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 ロボットが子供を育てている。
 それは普通に考えても絶対に有り得ない事だ。しかし父は、驚くほど機転を利かせながら巧みに自分がロボットである事を隠し通しながら生きていた。偽造した戸籍を使い、素性を問わない日雇いの仕事で糧を得る。近所の評判には特に気を使った。幸いにも色素が人間と同じものだったため、後は振る舞いにさえ注意していればロボットと疑われる事もなかった。普通、犯罪を犯した逃亡者は極力人前には出ずに人々の印象に残らぬよう立ち回る。けれど父は違った。積極的に地域のボランティア活動にも参加し、一度は州知事から表彰された事もある。幾らロボットが人間と見分けがつかないほど精巧に作られているとしても、専門家の目は絶対に誤魔化す事は出来ない。なのに父が十年以上も自分がロボットである事を隠し続けられたのは、大勢の人間から信頼を獲得したのと、あまりに田舎過ぎたためにロボットの専門家が居なかったからだろう。田舎のような閉鎖的社会では、何よりも周囲からの風評が自分の身を守る。父はそれを知っていたのだろう。
「あれは、丁度俺が十歳の誕生日を迎えた時だった。俺は一人で父親の帰りをずっと待っていた。どんなプレゼントを買って来てくれるんだろうって、居ても立っても居られなかった。けれど、ようやく帰ってきたと思ったら、まさか訪ねてきたのは公安の人間だったなんて思いもよらなかったよ」
 父がロボットと発覚したのは、ロボットが定期的に受けなければならないメンテナンスが切っ掛けだった。父は所有者が登録されていないため、メンテナンスの度に書類を偽造したり代役を立てたりしていたそうだ。そしてその日は運悪く、代役の話をたまたまオフだった公安の職員に持ちかけてしまったのだ。
「身寄りの無かった俺は施設に引き取られたけれど、すぐに追い出されてしまった。自分がずっと父親だと思っていた人間がロボットだと知って、まだガキだった俺には相当ショックだった。これまでの人生が一気に否定されたようで、不安でならなかったんだろう。誰彼構わず喧嘩を売るようなどうしようもない奴になるまでさほど時間はかからなかった。施設もさすがに手に負えなくなったんだ。その後の俺は何度も少年院とを往復し続けた」
 ギャングの予備軍のように犯罪と名のつく行為を全てやった訳ではなく、ただ少しでも気に掛かった人間を片っ端から殴り伏せる事だけを繰り返した。狂犬とでも呼ぶべき荒廃した素行だ。普段から昔を思い出す事が少ない分、当時の自分の心情はほとんど覚えていない。ただ漠然と自分を見失ってどうすれば良かったのかという不安感に苛まれていたのは確かだ。そして街を行き交う人々に対する、自分とは違いごく普通の両親に育てられた事への嫉妬もあった。未成熟な子供にとってそれらの複雑な感情は暴力でしか表現出来なかったのだろう。
「そういえば、公安絡みのカウンセラーとは定期的に話をする事があった。ロボットに教育なんて出来るはずがないというのが定説だったから、俺がどういう人間に成長したのか興味があったのだろう。俺としては簡単な質問に答えるだけで金が貰えたから何も考えないでついていっていんだが。その後、急に音沙汰も無くなった所を見ると、どうやら社会生活に適応出来ると判断したようだ」
「ロボットにも教育は可能である。そういう事でしょうか?」
「成功した例がある、といった所だろう。案外、今も監視されているかもしれないな」
「私はこれまでそういった人物を確認しておりません」
「お前に見つかるようなプロはいない」
 そうですか、と視線を落とす夕霧。少々言葉を誤ってしまった。俺はうつむく夕霧の頭をそっと撫ぜた。
「衛国総省にお入りになられたのは、これらの事が切っ掛けとなったからでしょうか?」
「いや、元々は軍に入る事も考えてはいなかった。その頃は将来の事なんて何一つ考えちゃいない。世界を一人で生きているような錯覚すらあったからな。けれどたった一人だけ熱心に看てくれた保護監察官がいた。いや、もう退職した元監察官だったかな。とにかく物好きとしか言い様の無い、お節介な爺さんだった」
 その老人は事あるごとに、将来を見据えて勉強をしろ、や、一時の感情で身を持ち崩すな、とか口煩く説教してきた。当時の俺はまるで意に介さず、時には口汚く罵倒し追い払った事もあった。それでも彼は執拗に俺を探し出しては説教を続けた。もはや一人で歩き回るのも辛い歳だというのに、昼間でも危険なスラムにさえ踏み込んでくる。どうしてそこまで執拗に追いかけるのか、初めこそ煩がるだけだったが、やがてそれは漠然とした恐怖にさえ変わった。
「どうして俺に固執するのか理解出来なかったよ。歳も歳だったしボケてるんじゃないかって思ってた。これは後から知ったんだが、彼には昔、当時の俺ぐらいの息子がいたそうだ。彼はその時捜査一課の最前線を張っていて子供の事なんてまるで顧みなかった。そのせいで息子は知らぬ間にギャングに入り、抗争に巻き込まれて死んでしまった。もっと早く自分が気付いてやればと後悔したのかどうかは分からない。けれど、ああも俺に固執したのはそれに対する答えなんじゃないかと思ってる」
 彼は俺が十六の時に事故で死んだ。たまたま歩いていた歩道に車が突っ込んできてそれに巻き込まれたそうだ。
 俺が学校へ通い始めたのは、彼の事故死を知って間も無くだった。その時、俺は初めて自分の将来について考え、それに向かって邁進する決意を固めた。俺が軍の仕事に就こうと思ったのはこの時だ。何故、今まで自分の人生に何の接点も無かった軍人を選択したのかははっきりと覚えていない。ただ最後に背を押した何かが、彼を跳ねた車の運転手がロボットだったという事だ。
「誰かに褒められたくて頑張るんじゃない、ただ達成感と誇りのために頑張る。そう思って士官学校を卒業し海軍を経てカオスに入った。けれど、実際は中々うまくはいかないものだ。マスコミも上役も俺の仕事を褒めてくれる。けれど、達成感も誇りもまるでどこかへ行ってしまった。自分でもそんなに多くのものを求めてる訳じゃないんだけどな。世の中はどうやっても欲しいものは手に入らない仕組みになっているらしい」
「私は衛国総省の体質等はさほど詳しく存じ上げませんが、御主人様はまだ勤め始めてからさほど年月が経過しておりません。まだ判断するには時期尚早かと思われます」
「そうだな。もう少し頑張ってみるとするよ」
 俺は体を横にし頭を夕霧の太股へと乗せた。その体勢のままウィスキーを一口だけ含みゆっくりと嚥下する。
 思えば彼の墓参りには今まで一度も行った事が無かった。今の自分は彼の熱意無くしては有り得ないというのに、随分と長い間忘れていたものである。俺の記憶が正しければ、彼が埋葬された場所はここからさほど遠くない場所にある。明日にでも訪ねてみる事にしようか。
「夕霧」
「承知いたしました。花の準備ですね」
 夕霧の意外な言葉に驚きつつ、そっと口元を綻ばせながらもう一口ウィスキーを含む。
 ここに来て以来、夕霧はほとんど感情を見せる事も無く、ただ俺の命令を忠実に受け答えするだけだった。俺もそれ以上を求めてはいなかったのだが、夕霧が今のように俺の命令を先読みしたのはおそらく初めての事だ。夕霧はずっと無口な女だと思っていたのだが、少しずつ人間の思考に近づいてきているのかもしれない。
「一つだけ、お訊ねしてもよろしいでしょうか?」
 ふとそんな事を口にして来た夕霧に、俺はゆっくりと瞬きをして了承の返事の代わりとした。その仕草を理解出来たのか、夕霧も同じようにゆっくりと瞬きをして返す。
「何故、お父様はロボットでありながら御主人様をお育てになられたのでしょうか?」