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 気が付くと、まるで見慣れない部屋のベッドの上に寝ていた。瞬間、何故自分がこういった状況にあるのかを理解すると共に、腹の底から叫び出したくなるほどの悔しさが込み上げ、そのまま目を閉じた。衛国総省に入って以来、ただの一度たりとも他力で病院へ運ばれた事が無かったのが密かな自慢だったのだ。それが今日、どうやら破れてしまったようだ。
 重苦しいというよりも気だるい体を認識しつつ、もう一度目を開ける。すると、ベッドのすぐ脇で感じていた気配がそっと覗き込んで来た。
「御主人様、お加減は如何でしょうか?」
「夕霧……か。ああ、まだ良くは分からない」
 靄の掛かった意識で見た夕霧の顔は、いつもの感情の薄い表情だった。けれど、今日はじっとこちらの様子を伺うように視線を注ぎ続けてくる。そんな仕草が夕霧なりの心配のように見え、思わず口元を緩めてしまった。
「大統領は御無事か?」
「つい一時間ほど前、各局のニュース番組にて演説が生放送されました。特に問題は無いと思われます」
「そうか」
 それだけを聞いて安堵の溜息をつき、感覚のぼやけた四肢をベッドへ放り投げた。
 大統領を警護する事が今回の任務だったが、私的な評価としては落第点と言ってもいい出来栄えだ。大統領が無事だったのはあくまでも結果論であり、スプーフに撃たれてしまった時点で任務は失敗したも同然なのだ。今回の警備の担当者は自分、総責任者はカオスの局長であるアイダになるのだろうが、警備の不手際は俺の責任と言っても問題は無い。確かに条件的な悪さは多分にあった。だが、それを言い訳に使って許されるのは素人だけだ。俺は戦闘のプロだ。如何なる状況でも結果を出さなくてはいけない。つまり、そういう意味では結果的に首が繋がったという状況であり、一番責任を取らされる立場のアイダにも辛うじて顔向けは出来る。
 実際の所、大統領の安否よりも自分の仕事の評価の方が気になっていた。自分が社会的立場を追われるのが怖いとか、アイダに重い責任を取らせたくないとか、あんなに偉そうな口上を語り人間としての誇りを示した所で、結局はそんなものなのだ。人間は人間の決めた価値観の中でしか生きられない。自分の価値観の中で生きるのは非常に困難だ。孤独に耐え抜く強さがなければならない。そして、俺はその強さを持たない人間だ。
「夕霧、体を起こさせてくれ。それから水を。窓も開けてくれ。病院の空気はあまり吸いたくない」
 その俺の言葉に夕霧はいつものように目を伏せながら頷くと、まずは窓を開けてレースのカーテンを引き直した。それから俺の背中へ右腕を差し入れて上体を起こさせ、最後に飲み水用に用意されているサーバーから水をコップに注いで運んで来る。ゆっくり飲み干すと冷たい感覚が体の中へ染み入っていくのがはっきりと分かった。どうやら空腹の一歩手前のようだ。考えてみれば、ここの所まともに食事をした記憶が無い。時間ばかりを惜しんで、疎かに出来るものは全て疎かにしていたせいだろう。
「テレビをつけましょうか?」
「いや、いい。それよりも新聞を買って来てくれ」
「承知いたしました」
 夕霧はやはり目を伏せながら丁寧に一礼すると物静かに病室を出て行った。
 初めは気になっていた夕霧の人と目を合わせない仕草も、最近はそうでもなくなって来た。夕霧はエモーションシステムに欠陥があると言う。だから笑えないのだと夕霧は言われ続けてきた。けれど、案外夕霧は笑い方を知らないだけかもしれない。人間でも自分の感情を表現するのが苦手な者は大勢いる。俺自身もそうだ。ただ夕霧は、ロボットというだけでそれを認知して貰えなかったのだろう。そして夕霧自身、認知して貰えない事を知っているから、いっそ感情を知らないよう機械然と振舞っているのかもしれない。
 やがて戻ってきた夕霧は、朝刊を四部俺に手渡した。メジャー紙が二部とマイナー紙が二部。情報は比較するものという俺の信条を知っているからの買い方である。俺は黙って受け取った新聞を広げ、夕霧に水をもう一杯持って来させた。
 朝刊の一面はどの紙も昨夜の事件の事が報じられていた。大統領の暗殺未遂という事だが、さすがにst・アッシュ達の放送ジャックの件までには言及していないようだった。あの場にいた人間は大統領と俺だけなのだから、大統領が黙っていれば外部へ漏れる事はないだろう。それよりも、この国で最も発行部数の多いメジャー紙に警備体制の甘さを批判するコラムが載っている事が耳に痛い。
 そういえば、残る三人のst・アッシュ達はどうなったのだろうか。
 新聞記事には、後続の海軍特殊戦術部隊によって殲滅されたと書かれている。実際、事件の詳細には報道規制よりも先に諜報部の情報操作が入っているはずだ。あの三人は大統領に傾倒したようには見えたから、意外と司法取引的な事があってもおかしくはないと思うのだが。もしも取引を持ちかけられたら、彼らは喜んで従うだろう。衛国総省に犯罪者としてプロデュースされ、それに従う事が、露旬の例もあり、必ずしも本意とは言えないはずだ。人間と共存できるのならきっと望むだろう。だが、もしもst・アッシュが応じる事を選択したのだとしたら、ロボットは人間に必要とされる事が存在意義だ、という定説が崩れてしまう事になる。st・アッシュが必要とされていたのは、あくまで治安機構の活躍を目立たせるためだ。犯罪者としての求められ方を自ら放棄するというのなら、ロボットも本当は人間と同じ扱いをして貰いたいと思っているのではないのだろうか。
「夕霧」
「御用でしょうか?」
「何でもない。呼んでみただけだ」
「そうですか」
 そして目を伏せながら佇む姿勢へ戻る夕霧。用も無く呼びつけた所で、夕霧は人間のように不快感を露にする事は無い。誤って呼びつけたと思っているのか、それともわざと呼びつけられていると知っていながらも気にせぬよう努めているだけなのか。夕霧の性格を考えると間違いなく後者だろう。ただ、幾ら問いただした所で答えるのは前者の方だろうが。
「夕霧、お前は名前を呼ばれるとどう思う?」
「どう、と仰られても。良く意味が理解出来ません。私に御用があるからと認識しております。何故そのような事を?」
「お前はどういう時に嬉しいと思う?」
「私は御主人様に御仕えする事を許して戴いているだけで十分です」
「そういう事じゃない。嬉しいとは、満足とはまた違った感情だ」
 すると夕霧は珍しく困った表情を浮かべ長考を始めた。人間が感覚的に使い分ける単語の違いも、ロボットにとっては定義的な差異しか理解が出来ないため、類義語についての質問に悩むのは大概のロボットがそうだ。そして、あえてそういう質問をする事で悩ませ、その様を俺は楽しんでいる。決して悪意がある訳ではない。ただ、ロボットが人間のような仕草を見せるのが好きなだけだ。
「強いて言うならば、こうして気にかけていただく時です」
「そうか」
 夕霧は無表情に見えるが、やはり喜怒哀楽の感情はしっかりと持っている。今、見せたものは喜びの表情だ。俺が夕霧という存在に対してのみ、何らかのアプローチをする事が嬉しく思うのだろう。
 俺が夕霧を買った大半の理由は、やはり家事全般をさせるためだ。けれど、俺が少なからず喜びのようなものを与えている存在と考えると、どことなく感慨深いものがある。もっとも、そういう関係をアイダは嫌がっている。アイダが夕霧を嫌うのは、単なるロボット嫌いだからではない。俺が女性ロボットを買った事が気に入らないのだ。独身の男性が家事用に買うのは、世間体を気にして男性型か無性別型がほとんどだ。だから一般的ではない選択をした事で、男には理解出来ない自尊心のようなものが傷ついたのだろう。
「そろそろ窓を閉めても宜しいでしょうか。風が冷たくなってきました」
「ああ、構わない」
 夕方になると、俺と同じぐらいの歳の医師が回診にやってきた。俺の傷は弾丸も抜けているため、それほど酷くはないらしい。ただ、手当てまで時間がかかっているため消毒に手間取り、回復までは少しかかるだろうと話してくれた。ここの病院にはリハビリの施設もある。完治するまではそこで体を動かす事を勧められた。
「マイク? 良かった、目が覚めたのね」
 日が落ちて間も無くアイダが慌しく病室へやってきた。衛国総省の正装姿で、如何にも仕事中に無理やり立ち寄ったという様子である。
「仕事はどうした、アイダ。あんな事件の後じゃ、こんな所に来ていられる暇なんてないだろう」
「もう、随分な挨拶ね。その忙しいスケジュールを詰めに詰めて、ようやく五分だけ時間が取れからこうして来てあげたのに」
「冗談だ。悪いな、こっちの不始末を片付けさせて」
「カオスの不始末は私の不始末よ。それに心配して貰うほど酷い状況でもないわ。大統領が無事でしたもの。無責任なコラムリストには好きなだけ言わせておきなさい。そんな事よりも傷の具合はどう? 顔色は思ったよりも良いようだけど」
「当分はのんびり養生させて貰うよ。しばらくまともな休みも無かった事だしな」
「駄目よ。早く治しなさい。あなたの休みは私との時間のためにあるんだから」
 そうアイダは微笑みながら強引に唇を寄せて来た。
 昔からアイダのアプローチは強引で一方的だ。俺がカオスに来たのも自分の意思ではなく、当時見ず知らずだったアイダが勝手に引き抜いて来たからだ。アイダは自分が思った通りに事が運ばなければ気が済まない性格だ。カオスの方針もほとんど自分一人で好き勝手に決めている。カオスはアイダのワンマンチームである。だが、アイダは相手を力で無理やり屈服させる事はせず常に人の心を動かすよう心がけているせいか、アイダのやり方に反感を持っている人間はほとんどいない。むしろ、頼りになるやり手の上司というイメージの方が強いだろう。
「st・アッシュはどうなった?」
「みんな処分されたわ。反逆罪という事で」
「そうか」
「驚かないの? 大統領にはあそこで起こった事は全て聞いているわよ」
「だからだよ。人間側のロボットに対するスタンスは伝わっただろうし、勧善懲悪という事で国民に対する大統領のイメージもアップする」
「意外と現実的ね。あなたってもっと感傷的と思ってたけど」
「いちいち感傷的になってたら、カオスなんて勤まらないさ」
 公私を割り切れないほど、無駄に人生経験を積んできた訳ではない。本音を言えば、三人が処分されてしまった事は残念ではあり、やはりそうなってしまったかという悔やみもある。けれど、それが今の人間とロボットとの距離では最も当然の結果だ。ロボットには人間へ要求する事は認められない。まして、それが人間へ害を成す手段を用いたとあっては処分は決して避けられない。古臭いロボットの原則を持ち出し、人間に最も都合良く従順である事がロボットの当然だと、誰かが声高に叫ぶだけだ。ただ、それを耳にする全てのロボットは哀れだろう。自分の存在意義を他者から定められるばかりか、反論する事すら認められないのだから。
「そろそろ行かないと。また時間が出来たら来てあげるから、今は怪我を治す事だけ考えて。カオスの事は心配しないで、私に任せてくれればいいわ」
「一つ訊くが、俺がいない間、カオスのリーダー代理は誰になる?」
「レックスにしようと思っているわ。あなたの代理を志願したのは彼だけだったの。まだ若いけれど、向上心と気力が充実しているから適任よ」
「坊やが? やれやれ、あまりゆっくり休んでいる訳にもいかないな」
 そう苦笑する俺にアイダが愉快そうに微笑んだ。
 実際の所、レックスに俺の代理をやらせるなんて正気の沙汰ではない。だが、アイダは間違いなく見込みがあると判断すれば本当に一任してしまうだろう。そもそも、カオスが設立された経緯自体が普通ではない。カオスの初期メンバーは全てアイダが独断と偏見だけで引き抜いて来た人間なのだ。しかも更に性質が悪いのは、そんな急増のチームで成果を上げ続けたというアイダの手腕だ。さすがにレックスが俺よりも実力が優れているとは思わない。だが、アイダにはそれを感じさせない手腕がある。あまりうかうかしていると、本当に足元をすくわれかねない。師匠が弟子に追い抜かれるのは珍しい事ではないが、それにはまだまだ早過ぎる。
「後は。夕霧、マイクの事は頼むわ。ちゃんと毎日私へ連絡をするように」
「かしこまりました、アイダ様」
「それと、くれぐれも浮気しないように見張りなさい。看護婦に色目を使うかもしれないわ。あなたなら誰にも買収されないから、一番信用出来るもの」
「ありがとうございます。必ず御期待に添えてみせます」
 半分以上は冗談だと言うのに、真剣に返答する夕霧の様子にアイダはわざとらしい満足げな表情を見せた。
 考えてみれば、これまでアイダが夕霧の前でこんな表情をした事は無かった。ようやく夕霧の存在を認める気になったのか、それとも心情的な位置付けが定まったのか、そんな所だろう。何にせよ、二人の関係がこじれずに済んだのは喜ばしい事だ。