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 現場は郊外に立ち並ぶ高級住宅地の一画。
 時刻は午後七時を回った。喧騒とはまるで無縁であるはずのこの場所に物々しい雰囲気が立ち込めている。目の前の豪邸は無数のサーチライトでライトアップされ、丁度その周囲を武装警官隊が取り囲んでいる。よく見れば隣家の屋根やベランダには狙撃手の姿も見受けられる。区系レベルの武装警官隊に狙撃手はいない。おそらく本店からの援軍だろうが、カオスに依頼が来たという事はあまり成果は芳しくはないようだ。
「この区を担当している所轄のジェイコブです」
 武装車両から降りた俺達を出迎える警察署長。仕事の比重がデスクワークに偏っているせいか、現場服の腹の部分がいささか窮屈そうである。
「カオスのマイケル=グランフォードだ。これより指揮権は衛国総省へ移る。まずは状況を説明してくれ」
「ロボットが、確認しているだけでも三十五体が立て篭もっています。人質に取られているのはアルジュベタ=マータ、ロボットの権利を世界中に広めようとしている活動家です」
 アルジュベタ=マータの名前は俺も時折新聞で見ていたので知っていた。彼女は元は発展途上国や内紛の絶えない地域へ自ら赴き、難民や被災者の生活支援を行う非政府組織のリーダーだ。人道支援活動に制限があってはならぬと、時として戦争真っ只中の国へ飛び込み、何度かゲリラ等の過激派に誘拐された事もあり、彼女の活動については国内では賛否両論分かれている。だが五年前、万国平和連盟から功績を称えられ平和賞を贈られている事から、草の根レベルでは賛否ありつつも一般の評価は高いようである。
 そんな彼女は一昨年、自らの体力的な問題を理由に組織を後任へ譲って前線を退いている。そのまま引退、隠居生活を行うと思われたが、そのすぐ直後からロボットの権利についての活動を個人レベルで始めた。あまりマスコミで大々的に扱われる事は無いのだけれど、彼女の活動についてあれこれ論議する人間は意外と多い。ロボット犯罪が急増しているこんな御時世だ、問題に直結する件には無関心でいられないのだろう。
「戦力は?」
「一般銃器の類は今の所確認出来ていませんが、戦闘型ロボットを見たという情報もあります。また、犯人グループの何名かは大きなアタッシュケースを持っていたとの事から、何かしらの武器を持っていたとしてもおかしくはありません。他にも何か巨大な機材を幾つか搬入したという情報もあります」
 つまりほとんど分かっていないという事か。
 犯行から既に半日も経過しているが、それほどの時間で何も出来なかった彼らを責めるよりも、このヤマはそれだけ厄介だと認識した方が良さそうである。それに、戦闘型ロボットが複数もいるのは最も関わりたくない状況だ。戦闘型ロボットは存在自体が重火器並の兵器なのだ。それを生身で相手にするなどと、とても正気の沙汰ではない。もっとも、それこそがカオスの仕事ではあるのだが。
「よし、各自装備を確認しろ。十分後に突入する。すぐにミーティングを行う」
「待って下さい! 突入って正気ですか?!」
「ここの指揮権は我々にある。口を挟まないで貰いたい。突入するのは我々だけだ。所轄は周囲の包囲していればそれでいい」
「ですが、人質の命を危険に晒す様な真似は黙認出来ません!」
「カオスの仕事は、ルールを破ったロボットを破壊する事だ。人質交渉は専門じゃない」
「そんな無茶苦茶な! 幾らなんでもそれだけは許されない! 何よりも人命を最優先するべきだ!」
「結構。だが、突入の指示はカオスの決定じゃない。衛国総省の勅命だ。文句はそっちへ通してくれ」
 署長を一蹴し、すぐさま部下達を集合させる。建物の見取り図は既に道中で、人質とされている彼女が居る場所も含めて頭の中に入れさせた。今回の作戦プランも伝えてある。後は作戦の内容を再度確認した上で実行に移すだけだ。日頃から実戦形式の訓練を行っていると、こういった時の準備に手間がかからなくて実に都合が良い。
「よし、では事前に伝えていた通り、二つのチームで屋敷の前後から突入を試みる。正面組はあくまで陽動だから決して深追いはするな。付かず離れずだ。俺は当初の予定通り裏口組から目標の地下室を目指す。そこで目標を拘束後、正面組と合流してこの場から離脱する。以上だ。何か質問はあるか? なければただちに作戦を開始する」
 最後に一同の時計の時刻を合わせ、二チームに分かれてそれぞれの待機地点へ向かう。
 そんな俺達に対して冷ややかな視線が集まっているのがひしひしと感じられる。それもそのはず、カオスは所轄の管轄で起きた事件を強引に奪う事が多々あるからだ。
 しかもそれだけではない。
 カオスはあらゆる事件に対応出来るよう、使用する火器には制限が無い。局長の認可が下りれば、爆撃機や弾道ミサイルすら使用出来るほどだ。そのため、制限の厳しい所轄では手に負えない事件を代わりに受け持つのだが、もしも何かしらの問題が起こった場合は全て所轄に後始末を押し付ける。体面上の責任者は所轄で、カオスはあくまでも協力という形で関わった事になっているからだ。それは俺は元より局長の方針でもなく、衛国総省の意向だ。
 ロボットとまともに戦う術を持たない所轄にとってカオスの協力は欠かせない存在だが、その一方で非常に疎ましい存在でもある。未だに、武装警官隊の使用火器制限緩和の要望は非常に多く出ている。強い武器があればカオスは必要ないと考えているのだろう。個人的にはそれは甘い考えだと思う。何もカオスは武器の制限が無いからこそロボットを取り締まれる訳ではないからだ。
 まったく、いつもながら嫌な空気だ。
 険悪な空気の漂う中、目的のポイントに向かってひた走る。各所に屋敷を取り囲むよう武装警官隊の小隊が配置されているが、一人として友好的な表情を浮かべない。時折、カオスを見るのは初めてなのか興味本位の視線が飛ぶだけだ。
 いきなり現場に現れては所轄から指揮権を奪い、そして無謀としか思えない強行突入を宣言したカオス。今回も事件の後始末を押し付けようとしているとしか映らないだろう。俺自身も普通に考えて人質事件は時間を惜しまず無駄にもせず、慎重に心を砕いて挑むべきだと考えている。無論、初めから問題を起こして所轄に押し付けようという算段などさらさらない。にも関わらず、あえてこのような行動を取ったのは、所轄にも出せない理由があるからである。
 実の所カオスは、衛国総省の諜報部から機密情報を貰っている。人質になったとされるアルジュベタ=マータは既に、実質的には死亡しているというものだ。立て篭もっているロボットに殺害されたからではない。本人が自ら望んだ自殺だ。
 当たり前の事だが、倫理的にはどうあれ自殺を規制する法律は無いし、単なる自殺騒動ならばロボットがどう関わろうとカオスも出動する必要は無い。だが今回の場合の自殺は少々意味合いが異なる。法務省が彼女の自殺方法を非常に問題視したのだ。
 彼女は今、世界で初めてのある事に挑戦している。それは、自らの完全機械化だ。
 人間をサイボーグ化する事について未だ倫理的な論議が続けられている。人工臓器の移植と変わらないと言う者もあれば、生命に対する冒涜と言う者もある。法的にはグレーゾーンとはされているものの、連合国医師協会では人間のサイボーグ化には反対の意向を示している。法務省もそれを支持する構えである。理由は政治的なものだろうが、それは深く言及する必要はない。
 現代の科学技術はその水準まで達しているかどうかすら意見が分かれているのだが、人体の完全サイボーグ化は正式な治療と医師協会から認められていない以上、手術でも治療でもない殺人行為、自ら行うのであれば自らを殺す自殺となるのである。
 法務省が問題としているのは、手術を実際に行ったその結果だ。そのまま死んでしまえば愚かな自殺で済むのだが、万が一にでも成功してしまえば大問題になるそうだ。このあまりに不利な前例を盾にされてしまえば、下手な反対は逆に探られたくない腹を探られてしまうから、といった所だろう。しかも前例者がただの一般人ではなく世界的な著名人だ。世論への説得力はあまりに大き過ぎる。
 事態の収拾にカオスが選ばれたのは、衛国総省が軍事的な関係で法務省と懇意である事と、カオスがその衛国総省の直属だからだ。実際に突入した時点で彼女の状況がどうなっていようとも、後から幾らでも情報操作や偽装工作が可能だ。そして対外的には、所轄の武装警官では歯が立たないからカオスが引き受けた、というもっともらしい理由で説明がつけられる。
 そう、何もかもが法務省にとって都合が良いのだ。