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 やがて運び込まれてきたのは、ロケ撮影用のテレビカメラと一台のモバイルパソコンだった。
「これより国務省の衛星回線を使用し、全世界に対して電波ジャックを行います。大統領はカメラの前で宣言して下さい。この国ではロボットの尊厳を認める旨を」
 手際よく準備が進められる放送の準備。一斉放送用と呼ぶにはこじんまりとした環境ではあるが、国務省の放送設備に接続し映像を送る事が出来れば機械はそんな程度で構わないのだ。複雑な作業は基本的に国務省のホストが行ってくれる。しかも多言語の同時翻訳も出来るというおまけ付だ。
 国務省には全周波数帯域において優先的に自らを放送させる機能と権限、つまり合法的な電波ジャックが可能である。使用するのは無論、緊急連絡の場合においてのみだが、それ以外の場合にも発動させられる権限を持つ人間が二人いる。国務省省長と、大統領だ。
 一応、電波ジャックが可能な範囲は国内と定められてはいる。しかしそれは技術的な問題ではなく、あくまで国際法上の問題だ。当然だが、この技術を応用すれば世界中の電波をジャックする事は十分に可能である。国が所有する放送用の衛星の数は八つ。地球上で全ての衛星から逃れられる地域は存在しない。
「君がどれだけ人間の心理を理解しているかは知らないが、はっきり言おう。君のしていることは無意味だ。たとえ私が『ロボットの尊厳を認める』と宣言しよう。しかしそれだけでは、ロボットの尊厳という単語は浸透するかもしれないが尊厳の意味までは伝わらない。それに、これは明らかに私がテロリストに脅されて言わされているだけの妄言だと、誰もが思うだろう。このような方法で君達の目的が達成されるとは到底思えないのだが」
「あなたは我々に、暴力によるアプローチは間違っていると、堅実な方法で思想を徐々に浸透させろと、そう仰った。なら、これが最初の一歩です。ロボットの尊厳というその言葉を人類に浸透させるだけで十分に意味はある。切っ掛けを与えるだけでも我々は満足なのです。ロボットの社会的立場を改善する一歩となれば」
「尊厳の定義は後続に任せると? 呆れたものだな」
 着々と進んでいく放送の準備。作業を行うst・アッシュ達の姿はどこか生き生きとしているように見えた。ただ、ロボットの尊厳、という単語を伝達するだけにしか過ぎないというのに、自身の存在を天秤にかけてもその言葉の方が重要と判断したばかりか喜びさえも感じているようである。
 俺は心理学者でもロボット工学者でもないから、ロボットの心理というものはまるで理解が出来ない。けれど、本当にこの程度の自己主張がロボットにとって満足感が得られるのだとしたら、現状のロボットの社会的立場は随分と散々たるものだ。
「衛星ライン、リンク確立。百八十カ国対応同時翻訳設定終了。さて、後は大統領の準備だけですが、文面は決まりましたか?」
 スプーフはこれまでになく生き生きとした笑顔を浮かべている。それは決してパラノイア的なものや一線を外した狂的なものではない、ただひたすら純粋な笑顔だった。それが俺にとっては逆にショックだった。正気を無くしたロボットはこれまでに数多く見て来た。その種類も多彩で、狂気としか言いようのない典型的なものから、おおよそロボットとは思えぬ人間らしい行動に出るものまで、ありとあらゆる症例を見た。しかし、彼らst・アッシュはそれらのロボットとは違い正気を失っているようにはとても思えなかった。st・アッシュは非常に人間的で常識的な意識の範疇でこのような凶行に及んだのだと、俺の理性が認めてしまったのである。あくまでロボットの感情は人間の模倣にしか過ぎない、という持論が僅かに揺らいだような気がした。
 全ての放送機器の準備が整い、後は大統領が腹積もりを決めるだけという状況まで辿り着いた。しかし、大統領にはそれほど悠長に猶予を与えるつもりはないだろう。st・アッシュは馬鹿ではない。時間がかかればかかるほど、不利な状況に追い込まれるのはst・アッシュの方だ。既に建物の外は包囲網が敷かれているはず。このぐらいの状況変異は想定しているだろうから、初めから目的を果たした後に無事逃げ出そうとは考えていないのだろう。
「グランフォードさん、こんな手荒な真似をして申し訳ありませんでした。すぐに手当をいたしましょう。放送が終われば救急隊も要請します。出血が酷いですが、大丈夫、まだ十分助かりますよ」
 額に一層深く皺を寄せて困窮する大統領を他所に、スプーフが俺の元へ歩み寄ってきた。明るく人の良さそうな表情は誰からも好かれるだろうと思わされるが、この現場ではこちらを油断させる仮面にしか見えない。そしてその余裕の裏側には、自分達の目的の達成を目前にしている確信が見え隠れしている。
「いや、それには及ばない」
「はい?」
「大統領が意に反する演説を行う必要もなければ、そのような演説を俺の命と比べる必要もないという意味だ」
 そんな息も絶え絶えな俺の言葉に、大統領ははっきりと息を飲み、st・アッシュは急激に熱を冷ましていくのが分かった。これだけの重傷を負わされれば、とっくに反抗心は折れてしまっていると思っていたのだろう。
「グランフォードさん、あまり失望させないで下さい。あなたともあろう方が往生際が悪過ぎます。今更、意地を張っても仕方ありませんよ。我々の目的は単純で、ロボットに対する理解を深め、社会的立場を向上させたい。ただそれだけなんです。あなたにそれを阻む理由などないでしょう? ましてや命と引き換えにするだなんて」
「お前達がしているのは、大統領を暴力に屈服させる事だ。それを阻むのが俺の仕事だ」
「その体でも、気持ちは変わらないのですか?」
「まだ生きているからな」
 既に俺の体は自分で立ち上がる事も出来ず、銃も奪い取られているのは周知の事実。ただの強がりにしか過ぎないのは明らかではあるが、あえてそんな強硬な姿勢を見せたのは俺自身の意地に他ならない。物理的にどうにもならないのは分かっているが、それは今現在の状況判断であって最後までどう転ぶかなんてのは誰にも分からない。だから気持ちで負けてしまえば本当にそこで終わりになってしまうのだ。
「私はずっとあなたがロボットに対して理解のある方だと思っていました。しかし残念です。あなたもどうやらつまらない価値観に囚われた有象無象の一人でしかなかったのですね」
「ロボットを屈服させる事を古い価値観と呼ぶならそうだろう。ただし、知っておけ。今の時代、ロボットと仲良く手を取り合って生きて行こうなんて考えているのは、年端も行かない子供か、現実が見えていない理想狂だけだ。お前達が何を言おうと届きはしないさ」
 僅かにスプーフの表情が強ばりを見せる。少なからず俺の言葉が大切な部分を抉ったようだ。
「……何が言いたいのです?」
「お前達を理解するには、我々人間はまだ未熟過ぎるという事だ。使う側も、取り締まる側も、ましてや生み出す側もだ。お前達が何を考え、何を感じ、どう生きているのか、本当に理解している人間なんてごく稀だ。お前達の行動は革命でも何でもない。狂ったロボットが大統領を人質に立て籠もった。ただそれだけの事だ。誰も評価したりはしない」
「人間は、自らこの世に生み出しておきながら我々ロボットを理解出来ないと?」
「そうだ。だからお前達の境遇の悪さも当然だ。みんなロボットは喋る人形程度にしか認識していない。感情を持ちながら使い捨ての道具同然に扱われるお前達に、少なくとも同情はしている。しかし、それがどうしようもない現実だ」
「何故そこまで分かっていながら、我々のする事を認めて頂けないのです? 誤認を真実で是正しようとしているだけなのに」
「お前達は人間の権利と尊厳を犯している。俺は人間だから、人間を守る。それだけの事だ。全ての人間がロボットを理解出来れば良いとは思う。けれどそれは理想論であって、全ての人間がそこまで賢い訳じゃない。その一方でお前達のように自らの境遇に疑問を覚える賢いロボットもいれば、人間とロボットで摩擦が起きても当然だ。しかし俺は人間だから人間側に付くし、侵害するお前達のようなロボットは力ずくで押さえつける。誤解が招いた状況だと分かっていてもだ」