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 その日、俺は都心の一角にある電気街へと足を運んでいた。目的は夕霧の定期健診だ。ロボットは永久的に稼動出来るものではなく、定期的にメンテナンスを行う必要がある。そしてこの作業は意外と時間がかかるもので、丸日中はかかってしまう。これから夕方まで、この界隈で時間を潰さなくてはいけない。
 せっかくだから、前から何度も買おうと思っていたにも関わらず結局買わないままでいた新しいオーディオを物色していこう。幸いここは電気街だ、家電はおろかオーディオの専門店すら事欠かない。
 最初に入った店は在庫数を自慢とする地域でも最大の大型店だった。確かに店頭には実に様々なメーカーのオーディオが並んではいたが、どれもどこかで見た事のあるようなものばかりだ。大手メーカーの主力商品がほとんどで、どれも性能こそ一流ではあるもののデザインが無難でいまいち面白みに欠ける。そもそも俺は音質に細かくこだわるほど耳が肥えている訳でもないのだ。音は出れば良いのだから、後はインテリアとしてどう機能するのか、デザインや色調がリビングにどれだけマッチするのかが課題だ。
 もっと専門的な、ターゲット層の狭い店を探す事にしようか。そう思い、ふと最初に通りかかった路地を覗いてみた。しかしそこにあったのは通り沿いに建つビルの裏口と、見るからにきな臭い風体の人間がシートに何かを並べている光景だけだった。あまりこの区画には土地勘が無い分、そう簡単に目的の店が見つかるものではない。
 時刻も正午を過ぎており特に急いで探す理由も無い俺は、大通り沿いにある喫茶店へ入り昼食を取る事にした。たまたま空いていた窓際の席に座り、コーヒーのついたランチメニューを注文する。メニューは二段もある大きなハンバーガーとマッシュポテトにスイートコーンが付け合せという内容だ。取り立てて珍しくもなかったが、パンだけは不思議と印象に残る味だった。多分、何か良い麦でも使っているのだろう。ハンバーガーのハンバーグも大きく、オニオンやレタスも予想外に瑞々しかった。旨み成分を添加物として合成出来るこのご時世、これだけの自然な旨さは材料にこだわっているからこそ引き出せているのか、もしくはジャンクフードばかり食べている俺の舌がまんまと騙されているかだ。
 食事を終え、コーヒーをゆっくりと飲みながら腹ごなしをする。この店独自のブレンドコーヒーらしいが、なかなか味わい深いものがある。その割にランチタイムであるはずの今の時間帯にそれほど客がいないのが不思議だ。多分、この区画の客層は味なんてそれほどこだわらないからだろう。何とももったいない話である。もしも近所にこんな店があればきっと通い詰めただろう。
 二杯目のコーヒーを飲みながら、窓越しの通りへ視線を向ける。日中という事もあり、行き交う人の数は実におびただしい。老若男女問わない都心とは違って、青年から中年ぐらいの男性が多く見受けられる。どこか特徴的な彼らの雰囲気もこの区画ならではのものなのだろう。大して珍しくも無い人通りだ。そう思いながらコーヒーの残りを飲み干す。
 と、との時。俺の視点は通りの片隅にある一人の人物で止まった。歳は丁度青年と呼ぶぐらいだろうか。けれど、その容姿は男女のどちらとも決めかねる中性的なもので、尚且つ顔は完全なシンメトリーだった。典型的なロボットの容姿である。一昔前までは主流だった無性別型だ。
 そのロボットは先程から道行く人を呼び止めては無下にあしらわれていた。何かの勧誘のような事をしているように見えるのだが、その割にお決まりのチラシ等の資料は一切持っていない。これでは夜の繁華街でよく見かける客引きやナンパと大して差はない。
 一体何をしているのだろうか。職業柄、見過ごす訳にはいかなかった俺はすぐさま喫茶店を後にした。まっすぐそのロボットへ向かっていくと、これまで無下にあしらわれてきた人間とは違うせいかすぐにこちらへ視線を合わせてきた。
「さっきから何をしている?」
「すみません、どうか自分に協力していただけないでしょうか?」
「協力?」
「はい、これからメンテナンスを受けたいのですが保証人がいない事には受けられませんので。あ、費用は全て私が負担いたしますので、名前だけ貸していただければと」
 口早にまくし立てる様子に俺は首を傾げた。それはまるで一刻も早くメンテナンスを受けなければならない理由でもあるかのように思えるからだ。それに、メンテナンスのための名義貸しは違法行為だ。ロボットの所有者は自分の責任を持って管理する事を法律で義務付けられているからだ。本人以外ではせいぜい一親等以内の親族だけである。
 早速の違法行為に頭をプライベートから仕事へと切り替える。そしていつも携帯しているカオスの身分証を提示した。すぐさまそのロボットは警戒の表情を浮かべる。犯罪者と取り締まる側の構図だからそれも当然である。つくづくついていないものだ。まさか頼み込んだ相手がロボットの天敵だなんて。
「衛国総省のカオスだ。メンテナンスを受けたいそうだが、定期健診は受けていないのか?」
「いえ、最後に受けたのは三日前です。当分の間は正常に稼動するでしょう」
「なら一体何を見てもらうつもりだ? 何か問題でも起こったのか?」
「その……」
 途端に視線を俯け口ごもる。どうやら何か言えない理由があるようだ。そうなるとますますもって怪しくなってくる。本来メンテナンスは登録者の責務なのだから、まずはこの線を洗っておく必要がありそうだ。
 身分証と併せて携帯しているモバイルを立ち上げ、早速このロボットの身分を検索してみた。製造販売はクラウゼル産業、シリーズ名は『エランダム』、発売時期は八年も前になる旧型だ。家庭用としての性能は時期的なこともあり特筆すべき部分は見当たらないが、問題はこのロボットの個人データだ。登録者はジェラール=マティアスとされているが、この人物は丁度三日前に死亡したばかりなのだ。つまり、事実上このロボットは無登録のロボットという事になる。
「お前の登録者は三日前に死亡しているな。それと関係があるのか?」
「はい。私の主人には血縁者がおりませんでしたので、メンテナンスを受けるにはこうするしか他なかったのです」
 いわゆる野良か。
 登録者が死亡した場合、ロボットは財産の一部として扱われる。しかし財産を相続する人間がいない場合は国のものとなるため、ロボットは大概処分される形になる。だが中には処分から逃れ落ちるロボットもいる。それらは大体、生前に主人から財産を与えられてそれを糧にするか、もしくは犯罪者となるかのどちらかだ。
「で、また間髪いれずにメンテナンスを受けようなんてどういうつもりだ? どこか故障でもした訳じゃないんだろう」
 何か言えない理由があるとするなら、それはきっと致命的な問題を抱えているからだろう。野良のロボットを処分した所でそれを咎めるものはいない。そのため何か問題があるならば修理するよりも処分してしまった方が遥かに安上がりで手っ取り早い。そんな背景を知っているのだろう、ロボットは非常に言い辛そうに口ごもり続けた。
 だが、みすみす見過ごす訳にもいくまい。欠陥があるという事は、それだけ犯罪を犯す可能性も高いという事になるのだ。場合によっては、人目を引いてしまうがこの場で俺自身が処分せねばならなくなる。
 上着の中にある拳銃の重さを確かめる。いつものようにフルのマガジンと銃身へ一発の弾丸を装填した状態で銃はそこにある。今すぐ引き抜き、安全装置を外して引き金を引けばすぐさま対ロボット用に開発された特殊弾が飛び出すだろう。
 そして、しばらくの間逡巡したロボットは遂に、やや躊躇いながらも視線をきちんとこちらへ向けてはっきりと答えた。
「実はこれから、記憶を消してもらおうと思っているのです」
 それは意を決したような、実に重みのある言葉だった。