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 その週末は、自宅にてゆっくりと酒を飲んでいた。
 何気なくつけてみたテレビには、最近若者の間でブームになっているというコメディ番組が映っている。特別な興味がある訳でも無く、これといって特定の番組を見ない自分には何がやっていようと同じ事で、ただその時間だけ退屈しなければ何でも良かった。
 リビングには俺と夕霧だけで、夕霧は俺のすぐ隣に座り俺の命令を待っている。夕霧は時折グラスやテーブルの水滴を拭き、グラスが空になれば氷を足しウィスキーを注ぐ。しかし夕霧は基本的に無口であるため、それらを全て無言のまま行う。俺自身もそれほど饒舌な方ではないから、従ってリビングはいつも静かだ。
 アイダは今夜は来ない。来週に衛国総省が主催する武装警官の演習の件で、所轄警察の役員との懇談会があるそうだ。週末ぐらい自由にさせて欲しいとぼやいていたが、役職上それもなかなか難しい。まだ一職員扱いである俺の方が自由に立ち回れるので気楽だ。
 番組の内容はよくあるコントとトークとの二段構成だった。メインらしいコメディアンが様々なコントに登場しているが、中でも売りにしているのがロボットの物真似だ。ロボットになりきり、他の俳優とロボットらしくどこか噛み合わない会話を展開する事によって笑いを取っている。けれど、仕事柄ロボットの状況に応じた反応を熟知しているから、どうしてもその世界観に入り込めない。笑わせる事が目的であるせいか、ロボットとしての動作があまりに大げさで不自然だ。むしろ本物のロボットを見た事が無いのではないかという気にさえなってくる。
「テレビを消してくれ」
 番組も後半に差し掛かった頃、俺は内容に耐えかねて夕霧へ指示を出した。夕霧は黙って頷くと、テーブルの上のリモコンでテレビを消す。それでようやく、喉のつかえが取れたような開放感に浸れた。共感できない内容では退屈凌ぎにもならないばかりかストレスの原因になる。だったら見ない方がずっと精神衛生には良い。
「代わりに音楽をおかけいたしましょうか?」
「そうだな。何か静かなものを」
 俺の苛立ちを汲み取ったのだろうか、夕霧の提案を素直に飲んだ。普段は一切無駄口を叩かない物静かな女ではあるが、意外と良く俺の事を観察し配慮を怠らない。初めは興味本位で買ったのだが、こうして生活の一部に組み込んでみると予想外に重宝する存在である。ロボットが命令した事しか出来ないというのは古い認識だ。今は中古で売られているロボットでさえも、持ち主の意向を汲み取って行動する事が出来る。人間との意識格差なんて、過去のSF小説の話だ。
 酒の席で酔いに任せ饒舌になる事は無いのだが、一人で飲んでいる時はどうしても無口な夕霧を相手に口数が増えてしまう。それだけ気の緩みがあるのだろうが、同時に対外的な自分像にどれだけ苦心しているのか自覚出来る。年齢的にも大分落ち着きを見せ始めると言われる域まで達したが、いちいち外聞を神経質に気にする辺りはまだまだ青臭いものが残っているようである。安心にも落胆にも似た、何とも複雑な気持ちだ、
「夕霧、そこのキャビネットからアルバムを持ってきてくれ」
 一通り酒を飲み落ち着いて来た頃、俺は夕霧に自分が唯一持っている一冊のアルバムを持って来させた。このアルバムにはこれまでの人生の要所要所で撮影した写真が全て収められている。枚数は少ないかもしれないが、その内容は俺にとって非常に大切な記録である。
 懐古的な趣味は持ち合わせていないが、時折見たくなる事はあった。それは大体、退屈して酒を飲んでいる時だ。しかも、写真を見る度にあの頃はこうしておけば、と想像を巡らせて楽しむ。はっきり言ってしまえば、俺にとってのアルバムは非常にネガティブな要素だ。
「お前も見るか?」
「恐縮です」
 俺のすぐ隣へ座る夕霧は、開いたアルバムのページに張り付けられた写真をじっと眺め始める。これでアルバムのデータは夕霧の中に記録されるのだろう。考えてみれば、ロボットにとって写真とは理解し難い人間の文化の一つだ。ロボットは意識してエピソードを記憶する事は無く、必要に応じて欲しいデータを思い出せば良い。けれど人間は時間と共に記憶は劣化してしまうため、どうしてもはっきりとした記録を残しがちになる。そして、それらを視覚的にも他人と共有し易いものが一番好まれる。
 あらゆる静止画データは電子化が可能になっても、写真というアナログなものは未だに健在している。多分、写真の方が自分と共に時を刻んでいる感覚があるからだろう。人間とロボットの写真に対する認識の違いは、それぞれの時間に対する認識の違いなのかもしれない。
「これは小学校に入った時の式典後の写真だ。緊張で随分と表情が固い。昔、俺は友達も居なくて一人でうちに篭ってる事の方が多かったんだ。こんなに大勢の人が集まってる場所は初めてで、酷く戸惑ったんだろうな。もう、この時の事はほとんど覚えていないが」
「こちらが御主人様でしょうか。では、こちらの写真の方はどなたでしょうか?」
「こっちが俺の父親で隣が母親だ。もっとも、母親は俺が小さい頃に死んでしまったから、ほとんど写真でしか知らないんだがな。どうだ、俺に面影はあるか?」
「申し訳ございません。私の理解の範疇を超えております」
 そうか、と俺は肩をすくめた。元々ロボットには緻密な人相の認識力は無い。判断できるのは本人か否かだけなのだから、たとえ幾ら似ていようとも本人と判断出来なければ全て他人だ。
「御主人様、僭越ながら一つ。こちらの方が本当に御主人様の御父上なのでしょうか?」
「そうだ。間違いはない」
「ですが、これは―――」
 そこまで言いかけ、俺はすかさず手をかざし夕霧の言葉を制した。夕霧が言わんとする言葉も、そしてその理由も、俺は理解している。
「俺が彼に育てられたのは紛れも無い事実だ。一片の疑いも抱いた事が無い」
 この話をしたのは、俺の一生で三人目だ。一人目は保護監察官、二人目はアイダである。ロボットである夕霧を一人としてカウントするのは正しいかどうか意見が分かれる所だが、俺にとってのカウントする条件は胸の内を明かしたという自覚だ。情報を共有する意味で人間もロボットも大差が無い。
 一生、隠し通し続けようと思っていながら、既に三人に打ち明けてしまった事実。誓いは風化しつつあるものの、口に出す時の重さは今も尚、変わる事は無い。
 俺は十歳になるまで、父親がロボットである事を知らなかった。