BACK

 その晩、仕事を終えて庁舎を出ようとしたその時、俺は懐かしい顔に呼び止められた。
 彼の名はダグラス。陸軍の尖兵から特装部隊を経て武装警官隊の現場指揮官を勤め上げるという、幾つもの現場を潜り抜けてきた猛者だ。特に武装警官時代の戦歴は凄まじく、裏社会の人間からは処刑屋ダグラスとまで呼ばれるほど恐れられていたものである。今でこそ現場を退き衛国総省の特別顧問をしているが、実働部隊への教育ぶりはどんな体力自慢も逃げ出すほど苛烈さを極め、耐え抜いただけでもステータスとなるそうだ。
 年齢は今年で七十になると言うにもかかわらず、肌の張りや俺よりも一回り大きいがっしりとした体格を見る限り実年齢よりも十や二十は若く見える。今から現場に復帰しても十分通用しそうに思うのは、きっと俺だけではないはずだ。
 彼に誘われ、近場の飲み屋へ繰り出した。思い返せば、まだカオスに配属されたばかりの時はよくこうやって飲みに誘われたものである。俺自身も彼の話は貴重な情報源であるため進んで受けていたが、それ以上に彼の奔放な人柄に惹かれるものがあったのも事実だ。
 入った近場の酒場で、まずはお互いビールを注文し乾杯と共に景気付けといわんばかりに一気に飲み干す。かつてもこんな風にどちらが先に音を上げるか競ったものである。今ではそういった無意味な事に執着はしないが、口火だけはどうしてもこういう切り方でなければお互いしっくりこない所がある。
「最近、随分と活躍しているようだな。この間もテレビで特番組まれてたぞ。うちの孫もテレビにかじりついて見ていた」
「たった数分のワンコーナーですよ。それに、カオスの活躍は俺一人のものでもないですから」
「遠慮は良くないぞ。そうやって謙遜していると、下に足元をすくわれる。正当な評価はいつでも求めるものだ」
「善処します」
 カオスに着任すると同時に与えられた肩書きはチームの隊長だった。そのため実質の上司は局長だけであり、周囲には命令をする立場にある。元々、軍隊での縦割り社会に慣れ親しんでいた俺にしてみれば、急に頭の上が軽くなり心許ない感覚である。理不尽な無理難題を突きつけられる事は無くなり気楽ではあったが、今度からは仕事の結果そのものが自分の評価へ直結するというプレッシャーとの戦いである。そんな時に、隊長としての有り方を指導して頂いたのが彼だ。自分にとって彼は今でも恩師である。
 お互い酒も進んで来るとほとんどつまみも口にせず、仕事等の愚痴を吐いては酒で喉を潤すというサイクルが始まる。市民への奉仕が大前提という仕事であるため、普段から押し殺す感情は極めて多い部類に入ると自負し合っている仲だから、相手に同調し褒めるのは暗黙のルールというか礼儀に近いものである。
「実は今日はお前に聞きたい事があってな。少し前に妙な事件にあって、こういうのはお前の方が詳しそうだから意見が聞きたいんだ」
「まあ俺で良ければ幾らでも。どんな事件です?」
「一ヶ月ほど前、とある投資家が殺されてな。別荘に避暑目的で行ってたんだが、リビングにて絞殺死体で発見されたんだ。容疑者は唯一同行していた身の回りの雑事を請け負うロボット。防犯記録には何ら異常もなく、繰り返し行った検証でも外部から侵入した痕跡は無し。これで犯人はほぼ確定だと思われたんだがな、そのロボットは容疑を否定した。まあ嘘をついているんだろうと、とりあえず調書を取り続けてたんだが、そのロボット、とんでもない事を言い始めたんだ」
「と言いますと?」
「殺したのは自分ではなく、その投資家の奥さんだって言うんだ」
「それもどうせ嘘でしょう? 調べれば奥さんのアリバイだってすぐに証明されるはずですよ」
「だがな。実はその投資家の奥方は半年前に交通事故で事故死しているんだ。念のため事故を保険会社の鑑定人と共同で再調査したものの、結果は限りなく黒に近いグレー。事故の直前に多額の保険金がかけられていた。その頃、投資家は小麦の投資で失敗して多額の損失をしていてな。保険金でそれを補填したと考えれば説明はつけられる」
「まさか、その奥方の幽霊が殺したとでも? 殺された事を恨みに思って。到底、科学的根拠があるとは思えない」
 幽霊が人を殺した。
 今時の子供でもそっぽを向くような馬鹿げた推論である。今世紀に入っても未だ幽霊のような存在は科学的に証明出来ず、そのため法律上は幽霊という存在はいないものとして解釈される。そんな幽霊の犯行を可能性の一部として解釈しているダグラス氏の考えがまるで理解出来なかった。
「ああ、それは分かっている。幽霊だの呪いだの、俺だって信じちゃいない。けれど、状況証拠からだけではそうとしか思えないんだ。普通に考えてロボットが人間の首を絞めたらどうなる? 痣どころじゃ済まないぞ。それに、首に残った手跡はそのロボットよりも一回りは小さい。第一、絞殺なんて女の手段じゃない。握力はいらないが、死ぬまでどれだけの抵抗にあうものか」
「現場はどうなっていたんです?」
「不気味なほど綺麗に整っていたよ。死んだ投資家もな、ろくすっぽ抵抗した様子が無い。ただ恐ろしいものを見たかのような凄まじい形相だった」
「そのロボットが自ら第三者を招き入れたのでは? それならセキュリティに引っ掛からなくても不思議じゃない」
「可能性としては考えたが、ロボットの誘いでそんな危ない橋を渡る女がいるだろうか。第一、ロボットには報酬を払う能力も無いんだぞ。とにかく、他に現実的な犯行時の状況がさっぱり分からないんだ。こんな事件、本気で幽霊に殺されたなんて思い始めてる奴は俺以外にも大勢出始めてる。本当に悪夢だよ」
 徹底した現実主義者の彼から肯定の言葉が放たれた事に俺は驚きを隠せなかった。たとえ冗談だとしても、彼はそもそもそういった冗談は嫌う性格である。よほど確証が得られるような事でも無い限り、そうそう自分の価値観を曲げるとは考えにくい。
「奥方が殺意に気付いて、予め自分が殺された時に復讐するようロボットに命令していてもおかしくはないと思います」
「それで奥方の死後、残されたロボットが俺達がどう頭を捻っても解明出来ないトリックを考えて実行したというのか? そこまで賢いロボットじゃないぞ、あれは。本当に日常の生活補助だけが目的の平凡なロボットだ」
「第三者が入れ知恵した可能性もありますよ。殺された奥方の復讐をしたいと親しい人物に頼み込んで」
「たとえそうだとしてもだ。まさか死んだ奥方の霊が殺しただなんて突拍子も無い言い訳をすると思うか? もしもロボットの個人的な怨恨で、それが奥方を殺された事に起因しているのなら、奥方を言い訳の理由にしたりするはずはないと俺は思うんだが」
 確かに、犯行の理由を自らの保身のためにわざわざ貶めるとは考えにくい。けれど、こういう考え方もある。生前の奥方はそこまで想定済みで、ロボットに死んだ自分が殺したと証言させる事で自分の存在をアピールしているのではないかと、そういう事だ。
「そのロボットが何を証言したのか知りませんが、まさか本当に幽霊が殺した事にした訳でもないでしょう?」
「そうだ。だから、悪いがそのロボットに全ての罪を着せるつもりでいる。どう調べても、犯人が見つけられそうにない。だから、適当な理由をでっち上げて明日にでも逮捕に踏み切る」
 不当逮捕、という言葉が脳裏を掠めた。
 そういった逮捕のやり方は、個人的にはあまり好きではない。それは人間だとかロボットだとか以前の話だ。捜査から逮捕に至るまで、取り締まる側には一片も疚しいものがあってはいけない。何かを裁くという行為は他人の権利を奪うに等しい行為なのだから、正当性があるのは最低限の条件である。しかし、そればかりにこだわって事件を解決出来ないのも問題だ。警察が無能だと分かれば犯罪は急激に増加してしまう。
 ふと言葉が途絶えて重苦しい空気が間に漂う。幾ら酒に酔っているとはいえ、本当なら不当逮捕などという言葉は口にしてはならない立場だ。それに話の内容も到底まともなものとは言えないだろう。大の大人が幽霊について話し合うなんて。そんな逸脱加減にお互いが突然気付いてしまったのだ、ばつの悪さを感じながら頭を少し冷やさなければならない。
 丁度、俺がロックを一杯飲み終える頃、ダグラス氏は思い出したようにやけに明るい声で口を開いた。
「実はな、俺は学生の時に一度だけ幽霊を見た事があるんだ」
「まさか。本当ですか?」
「ああ。自分でも信じられないんだが、他に説明がつけられないんだ」
 現実主義者のダグラス氏からそんな言葉を聞くとは思いもよらなかった。俺自身も幽霊の存在に対し否定的な立場を取っているが、実際にこの目で見た事は一度も無い。しかしダグラス氏は自分のめで見ていながらも存在を否定していたのだ。矛盾しているようにも思えるが、きっとその存在を受け入れてはいけないと拒絶してしまったのだろう。幽霊とはそういうものなのだ。
「ロボットにも幽霊は見えるのか?」
「俺には分かりません。そんなの過去に例が無い。ですが、心霊写真とか心霊ビデオとかあるぐらいだから、ロボットが認識出来てもおかしくはないと思います。もしもこの世に幽霊なんてものが存在するのだとしたら、限りなく人間側に属するロボットにそれが見えても不思議はありません」
「非科学的だよな」
「ええ、非科学的ですが」