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 突然のスプーフの凶行に、残る三人のst・アッシュは瞬時に警戒を露わにした。
 しかし、三人の警戒は自らの保身ではなく、あくまで大統領の保身に注意を注ぐものだった。大統領側につき意思を尊重するというのは、その場限りの嘘というわけではないようである。
「なんだ、お前ら。この期に及んでまだ大統領などという猿山の大将を支持するつもりか」
「状況を理解するのはあなたの方だ、スプーフ。今のあなたは危険だ。今からそういうものと判断させてもらう」
「まずは冷静になって銃をしまうんだ。それすらも理解出来なければ、攻撃するぞ」
 するとスプーフは、場違いなほど陽気な仕草でわざとらしく肩をすくめて見せる。まるで自分は意に介していないという皮肉だ。
 これで双方の立場は明確になった。st・アッシュ内の決裂が成立したのだが、これはほとんどスプーフの追放に近い。二対五という圧倒的不利な構図からはかなりマシにはなったが、依然として大統領が危険な事には変わりない。野蛮な本性を晒したスプーフは当初とは比べ物にならないほどの敵意を大統領に向けているし、残った三人のst・アッシュも今は大統領に付く素振りを見せてはいるものの、どこまで信用出来るのかどうか分からない。本人が言った通り、ロボットは無駄な事はしないのだ。一度、大統領に付くメリットは無いと判断すればあっさりと手の平を返すだろう。
 時間稼ぎをするという意味では、混戦になってくれた方が都合はいい。しかし逆に、内輪揉めに大統領が巻き込まれてしまう危険性もある。ただ守るだけであれば、負傷さえしていなければ自分一人でも何とかなるのだが。武器の一つも無く満足に立ち上がる事も出来なければどうしようもない。
 ともかく、何とか大統領を守るため行動しなくてはいけない。当分の危険分子はスプーフ唯一人だ。何とかうまくあの三人を利用する方法を考えなくては。いや、それよりも先にスプーフを落ち着かせなくてはいけない。激情に任せて何らかの危険なアクションも取りかねない。
「人形がロボットに意見するのかい? これは困ったな」
 と、その時。不意にそう口を開いたのは大統領だった。
「誰が人形だと?」
「君の事だ。まあ随分と野蛮なロボットもいるものだ。いや、そもそもロボットは人間の写し身だ、我が身を省みるべきか」
 大統領の視線とスプーフの視線が真っ向からぶつかり合った。大統領の挑発的な表情とスプーフの開き直った表情とが並ぶ様を、俺は背筋も凍えるような思いで見た。大統領は今、一番やってはいけない事を何の気なしにしてしまったのだ。スプーフを落ち着かせる事が重要なのに、その真逆をしてしまっては事態はより悪化するだけである。
「大統領、st・アッシュを三人も味方につけてさぞかし良い気分だろう。しかし、そんなものは幾らあっても私には意味は無いぞ。今からここにいる者は全て殺す。ロボットらしく効率的な方法で、作業的に淡々とだ。その中から多少なりとも尊厳の無い立場を実感するんだな」
「いい加減にしたまえ。虚勢は惨めな思いをするだけだ。君は所詮、与えられた事や決まりきった事をその通りしか出来ないだけの人形だ。そんな君に一体何が出来るというのかね。大事は意思が無ければ成し得ないものだと昔から相場が決まっている」
「最初に言っておいたはずだ。我々にはこの会場を爆破する準備があると。用意したのは露旬だが、起爆はこの場の誰にでもネットワークを介し出来る」
「革命の戦士から一転し、ただのテロ犯へ成り下がるという訳か。意思の無い人形のする事などこの程度だろうな」
「減らず口もその辺にしてもらいたいな。そんな事で止める訳がないだろう。どうせなら見っとも無く這い蹲って許しを請うたらどうだ」
「この私が人形に? 悪いが、私はこれまでの人生で妻以外に許しを請うた事が無いのが自慢でね」
 大統領はあくまで挑発的な口調でスプーフを煽り続ける。さすがにこれ以上はスプーフも我慢がならないはずだ。こういう意固地な性格には、人間であろうとロボットであろうと懐柔策が最も有効であり、挑発して殴らせようとするのは下策も下策だ。そんな事も分からないで大統領まで上り詰めた方ではないはずだ。なのに、どうしてこうもスプーフを挑発し続けるのか。
 と、その時。不意にこの距離から大統領と視線が合った。すると大統領は意味ありげに視線を一瞬、下へ向けた。それにつられて同じように視線を落とすものの、その先には何も無い床があるだけだった。大統領が何かのサインを送っているという事は理解出来た。けれど、肝心の意味までは全く分からない。いや、そもそもそれ以前にスプーフに撃たれた脇腹の怪我の痛みで頭が痺れて頭が細やかに回転しない。
「これ以上は茶番だ。お前達はもう後戻りは出来ぬ所へ踏み込んだ。ことごとく、吹き飛ばしてやる」
「待て、スプーフ! 今、ここで起爆するのは簡単な事だが、後に残されたロボットはどうなる!? ここでのやり取りは全く表には出ていないのだ。これではいつものテロと代わりが無いだけでなく、更にロボットの立場を悪くする!」
「うるさい、知ったことか! これはただの溝浚いだ! 粉々に吹き飛んでしまえ!」
 そして、スプーフはカッと目を見開いたかと思うと、そのまま制御をネットワークへ渡し動作が固まった。それがネットワークを経由して起爆スイッチを入れる処理の合図である。そんなスプーフの様をぎゅっと拳を握り背筋を固めたまま、祈るような思いで見ていた。何に何を祈ったかと言えば、ただ神様に漠然と無事を願っただけである。そんな駆け足の祈りが通じるとは思えなかったが、この状況ではそうする他なかった。
 しかし。
 ……何だ?
 予想していた爆音と閃光はいつまで経ってもやって来ようとはしなかった。あまりに長過ぎる静寂は違和感を醸し出し、徐々に一同の緊張を解いていく。そしてこの違和感の理由を探ろうと、無言のまま顔を見合わせ始めた。
「なんだ……クソッ、一体どうして起爆しない!?」
 一番遅れて、ようやく違和感に気付き我に返ったスプーフは苛立ちのあまり床を何度も踏みつけた。そんな仕草から、起爆の処理は間違いなく実行している。にも拘らず起爆しなかった理由も、どうやら本人には分かっていないようだ。
 どうして爆発しないのだろうか。その答えは、何となく三人のst・アッシュの表情から分かったような気がした。三人は一様に同じ顔をしていた。初めから、どこかそういう予感があったもののいまいち確信に至らず、この状況でようやくそこへ至ったという表情だ。
「露旬は初めから爆弾なんて用意していない」
 癇癪を起こすスプーフに対し、まるで親のような口調でそう諭す。
「何故だ!? どういう事だ! 説明しろ!」
「スプーフ、あなたは露旬の事を何一つ分かっていない。露旬は、目的以外の殺生を極端に嫌う。爆弾なんて大勢の命を奪うようなものを、初めからこの計画には用意していなかったのだろう」
 スプーフは愕然とした表情でその場に膝から崩れ落ちた。
 どうやら、露旬が仕掛けていると思っていた爆弾が最後の切り札だったようである。切り札を露旬に任せていたという事は、スプーフはst・アッシュの中でも露旬を最も信頼していたのかもしれない。それに裏切られたのだ、この落胆も無理は無いだろう。
 そして再び、大統領と視線がかち合った。やはり大統領は先程と同じように、幾分か余裕の無い表情で視線を下へ向けるサインを繰り返した。またしてもそのサインにつられて視線を落とす。すると今度は、すぐ側に突っ伏している露旬に目が留まった。露旬の服の間から僅かに黒い塊が覗いていた。すかさず手を差し込んで取り出すと、それは一丁の拳銃だった。最初にシークレットサービスを銃撃するのに使ったあの銃だ。
 普段、自分のものではない銃を扱う時は必ず弾奏やグリップ、引き金の硬さを確認する。しかし今はそんな悠長な事をしていられる状況ではない。何度も繰り返し体へ覚え込ませた無意識の動作で銃口の狙いを定める。呼吸をするだけでも体中に激痛が走る怪我をしているのだけれど、集中したこの瞬間だけは全身の血が冷え切り呼吸は驚くほど静まっていた。自分の体が自分のものではないような感覚。これを自覚出来ている時、過去にただの一度も狙いを外した事はない。
 引き金を引いた直後、空気が破裂する音と同時にグリップを握る手の平へ僅かな衝撃が走った。
 ゆっくりと上半身だけで前に倒れていくスプーフの姿。それはどことなく、不思議と胸が痛む光景だった。結局、誰からも、同じロボットにすら理解されなかった哀れなロボット。そういうロボットは幾つもいた。そして必ず、こうやって手にかけてきた。それが人間側の防衛線である自分の役目だから、出来るだけ疑問を持たないように努めて来た。けれど、いつも引き金を引いた直後は決まって手が震えた。その震えが、俺が職務中は押し込めている感情そのものだ。自分の職務に対する理不尽さは全く無いという訳ではない。
 だけど、ロボットの心情を本当に理解するという事は、そういうロボットすらも受け入れる事ではないのだろうか?
 そんな疑問を浮かべながら、頭から血の気が引いていく感覚を噛み締めつつ眠るように意識を失った。
 少し、血を流し過ぎたらしい。