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「何か飲むか?」
「じゃあ水割り下さい」
「夕霧、坊やにレモンソーダでも作ってやれ」
 夕霧は目を伏せながら静かに一礼してキッチンへ向かう。反対にレックスはわざとらしく口を尖らせて眉間に皺を寄せて見せつけてきた。まだ二十歳そこそこのレックスは、俺にして見ればハイスクールと大して差が無い。合法的に酒が飲めるとは言っても、飲み方は非常に騒がしくお粗末なものだ。場さえ選べば、楽しみながら騒いで飲むのは良い事だ。しかしこいつは、その後で必ず人に迷惑をかける。
「そんなにむくれるな。夕霧の作るソーダは下手な喫茶店よりもずっとうまいぞ」
「俺、あんまり炭酸は好きじゃないんです。なんかこう、胸が支える感じがして」
「上官がいちいち部下の好みなんて記憶すると思うか?」
「カオスっていつからそんなシビアな縦割り社会になったんですか」
 やがて夕霧の持ってきたレモンソーダを受け取ったレックスは、一息で半分ほど飲み干して大きなげっぷを吐いた。礼儀も何もあったものではないが、今回だけは酔っているからという事で不問にしてやる事にする。
「でも驚きました。隊長って何でも出来るヒーローみたいな存在でしたから。まさかこういう一面もあるなんて」
「おかしいか? 別に隠していたつもりでもないがな」
「いえ、この事は一切他言いたしませんので」
「だから、隠すつもりも無いと言っている」
「駄目です。信頼するカッコイイ隊長像が壊れてしまう」
「勝手に崇拝するな」
 レックスが俺に何かしら憧れの感情を抱いているのは知っているが、時折度を越えたものをぶつけられると非常に戸惑ってしまう。俺は生来ひねくれた性格だからどんな正当な評価も素直に受け入れられないのだが、そういうこちらの姿勢も無視したあまりに一方的な情熱には辟易してしまう。レックスは決して悪い人間ではない。愚直と従順の境界に位置する、隊長としての素質には恵まれていないものの、その人柄は明るく分け隔てないものであるため万人に受け入れられるものだ。俺自身も部下の中ではレックスが一番気に入っている。好感の持てる性格だけでなく、士官学校を卒業後すぐにカオスへ引き抜かれたにも関わらず非常に身体能力に優れ判断力も経験不足ながらそれほど悪くは無い。俺の後釜になれるかどうかはさておき、戦闘力だけで考えれば今後カオスのエースにも十分なり得る逸材である。能力だけで交友関係を選択する訳ではないが、公私共レックスにはそれだけ魅力があるという事だ。
「んん? 隊長、あれってもしかして大統領からの勲章じゃあ?」
 ふとレモンソーダを飲み干したレックスは、おもむろにキャビネットの前に駆け寄って屈み込んだ。キャビネットには薄いアルバムとその勲章が無造作に置かれている。普段そこは滅多に開ける事も無いのだが、夕霧はきちんと隅々まで部屋を掃除するため埃は一つとして落ちていない。
「ああ、そうだ」
「うわあ、すげえ。これは五年前のですね。これは三年前で、こっちは二年前。本物の金を使って刺繍してるんですよね、これって。でも、どうしてこんな無造作に置いてるんですか。大統領から勲章貰えるなんて、一生に一度あるかないかなのに。ほら、空軍のトリストラム元帥なんか、勲章一個のために、わざわざ自宅に特別地下室作ったそうですよ。隊長も見習ってもっと大切にしましょうよ。銀行の貸し金庫とかあるじゃないですか」
 レックスはキャビネットに手跡を遠慮なくベタベタとつけながら、大統領から贈呈されたその勲章に目を見張って食いついている。まるで玩具屋のショウウィンドウに張り付く子供のようなその仕草に、俺は思わず噴出しそうになった。
「単に、大統領は過去に三度もロボットに襲われ、その度に俺が護衛していたからだ。歴代の大統領で、三度もロボットに襲われた大統領なんていないんだがな。大統領が襲われるたびに貰ってたらキリがない」
「でも、幾らなんでももうちょっとあるでしょう? こうクリスタルガラスのケースに入れて飾るとか」
「別に興味は無い。なんだったら、欲しければ持って帰ってもいいぞ」
「いやいやいや、それは駄目ですって! 国民として駄目です! 少しはこういうのありがたって下さいよ。部下のやる気を損ないますよ。そもそも、大統領の命を助けたからってそれだけで貰えるようなものでもないでしょう? これは隊長が普通では出来ない偉業を成しえたからこそ戴けたものなんですよ。だからもっと胸を張ってですね、俺は大統領の命を救った男だって宣伝するぐらいじゃないと」
「俺達の仕事は勲章のためじゃない」
「分かりますよ、それは。でも、ちょっとは大切にするべきですよ。これは大統領なりの、隊長の仕事に対する評価なんですから。まさか隊長は、人からの感謝の気持ちを形の好みで区別するような方ではないですよね?」
「たまにはらしい事を言うようになったな。なるほど、そういう事ならばもう少し見られるように飾るとしよう」
 レックスから自分よりも大人の意見を聞けるとは思ってもみなかった。
 大統領からの勲章など、所詮は形だけのものでそれほど貴いものではないと思っていた。その上、普通なら誰でも大切にするようなものをあえてぞんざいに扱う事で自分は世俗の価値観には囚われていないという満足感にすら浸っていた。レックスの言った事は極単純で、けれど案外陥りがちな独り善がりを堂々正面から俺に指摘した。明らかに自分よりも格下の人間と思っていただけに、むしろその鋭さには驚きを禁じ得ない。
「あの、ところで。夕霧さん、でしたっけ? 隊長って結局の所はどう思ってるんです?」
「知りたいのか?」
「まあ、その。ねえ? ほら、隊長は自分と違って一人身じゃない訳だし。こう本気で擬似的な、何て言うか」
「興味が湧いたから、場合によっては自分用に買うのもアリと?」
「そ、そうじゃないですよ! とにかく自分は、ただ隊長の事が知りたいだけです! だって隊長って普段から自分の事はさっぱり話してくれないじゃないですか!」
 そうだったか、と首を捻り思い返すも、確かに普段から口数の少ない俺は自分の事を語るのは昨日のことですらほとんどない。別段秘密主義という訳でもないが、どうにも日常のさも無い事を面白おかしく脚色して会話するのは苦手なのだ。
 まあ、たまには昔話もいいものかもしれない。
 そう思った俺は手にあるウィスキーを一度に飲み干し、浮かべていたレモンも一緒に噛み締めながら飲み込んだ。舌が酔って鈍くなっているせいか、それほどレモンの酸味を感じなかった。心地良い柑橘の香りだけが鼻を抜け、筋肉の緩んだようなだらしの無い溜息が飛び出した。空になったグラスを夕霧へ突きつける。夕霧は楚々とウィスキーを注ぎ足し、同じようにレモンを浮かべる。
「夕霧、お前はここに来て何年になる?」
「今年で四年目になります、御主人様」