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「動くな。衛国総省のカオスだ。これよりお前を拘束する」
 真っ先にアサルトライフルを構えて宣言した俺に、一同も遅れて状況を理解し同様にアサルトライフルを構える。
 その無性別型ロボットはこちらの様子をゆっくり見やると、やがて思い出したように今度は自分の手をしげしげと見つめ始めた。まるで自分の体が自分のものではないと言った様子である。きっと慣れない感覚素子からの反応に戸惑っているのだろう。ゆっくり一つ一つ、自らの出す命令とその結果を確かめている。
 こちらの呼びかけに対して反応が無い。それでも構わずアサルトライフルを構えながらじりじりと距離を詰めていく。ロボットの身体能力は人間を遥かに凌駕する。いつどのようなタイミングで襲い掛かられても即座に対応出来るよう、適度な緊張感を保ったまま目標を捕捉し続ける。
「隊長、あいつはもしかして……」
 レックスが乾いた舌から掠れた声を絞って問うてくる。俺は聞こえるかどうかの曖昧な返答を返すだけで、注意は引き続き目の前のロボットへ注ぎ続ける。
 異常なロボットを前にした独特の緊張感が喉元を締め付けてくる。それはロボットが威圧感などという心理的な攻撃を仕掛けてきているからではなく、異常な状況下に自分の本能が気の早い恐怖を感じているためだ。自分自身が生み出す恐怖は克服出来ると、訓練生時分に教官から教わった事がある。だからこの息苦しさは己の弱さなのだと、ただひたすらそう言い聞かせて冷静さを保ち続ける。
 結局、アルジュベタ=マータの手術には間に合わなかった。しかし、彼女を連行するという当初の目的は変わらない。目の前の出来事をただの事象と考え、まるで図鑑をめくるように淡々と情報を収集し続ける。
「もう一度警告する、アルジュベタ=マータ。これよりお前を衛国総省の権限において拘束する」
 一体、何が恐怖なのか。
 ロボット犯罪を取り締まるカオスへ着任して以来、ひとつ分かった事がある。自分が本当に恐ろしいと思うものを内在しているのは、人間の方だという事だ。言ってしまえば、ロボットよりも人間の方が遥かに残虐で恐ろしい。
 そんな内面的恐怖を金属の体に内包した存在とはどれほどのものか。想像がつかないだけに、より一層の恐怖が込み上げてくる。
 やがてロボットはゆっくりと自分の足を確かめるようにベッドから降り立った。身の丈は俺と同じくらいかやや低い程度、装飾の無いシャツとイージーパンツを身につけているが、体格から察するに戦闘型では無いようである。しかし実質の出力までは分からないから、まだ安心は出来ない。
「カオス……衛国総省ですか。大方、法務省の差し金でしょう? 前々から私の動向を監視していたようですから」
「答える必要は無い。そのまま大人しく両手を頭の後ろで組め。ゆっくりこちらへ歩いて来るんだ」
 しかし、アルジュベタ=マータはまるで気にする事無く、もう一度ベッドの上に腰掛け直した。まるで仲の良い友人が来ているかのようなくつろぎぶりである。見た所、特別な装甲をまとっている訳でもない。カオスが使用する弾丸が対戦闘型の特殊仕様のものである事は割と知られた事実だと思うのだが。決して撃たれない確信がある訳でもないはずなのに。
「どうして受け入れられないんでしょうかね。私は正しいと思った事だけをしてきたつもりなのに。世間には公表されていませんが、私の体はとある難病に侵され手の施しようが無い状態でした。それを治療する唯一の手段がこれだったのです。人間には誰にでも生きる権利があるはず。この国の憲法の序文にはっきりと明記されていますから。私はただそれに従っただけです。誰にも迷惑はかけていません。どうして放っておいてくれないのでしょうか」
 見た所、周囲には特別銃器を置いている訳ではない。自らの体に何かしらのギミックを施している可能性も考えられるが、これまでの経験からすると何かしらギミックを持ったロボットは必ず射程距離へ相手を捕捉するための動作を見せる。別段そういう動きは感じられないが、この会話そのものが心理的駆け引きの要素を持っている可能性もある。いや、このロボットは元人間だ。不用意な行動は取らない方が賢明だが、元人間である事を逆手に取り、この駆け引きをうまく利用してこちらのフィールドへ引き込む事が出来るかもしれない。
「何か言って戴けませんか? それとも、会話をしているという私の認識は錯覚で、本当は言語を話せていないのでしょうか?」
「正しいと思う事だけをしたというのは偽善だ。善意とは名実が伴わなければならない」
「良かった。私はもう一度話せているのですね」
 さも嬉しそうに微笑むアルジュベタ=マータ。
 ロボットに表情があるのは、エモーションシステムという感情をエミュレートする回路のおかげだ。しかし、このロボットの場合はどうなのだろう。エモーションシステムはあるのだろうか。このロボットは厳密に言えばロボットでは無くサイボーグだ。感情は人間の記憶が表現するだろうが、果たして人間との格差は生じていないのか想像が出来ない。既存のロボットに関する知識は役に立ちそうにない。
「それでは、あなたは私が誰かに迷惑をかけていると、そう仰るのですか?」
「だからここに我々がいる。あなたは迷惑をかけたつもりは無いと言うが、それは極限られた狭い視点での話だ。人間が自らの体を純粋な機械に改造するなど、助かるならばそれで良いという実益だけを考える人間ばかりではない。人が人を放棄する事実は様々な形で世間に衝撃を与える。指示をするもの、批判をするもの、更に発展させるもの、実に様々だ。そしてその皺寄せが国へ押し寄せてくる。幾ら思想の自由を認めた所で、想定する範囲から飛び出したものや手に負えない危険思想は排除しなければ、国そのものが維持出来なくなるからだ」
「寡黙な方と思っていましたが、意外とお喋りですね。あなたは正義感の強いタイプのよう」
「……とにかく、大人しく我々に投降してもらおう。それから、外のロボットも黙らせるんだ」
「それは出来ません。彼らは自ら進んでここへ来てくれたんですもの。人の好意は無下に出来ないわ」
「その好意がどれだけの血を流させると思っている。感情論も大概にするんだ。連中の持っている武器も用意したのはお前だろう」
「ええ。私は戦闘地域でも活動をして来ましたから。そこでは自分の身は自分で守らないとなりませんでした。それで致し方なく」
「だが、国内へ持ち込む理由にはならない」
「なりますよ。今のこの状況がまさしくそうでしょう?」
 どうやら銃器の密輸は確信犯だったようである。それだけでも十分監視の対象にはなるのだが、その管轄は法務省ではなく公安だ。そういえば、公安の副官補佐は法務省省官に身内がいたはず。もしかすると、この辺りに何か関連性が潜んでいるのかもしれない。
「私のした事は迷惑だったのでしょうか。私はただ、もう一度普通の暮らしがしてみたかっただけですのに」
「それでこの騒ぎだ」
「そうですか。私も争いごとを好んでするつもりはありません。しかるべき処置が下されるというのであれば、甘んじて受けましょう。ですが、申し訳ありませんが少々手を貸していただけませんか? 私は一人で歩く事も出来ないのです」
 自分で歩く事が出来ない?
 一体何の事を言っているのだろうか。そう疑問に思っていると、不意にアルジュベタ=マータは隣のベッドへと近づいていった。そこには緑の布に覆われたもう一つの何かが横たわっている。中を確認はしていないものの推測は出来ている。必要な部位を全て取り外された、かつてアルジュベタ=マータと呼ばれていた人間だ。
 おもむろにアルジュベタ=マータは緑の布をめくってみせる。反射的に俺達は一斉にアサルトライフルの銃口をそこへ向けた。
「なっ……」
 驚く事に、緑の布の下から現れたのは人間の残骸ではなく、完全な姿を保った老齢の女性だった。しかもその女性は自ら目を開くと、そこからはっきりと俺に視線を合わせて、微笑んで見せた。しかし、どこか違和感の否めない印象を受ける。こちらを見ているようで見ていない上の空のような様子だ。
「まだ、生きているんですよ」
 事前に目を通した資料でその顔には覚えがあった。
 彼女こそ、今回のターゲットであるアルジュベタ=マータだ。