが敵艦の装甲を打ち破る瞬間は実に素晴らしい音を奏でてくれるのは知っているかね? あれを覚えたら病み付きになるぞ。今度、海軍の演習があるから君を特別講師として招待しよう」
 普段は厳しい表情で言葉数も少ないモーリス氏ではあったが、今はまるで別人のように意気揚々とした表情で呼吸をするのと同じように次々と言葉が飛び出す。ブランデーボトルは二本目を半分ほど空けた。普段は当然のように一人で三本ほど空けるらしいが、もう大分酔いが回っているようだ。俺もまた頭がややふらついている。アイダはそれほど呑まないため実質二人で呑んでいるが、以前よりもモーリス氏の酔い方は早いように思う。アイダによるとモーリス氏が俺と会う時は嬉しそうにするらしいが、どうやらその影響らしい。
「パパ、ミサイルの話はまた今度にして。それよりも今夜はもっと聞きたい話があるわ」
 中大戦の話だけで何杯グラスを空けただろうか。いい加減にうんざりして来た頃、アイダがうまく話の腰を折ってくれた。さすがに得意げだったモーリス氏の表情は一瞬曇るものの、気を取り直しグラスの中身を一気に煽った。
「なんだ、何の話が聞きたいんだ?」
「ロボットの話なんか興味深いわ。それも指名手配中の。そう、たとえばst.アッシュとか」
 空になったグラスへアイダが次の酒を注ぐ。酔っているせいもあるのだろうが、モーリス氏の表情は非常に緩く普段の厳しい長官の顔さとはまるで別人だ。やはり幾つになろうと一人娘と会うのは嬉しいものなのだろう。
「自分も是非お願いしたいです。何分、まだまだロボット犯罪については勉強不足ですから」
「若い内に多くの勉強をするのは非常に良いことだ。君はよく己を弁えている。最近の軟弱な新兵共に見習わせたいものだ」
 さも機嫌良さそうにモーリスはひとしきり笑い、グラスを煽る。この人には何を言おうが全て都合良く変換されてしまいそうな気がする。省長としての業務中ならば別だろうが、今はただの自慢好きな酔っ払いだ。
「さて、st.アッシュか。また随分と懐かしい名だ。思えば奴がこの国で初めての指名手配犯だった。丁度私が海軍の総司令に就任した頃だったな」
「なら、随分と旧型なのですね」
「そうでもない。連中は、自分が年月と共に型遅れとなっていく事を理解している。能力のあるものなら自己改良ぐらいするだろう」
 ふと、その時。俺は今のモーリス氏の言葉の中にちょっとした違和感を感じた。酔っているせいもあってか、すぐさまそれをそのままの言葉で問い返す。
「連中とはどういう意味ですか? 自己改良はst.アッシュに限られた事ではないと?」
「おっと、失言したかな。君はなかなかのクセ者だ。酒を飲んでいようと人の話は油断無く聞いている」
 むしろその話を聞くためだけに来ているのだが。
 酔いに任せたそんな本音は押し殺す。アイダはともかく、俺が話の腰を折ってしまうと厄介な事になりそうだからだ。
「これはデータバンクにも記録されていない機密情報だが。実は、st.アッシュは一人ではないのだよ」
「一人ではないと言いますと?」
「現在、st.アッシュは十人いる。いずれも第一級から第三級までの指名手配犯だが、それらには皆、別の指名手配のための名が与えられている。何故か分かるかね?」
「st.アッシュを逮捕するには十人捕まえなくてはならないが、バラバラにしてしまえば一人捕まえるたびに指名手配犯が一人減る。その情報が報道されると国民は安心感を得られ、国に対する信頼感が高まるから?」
「正解だ。相変わらず頭がキレる」
「今の言い方ではst.アッシュの数が変動しているようにも取れますが」
「それも正解だ。st.アッシュは、毎年その数を増減させている。しかも、衛国総省が把握している上でだ」
 まるで衛国総省がst.アッシュを管理しているかのようにも聞いて取れる。しかし、本来なら衛国総省は犯罪を犯すロボットを取り締まる側のはずだ。ましてやst.アッシュのような無差別殺人を行うロボットを野放しにする理由が見つからない。犯罪は無いに越した事は無いのだから、管理出来るほど現状を把握できているならどうしていち早く逮捕してしまわないのだろうか。
 そんな疑問を抱く俺に、モーリス氏は何の躊躇いも無く言葉を続けた。俺はまたとないチャンスだと思った。モーリス氏は仮にも省長という立場なのだから、本来はそう易々と国家機密を教えてくれるはずが無いからだ。
「st.アッシュとは、衛国総省が作り出したスケープゴートの隠語でもあるのだ。そういった習慣は、私が省長になる前からもずっと続いていたそうだ。かつては人間の重犯罪者をプロデュースしていたらしいが、時代の流れでロボットへ路線を変えた。ロボットならば怒りもぶつけやすく、仕立て上げる側も良心を痛める事がないからな」
「しかし、腑に落ちない事が多過ぎます。それではまるで、国家が犯罪者の存在を容認しているようではありませんか? そんな事をしても誰のメリットになるのか分かりません」
「私も初めはそう思ったよ。この国の最終防衛線である衛国総省が犯罪者を助長するとは何事だ、とね。けれど、このシステムは実に理に適っているんだ。民衆は、適度に犯罪が起こる日常の不安感と、それを取り締まる側の強い力との絶妙なバランスがなければ安心感を抱く事が出来ないのだ。犯罪も無い国で警察に金を払う事ほど愚かな事は無い。日常へ漠然と抱く不安感の強さ、それを取り締まる存在への信頼度、そしてその存在へ払う代価の額、これらのバランスがうまく取れている事こそが理想的な秩序を形成するのだ。もっとも、私とてそれを完全に受け入れられるには数年を要したがね」
 つまり、衛国総省は悪役を意図的に作り出し、自らの活躍の場を増やす事で国民からの信頼感を得ている訳か。
 以前、ミュンヒハウゼン症候群という一種の精神病を聞いた事がある。自らを傷つける事で周囲からの注目を集めようとするのが特徴らしいが、衛国総省がしているのはまさにこれだ。犯罪は幾ら法整備をし取り締まろうとも決してなくならない、だから衛国総省を初めとする治安機構が日々尽力している。そう国民に自分達の努力を示す事で自分達への信頼を獲得しているのだ。ならば、初めから衛国総省など必要ないのではないだろうか。いや、治安機構はそれでも存在しなくてはならない。治安機構が存在していればこそ、国民は日々の生活に安心感を持ち得る。
「とは言っても、正直なところ衛国総省もst.アッシュの全てを管理し切れている訳ではない。だから今後、潜在的st.アッシュを増やす事はないだろう」
「衛国総省はst.アッシュが手に負えなくなったと?」
「そういう事だ」
 俺はグラスに口をつけ、残りの半分ほどを一気に煽った。
 素直な本音を言うと、あまり面白い話ではなかった。自らの評価を高めるため、不当に活躍の機会を作り出すなんて。プロデュースされたのが人間だろうとロボットだろうと、それは大した問題ではない。問題なのは、そんな意図に巻き込まれてしまう無関係な人間だ。大半の国民にとって最も重要なのは己の生活だ。治安機構としての体裁もあるだろうが、そのために人々の生活を軽視するのは本末転倒である。
「そういえば、君は海軍の出身だったな」
「ええ、特殊戦術チームで五年ほど」
 同じ事を訊かれたのは、もう何度目だろうか。
 けれど俺は初めての質問のように返事を返した。当然の事だが、前も同じことを訊きましたよ、と指摘してはいけない。
「あの特戦部隊に五年も居たのだったな。どんなにタフな人間も一年持てばいい方だという、地獄の部隊。よくもそんな所に五年もいられたものだ。まったく、感服するしかないよ」
「自分の時はほとんど実戦がありませんでしたから。退屈している方が多かったです」
「地獄の訓練が退屈か。まこと、恐れ入った」
 モーリス氏がさも愉快そうに声を上げて笑う。退屈という表現は少しオーバー過ぎた。冗談のつもりだったのだが、まさか真に受けて灰やしないだろうか。いや、そもそもこういったやり取りを覚えているかどうかすら疑問だろう。
「ところで、君の父親は軍の出身かね?」
「い、いえ。ただの地方公務員です。それが何か?」
「なに、君のような優秀な軍人の遺伝子がどこから来たのか気になっただけだ。君の活躍を聞いた両親はさぞ鼻が高いことだろう」
「そんな事は。それに、カオスはともかく特戦部隊での事は機密上家族にも話せませんから、自分が軍で何か仕事をしている程度にしか思われていませんよ」
「それは勿体無い事だ。そうだ、カオスならばマスコミに隠すほどの機密は無い。一度取材をしてもらうといい。両親との対談の場を設けてな。かくして息子は英雄となった。いや、これでは少々チープ過ぎるか」
 気が付くと、ぎゅっと拳を握り締めていた。思わぬ方向へ話が飛び火し、湧き上がった焦りが徐々に苛立ちへと変わって行ったせいだ。けれど表情だけは変えぬよう必死に己を律する。今の自分が抱いている感情をモーリス氏へ知られてはいけない。
 すると、横から握り締めていた俺の手をそっと包まれた。アイダの手だった。
「パパ、マイクはそろそろ休ませるわ。明日も仕事があるのですから、パパもそれぐらいにして」
「おおそうか。体が資本だからな、休息はきっちり取らなくてはならない。ではアイダ、パパにおやすみのキスを」
「もう。大きな赤ちゃんですこと」
 最後にモーリス氏へ挨拶をすると、俺とアイダは書斎を後にした。
 依然として動揺は続いていた。酔っているせいもあるのだが、うまく気持ちの整理が出来ないでいる。今更ながら、自分に根付いたものは随分と深い所まで達しているようだ。この歳になっても笑い飛ばすことが出来ない、そんな自分への苛立ちが何よりも後味が悪い。
「すまない、アイダ」
「どうして謝るのかしら? どうせならありがとうと言って欲しいわ」
「すまない」
「謝ってばかりね、あなた」
 微笑んだアイダが、まるでペットを撫でるように俺の下顎をくすぐる。俺は微苦笑しながらその手をどかせようとするものの、すぐに逆の手が入れ替わってきた。
「謝るのはこっちよ。パパのこと、許してあげてね。酔ってるだけで悪気は無いの」
「別に気にしていないさ。それに彼は俺の事情は知らないんだから。それよりも、明日はもう一度会議をしよう。st.アッシュについての対策は練り直す必要がある。モーリス氏の話が事実なら、今のやり方では少々不安が残るからな」
 すると、アイダは露骨に溜息をついて見せた。何が不満なのか。そう俺は小首を傾げてみせる。
「私もロボットになろうかしら」
「どういう意味だ?」
「あなたは人間よりもロボットばかりに強く求めているもの」
 しばし逡巡した後、俺は答えた。
「恋愛と仕事は全く別物さ」