BACK

 st.アッシュが予告状を出して一週間後、衛国総省諜報部は今回の予告状をクロと断定した。一ヶ月ほど前に、空港の防犯カメラに当人と思われる人物が映っていたそうだ。よって来月に行われる大統領の誕生パーティは、カオスを初めとする衛国総省内の各特殊チームによる厳戒態勢が敷かれる事となった。
 ロボットのテロという事もあって総指揮はカオスが執る事になった。カオスの最高責任者はアイダだが、現場を担当するのは俺だから具体的な指示は俺が出していく事になるだろう。アイダはそれよりも前の段階、大統領警護班を納得させるだけの防衛プランの提案、他チームとの連携及び協力体制の確立が主な仕事だ。俺はアイダが警護プランを提案しやすいように、部下達を当日まで完璧な状態まで仕上げるのが仕事だ。お互い、カオスに要求される課題はあまりに多過ぎるが、逆に言えば新参チームのカオスを広く認めさせるためには丁度良い機会でもある。
 その日も俺は、郊外にあるトレーニングセンターにて実戦形式を交えた訓練を行っていた。センターの敷地内にはパーティに使用される会場と全く同じ建物が建設されている。大統領の警護に特化した訓練を施すため申請したのだが、さすがに大統領の生命がかかっているせいだろう、それほど期待はしていなかったのだがあっさりと予算が認められてしまった。
 訓練は特にカオスの出撃命令が出ない限り一日中通して行った。疲労とストレスを蓄積させないためにも必ず定時には帰すように心がけていたが、俺は自宅に帰ってからもチームの編成や戦術についての研究と試行錯誤を行っていた。カオスはロボット犯罪が専門ではあるものの、人材の層が圧倒的に薄い。層の薄さには想定外の事態に直面した時に対応が出来ない脆さがある。だから少しでも想定外の事態は減らさなくてはいけないのだが、そのためには一ヶ月という時間はあまりに短過ぎる。どれだけ訓練の密度を濃くしたとしても、せいぜい三ヶ月分の訓練しか施すことは出来ない。後は指揮者の力量に拠ってしまうから、俺自身も更なる指揮力の強化を図る必要がある。
 普段は七時も過ぎれば警備員へ挨拶と共に施錠カードを返却して帰るのだが、今日だけは資料のまとめに手間取り八時を大きく回ってしまった。普段はこういった雑務は内勤担当の部下にやらせていただけに、いざ庁舎から離れ自分でやるとなると予想外に戸惑ってしまう。つくづく自分は現場だけにしか居場所の無い人間だと実感する瞬間だ。
 要人警護プログラムは予定通りにこなし、隊員達は着実に力を付けて来ている。けれど、危惧していた通りに時間は足りない。カオスは特殊部隊の出身が多いものの、ほとんどが突入訓練は受けてはいるものの要人警護のような受身の経験は極めて少ない。もし、こちらが事前にst.アッシュの居所を掴む事が出来れば制圧する事は容易だろう。しかし、今回の任務で優先すべき事はあくまで大統領の警護である。それに、今からのあてずっぽ捜査でst.アッシュの居場所を特定しようというのは現実的ではない。
 車に乗り込み、俺は帰路へついた。
 ここ最近はあまり自分の時間が作れていない。トレーニングセンターも庁舎から比べれば随分と自宅から離れているため、必然と自分の時間の大半はこの車の中となる。かと言って、時間があったとしても打ち込む趣味など持ってはおらず、ただソファーの上でごろごろと横になりながら浪費するだけなのだが。
「夕霧か? ああ、そうだ。夕食の準備をしておいてくれ」
 信号待ちのタイミングを使い、自宅で俺の帰りを待つ夕霧へ電話で連絡する。
 考えてみれば、よほどの状況でもない限りは夕霧への連絡を怠った事が無い。夕霧の性格からして一人で待つ事が寂しいと思い悩む姿は考えられないし、数日も連絡が無いからといって俺の身に何かあったのかと慌てふためく事もないだろう。だから夕霧へ連絡を入れるのは夕霧のためではなく、自分の何か満たされていない気持ちを充足させるためなのだ。つまり、俺がどうしようもない寂しがり屋だという事だ。
 街中をゆっくり流しながら、ふと窓越しに通りを眺める。平日とは言え、この時刻ともなると人通りが激しく、時折はしゃいだ勢いで通りへ飛び出す若者の姿もあった。何も知らずにいい気なものだ、と嘲りを含めた溜息が口をつく。仕事柄、犯罪に関する数字には敏感なのだが、年々増え続ける人機双方の犯罪発生率を見ているととても夜中まで遊び回る気分にはなれない。けれど、全ての人間が治安に不安を抱いた所でパニックと警察への不信感が強まるだけだから何のメリットも無く、いっそ今のように水面下で治安機構が皺寄せを食らっている状況がベストなのかもしれない。
 不意に孤独感が強く込み上げてきた。車のドアを一枚隔てた向こう側はあんなに賑やかなのに。それは逆にこちら側の孤独感をより強く感じさせる。多分、助手席に誰かがいるだけで随分と気持ちは変わるだろう。
 そういえば、アイダとは随分顔を合わせていない。普段なら三日と空けずに電話が来るものだが、もうかれこれ一週間も音沙汰がない。最後の電話の時は随分と声が疲れていた。アイダは総指揮に任命されているため他の部隊の局長と警護体制について連携を取らなければならないのだが、カオスは発足から間もない部隊である事とアイダ自身の若さにより露骨に侮られ手綱を取るのに苦戦を強いられているそうだ。大統領の警護が目的なのだから指揮官の命令に従うのは当然なのだが、警護団はカオスを初めとする各軍特殊部隊の混成だ、伝統や確執、果ては個人的な感情など様々な問題がある。だったら初めからカオスだけにやらせて貰った方がずっとやり易いのだが、そこは上の判断だ、末端の兵士はただ命令に従うしかない。
 やがて繁華街を抜けると、俺はアクセルを踏んで一気に郊外へ飛び出した。
 国道が郊外に出る境界線、そこに一軒のコンビニがあった。ここは帰宅ルートの途中にある唯一のコンビニという事もあってよく利用していた。夕霧にはウィスキーのストックを切らさぬように言いつけてはあるが、時々飲みたくなるビールは主に仕事帰りに立ち寄るここで調達している。
 店の横にあるまばらな駐車場へ車を止め、店内へ。ストックさせるほど買う訳でもなく、冷蔵庫から適当な缶を二つ取り出してレジで精算する。店内は立ち読みする客が二名いるだけで、歩く自分の足音がやけ高く響いた。郊外のコンビニなんて夜はこんなものだろう。車へ戻りビールを助手席へ放り投げる。その直後、ビールが発泡性である事を思い出し舌打ちをした。家に着いたら先にシャワーを浴びて、その間に泡を落ち着かせよう。
 車を車道へ移してアクセルを踏む。
 ふと薄い眠気を感じた俺は、気分を紛らわせるためにラジオのスイッチを入れた。流れてきたのは一昔前に流行ったジャズ。どこかで聞いた事のあるリズムばかりのくせに記憶に残らないポップスよりは好きなジャンルだ。訓練に力を入れてきているせいか、ここの最近は体の節々がじんわりと痛む。だが音楽を聞いている今の気分は悪くない。音楽のある空間は何かしらリラックスさせる効果でもあるのだろう。仕事が落ち着いたら、一つ部屋にオーディオ一式を揃えてみるのもいいだろう。
 指先でハンドルを叩いてリズムを取りながらアクセルを踏み続け、やがて夕闇の中にぼんやりと浮かぶアパートの外観が見えてきた。都心と比べるとまるで幽霊屋敷のような光景だが、このぐらい物静かな方が性には合っている。ここまで人目を避けるくせに寂しがり屋というのだから、俺という人間は何とも扱い辛い人間である。
 車を駐車場に止め、コンビニで買ったビール缶を手玉に取りながらアパートのエントランスへと向かう。駐車場から玄関までは一本道であるものの照明は一切無く、途中はほとんど視界の無い場所もある。しかし、毎日のように通っていれば自然と慣れてくるし、今では目を瞑ってでも歩くことが出来る。放った缶が落ちてくるタイミングを掴むのは、むしろ暗闇の方が都合がいい。缶と空気が擦れ合う僅かな音を聞き取る事が出来るからだ。今度、暗闇を想定した訓練を行うのも良いかもしれない。パーティが催されるのは夜であるため暗視ゴーグルが支給されるが、ゴーグルに頼るよりも肌の感覚を磨いた方が実戦では遥かに有益だ。
「ん?」
 ふと俺は、玄関の前に誰かが立っている姿を見つけた。一瞬、夕霧が俺の帰りを待っていたのかと思ったものの、夕霧にそんな命令をした事も無ければ、過去にもそういった自主的行動に出た事も無い。アパートには他にも住人が何人かいるようだが普段は顔を合わせる機会も無く、夕霧同様に玄関で遭遇するという例もまだ一度も無い。
 一体誰なのだろうか?
 そう不思議に思いながら向かっていくと、やがて誰何の姿は徐々にはっきりと見えてきた。それは黒い短髪の青年だった。中肉中背とさして特徴の無い体格だったが、顔立ちや肌の色は典型的な東洋系だった。自分とは全く異なる色素ではあるものの、夕霧も同じ東洋系であるせいかさほど見慣れなさは感じなかった。
「お前……」
 しかし、彼の顔を確かめた瞬間、俺は背骨が奮い立つような緊張に見舞われた。
 俺は一度目を付けた顔は決して忘れない。ロボット特有のシンメトリーだけでも特徴的なのだ。その青年はこの間、コンビニで強盗を取り押さえたロボット、st.アッシュだ。
 反射的にジャケットの中の銃を抜き、銃口を青年へ向ける。そんな俺の姿を見た青年は、慌てた様子で両手の平を向けて肩をすくめた。
 まずは相手の様子を慎重に伺った。着ている服は特徴の無い黒のジャケット。体の傾き具合を見る限り銃器は忍ばせていないようだが、ロボットではあまりその推測もあてにはならない。サブマシンガンのような武器はさすがに持ってはいないだろうが、st.アッシュが得意としているのは爆弾によるテロだ。手の平ほどのサイズでビルを吹き飛ばすような高性能なものだってあるのだから油断は出来ない。
「構えないで下さい。私はあなたと話がしたいだけです。突然やってきて驚かせてしまった事は謝ります。ですが私はあなたと争うつもりはまったくありません」
「黙れ。そのまま動くな、お前を拘束する」
「衛国総省のマイケル=グランフォードさんですよね。カオスのリーダーを務めている。私の個体名は露旬といいます。本日はお話したい事があって、勝手ながら訪ねさせていただきました。それ以外に他意はありません」
「黙れと言っている」
 突然の事に少なからず動揺はしていたが、この程度の事でいちいち我を失うほど脆くはない。それよりも驚くべき事は他にあった。何故、俺の名前を知っているのか。カオスとst.アッシュだけの繋がりはまだほとんどなく、俺個人との面識など少し前にコンビニで見かけた程度で皆無に等しい。なのに、どうして俺個人の情報を持っているのか。怪しいと考えるよりも、むしろ危機感の方が強かった。この状況は、衛国総省から個人データが流出している可能性を裏付けるものだからだ。
「どうやってここの住所を調べた。答えろ」
「その件についても併せてお話いたします。ですから、どうか話だけでも聞いて下さい。自分には全く争う意思はありませんから」
 どこまで信用出来るものなのか。
 露旬と名乗るst.アッシュが必死に俺の信用を得ようとしているのは分かる。しかし、その意図が理解出来なかった。まさか、俺がそう易々と懐柔出来るような人間と思っているのだろうか。st.アッシュは何年も衛国総省から逃亡し続けてきた犯罪者なのだ、それではあまりに考え方が安易過ぎる。
 おそらく目的はもっと別の所にあるのだろう。そう訝しくは思ったが、st.アッシュの持つ情報にも興味はあった。どのような腹積もりにせよ、俺の個人情報を持っているのは確かなのだ。少し危険かもしれないが、この機会をみすみす逃してしまうのは惜しい。
「分かった……。だが、俺は銃を引かないし、少しでもおかしな真似をすれば即座に射殺する。それから手は常に俺から見える位置に出しておけ」
「ありがとうございます」
 何を白々しい。
 思わず唾を吐きそうになるほどの苛立ちが脳裏を掠める。
 st.アッシュに対する不信感は決して無い訳ではない。しかし、その屈託の無い一瞬の笑顔は、しばし俺の気持ちを揺るがすには十分すぎるほどの強い印象を与えた。