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 午前中は暗く曇りがちだった空模様も、昼を過ぎてからは機嫌を直し青空を一面中に広げる。
 車の窓を全開にしてハイウェイを飛ばす。入り込んでくる風はひんやりと心地良く、この強い陽気の中でもエアコンを入れる必要がない。もしもオープンカーだったら更に開放感もあって気分が良いんだろうが、さすがにそこまでの派手な車は俺の趣味ではない。
 目指す墓地は、俺の住むアパートから車で一時間ほどの郊外にある。これまで場所は知っていても道順などろくに調べた事がなかったのだが、今日初めて調べてみてまさかこんなに近くにあるとは思ってもみなかった。今住んでいるアパートは完全に自分の住み心地だけで選んでいるだけに、こういう偶然もあるものかと驚きもひとしおだ。
 反対側の車線は何台もの車で溢れ返り窮屈そうに走っている。休日という事もあって車の流れは都心へ集中している。逆に何も無い郊外へ向かう車は極僅かだ。休日はあえて文明から離れた趣味に興ずる自然回帰ブームも終わった今、砂埃の舞う荒野や細かな羽虫の飛び交う草木など誰も見向きもしなくなっている。流行なんてそんなものだ。
 ふとその時、突然ダッシュボードの前に二つ並んでぶら下がっている携帯の内、シルバーの方が着信音を鳴らした。元々携帯はプライベート用と仕事用と分けているだけに、こちらの携帯へかけてくる人間は限られている。俺は相手を確認せずそのまま車内スピーカーへ切り替えた。
『マイク? 私よ。今、部屋にいるの?』
 聞こえて来たのはアイダの声だった。
「今ちょっと外に出ている。郊外の方だよ」
『あなたの部屋から更に郊外に出てしまったら、一体何があるというのかしら?』
「そう言わないでくれ。昔の恩人の墓参りなんだ」
『いいわ。ちょっとあなたの声が聞きたくなっただけだから。もう少し話していてもいいでしょう?』
「ああ、構わないさ」
 小さな溜息の多いアイダの声からは、僅かに苛立ちが感じられた。アイダが疲れている時の癖である。あまり良い癖では無いため幼い頃から両親に口煩く言われたそうだが、結局治らなかったそうである。確かに知らない人が見れば印象はかなり悪いだろう。
「昨夜の会食はどうだった?」
『頭の固いお年寄りばっかりでうんざりよ。中央署の署長なんて最低だわ。酔った勢いで触ろうとしてくるんですもの』
「随分と上品な会食だな。俺は白熱の討論会なんか想像していたよ」
『お礼に来週の合同演習、たっぷりともてなしてやって』
「了解、局長」
 そういえば来週は本庁所属の武装警官との合同演習だった。重役の二世三世というエリート揃いらしいが、軍隊経験のある俺に言わせれば所詮は温室野菜、甘いだけで歯応えなんて全く無い。実戦中心のカオスにしてみれば、まるで子供を相手にするようなものだ。とは言っても、あまり派手にやり過ぎてしまえば警察の威信に関わってしまうため、優劣ははっきりさせつつも体面ぐらいは保ってやらねばならないが。
「そういえば、一つ聞きたい事があるんだ」
『何かしら?』
「モーリス氏は、俺の素性はどこまで知っているんだ?」
 突然の俺の質問に、アイダが珍しく呆けた単音を吐いた。
『どうしたの、急に改まって?』
「仮にも衛国総省の省長が、一人娘の恋人の経歴を調べていないなんて事はないだろう? たとえ公私混同だとしてもさ。この国の事で衛国総省に分からない事は何一つ無い。本当は俺の父親の事もとっくに知っているんじゃないのか?」
『そうね。でも、だからこそああやってとぼけているのかも。理解してくれているのでしょう』
「だといいが」
『考え過ぎよ。もしも気に入らなかったら、とっくにあなたの部屋には特殊部隊が送り込まれているわ』
「なるほどな。それは確かに有り得る」
 考えてみれば、あれからの自分の人生は笑ってしまうほど出来過ぎている。これまでろくに勉強もしなかった人間が士官学校を主席で卒業し、海軍では悪魔も逃げ出す特戦部隊に五年も籍を認められ、新設のカオスではいきなり隊長になり、そして恋人になった上司は衛国総省省長の一人娘だ。実はこれらは全て政府が予め仕組んでいるもので、ロボットに育てられた俺の行動を逐一観察しているのではないかという疑いも少しだけ残っている。
 ロボットに育てられたという過去は、誰が何と言おうと俺にとっては負い目でしかない。物事を素直に喜べない性格もそうだが、家族の事を訊ねられても嘘の返答しか出来ないし常にバレやしないかという不安感に苛まれる。その感情は結局、俺だって人並みの家庭に生まれ育っていたら、という更にひねくれた所をやり場にしてしまう。いい加減、程度の低い物事の考え方は大人気なくて我ながら見苦しいとは思うのだが、どうしてもこれだけは自分の思うようにコントロール出来ない。
「目的地が見えてきた。そろそろ切るよ」
『ええ、分かったわ。愛しているわ、マイク』
「俺もだ、アイダ」
 アイダの電話を切り、程無くして墓地の入り口へ車を乗りつける。丁度またげるほどの高さの柵がぐるりと取り囲み、入り口らしい所にはだらりと赤茶けた鎖がかかっている。明確に駐車場と指定されたスペースも無く、車はすぐ横の荒野へ止める事にした。
 鎖をまたいで敷地内へ入る。ざっと見渡す限り、荒地ばかりが目だって到底人の手が加えられているようには思えなかった。取り囲む柵も視界へすっぽりと収まり、そんな都心の公園よりも狭い敷地内にほんの数えるほどの墓石が立ち並んでいる。守衛や管理人などはいなく墓地そのものが道路沿いにあるため、到底墓地とは思えないほどみすぼらしい墓地である。ここに葬られているのもほとんど無縁仏だろう。
 一つ一つ墓石に刻まれた名前を確認していく。没年月日を見ると、どれも今から何十年も前のものばかりだった。そんなに長い間、こんな所に打ち捨てられていたのかと思うと気が重くなってきた。それに、天涯孤独という意味では我が身と無関係とも言い切れない。
 目的の墓石はさほど時間も掛からず見つける事が出来た。さほど数も無い墓石の中でもそれは一層小さくてみすぼらしく見えた。一度も手入れをされていないばかりか、墓石そのものの質も悪いのだろう。
「もう十年にもなるな。本当に久しぶりだ」
 墓石の前へ屈み込み、そっと薄汚れたそれを撫でる。指についた汚れの酷さに、死んだ人間なんてこんなものか、という不思議な虚無感が込み上げてきた。あれだけ情熱を持った人間も、死ねば道端に打ち捨てられる。そういう現実もある事を考えると、ロボットだけではなく人間も案外哀れな存在と思えてきた。
「あれから士官学校に行き海軍へ入った。今は衛国総省でロボットを相手に仕事をしている。ああ、ロボットから逃げるのはもう辞めたよ」
 随分と色々な事があった。いや、あったというよりは体験したと言うべきだろうか。とにかく、今後一生はこれ以上落ち込む事はないだろうと、本気で信じ込むほど打ち据えられていた。絶望から這い上がる事に意味を見出せなかったのか、そのまま打ちひしがれていたかったのか。何にせよ、立ち上がり前へ進む選択をしたのは自分にとって正しい判断だったのは間違いない。あのままそこへ留まり続けていれば、きっと俺は誰からも見向きもされないつまらない人間になっていたに違いない。
「あなたがストリートの悪ガキだった俺にどうしてそこまで熱心だったのか、今でも分からない。けれど、今となってはあなたに感謝している。こうして人並みの人生を送るきっかけにはなったから」
 彼の俺に対する執着は、自己の正義がそうさせたのだろうか。彼ならそうと答えるし、当時の俺ならパラノイアだと否定しただろう。でも、出会いとか切っ掛けとかは往々にしてそんなものである。当人が意図したものとは別な反応を起こし、その結果新しい道が開ける偶然性。そういうものの連続で人生は彩られていくものだ。
「あなたを父親の代わりと思った事はない。けれど、世の父親はみんなそんなものなのだろうな」
 あの日、俺から引き離された父は一体何を思ったのだろうか。
 自分は父親だという事を主張したのだろうか。それとも、自分は父親である以前にロボットだから、観念して全てを受け入れたのだろうか。
 俺は自分の事ばかりで父の事などまるで考えなかった。父がどういう末路を辿ったのかよりも、自分がロボットに育てられたという過去をどう始末すればいいのか、それで頭が一杯だったのだ。
 今になって、もう少し父の事も考えるべきだったと後悔の念を抱く。これも極々当たり前の成長だ。誰しもが両親のありがたみなんて子供の頃には理解出来ない。そしてそれを理解出来た時に初めて、罪悪感と感謝とで親孝行なるものを始めるのだから。