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「へえ、四年も経ってるんですか。その割に表情が薄い気もしますけど」
「申し訳ございません」
「え? あ、いや、そういうつもりじゃないんですよ。スンマセン」
 そっと頭を下げる夕霧を前に、慌てて謝り返すレックス。幾ら酔っているとは言っても、ロボットに謝る人間も珍しいものだ。上司のロボットを馬鹿にしたから謝っていると考えられなくもないが、どちらにしてもレックスのロボットに対する価値観は比較的俺と近い。ロボットを人間と同じように扱うのではなくロボットはあくまでロボットと、ただしただの機械とは違って人間に感情を良く理解出来る存在として認識し接する事が重要なのだ。全ての人間にこの価値観があればセミメタル症候群のようなロボット特有の精神病も無くなるだろうし、ロボット犯罪そのものも減少していくはずだ。カオスはロボットを取り締まるチームではあるものの、何も好き好んでロボットを処分している訳ではない。理念はどうあれ、少なくとも俺は人間の領分を踏み越えようとするロボットだけに最小限の武力行使を行っているだけだ。
「もう潰れてしまったが、ここに来る途中のハイウェイ沿いにリサイクルショップがあってな。夕霧はそこで見つけたんだ」
「え、リサイクルショップですか? 意外だなあ」
「まあ、ロボットを買うつもりなら専門店に行くのが普通だろうな。俺はその日は別にロボットを買いに行った訳じゃなかったんだ。ただ、車から見慣れない店を偶然見つけて、何となく暇潰しぐらいの気持ちで入った。その店の片隅にぽつりと置かれていたのが夕霧だった。そのままその日の内に買って連れ帰った」
 今でも当時の自分の心理がうまく理解出来ないでいる。これまで一人で生き続けてきた自分を、誰からも必要とされないでいるかのように佇んでいた夕霧と重ね見てしまった。そして思わず同情してしまったのだと初めは考えた。けれど俺は自分のそんな生き方を惨めだとは思った事は無く、だから夕霧に同情したというのはおかしい事だ。物として売られるロボットにも同情した事は無い。どうしてあの日、こうも夕霧に心を奪われてしまったのかまるで分からないのだ。気の迷い、なんて表現を時折耳にするが、まさにそうとしか説明がつけられない。
 だが、本当に夕霧がただの衝動買いであるならば、とっくに処分なりをしてしまっている。夕霧にわざわざ家事機能のモジュールを拡張してまで自分の元へ置いているのは、自分で家事をするのが面倒だからではなく特別な感情があるからだ。人間で言うところの一目惚れのように、科学でも説明がつかない域での感情だ。執着やら愛着やら、そんなこだわりのようなものである。
「でも、どうして売られちゃったんでしょうね。こんな丁寧な応対だって自然に出来るし、造型もかなり綺麗で手が込んでるでしょう?」
 夕霧が最初の持ち主に売られたのには理由がある。リサイクルショップの主人に聞いている。愛想の無さに客からクレームがついて売られたのだ。
 だが、それを話そうとしたその時。
「私のエモーションシステムが不良品だからです。私はあまり上手に笑う事が出来ないのです」
 夕霧が口を開きかけた俺を遮った。こんな事は初めてだった。レックスの質問は明らかに俺へ向けられている。そういう状況を察知出来ない夕霧ではない。そもそも夕霧は決してでしゃばらない引っ込み思案な性格だ。だからこそ、初めて見る夕霧の意外な反応に俺は僅かに戸惑いを覚える。
「笑うなんて簡単じゃないですか? ほら、こんな風にニーッて」
 レックスの調子のいい笑顔に続き、ぎくしゃくと表情を変える夕霧。お世辞にもその強張った表情を笑顔と呼ぶには無理がある。顔の機能だけでどうにか表情を作ろうとしているのだろう。だが、表情というものは感情が理解出来ていなければ形状が見えないものだ。人の笑顔を真似ようとした所で無理が生ずるのは当然だ。
 別に夕霧は全く無感情で無表情という訳でもない。ただそれがあまりに希薄過ぎて、注意深く見なければ誰にも分からないだけなのだ。そして、給仕用のロボットをじっくり観察するような人間はいない。だから皆が夕霧を笑わないロボットと評したのだろう。結局、それが夕霧が売られた原因だ。
 人間がロボットに感情や表情を求めたのは、より人間へ近づけるためだけではないと俺は考える。本当は人間にもロボットを理解しようとする気持ちがあったのだ。自分達が設計し作り上げた人工物が何を思い考えるのか、それを知るには言葉だけでは足りなさ過ぎるから感情や表情をエミュレートした。だが今度は逆に、感情が見えてこないロボットには不信感を覚えるようになってしまった。相手の感情が読みきれないのは、人間同士でも当たり前の事だというのに。
 つくづく、ロボットは人間には過ぎたものだと思う。ロボットは人間を甘やかすに留まらず、人間の負の部分を増長し表面化させている。人間ではなくロボットだから、こういう事をしても許される。そう考え始めるともはや際限が無い。ロボットは人間のパートナーにはなり得ない。ロボットは人間をサポートするどころか人間の情操をことごとく退廃させてしまっている。だが、だからと言ってロボットを取り除くにはもう遅過ぎる。ロボットはとっくに人間の生活の基盤を支えるほどまで浸透してしまっているからだ。
 カオスは、人間とロボットとの間にある歪みを正す、苦肉の策だ。どこの国にもカオスのようなロボットを武力制圧する機関がある。人間は少しずつロボットの危険性を認知し始めた証拠だ。けれど、全ての責任をロボットに押し付けるのは人間の傲慢である。人間に不満を持つロボットも少しずつ現れ始めている。いずれSF映画のようなロボットの反乱も近い将来起こり得るかも知れない。ただし、それは人間と取って代わろうというのではなく、ただ純粋なロボットとしての反抗という形なのだろうが。
 ゆっくりとグラスを傾けている間、レックスは飽きずに夕霧へ様々な表情を指南している。夕霧は真剣にそれを受けているように見えるものの、レックスのわざとらしい表情を本気で再現するつもりはなさそうである。むしろ、レックスの遊びに付き合ってやってるような様子だ。そういった酔っ払いの戯れに付き合うのも接待の一つだと心得ているからだろう。
「反応薄いとつまらないなあって思ってましたけど、これはこれで可愛い感じがしますね。なるほど、隊長の好みっておしとやかなタイプだったんですか」
「だから違うと言っているだろう」
「それにしても、局長はよく許してますよね。問題とかないんですか?」
「何故だ? 問題になりようがない。要素が見つからない」
 実際の所、全く無い訳でもない。アイダは俺が夕霧に少しでも気を取られるとすぐに機嫌を損ねるのだ。しかもその不満を俺ではなく夕霧へぶつける。夕霧は夕霧でこんな性格のため、アイダの言われるがままになってしまう。そんな夕霧の姿を見るのは忍びないが、かと言って下手に夕霧を庇いでもすれば更にアイダの機嫌は損なわれてしまうのだ。アイダは実家暮らしでそこには父親のモーリス省長がいる。そんな所ではゆっくり出来やしないとアイダは俺の部屋へ来るのだが、その時が最も神経を使う。アイダと夕霧は性格がまるで正反対、水と油の関係だ。二人の関係を正常な方向へ修正出来るのは間にいる俺だけなのだが、どうにもこういう感情の問題は苦手だ。そうやって後回しにし続けてきた結果、このようにこじれてしまった訳でもあるのだけれど。
「隊長ってまだ結婚はしないんですか? みんな今年こそとか噂してますよ」
「少なくとも、カオスが俺の手を離れられるぐらいにはならないとな。今無理に結婚した所で、結局は仕事に追われ続け不和が出来てしまう。どうせならカオスが落ち着いてからというのがアイダとの総意だ。もっとも、省長は明日にでもと顔を会わせる度に急かしてくるがな。困った将軍だ」
 そう肩をすくめ、微苦笑。すると、不意に夕霧がウィスキーのボトルを向けながら無言で問うてきた。俺はグラスがもう空になってしまっている事に気付き、そのままグラスを差し出して夕霧に注がせる。その様をレックスはニヤニヤと意味深な表情で見ていた。きっと、随分と面白いものが見えているのだろう。俺としてはその見たものをどこでどう話そうとも詮索するつもりはないが。
「隊長ってロボットにも優しいんですね。初めて会った時は機械みたいに冷徹かと思ってました」
「公私を混同しないだけだ。俺だって迷う事もあるし、人間の好き嫌い、ロボットの好き嫌いもある」
「夕霧さんは隊長の事、好きなんですよね?」
「はい」
 迷い無く答える夕霧に、俺は再び肩をすくめる。
「こういう時は、少しは言葉を濁すものだ」