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 俺が行きつけにしているそこは、主にカスタマイズ用の部品の製作を行う小さな工場だった。大通りから外れた目立たない場所で細々と経営しているのだが、腕は確かなためか固定客には恵まれているようである。営利よりも仕事そのものに意義を見出す、いわゆる職人気質であるため信頼も厚い。
 表口から中へ入ると、廊下のベンチに座る夕霧の姿を見つけた。どうやら次の作業の準備を待っているようである。
「御主人様? もうお戻りになられたのですか。そちらの方は?」
「所要だ。お前が気にする事じゃない」
「承知いたしました」
 すっと目を伏せて一礼する夕霧を尻目に、俺は更に奥へと向かう。
「あれがあなたの所有しているロボットですか?」
「そうだ。名前は夕霧という」
「随分と高圧的な態度ですね。心が痛む事とかないのですか?」
「無いな。夕霧は支配されることを望んでいる。ロボットは所有される実感が無ければ不安感に苛まれてしまうものだ」
「詭弁ですよそれは。ぞんざいに扱う事とすり替えないで下さい」
 整備室の中へ入ると、そこでは一人の中年の男がモニターの前でキーボードを叩いていた。薄汚れた白衣とくわえタバコが、如何にもそれといった科学者らしい雰囲気を醸し出している。弟子は取っていないにも関わらず、常連からは親方の愛称で呼ばれている。多分、昔のドラマか何かの登場人物に似ているせいだろう。
「まだメンテナンスは終わってないよ。次はメンタルチェックだ。あんたの夕霧はただでさえおとなしいから、特に念入りに調べなけりゃな」
「悪いが後回しにしてくれ。追加の仕事だ」
「追加だ?」
 親方は回転イスを足で蹴って体ごと向き直った。視線はまず傍らのアニマへ向けられた。アニマはそっと一礼するも、親方は訝しそうな表情を浮かべた。どうやら一目見ただけで訳ありと見抜いたようである。
「で、どうして欲しいんだね?」
「こいつの記憶を消して欲しい。フォーマットではなくて、基本的な人格は今のままでだ」
「これまた変わった御注文だ。何か嫌な事でもあったのかい? 人生やり直すならまっさらにする方をお勧めするがね」
 親方はデスクの引き出しから白紙の書類を引っ張り出し俺の方へ突きつけてきた。メンテナンス全般を行うために必要な事項を書き留める書類だ。全てのロボットは国に管理されている事になっているのだが、メンテナンス関連も何時どこでどういった内容の作業を行われたのか報告しなくてはならない。人間で言う所の医療保険制度みたいなものだが、ロボットの方が遥かに厳重に管理されている。人間よりもロボットの犯罪の方が深刻化してきた世情の反映だろう。
「親方、今回はこれは無しだ」
「サインなら後でいいぞ。所有者に郵送させてくれて構わん」
「そういう事じゃない。このロボット、今は誰にも登録されていないんだ」
 今度は親方が怪訝な表情をする番だった。建前上、この国のロボットは全て所有者を登録されて社会に出ている。つまり所有者が登録されていないロボットは存在自体に違法性があり、犯罪に絡んでいる可能性が極めて高いのだ。そんなロボットを、まさか取り締まる側である衛国総省勤務の俺が連れて来るとは思いもしなかっただろう。
「なあ、グランフォードさん。あんたはお国勤めで信頼もあるし、常連客の中で一番払いもいい上客だけどさ。うちは裏稼業やってる訳じゃないんだぜ?」
「そこを何とか頼む」
「天下の衛国総省がそんな無茶を善良な市民に頼むかね? この歳で刑務所にブチ込まれるのはごめんだ」
「承知の上だ。とにかく頼む。今度だけだ」
「ったく、毎度やられちゃかなわんさ。これっきりにしてくれよ。それから今度一杯奢りな」
「恩に着る」
 親方は苦笑いを浮かべて肩をすくめる。それからすぐ今の作業を中断すると記憶メンテナンスの準備に取り掛かった。
 俺はロボット工学の専門家ではないから詳しい事は分からないが、ロボットの電脳に蓄積した記憶を消去するのはそれほど難しい事ではないそうだ。単に記憶部分に割り当てられている領域を消して再定義するという単純な作業である。少しプログラムを勉強すれば誰にでも出来るらしいが、ロボット工学者には意外と大雑把な人間が多いという統計もあるためあまり鵜呑みには出来ない。
「さて、ドロップは久しぶりだ。型は古いが記憶野の定義は思ったよりも新しいようだし、さほど時間もかけなくて済む。あんたツイてるぜ。これなら追加料金は随分と割安だ」
 にやりと含み笑いを見せる親方に俺は苦笑する。正直、安い買い物ではない。違法行為を頼んだ訳だから料金以上に大きな借りが出来てしまったのだ。
「ほら、ここに座りな。外部ポートへこれを突っ込んで、後はこのキーを叩けば数秒で終わりだ」
「そうですか」
 そう答えるアニマは思っていたよりもずっと無表情だった。せっかく手配してやったのだから、もっと喜んでもいいはずなのに。
 アニマの態度がおかしい。
 あんなに記憶を消したいと言っていたアニマが、どういう訳か躊躇しているように見える。まさか、今更記憶を消したくなくなったというのだろうか。所有者に虐げられて来た日々しかない記憶を。
「どうした。親方は口は悪いが腕は一流だ。不安がらなくていい」
 立ち止まるアニマの肩を押す。けれど、アニマは一向に動こうとしない。それどころかあえて自ら踏み留まっているようだった。
 これで決定だ。
 アニマはいざ記憶の消去が現実味を帯びてしまった事に、本当に自らの選択が正しかったのかと疑問と躊躇いを感じている。