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 奇妙な光景だった。
 俺と向かい合う位置のソファー。普段、誰も座る事の無いそこにいるのは、両手を肩ほどの高さまで上げた姿勢のst.アッシュこと露旬。俺は露旬の眉間に対して銃口を定めている。安全装置は外しハンマーも起こして、いつでも引き金を引ける状態だ。
 自室に指名手配犯を招くなんて考えもしなかった状況だ。この部屋へアイダ以外の部外者を通したのは初めての事であるが、まさかそれが指名手配犯になるなんて。
「まず最初に聞こう。お前はst.アッシュか? 指名手配犯として登録されている方の意味だ」
「ええ、そうです。これまで四十三件の爆破テロを行ってきました。間違いなく自分です」
 外見が似ているように思えたから、まさかとは思っていたが。やはり予想通り、こいつは爆破テロリストのst.アッシュのようだ。しかし、問題にすべき事はそんなものではない。俺は更に質問を続ける。
 ふと、その時。夕霧が俺の脇へぴったりと立った。
「何だ?」
「万が一という事もありますので。差し出がましかったでしょうか?」
「好きにすればいい」
 いつもの薄い表情でそう答える夕霧から視線を戻す。
 夕霧に戦闘能力は一切無い。不測の事態にどれだけ役に立つかは甚だ疑問ではあるが、させたいようにさせておく事にした。万が一の場合でも夕霧が行動するより俺が引き金を引く方が遥かに早い。
「st.アッシュとは、複数の犯罪者を総称する隠語という意味もある。それは知っているのか?」
「はい、知っています。自分がどういった意味で生み出されたのかも、全て」
「今、自分が生み出されたと言ったが。生み出されたとはどういう意味だ? st.アッシュは衛国総省に管理された犯罪者なのだろうが」
「正確には違います。我々st.アッシュは、犯罪者としてプロデュースされたものなのです。衛国総省があらかじめ仕立て易いロボットに目を付けて置き、何か不自然の無い機会と状況を利用して指名手配犯とする。だからリコールの対象となったロボットがプロデュースされる事が多いのです。設計のミスや物理的故障なら、それだけ国民にも信用させやすいので」
 結局は衛国総省の自作自演という訳か。
 俄かに信じ難い話ではあったが、st.アッシュの隠語は他ならぬ衛国総省省長のモーリス氏が出所なのだ。少なくとも露旬の言っている事が何もかも嘘という訳でもなさそうだ。
「お前がこれまでに行ってきた数々のテロ事件は、全て衛国総省の差し金という事なのか?」
「そうです。ただし、衛国総省と単に言っても派閥は無数にあり、私へ指示を出す人間はいつも違っていました。察するに、政策上の問題が絡んでいると思われます。突然のテロによって政敵がいなくなるのは、誰にしても都合良いものですから」
 政局の利権争いにまで使われているという事実に、そろそろst.アッシュという存在には嫌気が差してきた。何より、衛国総省がそれらの事実に加担している事が不快だった。衛国総省にも表裏はあるかもしれないが、それは他ならぬ国民の治安のために帰結していると思っていた。しかしこのような醜い利害関係にすら噛んでいるなんて、とてもではないが受け入れ難い。俺自身、衛国総省はもっと誇り高い存在だと考えていただけに、露旬の明かした事実は到底信じる事が出来ない。衛国総省でも極一部の人間によるものだと思いたいが、そうだとしても反吐が出そうになるほど忌々しい行いだ。
「st.アッシュはどうして衛国総省に従う? エモーションシステムにそう刷り込まれているのか?」
「違います。これはあくまで自分の意思です」
 すかさず真っ直ぐな視線で答える露旬。そのあまりに迷いの無い態度に、俺はst.アッシュがかなり深いレベルで刷り込まれた走狗であると判断した。ここで迷いを見せればグレーになるのだが、即答するのはどちらの答えであろうともほぼ間違いなくクロだ。リコール対象機をリークし、エモーションシステムに犯罪者となるための細工を施す。巧妙で悪質、しかもその黒幕がまさか衛国総省とは誰も思わないだろう。せいぜいゴシップ紙の一面を飾る程度だ。
「お前の目的は大統領なのか?」
「その通りです。あの大統領ではロボットに明るい未来はありませんしね」
「滑稽だな。お前の起こすテロで利益を得る連中の事は考えないのか?」
「微々たる事です」
 その微々たる事で、一体どれだけの人間を不幸に陥れて来たのか分かっているのだろうか。
 けれど、そんな当たり前のセリフをぶつけた所で、露旬は何も分かりはしないだろう。犯罪者としての因子を埋め込まれたロボットに正義や道徳を説くほどむだな事は無い。
「俺の個人情報は衛国総省から来ているのか?」
「ええ。衛国総省は予めこちらに障害となり得る人物のデータを提供してくれます。今回の件ではあなたが最も重要な人物に指定されていました。もしもあなたがいなくなれば、ほぼ確実に成功するという目算もあります」
「それで俺を殺しに来たという訳か?」
「いいえ、違います。自分の目的はあくまで大統領のみです。関係のない殺しは一切行いません」
「爆弾魔が良く言うな。その一人のために、今度は一体何人を巻き込むつもりだ」
 そう問うた所で、それすらも露旬は微々たる事だと言い切るだろう。矛盾した理屈ではあるかもしれないが、意図的にという意味では確かに理屈は通ってはいる。ただ、巻き添えなどの過程を考えず結果だけを求める観点が根付いているのだろう。旧時代的で無機質なアナログ思考が。
「そろそろ失礼させてもらいます」
 不意に露旬は手を上げたまま、ソファーから腰を僅かに浮かせた。咄嗟に引き金を引きかけた人差し指を黙らせる。
「待て。誰が動いていいと言った」
「私一人を殺した所で無駄ですよ。他のst.アッシュも続々とこの国へ集まっているのです。もはや一人二人の欠員では止める事など出来ません」
「ならば、残りも全て拘束、または射殺するまでだ。カオスはお前達に対しあくまで攻勢だ」
「あなたは何も分かっていませんね。来月狙われているのは大統領だけじゃない、あなたもです。他のst.アッシュには別なターゲットが与えられているんです」
 大方、俺がモーリス氏と懇意なのが気に食わない奴でもいるのだろう。その程度の反感など、今に始まった訳でも無い。元々そのぐらいの覚悟を持ってカオスに来たのだから、今更動じたりはしない。
「だから何だ。今、ここでお前を仕留めればその分だけ仕事が楽になる」
「なら、取引にしましょう。見逃していただければ、あなたを狙うロボットを教えて差し上げます」
 こいつ、一体何を考えている? こうなるぐらいなら初めから近づかないと、思向型なら予測は出来ているはずなのに。
 露旬の理解に苦しむ行動に頭の中をかき回される。しかし今はそんなことを考えているべきではないと隅へ追いやり、ただ冷静に状況を分析し続ける。慌てた時こそ、相手にとって最大のチャンスなのだ。
「ならば代わりに一つ、教えて欲しい。お前達は本当に、自分が衛国総省に操られているとは思っていないんだな。なら、何故こんな事を繰り返す? まさか善悪すら分からないとは言わせないぞ」
「自分が必要とされているからです。たとえ人身御供だとしても。そちらの方なら分かるはずです。ロボットの存在意義は誰かに必要とされる事。違いますか?」
 視線を向けられたのは、俺の傍らに立つ夕霧だった。
 夕霧は僅かに戸惑いを見せていた。露旬の言葉に少なからず理解の及ぶ何かを感じたのだろう。
「俺はお前が理解出来ない。先日、コンビニで強盗を取り押さえただろう? 何故だ? 体を張って人を助けようと思う気持ちがあるのに、何故人を殺す事も出来る?」
「あなただって同じようなものでしょう? 自分を保つために銃を握っている」
「知った口を……!」
 憎々しげにそう吐き捨て、俺は顎で玄関を示した。
 露旬は律義に両手を上げたまま微笑んでいた。まるで俺の心中など見通しているとでも言わんばかりの表情である。けれど、そんなものは露旬の思い込みにしか過ぎないと俺は言い切る事が出来た。俺が銃を握る理由など幾らでも別解が思い浮かぶからだ。
「どうあっても、st.アッシュを止めるつもりですか?」
「それがカオスの仕事だからな」
 そうですか、と露旬は短く答えた。どこか諦めにも似た今にも溜め息が漏れて来そうな声だった。
 多分、理解したのだと思う。理屈では説明出来ない、もっと重いものが人間の価値観にはある事を。
「自分からも、最後に一つだけ。あなたは自分が正義だと信じているのですか?」
「正義なんて知らないさ。ただ、納得もいかない内に人が死ぬのを黙って見過ごせないだけだ。さっさと出て行け。次に視界に入ったら引き金を引く」
 そして露旬は黙って一礼し、部屋を出て行った。
 少し空け、夕霧が慎重に玄関まで向かいカギをかけ直す。戻る途中もしきりに周囲を気にする素振りを見せていた。おそらく露旬がどこかに爆弾を置いてはいないかと思っているのだろう。
「御主人様、宜しいのでしょうか?」
「何がだ」
「今の方は、指名手配犯のはずですが」
「だから、何だ」
 苛立ちも露に拳銃をテーブルの上に放り投げる。すると夕霧はすかさず拳銃を手にとってハンマーを下ろし安全装置をかけた。
 銃を握る理由なんて、下らないものだ。
 幼い頃はひたすら純粋に正義へあこがれ、青年の頃に苛酷な現実を見せつけられ、その先にたどり着いたのがここだったと、それだけの話だ。
「来い、夕霧」
 夕霧をソファーに座らせ、その膝を枕に寝転がって天井を見上げる。
 頭の奥が鈍くくすむのは苛立ちのせいなのか、それとも不安の現れなのか。
 分からない。
 俺達の敵は、一体何なのだろうか?
 st.アッシュはこの国にとっての必要悪。そして、取り締まる側のカオス。どちらも操っているのは衛国総省だ。果たしてこの盤面に何の意味があるのだろう。ただ存在する事そのものに意味があり目的があるというなら、カオスの意志もst.アッシュの意志も、急に無価値に思えてならなくなる。そもそもカオスとはロボット犯罪を取り締まるための機関ではなかったのか。この盤面上からではまるで、舞台上のオペラだ。
「やれるものなら、やってみろ。俺達は絶対に屈しはしない……!」
 カオスの仕事を遂行する事がシナリオならば。俺はただその役目に従事するだけだが、絶対に第三者の意図になど振り回されたりはしない。ましてや正義なんて、そんなものはまやかしだ。あるのは絶対的な現実だけである。カオスが存在した場合としなかった場合と、その差を論じさせる事にこそ意味がある。